読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

沈丁花

 春と秋にいい匂いする花咲くじゃん、あれどっちも金木犀だと思ってた。

 そしたら春は沈丁花だった。全然違う。いちごはいちご農家がめっちゃ頑張れば春も秋も実がなるから、そんな感じかと思ってたんだよ。いや、いちごは関係ないけどね。

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 今日、どうしても牛乳買わなくちゃってことで夜の9時に家を出た。久しぶりの夜の街。全然人いなかった。

 イヤホンで音楽聴いてたんだけど、久々に古い曲が聴きたくなって、キンモクセイの「二人のアカボシ」を聴いた。

 

二人のアカボシ

二人のアカボシ

  • 発売日: 2014/04/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

この歌が出た当初、大きくなったらこんなにロマンチックでアダルトな夜明けを迎えることあるのかなって思ってたけど、実際にはそういうことはなかった。むしろ今聴いて、大きくなったらこんな感じに……と思わされるのは、ビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」。それについては、こちらの記事に→ビリー・ジョエルで好きな歌 - 読んだ木

 人間、歳はとる。哲学者でもキケロに始まりショーペンハウアーボーヴォワールまで古今東西様々な人が老いを論じている。老いは限定であり、諦念なくしては受け入れられない。もちろん、その限定の中にこそ見出される新たな可能性もある。しかしそれは、その限定の外にある可能性に対する諦めを癒すものではない。全ての人は、自由な意識に対して物理的な制約を負っているが、その中でなんとか享受した自由の記憶すら再現できなくなることを甘受させられるのが老いの現実だ。限定された自己を全く新たな自己と捉えて、それまでの自己を切り離して生きていくことでしか、老いにおける自由を楽しむことはできない。それをできなければ、もちろんそれをし難いのが人情であって、「ピアノ・マン」の登場人物のようになるわけだ。

 

老年について (岩波文庫)

老年について (岩波文庫)

  • 作者:キケロー
  • 発売日: 2004/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

 花の色は移りにけりないたづらに、わが身世にふるながめせしまに。小野小町が老いてゆく自らを憐れんで歌った歌である。

 しかし花は繰り返し咲くものだ。秋には金木犀、春には沈丁花。自分も老いて枯れていく中で、しかし毎年同じように咲かせられる花があるだろうか。そういったものを身につけることこそ、仕えるべき「事柄」(ザッヘ)を見出すということなのかもしれない。

 

 

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