読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

苦しい、本当に辛いニュースを見てしまった

 まだ小学生の男の子が、親の都合で引越しさせられたのに耐えられず、その翌日に前の住居を訪ねようと貯金箱から出したわずかな現金を抱えて歩いていたところ、電車に轢かれて死んだという。逝かれた人にも遺された人にも、本当に本当にお悔やみ申し上げる。

 いくらなんでもやるせない。ほんとうにやるせない。こんなニュース見るんじゃなかったけど、見なきゃだめなんだ、これこそ僕が問題としていることなんだ、僕がこの社会に生きているということの、僕自身の加害性なんだ。これだけじゃなくて、毎日どころか毎時間のように辛いニュースが飛び込んできて気が狂いそうだ。何か書いて吐き出さないと辛すぎるので、この事件について思ったことを書く。

 この事件は、この社会でそれほど珍しいことではないかもしれない。東京では毎日誰かが電車に轢かれて死んでいる。しかし、そんなことってないよ。おかしいよ。なんでおかしいことが、誰が考えてもおかしいことが、こんなに普通に起こってしまうのか。

 もちろん、子供は何も悪くない。うちの子が通っている保育園でも、3月最終日の数日前になって親の仕事の都合で急に退園が決まった子がいて、子供たちの間に動揺がいまでも続いている。転園した当人の当惑やいかほどであるか。我が家も転勤族だったが、僕が幼稚園に入ってからは単身赴任になって、幸い僕は同じ場所に留まり続けることができた。母親がワンオペ育児で苦しめられ続けたことはあまりに大きい代償であったが。

 親も、仕事の命令を断ることはできない。仕事がなくなれば転校だけでおさまる話ではなくなってしまうだろう。子供が10歳を迎える頃の専業主婦家庭なら、収入が急減すれば離婚など一家離散にもつながりかねない。それにこの国では、子供の意向などだれも気にしてはいない。多くの子供たちが不本意に転校させられたりすることを、いい経験だと賛美する傾向すらある。

 しかし、人々の暮らしはその性質上、地域のコミュニティの中で形作られるもので、企業の勝手な都合でおいそれと根こそぎ奪ってよいものではないはずだ。3ヶ月なり半年なりの準備期間を持つとか、あるいは労働者本人とその家族との間に十分な合意が得られるときに、それが可能だというふうにするべきではないか。あるいは、高齢者だけでなく、現役世代に対する社会保障が整備されて雇用の流動性がもっと高まれば、理不尽な要求を労働者の側で断り、他のよりよい会社に移ることもできるだろう。しかし、いまの日本には全て欠けている。一度でも会社をやめれば、次の仕事が得られるまで家族が食いっぱぐれるような手薄な社会保障や文化、権利のない労働者、無視される労働者の家族。

 しかし、10歳の子供が家出をしたらすぐ死んでしまうこの都市というのもどうなのか。鉄道も含むさまざまな交通事故が未だに許容されていること自体おかしい。こんなに交通が発達していてまだ自家用車が欲しいのか。自家用車がない不便さと、自家用車があるせいで交通事故で死んでいく人々と、どちらが重要か。IoTだなんだといいながら、線路に歩く子供1人とて検知できない。なんなら踏切にトラックがいることがわかっていても突っ込み、あるいは人を轢いたのに気づかず死体がしばらくホームの下に横たわっていたというケースもあった。運転士が可哀想である。会社が安全に投資しようとせず、国がそれを黙認しているからそうなるのだ。

 また、1人で歩いている子供に声をかけないという世の中。周囲の大人の問題というよりも、声をかけることが犯罪であるという社会風潮が狂気じみている上、その社会風潮ゆえに人々が子供を声がけをしなくなったため、実際に声をかけるのが本当に変質者だけになっているという完全な皮肉。子供たちも、もし日々いろんな人に声がけされていれば、変質者を見抜けるかもしれないが、声がけされる経験がなければ声がけされた時の判断もできない。果たして人々が子供に声をかけられなくなったことで、本当に犯罪被害は減っているのか。

 かくいう僕も、小学4年生の時に家出をして、茨城県から千葉県まで20キロ以上の道のりを歩いたことがあるから、本当に気持ちがわかるのだ。僕の時は、小学校に行くふりをしてそのままいなくなったから、親に止められるわけもない。てっきり登校しているものと思ったら昼過ぎに学校から登校していない旨の連絡があって、慌てて失踪届けを出し探し回ったという。僕は夕方になってようやく、生きて祖父母の家にたどり着いた。その彼も祖父母の家に救いを求めたのだろう。そして、夜の線路が誘ったのだろう。僕だって中学生の頃、夜にこっそりと線路を歩いたことが何度かある。僕の地元の鉄道は非電化のノロマなディーゼルカーだったから轢かれなかっただけだ。ああなんということだろう。本当に、本当に。その年頃は、いろいろと辛いのだ。ああ不運。不運というものは、ああ。

 いろいろなことが頭をよぎる。実際に、それらの問題を解決するのは容易ではないということを知らないわけではない。しかし、容易ではないと言っている間にこんな理不尽な死に方をする人が次々出てくるのか。そんなこと認めていいのか。いくらなんでもむちゃくちゃだ。全部おかしい、なんでおかしいのに仕方ないのかわからない。本当にそういう犠牲なしでは僕らは生きていかれないのだろうか。僕が生きるために、日々の食糧を得て仕事をしていくために、それが必要な犠牲だというのか。か弱い子供たちを傷つけずに生きることすら僕らはできないのだろうか。なんのために長く生きて、なんのために大人になったんだ。こんなことってないよ。でもこういう辛さをただ書くことしか、今の僕には出来なくて、なにも世の中を良くすることなんてできなくて、一部の人たちだけがいい思いをしているのを見ているだけで、もしかしたら自分もその一員で、辛い思いを抱えているみんなに、謝ることしかできなくて……生きていてごめん、でも僕が死んでも解決しないから、なんとかして生きている間に少しでも変えてやる。そう思ってずっとやってきてるんだ、ずっと……。

