カーペンターズの朝
やや萎えすることがあってあまりブログを書く気が起きないのだけど、午前中のるんるんだったころに書こうと思ってたことを簡単に書く。
今朝はいい天気で、太陽は春の陽気で世界を明るく照らしつつ、風は日本海側でよく冷やされた透き通るような空気を運んでくれてて、そのマリアージュが最高だった。単にポカポカ陽気だったら前書いたようにモーツァルトでもかけておけば良いし(モーツァルト日和 - 読んだ木)、夕方だったらリー・オスカーをかけたいところだが(リー・オスカーのベスト盤 - 読んだ木)、こういうちょっと透き通ったような美しさがある日の朝には、また違うものをかけなくてはいけない。
その気分にマッチする音楽として久々にチョイスしたのは、カーペンターズ。
この曲が入っていたのはカーペンターズのベスト盤。これは、なんか実家にあったのだろうか、ABBAのベスト盤と一緒に、まだ子供の頃によく聴いていた記憶がある。
いいよねぇ、木こりたち。声もいいし、シンプルなようでちょいちょいひねりをきかせた移行してくるメロディもいいし、英語の発音もいい。なのに、そのボーカルのカレンが拒食症で死んでしまうなんて。兄のリチャードも睡眠薬依存に悩まされていたという。あれだけの活躍をして、これだけの音楽的資産をたった2人で作り上げた兄妹が、しかし安息とは対極の精神状態にあったことは、なんとも名状し難いことだ。先の記事に引いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」で描かれたフレディ・マーキュリーの苦悩も同様、一般に、有名になったり活躍したりすると、みな余裕を失ってしまうものだ……。
僕も今年、カレンの亡くなった歳と同じ年齢になる。ポルノグラフィティが「幸せについて本気出して考えてみた」で歌ったように、かつてイメージしていた自分の像とはかなり乖離があるし、睡眠薬なしで寝られるし、ご飯も適度に食べられる。ありがたいことだ。そもそも、かつてイメージしていた自分の像など思い出せない。昔の僕にあったのは、理想ではなく渇きであって、多分それは今も変わらない。このまま年老いるのはつらいものだ、どこかで悟りを開けるといいのだが。
以上の記事を書いた数日後、再びこの記事に書き足そうと思う。今日は、雨の月曜日。そう、雨の月曜日といえば、この曲だ。
1番のサビは「うろうろしながら、むすっとしてるだけ。雨の日と月曜日はまじなえる」。2番のサビは「寂しいピエロみたいに歩き回ってる。雨の日と月曜日はまじなえる」。3番以降のサビは1番のリフレイン。雨の日と月曜日のだるさを歌うだけでこんな名曲になるってすごいよね。僕も雨の月曜日だからまじ萎えてるけど、なえるだけでそっから何か歌が生まれたりしないしな。しょーもないブログ記事書いてるだけ。これが人間の違いってやつか。
さらにこの後に思い出したんだけど、妹が吹奏楽部でフルートを吹いていた時に、母親がよく聴いていた曲があった。それはイントロが美しいフルートの音色に彩られた、「青春の輝き」。
まぁ歌詞は、まだ恋に恋していて実際に恋できない人の話だから、僕はちょっと自分の感情を重ねたりはできないんだけど、でも曲はすごくいい。
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〔季節に合わせた曲の話シリーズ〕
春の訪れを感じた時:「モーツァルト日和 - 読んだ木」
春のまだ肌寒い頃「リー・オスカーのベスト盤「風を見たかい」:「約束の地」「朝日のサンフランシスコ・ベイ」ほか - 読んだ木」
少し暖かい春の朝:「カーペンターズの朝 - 読んだ木」
初夏の空気:「懐かしい吹奏楽曲「セドナ」を聴きながら - 読んだ木」
真夏の始まり:「大瀧詠一で真夏を彩る - 読んだ木」