読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

本ブログ開設から1ヶ月

 このブログを始めて1ヶ月が経過した。記事は50ちょい、アクセスは250pvくらいしかない。ユーザー数でいったら100ユーザーも行かない。とはいえ、高校生までは別として、ブログ始めてだいたい1ヶ月ぐらい経つともうやめてしまうことが多いのだけど、このブログは珍しくコンスタントに続いている。いや、明日以降更新されるという保証は全くないから、まだなんともいえないけど。

 特に書く目的とかもなく書いてるから、縛りがないおかげで続いてる気もするし、逆になんで目的もないのに書いてるのだろうとも思う。そう思って、このブログを始めた頃の記事を読むと、そういえば元々はSNSに長文投稿してたやつをサルベージしつつ、実名系SNSから離脱するためにやっていたのだった(インターネット年少世代 - 読んだ木)。まだ1ヶ月しか経ってないのにもう初心忘るる。人間の悲しいさがか、あるいは僕のあまりの健忘性か。実際、これに書いてるおかげでTwitterFacebookはあからさまに開く頻度が落ちたし、ブログで新しい出会いとまではいかないけど、いままで読んだことのないブログを読んだりするようになった。だからまぁ、目的がないわけでもないのだ。

 あと、ちょっとした自己アイデンティティ再形成の効果もある気がする。というのも、記事を書くために自分の行動を振り返ったり、記憶を漁ったりすることで、自分の現在の価値観や知見の形成の諸相の、今まであまり言語化してこなかった部分を言語化するいい機会になっているからだ。

 

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

 

 

 ただ、もともと書こうと思っていた本のことは全然書けない。多分僕はそもそもそれほど本を読んでレビューすることに慣れていないのだ。書くときも読むときも、僕は論理構造の把握とか構築とかいうことにめっぽう弱い。これは僕の仕事上ありうべからざる弱点なのだが、実際にそうだから如何ともしがたい。文章の流れとか、ある種の文体に依存して読み進めたり書いたりしているから、確かに全体像はパッと捉えられるんだけど、細かいところがあまり論理的に理解できてない。なんとなくわかった感じになってしまう。なぜわかっているのだろう、ということで掘り下げていくと論文になるから、それはそれでいいんだけど、本当はもう少しロジカルに考えたり書いたりすることへの憧れがある。

 論理的じゃないから文章も余計が多くなって長くなる。補足や前提の説明や、事例の紹介であっちこっち行きながら書くことになる。歴史のいいところは、とりあえず時系列に置き直せばそれが論理になることだが、そんなことを言ったら歴史学者に怒られるだろう。しかし、もし僕が社会学などやろうものなら、たんに起こったことをそのまま並べて、適当な枠に入れて提示する、みたいな論理もクソもないようなものになってしまいそうだし、文学をやったら海のことが書かれていたので青い色が連想されます流の読書感想文になってしまいそうだ。その点歴史学は……まぁそれも、あることが起こって次に何が起こりました、と書くだけでは、とても論理とはいえないのだけれど。とりあえず僕は歴史に関してはもう少し論理的に捉えることができるようになるための訓練は受けている。受けているだけでできるかどうかは別だけど。

 かといって、表現豊かな恋愛小説や、逐一著者の解説じみた話が出てきて一向に本編が進まないような歴史小説が書けるわけでもなし、やっぱりなんにしても中途半端なんだよな。論理的に書けないのなら、せめて重厚な教養で色付けるぐらいのことはしたいものだけど。そもそも書くことは好きだけど、いいものが書けるわけではないといういつもの結論に戻ってきてしまう。まぁそれでも、書き続けているうちにどこかへたどり着けるかもしれない。

 

合本 坂の上の雲【文春e-Books】

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