どうやってプライベートを充実させるか

 既婚子持ちの中年男性。自由などない。金も時間もない。基本的にいいことは何も起こらない。しかし、そのまま生きていくのは辛い。なんとかしてプライベートを充実させたい。そういうことを考える記事。

 

不安をめぐる過去・未来・現在

 毎日毎日嫌なことばかり考えてダウナーな記事を書きまくっている、こういうことはよくない。新年度に向けて、何かポジティブな整理をしたいものだ。自分をどこへ持っていくべきか。何を目指して日々の仕事に取り組むか。その自覚がないまま漫然と過ごすと、あとで後悔する。漫然と過ごしていても、その漫然さになんでもいいから自分で意義をこしらえて付与してやると、それがどんなに奇抜なこじつけでも、後から振り返ればなんだか意義があったように思えて後悔しなくて済む。もちろん、漫然に過ごそうが充実して過ごそうが、過去になっちまえばその時間を再度同じように体験することはできないので、実際はどちらでも大して違いはない。

 また、未来について計画を立てると、未来が不明であることに対する不安を忘れていられる。もし明日太陽が昇らなかったら、などと考え始めると気が狂うが、未来に不安がある人間のやることはだいたいこれと変わらない。明日太陽が昇らなくても自分が死ぬまで生きていることには変わりなく、それを変えることはできないのだから本当のところは未来を予測しても仕方がない。未来の不安というのは、明日太陽が昇らなかったらどうしよう、ではなく、明日太陽が昇らなかったら何をしよう、ということである。人間はやるべきことがわからない、暇である、という状態に不安を抱くものだ。どんなに追い詰められていても、やるべきことがわからず何もしていなかったらそれは暇であるということだ。逆に、どうでもいいことでもずっと休みなく何かに取り組んでいるのなら、その人は暇ではないだろう。明日起きてやることが決まっていれば、不安はない。それをやると腹を決めるだけのことだ。要はそういうことだ。

 一番いいのは——それはある人にとって良いかどうかではなく、不安なことを考えないためにという意味でいいことだが——、現在が、そういう不安なことを考えるような暇がないくらい忙しいことだ。だいたい暇だから考えが広がって、色々考えて不安になってくる。忙しい時はそんな未来や過去や周りのことなど考えられないものだ。しかし、様々な理由で忙しくない現在を過ごしている人間にとっては、やはり何か湧いてでてくる不安や苦悩をなんとか処理しなくてはならない。だいたい、毎日こんなブログをだらだらと書いている人間が暇でないわけがない。確かに色々と追い込まれているが、それに向き合っていないので時間があるのだ。多くの人が、そういう経験をしたことがあるだろう。僕の人生は常にそんな感じだ。

家族持ち中年男性の悲哀

 なぜ僕がこれほど暇かといえば、子守りをしているからだ。仕事に没頭している時はこんなブログなど書く暇はない。子守りは、とにかく全てのことがぶつ切りになり、子供が寝ている間や一人で遊びたい時という、数十分の空き時間がちょこちょこと出てくる。そのような時間は、仕事をするには、準備もできないし十分に集中して取り組むことができず、かといって何もしないでいるわけにもいかないから、庶務を片付けながらブログを書くことになる。ブログは何も考えないで書けるので、細切れでも多少進捗が感じられて良い。自分は何もやっていないわけではない、という自覚をもたらして精神を安定させるためにブログをやっているのである。

 さて、ポジティブな整理ということだが、僕は細かく計画を作っているので、ある意味ではすでにそれはなされていると言える。一応、長期、中期、短期(概ね週次で年間)、と計画があり、それに基づいて毎日のスケジュールを組み立てている。中長期計画に立ち戻れば、そこには一応壮大で前向きな目標が立てられている。ただ、そこに書かれているのは、なんというか、パブリックな自分についてだ。僕が多分悩んでいるのは、自分のプライベートについてである。加齢に伴い、白髪や加齢臭が自らをアイデンティファイし始めるようになり、視野が狭く価値観が古くなっていく中で、家族がいるために時間も場所もない状況下、どうやって自分のプライベートの充実を図るか。それをポジティブに整理する必要がある。

 ここで家族に何かを求める人がいるが、それは僕は賛成しない。家族といえど、それぞれ一個の独立した人格である。それぞれ自分のやりたいことがあり、特に親は、子供のやりたいことに対して、子供の必要に応じて呼び出されれば良い。親が自分のプライベートあるいはパブリックな期待を子供に押し付けたら、子供が辛い思いをするだけである。だから、自分のブライベートの充実は、逆説的だが家族の外側において見いだすことで、むしろ家族も良好にいくのだ。しかし、時間も資本もない中で、どうやってそれを実現していくか。

プライベートを充実させるための考え方

 おそらくその答えは、仕事とは違う自分の興味関心の向く対象に、あまりリソースを投下せずにしかしコツコツと取り組んでいく、という形が理想的だ、ということになろう。

 金があれば、家で子供たちと遊ぶ合間に愛車をチューンするとか、時計やカバン、タイピンなどの小物に凝る、というのがその一つだろう。鉄道模型やプラモデルなどもこの類に入る。家族との時間を削れないので、時間が細切れでも少しずつ進めていくことができ、しかもゴールがないような、いくらでも追求する余地があるような趣味だ。

 家族と一緒に楽しむということで、ディズニーやジブリなど家族向けコンテンツの中に魅力を見出し、一緒に遊園地に遊びにいったり配信コンテンツを視聴したり、コレクションを集めたり、という方法もある。これは家族、特に夫婦が一致して同じ対象に関心がある場合、非常に良い効果をもたらすプライベート充実のための方法だ。

