読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

逃げ恥の新春スペシャルがすごく嫌いだった話

 

文學界(2021年1月号)

文學界(2021年1月号)

  • 発売日: 2020/12/07
  • メディア: 雑誌
 

 

(これは1月3日にフェイスブックに投稿したやつ。フェイスブックにあると流れてっちゃうのでブログに移した)

 ハンガリーの諺をモチーフにしたドラマ、いわゆる逃げ恥の新春スペシャルドラマをネットのオンデマンド放送で観た。本編は見ていないが、貧困女子が結婚して階級上昇する話のようで、ツイッターなど見ると好評を博している。半沢直樹が半世紀前の男性の理想を現代版にアレンジしたものだとすれば、これはその女性版ということでウケがいいのかなと思う。
 ちょうど前の晩、Amazonの袋に入りっぱなしだった『文學界』1月号を出してきて小佐野彈「したたる落果」を読んだところだった。こちらは、台湾に渡った日本人ゲイの主人公が、台北の大正町を舞台に日々を送る話。
 逃げ恥とこの小説、いずれも登場人物の年齢や社会階層が近く、またどちらもコロナ禍を物語に組み込んでいるのに、内容が対照的だったので、どうにも逃げ恥の保守性が鼻についた。
 逃げ恥は、家族と定職、固定の居住地、長年の友人や親族という狭いコミュニティの中で生きていくための環境を、夫婦別姓や男性育休などを駆使して現代の社会状況に適合的な形態で実現することに救いを見出す話だ。さまざまなマイノリティは出てくるが、彼らは主人公の周りに添えられているだけ。多様性を認めつつ家族制度を強固なものにしながら労働力も確保したいと考える一部の政党の主張とも適合的だし、高度成長期の家族のロールモデルが使えなくなった人々の不安に応えて新しいロールモデルを提示するという点でも大衆ウケするのだろうが、いくらなんでも環境が恵まれ過ぎている。物語はともかく、主人公夫婦と同じ条件(正規雇用、男性育休、実家を頼れる、等々)を得られる人は人口の1%もいないだろう。
 落果は逆に、家族や定職や定住地がなく、あるいはそれを否定しつつ流離う人々が、アイデンティティの不確実性に戸惑いながらも、行き交う人々の間で自己の自由の可能性に手を伸ばそうとする物語である。唯一、家族持ちかつ定職持ちとして描かれる登場人物も、最後にはコロナ禍の閉塞感で鬱症状を呈して離職し離婚する設定だ。逃げ恥でライフラインとして描かれる実家や仕事、住居や婚姻関係などというものが、落果ではむしろ背中に背負わされた十字架として描かれる。それゆえ物語として救いはないが、こちらのほうがよっぽど僕の実感に近い。(落果したマンゴーは飛び出したまま受精せずに死んでいく精子のメタファーなのだろうか。だとすればマンゴーを食べる行為は受精のメタファーとなろう。そこで産出されるのは自分自身であり、それゆえ自分を偽った後に自分を取り戻すためマンゴーを探すのだ)
 そもそも人間が実存的に把握できる救いなどない(だから絶望もない)のだが、人間は事物に制約されつつ次の己を設計あるいは制作する生き物なので、未来を考えようとしてある理念的範型に縋ってしまう。ここが人間の辛いところ。この範型を打破しつつ、しかし諦念でないもので現在を乗り越えることが、僕が長いこと課題にしていることだ。現実的にはそれは社会のフレキシキュリティの設計かもしれないが、果たしてそれを個々の欲求のぶつかり合いの中で個々の素質を損なうことなく実現するには、と考えると、ちょっと目眩がする。それは相互調整ではなく、本性上、相互破壊であることがなんとなく感じられるからだ。

 

第1話 プロの独身男と秘密の契約結婚

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  • 発売日: 2016/10/13
  • メディア: Prime Video