既婚子持ちゆえにつまらない中年男性になってしまわないために
現状に対する不満(2021.3.25記)
最近驚いたこと
最近、新しい人に出会ったり、しばらく連絡を取っていなかった人に連絡を取ったりしている。コロナで1年間人とのつながりが絶たれたことにそろそろ耐え切れなくなっているということもあるし、前にも書いたような(今年度の個人的振り返り - 読んだ木)現状の深刻な行き詰まりを打破したいということもある。
そうすると驚くのが、自分が全然情報に接していないということだ。日々散々長い時間をSNSに費やし、くだらないマスメディアの記事などを読まされたりもし、あるいは他人の発言も見てきているはずなのに、日々の狭いコミュニティの外にいる人と通じた瞬間、いままで全然知らなかった新しい情報がじゃばじゃばと流れてくる。
2,3人と話しただけでそう思うのだから、もしもっと多くの人、あるいは社会のさまざまな人と交流したらどれほどの未知の情報がそこに横たわっていることか、簡単には想像も及ばないほどだ。日々の仕事や活動、趣味や奉仕、あるいは読んだり聴いたりしているもの、信じているもの疑っているもの、まさに十人十色で、1人として同じ人はいない。また、自分がこれほどに無知であることに、色々な人とやり取りするまですっかり忘れていたこともおそろしい。それはSNSのエコーチェンバー効果のなせるわざかもしれないが、とはいえSNSで繋がっている人は相当の人数に上る。それでも繋がっている人は社会全体を見渡せばごく一部だし、そこでわざわざ書かれることはもっと少なく、しかもある方向に沿うように意味づけられてしまっているということなのだろう。SNSは、一体なにをネットワーキングしているのやら。
既婚者のハンディキャップ
コロナで直接人に会ったり、やり取りする機会を作れないことはその意味で本当に痛い。未婚の人はまだいい、出会い系アプリなどで知らない人に会ったり、やり取りすることもできるだろう。しかし、既婚でしかも小さい子供がいる人は、もう相当意識しないと社会に戻れないと思った方がいい。そういう人は出会い系も使えないから会う人が限られてしまい、その中の価値観が支配的になりすぎるし、さらにSNSをやっていればその支配的な価値観が世界全体に通用すると勘違いしてしまう。そのままコロナ前のように色々な人に会うと、この1,2年の間にいろいろな経験を積み、価値観を広げてきてる他の自由な人たちと、おそらく話が噛み合わなくなっているし、その人たちに相手にされなくなってしまう可能性がある。既婚とか子供がいるとかで大変なのは当然だが、女性ならばともかく、男性社会ではそんな言い訳は今のところ通用しない(僕は通用するようになって欲しいと思っているが、事実は事実だ)。
出会い系アプリやオンラインでの紹介による新たな関係性づくりは、既婚者の人で不倫をしていない人にとってはやや信じ難いほど一般的になってきている。コロナによる影響が後押ししていることはいうまでもない。もはや一種の一般的なSNSであって、僕も最近そのことを知って、衝撃を受けたところだ。それで僕もおそまきながら、出会い系ではない新しいネットサービスを利用して、人間関係の拡張を試みようとしているところであって、このブログがその一環であることは今までも何度か書いてきた(インターネット年少世代 - 読んだ木)。正直、すでにmixi化しているらしい出会い系アプリを使いたいのだが、それを使っていないからこそブログが書けるということもあるし、それを使うとどんなに他の目的があっても男女の関係を求めてしまいそうなので、この困難なルートで人間関係を広げることをまだまだ試みてみようと思う。本当は趣味とかがあれば、趣味のサークルなどに参加できてよいのだろうが、書くことが趣味なので、ブログしか居場所がない気がする。