 もし家族をあまり顧みないのであれば、子守りは誰かに任せてゴルフや登山、フットサルなどのサークルに参加する、という手もある。あるいはアイドルのコンサートなどもこの類に入るだろう。月に1日、あるいはもし状況が許せば週に1日だけ、それに時間を割くことを許容してもらえる環境がある、などの場合は、実際これはよい気分転換の機会となるし、同好の士との間に新たな繋がりも増えて、非常に充実したプライベートの環境を得ることができるだろう。

 しかし、多くの人がSMクラブや女装バーのようなところに行くことなどを勘案すれば、おそらく人々が望むプライベートの充実は、こんなチンケなものではないのかもしれない。自分の肩書きも立場も会社や家庭での役割も、場合によっては性別や年齢すらも飛び越えた自分、本当にパブリックなものから完全に切り離された自分になって初めて、自分の内面に即したプライベートなものが作り出せるということなのかもしれない。西村京太郎が『変身願望』という小説を書いているが、プライベートな自分を解放することは、日常の自分からすれば変身に近いようなことではなかろうか。不倫や仮面舞踏会の隆盛も、性欲のなせる技というよりかは、このような変身願望、家庭ですらパブリックな、つまりそこで求められる像に適した振る舞いをするような自分から脱却したいという思いの結果だろうと思う。もしそのようなプライベートの充実が叶う環境にいるのであれば、それがプライベートに止まっている限りにおいて、それは他のいかなるプライベートの充実の形よりも、視野が広がり、学びがあり、より深くその満足を得られるだろう。しかし、それをポジティブな計画として立てられる人は、おそらく多くないと思うが。

 

* * *

 

 僕個人はといえば、もう少し広い家に移るなどして、空間が得られれば、また鉄道模型でもやってみたいものである。子供たちがそれに興味を持つなら、一緒にカメラや楽器に興じるのも、現代的でいいかもしれない。いつかそういったプライベートの充実がもたらされる日がくるというポジティブな信仰を持つことで、現下の不安は多少なりとも払拭される。実際の未来は子供が不登校になったり、自分と口を聞いてくれなくなったり、家がもっと狭くなったりするのだろう。しかしそれはそれでいいのだ。まず今、前向きな展望があることが大切である。さすればそれを元に、明日の朝やることを決めることができ——例えば、鉄道模型のレイアウトを考えてみるとか、『RMモデルズ』(鉄道模型の雑誌)を買いに行くとかだ——、それによって不安を脇に寄せておくことができる。こうして日々を前に進めていくしかないのだから……

 

▼趣味についてさらに掘り下げて考える。

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弱さの連鎖

 今年度が終わる。今まで幾つかの記事で書いてきたが、これほど無為な一年もない。

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チャレンジして失敗し、最悪な一年になるというのなら、まだそれが糧になって意味がある。しかしこの一年のように、何かにトライすることもなく、身動きが取れないままあっという間に過ぎ、その間になされるべきだったことがなされないために未来が閉ざされたという時期を経験したことは、ほとんどなんの学びももたらさない。単に、諦めを学ぶしかない。後からではなんとでも言えるが、経ってしまった一年は戻ってこない。

 このような無為な1年間を過ごした人は、実はそれほど多くないだろう。僕の周りではむしろ、転職や引っ越し、さまざまな新しいチャレンジ、結婚まで、いろいろなことが起こっていた。僕だけが取り残された形である。より悪いシチュエーションを想像することはできるが、それとの比較はなんの慰めももたらさない。たしかに今のところ借金は増えておらず、生活費にも困っていないが、そのかわり毎晩洗面所で丸くなって1時間も2時間もパソコンを叩いている。寝室と書斎兼子供部屋に家族が寝ていて、他に場所がないためだ。毎晩嫌なことが頭の中を駆け巡り、寝付いたと思ったら目が覚める。遠くのサイレンが嫌に大きく頭の中に響く。今はいい、今は乗り越えられるが、この先はない。

 

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 自分の弱さ、自分の情けなさは自分で引き受けるしかない。「日本民族」や「男性性」に自らを委ねたくなる気持ちは痛いほどよくわかる。だめな自分だからこそ、何か強そうなものに自らを委ねたいのだ。自分が強くなくても、構造的に強い立場になれるものに。それが許されないのだから、自分の弱さは自分で享受しなければならない。しかし、他人の弱さを他人に享受させることはダメだといわれる。他人の弱さは社会のせい、自分の弱さは自分のせい。たしかにそれは望ましい解釈かもしれないが、誰もが聖人君子なわけではない。他人の弱さは他人のせいだが自分の弱さは社会のせいにしたいのが人情だ。価値判断以前に、そのことは理解されるべきだ。

 弱いものが、誰かのせいにせずに自分の弱さを受け入れることは不可能だ。自分の弱さを自分のこととして受け入れられるなら、もうその人は強いはずである。だから、弱いものは弱いものを叩く。強いものとの格差は開く。自分の弱さも社会のせい、他人の弱さも社会のせい、とすれば、誰も叩けない。本当は誰もが弱く、そこからは弱さの連鎖が見えてくるだけだからだ。人間の哀しみしかそこからは読み取れない。どこかで誰かが加害者性を引き受けなくてはならない。加害者性を引き受け、誰かの弱さを自分の強さのせいだと規定できた人から、主体性を得ていくことになる。主体は服従だと言われるが、そのような主体はまだ主体ではない。客体的に規定された主体でしかない。それを自分に引き受ければ、自分は支配側に立つことになる。少なくともその側との共犯関係として主体となるはずである。

