読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

料理エッセイ本あれこれ

 これも昔、インスタグラムで書いたことがあるんだけど、僕の好きな三大料理エッセイ本は、一つ目が米原万里旅行者の朝食』、二つ目が桐島洋子の『聡明な女は料理がうまい』になる予定(まだ読んだことがない)で、三つ目が玉村豊男『料理の四面体』である。

 『旅行者の朝食』は大学の時にサークルの超絶聡明美人な先輩に頂戴したもの(その先輩がいたからそのサークルに入った)だが、ロシアの缶詰の話とか、あとロシアの缶詰の話、それからロシアの缶詰の話が面白い。話の中に"ab ovo"という単語が出てくる。ラテン語の言葉で、そもそも論を打ち出したいときに使う言い回しなんだそうだ。米原万里はロシア語の翻訳・通訳をやっている方なので、英露語に通じている。ということは、多分仏語も相当できるんだろうと思う。というのも、ロシアは帝政ロシア末期に知識人階級の特に女性たちがみんなフランスの大学に行って勉強してたから、フランス語由来の単語が多いのだ。キリル文字をローマ字に直すだけでフランス語で理解できたりする。で、この"ab ovo"は、ちょっと教養のある英語話者がカッコつけてラテン語を使う時に出てくる言葉らしい。そこで僕もカッコつけてちょいちょい書き物とかで使ってみるのだが、今のところ通じているのかいないのかよくわからない。米原さんがこの言葉に接したのは1980年代だから、まだサイードオリエンタリズムなんかも出たばっかりだし、英語ラテ混じりで偉そうに喋るとかっこいい、みたいな文化があったんだろうが、いまどきラテン語を英語の中で使うみたいな文化、あるのだろうか。多分イギリスやヨーロッパ圏の外交の世界とかにはあるんだろうけど。

 

旅行者の朝食 (文春文庫)

旅行者の朝食 (文春文庫)

  • 作者:米原 万里
  • 発売日: 2004/10/08
  • メディア: 文庫
 

 ▲よくみたら、表紙の右下に、ザブトラック・ツーリスタと書いてある。Завтрак=朝食、Туриста=旅行者(ツーリスト)、ってわけ。

 

 『料理の四面体』は、なんで読んだんだったか記憶にない。多分、何かの本を読んでいたかなんかの時にそれが紹介されていて、それで読んだのだと思う。この本を読んで僕の料理は180度変わったと言っていいほどの影響を受けた。四面体とあるが、どちらかといえば料理を三つの変数を持つ三次元の数式で因数分解すると考えた方が良い。原点に収束するのが無機物で、それは料理においては火力による燃焼によって最終的に生成される(そこまでいくと食べられないが)。料理は、原点である無機物から有機体に向かって三方向に発散していく。その三方向とは、油、水、空気で、つまりそれぞれ炭素や水素、酸素を含む化合物、食べられる有機物へ広がっていく。元々の素材はだいたいにおいて有機体であるから、それを切り出した有機物をどのような速度で、どの方向から、どこまで酸化させるか、に料理の質はかかっている、というわけだ。四面体には塩が入っていないのだが、塩はその完成品に対して味を付与するものと考えればよい。

 料理の四面体の論理自体はこういうものなのだが、この本自体はその論理を説くために書かれているわけでは全くない。それは結論部に著者の自由な想像の産物として面白おかしく書かれているだけである。この本の妙味はむしろ、その結論を導き出すまでのプロセスにある、著者の美食と料理の過程にある。詳細は本を読むのが良いが、野外での豪快な肉の丸焼きと、高級フレンチで食べる肉のナントカーレと、日本の食卓で出てくる肉を薄く切って焼いたやつとを美味しくいただいたという話が延々と書かれた上で、それが実は根底でつながっている、とやるのがこの本。だから読者は、美味しそうな話を散々読まされた上で、なんか自分でも作れそうな気にさせられてしまう。実際に作れるのだ、料理に対する考え方をとらまえることで。実は料理の基本にある構造はシンプルで、それが文化や環境によって食材選択や調理方法においてそれぞれの傾向を有しており、最終的に全く異なるような料理になる、ということをこの本で理解できれば、それを実践するのはたやすい。

料理の四面体 (中公文庫)

料理の四面体 (中公文庫)

 

  そういえば、このエッセイを読んでいる時に、玉村豊男のレストランで食事をしたという話を聞いた。軽井沢の方にあるらしい。 僕もいつかは行ってみたいものだ。ただ、この本を踏まえて単に食べるよりは料理をした方が面白いと思う。そんなことを書いていたらまた記事が長くなってしまったので、続きは以下の記事に分割した。

yondaki.hatenadiary.jp