子供が大きくなってきて、博物館なども少しずつ楽しめるようになったので、先だって東武博物館へ行った。
数ある博物館のなかでそこを選んだ理由はいろいろある。子供が鉄道好きなので、鉄道博物館へ行こうと思ったのだが、うちは東京の南側なので、大宮の鉄道博物館は遠い。さらに、今はコロナ対策で予約制になっており、その手続きが面倒だ。子供が博物館へ行くかいかないかなんて当日の気分で決まることだが、当日ではもう予約が埋まっている。もっと遠くにいけば、青梅鉄道公園や碓氷峠鉄道文化むらなど一日遊べるところもあるが、そこまで遠くに行くには早起きするなど準備も必要だ。ぱっと思い立って(あるいは思い立った子供にせがまれて)行ける距離ではない。
▼僕の子供の頃、鉄道博物館は万世橋にあって行きやすかったのだけれど……
▼青梅鉄道公園には0系が置いてあるよ
▼碓氷峠鉄道文化むらは、碓氷峠の麓側の横川駅横にあってたくさんの車両が野ざらしになっている。お昼ご飯はもちろんおぎのやの「峠の釜めし」に決まりだ。峠の釜めしは確か上信越道の横川PAでも売っている
他に東京近郊で鉄道博物館というと、京王れーるランドや東急電車とバスの博物館もあるが、それらは私鉄で遠くまで行くのでいかんせん遠いし、最近開館した横浜の京急の博物館はできたばかりで展示が少なく、駅からも歩かされる。西武の博物館ときたらウェブサイト上にしかない。小田急はそもそも博物館がなくて、ようやく今年開館する予定だときている。
▼あのロマンスカーを展示する博物館がこれまでなかったなんて。。。
もっと都内の近場でいくと、葛西には地下鉄博物館、荒川車庫には都電おもいで広場があるから、子供がそれほど電車に詳しくなければそこに行くのもいい。しかし、電車もいろいろなものが見たい、特急や汽車も見たい、ジオラマも……となってくると、地下鉄だけ、都電だけの博物館ではわざわざ行っても、飽きてすぐ帰るという憂き目に遭いかねない。都電おもいで広場のすぐ近くにはあらかわ遊園があるのだが、2022年までリニューアル工事で休園している。(この記事を書いた後に都電おもいで広場へ行ったらコロナ対策で閉鎖されていたので、代わりに飛鳥山公園に行ったら結構遊べた話はこちら)
▼都電は東京の近現代史の映し鏡として、むしろ大人が楽しめるかも
そこへいくと、東武博物館は素晴らしい。まず、アクセスが非常に良い。浅草線か半蔵門線、あるいは銀座線で浅草か押上、なんなら曳舟に出てしまえば、博物館のある東向島までは東武の普通で数駅である。浅草、業平橋(東京スカイツリー)=押上、曳舟、東向島と、浅草からでもたった3駅。博物館は高架のすぐ下にあるので雨にも濡れず、ほとんど歩くこともなく到着する。お世辞にも広いとはいえない館内だが、入り口には定期的に模擬運転のある蒸気機関車と戦前の電車の復元があり、中へ進むと電車の運転体験があり、バス、ロープウェイ、路面電車、特急電車がこれらも実物大で復元されている。突き当たりには大きなジオラマがあって、たしか毎正時運行だったはずだ。上にあがれば東向島の駅にくる電車を間近で見られる場所もある。それぞれなかなかに見応えがあり、すべてを堪能するには飽きっぽい我が子でも1時間以上を要した。入館料も大人210円(IC200円)、子供100円、3歳児以下無料とリーズナブル。
▼東武博物館のある東向島駅は、梅や萩、紅葉などでも知られる向島百花園の最寄駅でもある
ただ、このことだけが東武博物館を選ぶ理由ではない。
その真の理由は、僕が幼少期から大学時代まで東武線の愛用者だったことにある。僕が鉄道に親しむようになったきっかけは祖父にあるが、祖父の家は東武野田線の沿線にあった。だから、幼い頃に祖父に連れられて電車を観に行くたびに眺めていたのは東武8000系だ(以下形式については、「型」で分かれているところも煩雑を避けるため「系」で統一する)。そのイメージが、僕の頭の中にある「電車」のプロトタイプである。その頃の野田線は、修繕後も丸目の前面形状未変更車と、修繕後に角目になったニューフェイスが入り混じっていて、僕はニューフェイスの方が好きだった。僕がちょうど今の我が子と同じかそれより少し大きいぐらいの歳の頃、祖父はよく僕を万世橋の鉄道博物館と、東向島の東武博物館に連れて行ってくれたものだ。(思うに、東武の博物館の展示はその頃からこの方あまり変わっていない。)
大きくなると、家族旅行で登山をするようになる。そこで日光や会津に向かうときも、東武線の快速電車で行った。6050系に揺られて栃木まで行く長丁場でだいぶ大変だったろうと思うが、結構何度もそのルートで行った記憶がある。6050系の顔は8000系の前面形状変更のデザインの元となったもので僕の好みであり、そのことも僕の鉄道旅行に楽しみを添えてくれた。
高校に入る頃には家族旅行も無くなってきたが、その高校が東武東上線沿いにあった。そこで僕は毎日東上線に乗り、8000系に再会し、それまであまり馴染みのなかった9000系、10000系にも出会うことになる。しかし、9000系と10000系のライトの形状がどうも気に食わない。それに加えて、もっと気に食わない東武のくせにツルッとした面立ちの50000系の登場により、8000系の活躍の場は徐々に狭められていた。アルミの営団7000系はまだまだ現役なのに何でだよ、と思いながら、ステンレス車両の中では、10030・50系だけに心を許していた。
そうこうするうちに高校を卒業し、さらに遠い大学に通うことになった。いくつかルートがあったが、僕が選んだのは伊勢崎線と半蔵門線を経由して行くルート。多分、それが安かったのだろうと思う。そこで出会ったのが、東武30000系だった。東武30000系についてはまた話が長くなるので、「東武30000系の思い出 - 読んだ木」の記事に書いた。詳しくはそちらに譲るとして、ここでは割愛する。
(車両ネタでは他に、東急1000系の話→東急池上線 車両いろいろ、1000系いろいろ - 読んだ木、京急2100形・1000形の話→くるりの「赤い電車」の芸の細かさ - 読んだ木、東急8000系・8500系の話→最近会った東急8000系ファミリー - 読んだ木、伊豆急8000系の話→伊豆急行線の8000系 - 読んだ木、伊豆急2100系の話→伊豆急2100系 キンメ電車と黒船電車 - 読んだ木もどうぞ)
とにかく、こういう東武線とのつながりが、何かと理由をつけて子供を東武博物館に連れて行く理由となっている。子供は東武博物館に行くときにしか東武の電車に乗ることはないのだが、もう「スペーシア」も覚えたらしい。もう少し大きくなったら、一緒にスペーシアに乗って山でも行きたいものだ。その頃にはもう、リバティしか残っていないかもしれないが、それもまた同じように、子供の原体験となっていくのだろう。