 自分は弱い。とはいえ、それを自分で引き受けなければならないことを理解し、引き受けようとする程度には弱くない。しかし、それを引き受けられるほど強くもない。自分が弱いことで誰かを抑圧していることに正面から向き合えない。僕はわかっている。だが、どうしたらそれに向き合って、それを乗り越えられるほど強くなれるのか。それとも、弱さの連鎖として、もはや諦めるしかないのか。苦しい。

 

 

「はたらけど…」の一首に石川啄木のストイックさをみる

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 エレベータには鏡がついている。これは、主に車椅子利用者のための配慮だ。ウォークスルー型の、つまり両面に扉がついている形のエレベータでない場合、車椅子利用者が前進でかごに乗車した場合、出るときは後進になる。そのため、鏡をつけて後ろが見られるようにしてあるのだ。それゆえ、かごに乗る際には、正面に鏡があり、そこには自分が映っている、ということになる。映っているものが自分かどうか、そもそも自分とはなにかについては哲学上の様々な議論が可能であろうが、一応ここでは自分が映っているという表現で理解可能な範囲で理解してほしい。

 そこに映る自分の頭には髪の毛が生えているが、その中に、あまり目立たない形ではあるが明らかに、増えつつある白毛が混じっていることを認識できる。毎日のようにダラダラとはっきりとしたテーマも目的もないブログなどを書いている人間が、人生に満足しているはずもない。自分で選んだ人生とはいえ、辛いものは辛い。そして、白毛も生えて来る。いくら自己啓発しても生えて来るものは仕方ない。20代の頃から2本ばかり白毛があったが、今生えてきているのはもう年齢的に若白髪でもない。要は、歳をとったのである。

 歳をとっても、なにか自由が増えるわけでもなく、色々と背負うものは増えて、昔の自分がいかに苦しんでいたかということも理解できるようになる。理解できるところまではいくが、それを解放する力はない。もちろん、人には色々な苦しみがあり、それを比較すれば僕の苦しみは軽いということになろう。しかし、その比較によって苦しみがなくなるわけではない。いかに小さな苦しみでも、そこから逃れたいと思うのが人間の性である。ましてや、僕の苦しみは、数年後に切れる雇用契約のこととか、返さなければいけない借金のこととか、まだ幼い子供のこととか、家族で住むには狭すぎる居室のこととか、生活に密着したものであるから、それをいっとき忘れるということも不可能だ。

 そういうとき、僕は天を仰ぐが、天を仰いでいるようではいけない。石川啄木は、「はたらけど はたらけど猶わが生活〔くらし〕楽にならざり ぢつと手を見る」と詠んだ。1910年に出版された詩集『一握の砂』に収められた一首である。彼はジャーナリストとして、あるいは文筆家として生計を立てていた。天を仰ぐというのは、天からのなにか施しを待つ態度であるが、手を見るというのは、自分の力の無さに向き合い、自らを問おうとする姿勢である。石川は人一倍物事を考え、かつ、より良くなるほうへと果敢に挑戦した人である。しかし空理空論に惑わされず、自分の生活の苦悩や矛盾をしっかりと抱えたまま、それを現実の中で乗り越えようと、色々なことを試みたのであった。それなのに、度重なる色々な不運、人との巡り合わせやタイミングの悪さなどで、失敗を繰り返すこととなる。それを本人の我儘などに帰する解釈もあるようだが、僕はそうは思わない。チャレンジするから、失敗もあるのだ。正論を通そうとするから、対峙することもあるのだ。彼の放蕩も、なぜ放蕩するのかを考えなくてはならない。それは客観的にはどうあれ、石川自身にとっては、新たな可能性を、突破口を、探していたために生じた行動である。多くの人なら、どこかで諦め、より楽なほうへと流れたかもしれないし、放蕩をあえて続けることなど、凡人であればあるほどできないだろう。少なくとも僕は全くできていない。しかし石川はそれをあえてなし、そして、「ぢつと」手を見たのである。ここに人柄がよく出ていると思う。単に放蕩して、なにかいいことがないかと遠くを見るのではない。「はたらけど」が二回繰り返されることは、一度目の「はたらけど」で自分のできる範囲で十分にやっているが、それではダメだから自分の限界を超えてもう一踏ん張り「はたらけど」、ということなのだ。そういう形で、自分なりにやれることはキャパを超えるほどやっていて、それでも突破できない現状に苦しみ、放蕩によりなんとか精神のバランスを保ちつつ、そのような不安定さそのものを抜け出すためにもっと努力しなければ、と思って手をみつめるのだ。もしこれが、「はたらけど」が一回だけなら、放蕩などしなくても大丈夫だっただろう。あるいは「天を仰ぎつ」で終わるのなら、単に無責任だろう。しかし、「はたらけど」が二回繰り返されて、さらに「ぢつと手を見る」というこの生活者としての終わりなき戦いの姿勢、これはなんとストイックであることか、と僕は思う。

 しかしまぁ本当に、今日までこの一首が歌い継がれているのも、宜なるかなという世の中である。僕には「ぢつと手を見る」ほどの甲斐性はない。「はたらけど はたらけど猶わが生活〔くらし〕楽にならざり だれか助けて」という感じである。しかし、そんなこと言ったら「おまえより はたらけど楽にならざりしおれを助けろ ちよつと手を貸せ」と言われて仕事が増えるのがオチだ。やっぱり黙っておこう。

 

新編 啄木歌集 (岩波文庫 緑54-1)

新編 啄木歌集 (岩波文庫 緑54-1)

  • 作者:石川啄木
  • 発売日: 1993/05/17
  • メディア: 文庫
 

 

渋谷が廃墟になる日

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 渋谷に久々に行ったが、随分と変わったものだ。夜でも人は少なく、ネオンだけが燦々と輝いている。昔は目新しかったこのごちゃごちゃした広告も、中国の大都市の様子を散々ネットで目にした後では、むしろ空の広さが目立ち、侘しい感じがする。