とにかく既婚子持ちになると、仕事以外では家族としかコミュニケーションしてはいけないという規範があり、非常に困る。主婦ならママ友がいるが、子育てをする父親にそんなものはない。必死でパパ友の会などに参加していたが、コロナなどで活動がほぼ止まっているし、男性は日本の高齢者福祉と世帯維持のために長時間労働しなければいけないという社会なので、そもそもそれほど交流が進まない。地域活動などに参加する時間など取れないし、もし参加できたとしてもそこでまた年功序列を押し付けられると、小さい子を育てている若い父親ほど苦しむことになり、何もいいことがない。公的な交流などのサポートもみな母親向けで父親向けは皆無。とにかく父親は周囲と関わらず、単一の価値観を変えずに現状を盲目的に信じ、長く働いて金を稼いで納税と家族の経済を支えろ、という社会なのだ。そして、力尽きてそれから解放されたときには、すでに老いて何もできなくなっている。
イクメンでは解決にならない
イクメンなど笑止である。イクメンというのは、知的階級か金持ち階級のステータスの一種でしかなく、普通は家庭を顧みず働かないと子供を塾や大学に通わせることもできないし、そもそも稼ぎが少なかったり借金があったりすれば結婚も子作りもできないし、まず男性が育児に参加できるくらい短い労働時間でも十分に生活できるようにならなければ、若い父親をいくらいじめても何も改善しない。それに、こんなにシングルマザーが多いのに、イクメンを持ち上げるのも意味がわからない。「子育ては夫婦が揃ってなければいけない、しかも夫婦だけでやらなくてはならず、さらに夫婦で分業せずどちらも働きながら家事育児をやらなければいけない」、というなんとも不自由で、かつ恵まれた人しか実現できないイデオロギー。現実見えてない金持ちが言ってるんだろうなという気しかしない。やるべきことは、まず長時間労働の是正と男女の賃金格差の解消。これができるまで男性の育児参加とか口が裂けても言うな、と思う。これだけをまず言ってほしい。全然できてない。これができなければ、父親の育児参加など不可能だ。単純な時間の引き算なのだからわからないはずがない。長時間労働と男女の賃金格差が是正されたら、次は親だけで子供を育てるという家族主義を撤廃することだ。1人や2人の親だけで子供をちゃんと育てられるスーパーペアレントばかりではない。子供をもっと大勢の参加の中で育てる。
そうして初めて、既婚者で子持ちでも、そうでない普通の人と同じように色々な知見を得て、視野を広げることができ、学んで成長することができる。もし子守だけしかしない場合でも同様だ。子守りをしている人々との情報交換や議論、知識の共有などの機会があれば、自ずから育児の質も上がるだろう。
なぜわざわざよりよい労働者にお金を払うのではなく、性別で払う額を変えるのか。仕事ができないまま何年も成果を上げずに会社に居座る人の方が、成果をどんどん出して1年育休で不在にしただけの人よりも上の地位に上がるのか。なぜ子守りをしていたらもう誰にも会うことができないくらい時間的金銭的社会的余裕を失わなくてはならないのか。それは、少なくとも資本主義ではアンフェアだ。もちろん、労働生産性や会社の利益より、男女格差と男性を家長としてその世帯の他の成員を犠牲にするという価値観を温存したい主義の社会なら、僕はこんなことは言わない。しかし、この社会は資本主義で、民主主義を建前なりとも採用しているのだ。なら、まずはその社会でフェアな仕組みを採用すべきだし、それは万人の利益にかなうことだろう。
僕と同じように、既婚者となり、子供ができたことで、視野の狭い、つまらない人間になっていく人は多いと、知人から聞いたことがある。そして、自らがそうなることを逃れるために、配偶者などを本人の意思に背いてそういう人間にさせた人は、なお多いかもしれない。個人の自由を尊重する観点からも、多くの人がいろいろな情報に接することで社会が多様性を受け入れるようになるためにも、現状を変化させる必要を切に感じる。
(ここまで2021/3/25執筆、ここから2024/7/9追記)
つまらない人間にならないための処方箋(2024.7.9記)
働くな
