読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

歌を通じたアジアと日本の繋がり

 昨日の昼に行った中華料理屋で、聞き覚えのある曲が流れていた。テレサ・テン(鄧麗君)の「時の流れに身を任せ」だ。

 その中華料理店は福州の中華料理と書いてあった。福州とは福建省の海の玄関口で、台湾への移民を多く輩出した土地である。テレサ・テンの両親も、国共内戦に敗れた国民党側の人間であったために蒋介石とともに台湾に移住した人間で、テレサは台中で生まれている。この中華料理屋も、看板は福州の中華料理であるが、実際は台湾料理店なのかもしれない。

テレサ・テンが見た夢: 華人歌星伝説 (ちくま文庫)
 

 その流れていた「時の流れに身を任せ」であるが、僕の知っている日本語版ではなく、中国語版の歌詞で歌われていた。あとで調べたら、中国語版のそれは、テレサ・テン自身が訳して「我只在乎你」という曲名で出されている。ウォーチーツァイツーニ〜と歌う中国語のテンポが、日本語の甘ったるい感じとは異なり、少し切なさや苦さを絡ませたいい感じの雰囲気を醸し出す。

我只在乎你 (蜚聲環球系列) (限量編號版) ~ 鄧麗君
 

  「アジアの歌姫」と呼ばれるほどの活躍であったのに、呼吸器系の病気で42歳の若さで亡くなった。生前は、民主化に向かう大陸中国の舞台に立つことを願って香港を拠点に活動していたが、天安門事件のあとにそれも叶わなくなり、パリに転居していた。彼女の死から四半世紀しか経っていないが、もう日本ではあまり覚えている人もいないようにも思える。韓国のアーティストが全アジア、全世界的に活躍している一方、それ以外の東アジアの、台湾や香港のアーティストが、あまり若い世代の関心を集めないということもある。とはいえ、「時の流れに身を任せ」は多くのアーティストがカバーしているので、曲としては知られているのかもしれない。かもしれない、というのは、僕自身はそのカバー曲など全く耳にしたことがないのだが、wikipediaには非常にたくさんのアーティストがカバーしたことが書かれているので。何か、アーティストを惹きつける力のある曲なのかもしれない。

 

 前の記事で、1970-80年代にヨーロッパの色々な演奏家がみんなわざわざ日本に来て演奏して録音していった話を書いた。

yondaki.hatenadiary.jp

 「時の流れに身を任せ」も同じ時代、1986年に出た曲で、「アジアの歌姫」がアジア各地のみならず日本で大きく活躍したのも、レコードメーカーが全盛を振るっていた時代を感じさせる。現代でいえば、BTSやBLACK PINKがわざわざ日本に頻繁に来て演奏したり録音したりするようなものだ。まず現代ではそういうことは起こらない。ソニーミュージックが韓国のJYPエンターテイメントと組んでNiziUをプロデュースするのが精一杯である。また、当時は戦争が終わってまだ日が浅く、日本、韓国、台湾、中国などに血縁がいる、あるいは出身がそこであるような人が日本にも多くいて、現代のように日本で日本の曲だけが流行る、ということもなかった。テレサ・テンと同じ台湾出身のジュディ・オング翁倩玉)なんかは歌だけではなくテレビによく出ていたらしいし(僕の生まれる前なのでよく知らないが)、香港出身のアグネス・チャン陳美齡)は現在では評論家か社会活動家のような扱いだが、若い頃は歌手として、紅白歌合戦にもなんども出たことがある。最近は香港や台湾出身の歌手を聞かない。最近日本で耳にする日本以外の出身のアーティストは韓国からのアーティストだけで、ほかのアジア地域からの人が全然いない。

 何が日本で歌われた歌で、何を日本の歌とするか、という境界線の引き方は難しくて、というか本当はあまりやるべきではないものである。GACKT夏川りみ(1973年生まれ)以降の世代は沖縄も日本になっているが(1972年返還)、それ以前の沖縄出身のアーティストは「日本出身」のアーティストでもなかった。1968年ごろには、ザ・フォーク・クルセイダーズ北朝鮮の歌「イムジン河」を耳コピで改作したものをレコードに入れて売ろうとしたところ、発売直後に販売中止、回収となった事件もあった。 

イムジン河 2017REMASTER

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『イムジン河』物語 〝封印された歌〟の真実

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 戦前は東アジアが日本の植民地で、文化侵略してたから帝国側の日本に来る人が多かったという側面があるし、戦後は冷戦構造で東アジアの西側諸国同士の結びつきが強かった、という背景もある。日本と日本以外という線引きがあまり意味なくて、アジアでの繋がりが強かったのが20世紀だった。そこには支配被支配の関係が色々な形であって、単純な関係ではなかったし、「日本人」としてそれに触れる際は侵略に対する反省もする。だが、いずれにしても、それらの時代が過ぎて歴史上の出来事に過ぎなくなり、21世紀になって日本とアジアとの間の関係がだいぶ薄れて、今のようなクローズドな状況になったのだろうと思う。現在は、日本の人が歌った歌、と、日本以外のアジアの人が歌った歌、というのは比較的クリアに線引きできる。逆に、今時の歌を歌うアーティストは日本のクローズドな市場だけでは満足できないので、誰でも韓国語、日本語、中国語と英語で歌って、市場を取りに行こうとしている。洋楽ですら、単に英語で歌っていればかっこいいという時代は終わった。まぁむしろ、なんで過去の日本の人が英語もろくにわかんないのにあれほどまでにイギリスのロックミュージックを尊崇していたのかよくわからないけど。

 余談だが、昔流行ったブラビことブラック・ビスケッツの「タイミング」という歌があるが、これも中国語版があった。ただ、サビの一部だけが日本語のままで、よくわからない歌だった記憶がある。なぜ中国語版があったかといえば、ブラビのメンバーのビビアン・スー(徐若瑄)が台湾人だったからだ。ブラックビスケッツは、台湾華語表記で「黑色餅乾」、曲名は「時機」。案外、僕が知らないだけで色々な地域から来た人がいるのかもしれない(それにしてもビビアン可愛いな……)。

Timing 時機

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