 このまま高齢化が進めば、このように閑散とした渋谷のスクランブル交差点の景色が当たり前のものとなるだろう。50年後、遅くても100年後には、渋谷など今の地方都市のシャッター街と変わらない様子となっているかもしれない。2100年には、空っぽの高層ビルを取り壊す費用もなく、低層階部分のテナントだけが開いている、となろう。50年後のアジアで国際センターとなっているのはジャカルタハノイシンガポールなど東南アジア諸都市ではないか。アジアにとって20世紀が東アジアの時代、21世紀が大陸中国の時代だとすれば、22世紀は東南アジアの時代と予想されるからだ。2200年ごろには渋谷も完全に廃墟になっているだろう。廃墟というのは段々になっていくのではなく、ある一定の人口なり資本なりを割り込んで、その都市を維持できなくなると、一気に廃墟になる。そのタイミングがいつ来るか、という話だ。

 

都市と廃墟

 ともあれ、渋谷が廃墟になったらどんな感じになるのか、というのは興味深い問いだ。その時にいつも思い起こされるのは、磯崎新の設計したつくばセンタービルである。磯崎は設計段階で、そこが廃墟になった後の模型もデザインした。レム・コールハースジェネリック・シティという、個性も特定された機能も持たない都市というのをイメージしたが、それにとどまらず、都市が廃墟となる、つまり都市が都市であることをやめることまでをもデザインしようというのだ。

 

La Ciudad Generica

La Ciudad Generica

 

 

 少し前に渋谷の松濤美術館で、まさにこのテーマにフォーカスした美術展も行われた。「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」と題され2018年末から19年にかけて開催されたこの展覧会は、17世紀ヨーロッパから未来の渋谷まで、廃墟というテーマから作品を集めた。展示の中でも特に、渋谷の廃墟の絵である元田久治《Indication: Shibuya Center Town》(2005)はネット上でも評判を呼び、よく知られているだろう。

 

bijutsutecho.com

 

メタボリズム建築

 この展示会は、もっと前に森美術館で行われていた「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」と好対照をなすものだ。メタボリズム展で示されていたのは、無限に拡張可能な建築を目指したメタボリズムだけでなく、それが終わってからは「環境」をテーマに植物などの有機物を建築の中に取り込んでやはり拡張しようとする都市のイメージだ。そこには、廃墟の可能性があたう限り排されている。復興だけでなく、経済成長した日本の資本によって海外諸都市にその触手を伸ばし、その力がなくなってからもなお伸びていくことを夢見ている。

www.mori.art.museum

 

 

 伸び続ける建物と伸び続ける都市は、震災や戦争で崩壊を繰り返してきた近代日本にとって切実なテーマだ。建物の平均寿命がヨーロッパなどより全く短いのも、その文化の上に日本の建築があるからである。日本は木材が豊富だったからヨーロッパのような石造りの堅牢な建物が少ないわけではない。ヨーロッパも中世までは木材が豊富であり、今でもノルウェイ産の木材——ビートルズの曲名になり村上春樹の小説の題にもなった——など日本より断然出回っている。日本で石造りの建物を作ると崩れるから作られないのだ。「崩れるかもしれない」という恐怖が、まだ使える建物もさっさと壊して新しくしようという機運につながる。毎世紀リスボン地震が発生しているようなものだ。いちいち神罰だなんだと考えていたら身がもたない。むしろそれを大地の呼吸と理解し、崩壊を織り込んで成長する建築をデザインする、まさにメタボリズムである。

 

横浜駅SF、廃墟とメタボリズムの交点

 数年前に、面白いショートショートをネット上で見つけた。横浜駅が自己増殖して、北アルプスにまで出口が生えてきている、みたいな話だった。 

横浜駅SF (カドカワBOOKS)

横浜駅SF (カドカワBOOKS)

  • 作者:柞刈湯葉
  • 発売日: 2016/12/24
  • メディア: 単行本
 

  横浜駅がサグラタファミリアと並んで建設が終わらない駅だというネットミームを元にした、めちゃめちゃ気持ち悪い話だった。横浜駅だから気持ち悪いが、道路なんてまさにそういうものだろう。無限に地面に平らな管を引いていく営みだ。人々はいつか死に、廃墟だけが残される。横浜駅SFは、増殖する横浜駅が人間を吸い尽くす、つまり自らが増殖することで廃墟になることを結果的に望んでしまっているというメタボリズム建築の逆説を突いた作品だった(と思う、ちょっとあまり覚えてない)。メタボリズム建築は、その建築の外部に人間がいなければ成立しないが、その建築の中に全ての人間を吸い尽くすことを目指しているからだ。

 『ブルータワー』という石田衣良の小説も、確か廃墟になった新宿かなんかを元にした作品だった気がする。ずいぶん前に読んだので、もうあまり記憶にない。

ブルータワー (文春文庫)

ブルータワー (文春文庫)

 

 僕の記憶が正しければ、確かに人々は新宿に住んでいるが、新宿というものを忘れ去っている。だから、新宿の街は廃墟になっていて、その上に新しい街ができているということになっていた。つまり、廃墟になるということは、そこに人がいなくなるというだけでなく、それが活気ある場所としてあったことを忘れられることによっても、成立するわけだ。

 いずれにしても、今ここで生きている以上、ここが廃墟になったその日を見ることは、人間にはかなわない。われわれが渋谷を本当に捨て、忘れ去った時に、渋谷は廃墟になる。それまで渋谷は崩壊を繰り返しながら増殖を続けるのだろう。

 

 

子供を連れて清澄公園と木場公園へ

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京橋千疋屋のサバラン

 

 相方が結婚式の引き出物でバームクーヘンをもらってきたのだが、子供がそれを食べ尽くしてからというもの、「あのドーナッツみたいなやつ食べたい」とずっと騒いでいる。

 

 

