読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

ゾ、ゾー、ゾウ

 ゾという動物がいるのをご存知だろうか。「ゾ」という、一文字の名前の動物である。英語でDzo、チベット語མཛོ་と表記する。ヤクと牛が交配した動物で、「牛よりも大きく、力強い」とWikipediaに書かれている。エベレストの麓の高山地帯が広がるチベットやネパールでは、農耕のために牧畜されているという。

en.wikipedia.org

 

 農作業ではパワーを発揮し、肉付きがよいので食肉としても重宝され、乳の出もよいという、牛の完全体のような——もちろん人間にとってということだが——動物だ。

 英語名はゾ(Dzo)のほかに、ヤク(Yak)とカウ(Cow)の合成語でヤカウ(Yacow)と呼ぶこともあるらしい。なんだか、『もののけ姫』に出てくるヤックルを連想させるような言葉だ。実際、ヤックルが宮崎駿の書いた物語で最初に出てくるのは『シュナの旅』というチベットを舞台にしたファンタジーで、イメージとしては類縁性があるだろう。

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  造形としてはインパラっぽい。 

 

 話を「ゾ」に戻そう。僕自身、そんな動物がいるということはさっき初めて知った。なんで知ったかというと、ゾという動物を検索して見つけたからなのだが、それを検索した理由は前に触れた昔の本『近代思想十六講』にある。

yondaki.hatenadiary.jp

 

 この本の中でダーウィンが紹介されていることはこの記事の中で説明したが、ちょうどいましがたこの本のダーウィンの『種の起源』が説明されている部分を読んでいたのだ。そこには色々な動植物の例が出てくるが、こんな記述が目についた。

ダアヰンはあらゆる動物中最も蕃殖の遅いのはゾーであるとしたが、若しゾーが平均百歳迄の壽命の中に六匹の子を生むとする時は、一匹のゾーが七百五十年後には一千九百萬匹になる勘定である。(294頁) 

 ゾー、という動物名に戸惑った。ゾウか?と思ったが、その前後には「黒牛」や「蝿」といった生物が漢字で書いてある。ゾウなら「象」と書けばいいはずであるし、せめて「ゾー」ではなくて「ゾウ」と書くだろう。ダーウィンがインドか西インド諸島の珍しい生き物の話を引用している可能性もある。

 そこで、「ゾー 動物」と検索した訳なのだ。そしたら、Wikipediaで「ゾ」という動物が紹介されていることを発見した。しかもオスのゾは不妊であって、繁殖はメスのゾとオスのヤクか牛と行う、と書いてある。確かに繁殖も遅そうだ。だが、あの時代にチベットのゾについてダーウィンが知っていただろうか。当時のヨーロッパ人が武器でもって制圧して人類学や博物学のネタにした地方に、チベットの高地は入っていなかったはずだ。

 疑問が解けないので、原文に当たってみると、次のように書いてある。

The elephant is reckoned the slowest breeder of all known animals, and I have taken some pains to estimate its probable minimum rate of natural increase; it will be safest to assume that it begins breeding when thirty years old, and goes on breeding till ninety years old, bringing forth six young in the interval, and surviving till one hundred years old; if this be so, after a period of from 740 to 750 years there would be nearly nineteen million elephants alive descended from the first pair. (Chap. 3. Struggle for existence, The Origin of Species, 6th ed., 1872)

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 がっつり elephant 、つまり「象」と書いてあった。やはり「象」のことを「ゾー」と書いていたのである。よくみると、「ハヘ」という謎の生き物も出てくるが、これの読みは「はえ」、つまり「蝿」のことである。あるところには漢字で「蝿」と書いているのに、ダーウィンを参照している部分になると「ハヘ」と書いているのだ。なんとわかりにくい。

 おそらく現在でよく参照されるのは岩波の八杉訳だろうが、この訳も基本的には「ハト」や「ハエ」など生物名をカタカナで記載している。ただし、象は「ゾー」ではなくちゃんと「ゾウ」と書いてあった。(八杉の底本は初版なので、上で引いた第6版とはやや文面が異なる。)

 ゾウは既知の動物のなかで、もっとも繁殖がおそいものであると、考えられている。〔……〕ゾウは三〇歳になって子をうみ、九〇歳まで生殖し、この間に三対の子をつくる〔……〕もしこのとおりであるとすれば、五世紀たったのちには、一対のゾウの子孫として一五〇〇万頭のゾウが生じているであろう。(八杉龍三訳『種の起源(上)』岩波書店、1990年、90頁)

種の起原 上 (岩波文庫)

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 実際、象の繁殖は非常に難しいらしい。京都市動物園では象の繁殖のためのプロジェクトをラオスと協力してやっているそうだ(ゾウの繁殖プロジェクト | 京都市動物園)。上野動物園のコラムでも象を交尾させることの難しさが切々と語られている(8/12は「世界ゾウの日」! 動物園のゾウを守るために[その3] | 東京ズーネット)。ナショナルジオグラフィックの記事では、若い象より高齢の象の方が繁殖に積極的だという話もあり、これは「草食化」と揶揄される若者を尻目に、高齢化した日本の男性たちの盛んな様子を想起させられ、人間も象も変わらないのだと微笑ましい気持ちになる(高齢ゾウほど交尾に積極的、50代はフル回転、研究 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト)。

 誤解によって発見した「ゾ」だったが、こういうことで自分の知識が思わぬところで拡張されることは面白い。現代思想研究者なら喜んで、これは「誤配」だ、というところだろうか。

存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて

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 まぁなんでもいいのだ。ジャパンにいる僕が、イギリスの著者がインドのゾウについて書いたものを読んで、チベットのヤクとウシに想いを馳せる。パソコンに向かっているだけでユーラシア大陸の端から端まで駆け巡る。まさにあれだ。「そうぞうは、自由だぁ〜!」

 

ぞうのそうぞう(NHKおかあさんといっしょ)

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