読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

歴史研究者と差別意識

 正しい歴史解釈は存在しえない。しかし、誤った歴史解釈は存在する。誤った解釈を否定してより蓋然性のある解釈を提示していくことを繰り返すことが、歴史学の、ひいては学問の一般的なあり方だ。批判的に乗り越えられてきた過去の歴史学の主たる過誤の一つとして、歴史研究を行った時代の社会構造や差別を前提に過去を解釈したために、過去のある時点における社会構造や人間関係のあり方を、過去の時点に即した形で理解できず、誤った解釈を行なってしまう、ということがある。肌の色や生まれ、職業や身分、性別を理由に、特定のカテゴリーの人々を歴史学の対象から排除して理解することで、社会全体の動きが数人の権力者によって基礎付けられているかのように描かれる、あるいは多くの人々による仕事がある一人の人の能力として説明されるなど、様々な誤りが生じてきた。ある場合には、研究対象から欠落していたり、単に歴史の後景としてしか扱われなかったりした人々が、実は歴史展開を生み出す主要な集団であったことが明らかになるなどした。

 そのため歴史研究者は、自らの持つバイアスや差別意識による誤った歴史解釈を避けるために、一方では歴史をより広く、より多くの人々に即して明らかにしようとして、社会史や民衆史、農民史などを生み出していった。その意味で、女性史もその一つとして数えられよう。同時に歴史研究者は、自らのうちにある歴史解釈の眼を曇らせるような差別意識を、不断に自己批判することを試みてきた。今や女性史研究者であっても、「女性」を自明の単一の集団として扱うことはできない。人々の多様性を捨象して単に「女性」と名指すことは、その人々に対する差別、あるいは差別の隠蔽につながるからだ。

 歴史を書くこと自体、つまり当事者でないものが当事者を当事者の意図でないもので外部から表象すること自体、加害性が伴う。歴史叙述はその意味で、当事者が死んでいるから自由な叙述が特例的に許されているという側面もある。いわばそれは、合意を取らない献体のようなものだ。医学における献体は、その後を生きる人々のために倫理的に承認されている。歴史学における献体は、つまり過去の人物を自由に論じ、解釈することはどうか。やはり、我々がよりよく生きるためにそれを用いるという意図においてのみ、あるいは過去の人が合意した場合のみ、限定的に認められるべきものであるかもしれない。もちろん、現在の価値観、倫理観においては、過去の資料を自由に使ってよいことになっているし、自分もそれに甘んじた上で、そのような限定なく自由に研究に取り組んでいる。しかし、歴史を研究するということ自体の加害性、ある人を勝手に書き表してしまうことの侵略性については、できるだけ注意を怠らないようにしている。それは単に倫理的な問題ということではなく、研究対象として立ち現れる主体の意図や選択ということをよく踏まえなければ、その歴史をその時代の現実に即して叙述することなど不可能だからだ。

 歴史を振り返れば、人間は少なくとも言葉を獲得して以来、根拠の有無にかかわらず常に陰に陽に差別意識を持ち、それにより戦いや抑圧を引き起こしてきた。それは現在も同様であり、差別意識を持つこと自体を直ちに否定することは、困難であるかもしれない。しかし、いやしくも歴史学徒を任じる者であれば、歴史を見通した時に、差別によって苦しむ多くの人の姿を見出すであろうし、また過去に生きた人々の苦痛の所在とその源泉を証明することは、歴史的な一側面の解明として避けて通れない。歴史研究者が、上に書いたような、歴史的主体を恣意的に表象する加害性とそこから帰結する歴史解釈の誤謬を避けようと思っていれば、過去に生きた苦しむ人々への想像力を有しているはずである。そして、その想像力があれば、現実の今を生きる自らのうちに湧き出す、差別したいという意識を、それが現実化した時に生じる人の苦しみにまで思いを致すことで、自ら否定し、乗り越えることができるのではないか。その想像力なくして、様々な主体が自ら感じ、選択し、行動することで紡いできた「歴史」というものを、どうして描くことができよう。もちろん、恣意的なフィクションとして歴史を描く人については、この限りではないが。