スイーツを安くたくさん買う

 ドーナツとかカステラとか、バームクーヘンもそうだが、ああいう甘くてボリューム重視の焼き菓子を見るたびに、昔仕事で行っていた横浜のシーサイドライン南部市場駅の近くにあった文明堂の工場を思い出す。工場の前に直売所があって、カステラの切れ端を安く売っていたようで、一度行ってみたいと思いながらついぞ行かずじまいで終わってしまった。

 そんなことを思い出していたので、そんなにバームクーヘンが食べたいなら、どっかのバームクーヘン工場にでも行ってたらふくバームクーヘンを食わせてやりたい、と思って調べると、「下町バームクーヘン」なるブランドのバームクーヘンを売っている乳糖製菓という会社の直売所が錦糸町にある。いま錦糸公園は桜が満開だろう、バームクーヘンを食べながらお散歩してもよいかもしれない。と思う。

 

 

 しかし、と考え直す。僕自身はあまりバームクーヘンを食べたいとは思わない。子供がそんなにバームクーヘンを食べたいなら、わざわざ遠い店までいかずとも、食パンを丸めて作ったフレンチトーストでも食べさせておけばいいだろう。だいたいバームクーヘンなんてたくさん食べるもんじゃない、そもそも子供なんだからそんな菓子なんてたくさん食わせんでよい(前の記事「育児のバイブル 松田道雄『育児の百科』 - 読んだ木」で紹介した松田道雄は、お菓子を食べる楽しさをたくさん経験させてやれと書いているが)。せっかくならむしろ、美味しいスイーツの工場直売所に行きたい。子供の意思はどうでもよい。しばらく考えた僕は、そういう結論に至った。

 

京橋千疋屋工場直売店

 そこで目指したのが、清澄白河駅近くにある京橋千疋屋の直売所だ。清澄通り沿い、仙台堀川にかかる海辺橋のたもとの、松尾芭蕉が「奥の細道」へと出発した採荼庵の跡の並びである。京橋千疋屋のケーキが100円引きくらいで買える。その結果が、冒頭写真のサバランである。

  千疋屋のケーキの特徴は、価格がはちゃめちゃに高いけれども、あまり手がこんでなくて、シンプルなんだけど載っている果物がべらぼうに美味いということ。シンプルというのも、手抜きなのではなく、良い品質のものを、あまり手を加えず優しい味わいのスポンジやクリームに仕立て、フルーツの魅力が十分に生かされるようになっている、ということだ。高級住宅街のなんかすごいパティシエが作った凝りに凝った味わいのケーキも素晴らしいが、このようなシンプルだからこそ美味しさが伝わるようなケーキもまた、乙なものである。

 昔、初めて帯広の六花亭本店のカフェでショートケーキを食べた時も、こんな感じの美味しさだったなぁ。近年、六花亭の札幌本店で食べたショートケーキには、それほどの感動はなかった。 

 直売店では京橋千疋屋のジュースも売っていて美味しそうだったが、持って帰るのが重そうだったので今回は買わなかった。

 

清澄公園

 京橋千疋屋の工場直売店には食べるところはないので、清澄公園で食べる。清澄公園は広くて、となりには池が美しい清澄庭園が広がっている(現在はコロナ対策で休園)。ここは元々豪商紀伊國屋の持ち物かなんかで、三菱創業者の岩崎弥太郎がここを取得後、日本庭園として開発され、現在に至るようだ。

 

東京の文化財庭園

東京の文化財庭園

 

 

 公園の南側には、先に触れた仙台堀川が流れている。ここは目黒川のように有名ではないとはいえ、やはり桜が植っていて、この時期とても美しい。すぐ先には春のうららの隅田川がつながっているはずである。その桜をしげしげと眺めていると、子供に「ケーキ早く食べようよ」と急かされる。花より団子とはまさにこのこと。

 まだ寒い時期なので、清澄公園の親水部も水が張られておらず、夏は小川の河底になる部分で子供たちが走り回っている。清澄庭園の南端には児童公園があって、バナナのような形の滑り台がある。傾斜がきついのに進路の途中で三叉に分かれるというかなりリスキーな滑り台で、滑った子供たちのほとんどが負傷というか身体を変な風にぶつけていた。つまり股裂になってしまうのである。

 昼ごはんを食べて、今度は木場公園に歩いて向かう。この辺りには本当に広い公園が徒歩圏にたくさんあって、子育て世代には大助かりだろう。もう少し北に歩けばティアラこうとう(音楽ホール)のある猿江恩賜公園があり、さらにいくと先に挙げた錦糸町錦糸公園にたどり着く。うちの近くにはこんなに走り回れる公園なんてひとつもない。

 

木場公園

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 木場公園は都市計画上作られた公園で、埋め立てにより材木場が木場から新木場に移るに際し、手放された木材倉庫や工場を計画的に取得して、これだけの広い公園を実現したとのこと。この写真の木々の奥に写っているのだが、公園の中央部には木場公園大橋という、仙台堀川葛西橋通りの南北に分かれている木場公園を繋ぐための歩行者用の斜張橋がかかっている。北側にはおなじみ現美こと東京都現代美術館があり、ほかにも広場やテニスコート、植物園が配されている。

 子供向け遊具のゾーンも非常に充実している。まずもって、6歳以上向けの遊具の集まったゾーンが北側にあって、南側には6歳以下向けの遊具の集まったゾーンがあるという次第で、一つの公園にターゲット層を分けて二つの子供向け遊具の集約された場所があるというのは都内広しといえども他に例を知らない。遊具も、とくに南側の幼児向けゾーンでは、それほど広いというわけでもないのに、今まで児童遊園で見てきたありとあらゆるおもしろ遊具が全て揃っているような感じで、3歳の子供はいくら遊んでも遊び尽くせないほどだった。写真を撮ろうと思ったが、どこを向いても人だらけだったので諦めた。

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 南側の広場には満開の桜が広がっている。コロナ禍に対応した形で、みんな落ち着いて距離をとりつつ花見を楽しんでいる。そもそもぎゅうぎゅうになって花もそっちのけで飲んだり騒いだりしているのがおかしいんであって、こんな感じの平和な花見がコロナ禍が終わっても続いて欲しいと願うばかりだ。

  いま飛鳥山公園に行けば、そちらも桜が満開だったかもしれない。まぁ飛鳥山公園は桜が咲いていなくても子供が十二分に楽しめるからよいのだが。

yondaki.hatenadiary.jp

 

・子供と公園散歩シリーズ(?)

