読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

モーツァルト日和

 気候が春めいてきたので、BGMにモーツァルトをかけ始めた。バロックにはない流れるようなハーモニーと、ロマン派にはない透き通るような軽さが、日本の春の訪れのイメージにぴったりだ。

 前の記事(男子高校生の演奏 - 読んだ木)に書いたが、高校生の頃に吹奏楽をやっていた時に演奏していたのは、だいたい20世紀の近現代音楽だった。

 そのあと本当に音楽をやらなかったかというと、毎日練習するほど真面目にはやらなかったけれども、一応、大学でも音楽サークルに入っていた。そこは後期バロック時代の音楽を主に演奏するところだったから、バッハとかテレマンとかヴィヴァルディをよく聴くようになった。ちょうどドイツ・ハルモニア・ムンディから50周年記念のCDボックスが発売されて、学生には高い買い物だったけどとにかく手に入れて、片っ端から聴いていた。聴いていたからといって演奏できたわけではないが。

Dhm 50th Anniversary Box

Dhm 50th Anniversary Box

  • アーティスト:Various Artists
  • 発売日: 2008/04/21
  • メディア: CD
 

 

 けれども、僕が個人的に好きだったのは、前の記事(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)でもちょいちょい書いているようにラフマニノフとかチャイコフスキーとか、ドボルザークとかワーグナーとか、ロマン派の音楽である。

 そうすると、ルネサンス期以前は別として、僕の音楽鑑賞歴においては古典派がすっぽり抜け落ちることになる。僕は弦楽器をまともにレッスンを受けてやったことはなかったし、ピアノもバイエル止まりなので、日本では結構多くの人が馴染み深いはずの古典派の音楽に触れる機会があまりなかったのだ。

 ただ、僕の母親は逆に、古典派好きだった。だから家には、モーツァルトとかハイドンとか、ベートーベンとかのLPやCDがたくさんあったし、メヌエットといえばバッハではなくボッケリーニだった(ちなみに、僕も今まで知らなかったが、バッハのメヌエットクリスティアン・ペツォールトというオルガニストメヌエットだったということが明らかにされたそうだ)。母親は特にモーツァルトの晩年の交響曲を好んで聴いていて、カラヤンだかベームだかが振った交響曲40番がお気に入りだった。多分ベームかな。如何にせんもう20年ぐらい前の話だから、そのLPもまだどこかに残っているかどうかもよくわからないが、今度機会があったら確認してみようと思う。そんなわけで、僕は古典派の音楽にも馴染みがないわけではないが、ただなんとなく懐かしい感じのするような印象を持っている。それは、僕がまだ子供のとき、いわゆる20世紀末の中流階級によくあるような、庭付きの一戸建てで平穏な暮らしを経験していた時の記憶の中にのみ流れていることが相応しいような音楽なのだ。

 

 それでとにかく、僕はモーツァルトを聴こうと思ったのだった。もう庭や一軒家どころかオーディオを置くスペースもない狭い部屋にはLPもCDもない。Apple Musicで適当なのを選ぶだけだが、そしたらサイモン・ラトル指揮ベルリンフィル演奏の交響曲39, 40, 41番があった。2013年と非常に新しい録音だ。

Mozart: Symphonies Nos. 39, 40 & 41

Mozart: Symphonies Nos. 39, 40 & 41

  • 発売日: 2017/02/07
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

  すると、思いのほか爽やかなモーツァルトが流れてきた。なんていうんだろう、オケでやってるんだけど、20世紀の壮大な感じの演奏にならず、古典らしい風の流れがあるというか。あまり詳しいことはわからないけど、弦楽器の弓の使い方がいい意味で力が抜けてて、音楽にリズムと流れがある。グッと引いてカチッと止める式の、小澤征爾が得意な弾かせ方じゃなくて、ある程度楽譜に書かれている弓の動きに任せて弾かせる。そうすることで、楽曲全体が重くならず、楽しい感じが生まれてくる。そんな振り方をしてるんじゃないかと思った。

 上に貼った前の記事(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)で、クラウディオ・アバドに触れたけれども、アバドの後任としてベルリンフィルの芸術監督になったのが、このサイモン・ラトルである。アバドリッカルド・ムーティとともにポスト・カラヤンの指揮者とみなされていたことは同じ記事で書いたが、実際にカラヤンの後任としてベルリンフィルの芸術監督になったのがアバドだった。アバドは寡黙な仕事人であった。そして、その後任となったラトルは、打って変わってナウでヤングな指揮者だった。そのラトルの、楽しくて親しみやすい性格が、音楽にも表れているのだろう。そのうち実家でLPやらCDを探し出して、昔の指揮者の録音と聴き比べてみようと思う。

 この録音はまた、驚くべきことにというかさすがというか、オンラインを通じたデータ形式でしか販売されていないそうだ。ハードの媒体がない録音は、確かに便利だが、将来的に聴けなくなってしまう恐れもあるような気がする。LPはかれこれ半世紀ほど聴けているので、ぜひこうした最近の録音も長く残ってほしいものだが。

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