 昔と違って、今や歴史は「繰り返さない」ことが哲学的定説となっているのではないだろうか。だとしても、歴史がまるで「繰り返されている」かのように現状を解釈することで、現実に苦しむ人を減らすことができるのであれば、歴史学にもなお一定の有用性が、それを歴史研究者が求めるか求めないかは別として、存在するといえる。僕自身、僕が生きているうちに何か自分の歴史研究が社会の役に立って欲しいとは微塵も思っていないが、その有用性をあえて否定しようとも思わない。少なくとも現実を生きる歴史研究者としては、その有用性を自ら反映した立場に立たなければ、その研究の創造を成り立たせている現実の自らの生の置かれた社会に対する責任を果たし得ないだろう。それには、先に述べた苦しむ人への想像力といったようなものも含まれる。さらに、歴史学に内在的な言語で、その責任を表明し、連帯を求めることも必要だ。

 歴史研究者は、歴史研究に携わるものであるからこそ、より差別に対し敏感であり、それを自己否定し、また周囲に対してもそれを乗り越えることを促すようでなければならない。僕自身、これまで様々な過ちを犯してきた。そしてこれからもそのおそれは常にある。しかし、常にこのことに注意を払っていれば、今後は、過ちを犯しそうになった時に、誰かが腕を抑えてくれるかもしれない。あるいは自分が、誰かの過ちを未然に防げるだろう。所詮人間であるから、完全ではいられない。搾取もしたいし支配もしたい、差別したいし傷つけたい。その気持ちが出てくるたびに自分で不断にそれを殴りつけ、黙らせ、あるいは人を傷つけない形で解消する。それを続けることでしか、人々は気持ちよく共存できないのだ、ということこそ、歴史が教えてくれることなのである。もちろん、ある種の芸術や研究においては、新たな可能性を開拓するために、それらを敢えて行う場合もある。その場合ですら、入念な配慮を持ってそれを行うことで、安全に新たな世界を切り開くよう試みるようになっている。多くの歴史研究者が、それぞれのうちに潜む差別意識を、どのように乗り越えていくかということを忌憚なく議論できるならば、今後の変化につながっていくだろうし、僕はそのための問題提起を、すでに昨日のある学会大会で行ったつもりだ。

 しかしそういった議論なく、差別意識を持った人を、それが表出するたびに外部の他者が被害者の代わりに裁く、殴りつけるといった形でことを済ませようとすれば、おそらく同じ問題は今後も続くだろう。とはいえ、そこから殴り合いに発展すれば、つまり逆恨みした加害者側の研究者が被害者側も引き摺り落としていくような展開になれば、研究は皮肉にもその周囲にいる人々によってより深化する結果になるかもしれない。というのも、何らかの対立が研究を進展させる例は枚挙にいとまがないからだ。特に、加害者側の周囲の強い立場にいる人々が、次は我が身と言いながら自己防衛のために論理武装していくことはままあることだろう。僕も男性だから、あるいはこの意見表明自体がそういった性質のものとして解釈されるかもしれない。だからこそ、僕はそのようなわかりやすい対立構造で、あるいは第三者による罪の規定によって問題が解決されたかのように扱うことには賛成しない。何より被害者の立場がなくなってしまう。罪と罰の問題は当事者間において、被害者の希望に即して、加害者のあたう限りで、また、基本的には法の定める範囲において、解決されるべきである。

 そして、個々の事例を離れた周囲の人々として論じるのであれば、簡単な対立や罰に還元するのではなく、なぜ差別してしまうのか、何をすると人は傷つくのか、ということを掘り下げていくところにこそ、問題の解決はあるのではないか。おそらくそこには、研究界に横たわる男性中心的な競争構造(特に近年強化されている)あるいは社会における価値体系もあるだろうし、そう考えてくれば、若手・中堅研究者が場合によっては差別に加担することと、場合によっては自死することとの間には、実は同じ問題が横たわっているかもしれない。

 

(この記事は以下の記事とあわせて書かれたもの)

yondaki.hatenadiary.jp

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