川崎大師と大師公園 - 読んだ木

子供と一緒に箱根周遊コースとその沿線 - 読んだ木

子供を連れて清澄公園と木場公園へ - 読んだ木

3歳児と歩く飛鳥山公園とその周辺 - 読んだ木

ガーシュウィンとクラシック音楽としての「トムとジェリー」

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トムのようなすらっとして俊敏そうな猫には会ったことがない

 最近、子供に付き合ってトム・アンド・ジェリーを観ている。改めて観るとすごい。喋りはほぼなくて、全部がオーケストラの生演奏によるBGM兼効果音によって表現されている。つまり、作曲家がアニメに合わせて全部楽譜を書いて、オーケストラがアニメーションに合わせて演奏しているのだ。今からすると大変贅沢な仕立てだと思うし、1940年代から作られたにもかかわらず、今でも変わらぬ面白さと笑いを提供してくれているのがすごい。40年代に作られたものは日本では著作権が切れているので、視聴コストがかからないのもありがたい。

 

トムジェリとガーシュウィンとそのころのアメリ

 その中でも秀逸な一作は、1947年に公開された「猫のコンチェルト」。ハンガリー狂詩曲第2番を猫のトーマス(トム)がピアニストとして演奏するのだが、ピアノに住んでいたネズミのジェローム(ジェリー)が演奏に伴うピアノの動作により叩き起こされたために、トムの演奏を邪魔しようとして両者の間に小競り合いが引き起こされる、というシナリオだ。

 

トムとジェリー2 ピアノ・コンサート [DVD]

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  • 発売日: 2017/10/28
  • メディア: DVD
 

 

 演奏中に茶々が入ると、同じ部分が何度も繰り返されたり、急にジャズ調のメロディが挿入されたり、原曲にはないカデンツァが入ったりする。その時には曲の正しい進行が壊されているはずなのだが、アニメを観ているとそんな気はしない。むしろ、トムとジェリーの間のやりとりの中で、曲が次々に構築される、創造されているという印象を受ける。予定調和ではなく、色々な出来事を積み重ねることで全く新しい曲が生み出される、そんな風に聴こえるのだ。

 それはいわば、ジョージ・ガーシュウィンの曲のようなものかもしれない。ガーシュウィンの代表曲で「のだめカンタービレ」のアニメによっても有名になった「ラプソディ・イン・ブルー」は、1924年に書かれたものだ。その時はガーシュウィンが書いたものをファーディ・グローフェがジャスバンド向けにアレンジした楽譜であった。26年にグローフェが編曲したオーケストラ版が出て、最終的な版として現在まで流通することになるのは、1942年(ガーシュウィンはすでに37年に没している)にフランク・キャンベル=ワトソンが編曲したものだという(ウィキペディア情報)。

 

ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー、パリのアメリカ人、他
 

 

 どういう経緯でこんな素っ頓狂な曲ができたのかよくわからないが、この24年から42年という時期のアメリカの特異な雰囲気は、前の記事(雨の日のラヴェル、アメリカのラフマニノフ、道化のショスタコーヴィッチ - 読んだ木)でも書いたように、非常に興味深いものだ。つまりこの時代は、西洋の優美で繊細なクラシック音楽(定義が曖昧なのはご容赦あれ)や、それを書く作曲家たちが、ロシア革命ナチスの台頭に伴って荒々しく否定されていた時に、アメリカではアフリカ音楽や各地の民族音楽にルーツを持つ楽曲が渾然一体となって演奏されていて、ある意味で「正しい作曲」なんてものがなくなってしまった時代だった。ラヴェルも、ラフマニノフも、自分がそれまで培ってきた価値観が根底から掘り崩され、戸惑いながらアメリカを訪れたのである。当時のアメリカの音楽は、ある意味自由であったし、ある意味無秩序だと思われるようなものだったのではないか。確固たるスタイルもなければ、バンドやオケの編成もばらばら。音楽の真理を追求するのではなく、その場に即して最もエモーショナルなものを提示できたものが正しいという価値観。1898年にニューヨークで生まれたガーシュウィンはまさにそのような空気の中で育ち、20年代から38年に早逝するまでそこで作曲家として活躍していたのだった。

 

ラプソディ・イン・ブルーの「コレジャナイ」録音たち

 その意味でいえば、ガーシュウィンの曲そのものだけでなく、その演奏も、それまでのヨーロッパにおける「正しい演奏」を目指して演奏された録音は面白くない。Apple Musicで色々な演奏が聴けるが、例えばスロヴァキア放送交響楽団の1990年の演奏など正しすぎてひっくり返ってしまう。 

Gershwin: Rhapsody In Blue / Piano Concerto

Gershwin: Rhapsody In Blue / Piano Concerto

  • 発売日: 1990/07/02
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 音のつぶ一粒一粒がはっきりと聴こえ、しかも和音が進むにつれての楽器の積み重ねがはっきりわかるように演奏されている。和音が綺麗で、クラリネットのビビリ音が全然ないし、金管のビブラートが揃っている。なんか小節の頭拍がはっきりしていて、楽譜が見えるようだ。金管の登場が輝かしい。きわめつけは、途中のアドリブっぽい演奏が本当に……間抜け。確かにクラシック音楽の演奏技法としては正しいのだが、コレジャナイ感がすごい。

