読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

ケンプの弾くベートーヴェンの「皇帝」

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 前の記事を書き終わった後に唐突に思い出したのだが、母親が好きだった録音のもう一つに、ヴィルヘルム・ケンプの弾くベートーヴェンピアノコンチェルト第5番「皇帝」があったはずだ。ただ、LPのジャケットがどうしても思い出せない、ケンプが弾いた「皇帝」なんて、ベルリンフィルと一緒にやったものだけでもいくつかある。この1961年のライトナー指揮ベルリンフィルとの、本当にマジで完成された演奏の録音は有名だと思う。 

 

 でも、僕が家で聴いていた(聴かされていた)ものは、録音の質も含めてこんな綺麗なやつじゃなかったはずだ。Apple Musicで聞けるやつは限られているが、もちっと勢いのある、録音が荒いやつだったはずだ、と思って探して見つけたのは、このケンペン指揮ベルリンフィルの演奏である。

ベートーヴェン:P協奏曲第5番

ベートーヴェン:P協奏曲第5番

 

  1950年代中盤の録音なんだそうだが……あーこれっぽい、なんかレコードで聴いたときはもっと左手の音が立ってたように思うし、オケがより縦ノリでもったりしていた気もするが、デジタル圧縮の過程で低音が欠けているのかもしれない。そうそう、ケンプなのになんかパワフルな演奏なんだよね。オケもそのノリにマッチした勢いのある演奏で、聴いてて力が湧いてくる。若い頃のリヒテルとかを好んで聴いてた母親らしい好みだ。

 我が家にはほんとグラモフォンのLPがたくさんあるのだが、母親の兄、つまり僕のおじさんがオーディオ好きで秋葉原でバイトしていたほどの人で——その頃の秋葉原はまだ電子計算機がなく、真空管とか半導体を売るオーディオショップがひしめく場所だった——その影響で母親もLPを石丸電気でよく買っていた。僕も記憶があるが、万世橋昌平橋の間の、多分いまテレオンになっているビルが石丸電気レコード館で、LPとCDがずらりと並んでいた。吹奏楽の話の記事(男子高校生の演奏 - 読んだ木)の最後で書いたフレデリック・ディーリアスのCDもここで買ったのだから、僕が高校生の頃はまだ石丸電気だったはずである。 (関連記事:石丸電気のレコードのビニール袋 - 読んだ木

 

 いやーでも懐かしいな、モーツァルトとかベートーヴェンとか、グラモフォンとか東芝EMIとか、僕の幼い頃の麗しき記憶だなこれは。いつまでもこういう音楽が聞けるのはありがたいね。子育てが終わったら(何十年先になるのか知らないが)、改めてレコードプレイヤーをしつらえて、実家に残っているLPを片っ端から聴き直したいものだ。

 逆に考えると、いま僕がApple Musicで聴いている音楽を、子供達に物理的に継承することはできないのか。まぁ、相続というのは資本主義において格差を再生産する私有財産の悪いクセだから、ものとして継承できないこと自体の是非は色々あると思うけれども、僕がこうして昔のことを振り返ることができるのも、やっぱりLPが残っているからだと思うんだよね。そのジャケットの意匠とかで記憶している部分もあって。いまどきは色々なものがサブスクリプション・モデルで提供されているから、子供に残せないものは昔よりも増えているのかもしれない。子供に残せないだけでなく、友達と共有するとか、地域で使うとかもできない。電子化された漫画とか雑誌とかがいい例だ。それにより個人から収益が上がることは望ましいのかもしれないが、消費者はさらにたくさんお金を払わないと、それまでコミュニティに所属することで享受していた様々な文化的資産や機会を得られなくなる。もちろん、嗜好の個別化した時代に即したサービスと言えばそうなのかもしれない。ただ、共同で同じものを消費することの楽しさというのもあるわけで、そのような体験をできる機会が少ないと、そういった体験を通じて形成できるはずだったコミュニティや他者との結びつきは当然損なわれるわけだよね。コロナ禍においてそれは顕著だと思うけど、他人との結びつきが大好きなかまってちゃんの僕としては、そういうささやかな共通体験を形成する契機が減るのは残念だな。お金がない人が一方的に損することになることも問題だしね。そういえば、我が家にはゲームがなかったから、僕は金持ちの子のうちに行って一緒のゲームで遊んでたけど、今はそういうこともできないんだろうか。

 なにより皮肉なのは、サブスクリプション・モデルを導入することで、人々が自分たちで勝手にものを共有できないようにさせて、共有したいなら金を払えというビジネスモデルが、「シェアリング・エコノミー」と呼ばれていることだろう。 世知辛い世の中だね。

 

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