読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

あてのない散策の記憶

 高校生の頃、途中で部活を辞めたために随分暇だった時期があった。そう、この記事(男子高校生の演奏 - 読んだ木)で書いた吹奏楽部を、高校3年生の春に辞めたのだった。暇だったから何をしていたかというと、延々と歩いていた。当時のブログが残っていないことが痛恨だが、東京や埼玉や千葉のあちらこちらをとにかく歩き通していた。

 そんなことを思い出したのは、昨日尾久の車両基地を見たときに、前にここに来た時の記憶が呼び覚まされたからだ。

yondaki.hatenadiary.jp

 

 その時は、確か北千住駅から歩き始めたのだった。まだスマートフォンも持っておらず、google mapもないような時代だったと思う。なぜ北千住駅から出発したのか、そもそもなぜ歩こうと思ったのか、平日だったのか休日だったのか、もはや何も思い出せない。ただ、そのときに歩いたルートと立ち寄った場所は、おぼろげに記憶にある。とはいえそれも、いくつかの散策の時の記憶がまぜこぜになっているものかもしれない。

 北千住から日光街道を南下してまず立ち寄ったのは、足立市場の食堂だった。おそらくここで朝食を食べたのだろう。市場だからといって、何かおいしいものを食べた訳ではない。安かったからそれを選んだのだと思う。高校生だったから、自由になるお金などいくらもなかった。腹ごなしをしてからさらに南下して、南千住駅入り口の南千住警察署か三ノ輪駅大関横丁で右折して、今度は明治通りを西進するルートをとった。もしかしたら都電に乗ろうと思ったのかもしれない。都電の三ノ輪橋駅が見つからないまま大関横丁の交差点まで来てしまったので、そこで右折したのだろう。

 さて、右折しても都電には行きあたらない。都電はさらに荒川寄りの北側を、明治通りと並行して西進するからである。荒川区役所の前を過ぎてずんずん歩いていくと、京成線の新三河島駅がある。僕はその頃、JR常磐線三河島駅しか知らなかったし、三河島駅といえば常磐線の快速が通過する何もない駅というイメージがあったから、三河島駅だけでなく新三河島駅があるというのに大層驚いた記憶がある。

 さらに歩いていくと、尾久橋通りと交差する大きな交差点に出る。この場所もよく覚えているのだが、変哲のない下町の中に、突如としてなんだか真新しい橋脚が現れたのだった。それは、建設中の日暮里・舎人ライナーであった。駅でいうと、西日暮里と赤土小学校前の間に当たる場所だ。そのときに、携帯のカメラで写真を撮ったのだが、あいにくそのデータはすでに逸してしまった。

 

 

 さらに明治通りを道なりに歩いていくと、尾久車両センターに近づいてくる。ただ、地図がなく道がよくわからないのと、歩き疲れていたので、客車操車場や尾久駅のほうまで行かずに、その手前で左折した。すると、JR東日本東京支社のビルがある、田端操車場の横に突き当たる。そこでは、間近に電気機関車などが停まっているのを見ることができ、奥の新幹線車両基地に留置されている新幹線も見ることができる。俄然元気が湧いて、機関車の写真を撮ったりしながら操車場沿いを西進、大宮方へと歩いていく。

 ずーっと歩いていくと、操車場と新幹線の車両基地が終わり、南から新幹線の本線高架と京浜東北線山手貨物線が近づいてくる。するとその先に跨線橋が現れ、それらの線路を南に跨ぐと滝野川女子学園の前に出る。ちょうど下校時間だったらしく、わらわらと生徒たちが学校から出てきた。女生徒たちの集団に気圧されて縁石につまづいたりしながらなんとなく人の波についていくと京浜東北線上中里駅に着き、ひとまずここで散策が終わったのであった。僕はそこから北行きの京浜東北線に乗り、帰宅したのだろうと思う。

 

 地図もなく、目的もなくなんとなくただ歩くだけの時間だったが、それは高校生らしい煩悶と、やや重い事案を家庭の中に抱えていた僕の、ささやかな自分探しの旅でもあった。ガンジス川ではなく神田川マチュピチュではなく同潤会アパートモン・サン・ミシェルではなく海芝浦駅だったけれども、そういったところに訪れることで、普段自分のいる場所を相対化し、それの儚さを知り、また新しい世界に想いを馳せたのだった。推測だけで来たことのない道を辿りながら、その間にいろいろ考えたり、感じたりしたものが僕の原体験にあるのだろう。少なくとも、東京の地理には多少詳しくなった。

 煩悶や苦悩は年を追うごとに増えていったが、もうそんなささやかな旅をする暇もない。車を運転するようになってからは、道もだいぶ覚えてしまった。しかし、もし許されるのなら、またああいう当てのない旅をする時間を1日だけでも持ちたいものだと思う。

 

ウォークス 歩くことの精神史

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