 2016年にリリースされた、郎朗(ランラン)の演奏したラプソディ・イン・ブルーは、いかにもアジア人が解釈して手を加えたらこういう演奏になりそうだ、という印象を受ける。ジャズをタバコ臭いバーで強い酒に朦朧としながら自分をなんらかの快感に持っていくために聴くというのではなく、それが録音されたLPやCDで日本製のオーディオ機器から聴いている人々は、ジャズにある種の「美しい」イメージを抱いている。静かなカフェのBGMになるほどの扱い、というわけだ。もちろんそれは、スムースジャズフュージョンなどが出てきた20世紀終盤以降のジャズについては適合的な理解だが、それを第二次大戦前のガーシュウィンに当てはめてはいけない。

ニューヨーク・ラプソディ

ニューヨーク・ラプソディ

  • アーティスト:Lang Lang
  • 発売日: 2016/09/14
  • メディア: CD
 

 

 著名な指揮者でしばしばこの曲を振っているのは、レオナルド・バーンスタインだ。バーンスタインは1919年生まれ、ユダヤアメリカ人で、10歳上のカラヤンと並んで名を馳せた。あの世代で近現代の曲を振る指揮者としては、彼がもっとも優れていたように思える。これまでに紹介した曲の中では、「雨の日のラヴェル、アメリカのラフマニノフ、道化のショスタコーヴィッチ - 読んだ木」で引いたショスタコーヴィチ交響曲第5番の録音が彼の指揮だった。

 彼が振った中で、ロサンゼルス交響楽団の演奏のものがある。

  この演奏は、冒頭のクラリネットがよくわかっていて、音を潰して、いくつかの音をビビらせることで雰囲気を出すことに成功している。ただ、テンポが遅いとまでは言わないけど、進行がどうももったりしていて面白くない。ジャズのリズムではない。スウィングがない。

  その点、やはりニューヨークフィルと演奏したこの演奏に勝るものはない。

  一目ならぬ一聴瞭然だが、ジャズらしい突っ込みと引き伸ばしの、スウィングのリズムが曲の全編にわたって継続している。そのおかげで、変に細工しなくとも曲に躍動感が出て、ラプソディ・イン・ブルーのもつ魅力がグッと引き出されている。そのリズムによって出る音引く音が自然に見えてくる。なぜみんなこういう風に演奏できないのか。最近はウィーンのニューイヤーコンサートでも、ウィンナワルツのリズムがどうもはっきり乗れなくて流れが作れてないと感じる演奏がある。みんなノリが悪い。もっと体を揺らしていこうぜ。

 

ガーシュウィンの弾くラプソディ・イン・ブルー

 じゃあそうすると結局、一番いい演奏はもうこの、「スムース」になる前の時代にしか残ってないという話になるわけだ。この、Gershwin Plays Gershwinに入っている、SP盤を聴いているかのようなひどい音質の録音である。

Rhapsody In Blue

Rhapsody In Blue

  • 発売日: 2010/12/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

  これがとにかく至高である。リズムも無茶苦茶、音もぐちゃぐちゃ。なのにすごくエモーションを掻き立てられる。楽器の状態が悪いからとにかく吹き込んで音を出さなきゃいけない。だからクラリネットのビビり音が入ったりする。ピアノも響かないから音が丸っこい、それに躍動感をつけるために、タッチが速い。音を出すために力強いのではない、音が出ないピアノでそれをやると単に重くなるだけだ。逆にポップにするために軽くひいたら、音が出ない。だからしっかり引くけど、早く鍵盤から指を跳ばす。跳ぶように引く。オケは、弾いているうちにどんどんリズムが早くなってしまう。だからレントのところでしっかりテンポを落とす。それで緩急が生まれる。作曲技術が単純で、主題の展開などが凝ってないから、聴いていると飽きそうになる。だからすぐ全く違う表情のメロディに移行する。それぞれのメロディは単純だけど、どんどん展開するから楽しい。言ってみれば、ヨーロッパの正統なる音楽教育を受けて形作られた高度な音楽と、多額の費用と大勢の観客を集めて維持されるようなオーケストラではないからこそ、生まれた音楽なのだ。だから、どんなにすごいオケがやってもいい音楽にならない。むしろ、いい技術を持っているがへそが曲がっているので売れたりはしないような場末のビッグバンドなどがいい演奏ができそうだが、もちろんそれゆえに素晴らしい演奏が録音される、ということはないかもしれない。録音されて世に出ているものがいつも最高なわけではないのだ。

 

クラシック音楽としての「トムとジェリー

 

 47年のトムジェリの、いわば「ハンガリー狂詩曲第2番による変奏曲」も、そのようなヨーロッパの音楽をアメリカナイズする文脈の上にあるような気がする。だからこれはこれとして、クラシックのある一曲として尊重されるべきだし、この作曲を手がけたスコット・ブラッドリーなどは近代音楽を代表する作曲家としてもっと評価されるべきだろう。言葉の世界でいう宮沢賢治のようなものであって、音楽で動きを表現する天才である。擬態語ならぬ擬態音というわけだ。動物を音楽で表現することはバロック時代から前例があるけれども、彼ほどそれをダイナミックに成し得た作曲家はそれまでには存在しないといえよう。

 放送開始から80年を経たトムジェリや、あるいはそのほかの劇場音楽などが、1世紀ぐらいの時を経て歴史となり、伝統あるオケで単独演奏され、録音される日も遠からず来るだろう。その時にはもう、西洋のクラシックが中心となるような音楽史解釈は崩壊しているだろう(今はまだ根強い)。その時には、本当に新しい、聴いたことのない音楽が生まれてくるに違いない。それまで生きて、そんな新たな音楽を楽しんでみたいものである。