長々書いてきたが、要はこういうことだ。既婚子持ち男性がつまらない人間になる理由は、社会のせいであること、とりわけ男性に長時間労働を強い、かつ夫婦だけでの家政を求める価値観にある。つまり、本来の問題は働くことにあるが、結婚して子供を作ると、その働くことによる弊害が極大化するために、既婚子持ちだとつまらない人間になってしまうのである。
だからといって、男女がともに働きやすく、休みやすく、遊びやすくするための社会を直ちに実現することはできない。幼少期から男性より労働者として劣等な、あるいは異質なものとして育てられてきた女性が、成人したら突如男性と同等に働く労働者になるわけもない。だとしたら反対に、若い男性が、働かなくとも、結婚しなくとも、子供を生まなくとも、女性と同じような福祉や配慮を受けられるようになるわけもない。人々の価値観、教育システム、労働環境、制度や調査方法、あらゆるものの社会的変革の先に、中年既婚子持ち男性が面白くなる未来はある。
ではどうするか。革命運動に身を投じるか? 馬鹿馬鹿しいことだ。自分の人生をいまここから面白くしなくてはならない。手っ取り早いその第一歩は、働かないことだ。
まず、家族のために働くのをやめる。収入が低いとなじられても、そもそも収入が低いのは社会環境、経済環境、資源配分等々のせいであって、あなたのせいではない。収入を下げてでも、余暇時間を増やそう。自分が楽しめる範囲で働き、あとはサボるのだ。あるいは、家族のためでなくともたくさん働きたい、という人もいるだろう。そういう人は既に家族を犠牲にして働いていると思われるので、問題ない。仕事を通じて面白い人間になれる。医者などはこういう人も少なくない。
次に、自分のキャリアや昇進のために働くのをやめる。長時間労働しなくては昇進できないような人は、残念ながらそれほど上には上がれない。長時間労働せず、いろいろな活動や人脈に触れて視野を広げ、労働を効率化し、特に他人の使い方に長けるようになれば、キャリア形成や昇進はずっと楽になる。能力の低さを時間の延長で埋め合わせるのは、20代で卒業することが望ましい。能力の低さは、うまく根回しするとかコネを作るとか、他人の責任にするといったことでカバーするものだ。そうした利己的振る舞いは、間違ったことではない。
そして、同僚や部下や上司のために働くのをやめる。最近の20代、30代の労働者の多くはすでに身につけている能力であるようにも思われる。同僚や部下や上司にアピールして助けても、昇級昇進はさほど起こらない。身近に困っている人がいたら助けよう、という発想は、資本主義的競争の中ではかなぐり捨てなくてはいけない。同僚や部下や上司を長時間労働で助けていいのは、それによって同僚を蹴落とし、部下が自分の仕事を肩代わりするようになり、上司の首をすげ替えることが出来る場合に限る。間違っても、周りから信頼できる同僚、頼りになる上司、都合のいい部下、と思われないことだ。むかつくけど仕事はできる同僚、頼りにならないがパワハラはしてこない上司、いうことは聞かないが成果は出してくる部下、というあり方が理想である。
中年既婚子持ち男性になったら、やみくもに働くのをやめること、これを出発点としたい。ただし、窓際族になれというのではない。働くのをやめることで、面白い人間となり、働きのアウトプットが倍増するようになるべきだ。働かずしてより多くの働きを為す、この弁証法を目指すのである。
働かないことで生まれた時間をどう使うか
働かないことで時間を捻出する。この時間をどう使うかである。
では早速趣味に、というわけにはいかないであろう。働かないといっても、せいぜい残業の時間を削って早く帰れる、というレベルである。土日の子守りの時間がなくなるわけではなし、残業を削ったその1時間2時間で、何か新しい習い事やジムなどを始めるのが手っ取り早いしお勧めではあるものの、子供がいるとそれすらも難しい。
宵っ張りで酒好きな人であれば、子供たちが寝静まってから、妻と飲む、あるいはどこか飲み屋に繰り出してほしい。そこで、とにかく人の話を聞く。他人の人生を覗く。ここから新しい物語が始まる。飲み屋も、地元の同じ飲み屋に毎月行けば、1年足らずで顔を覚えてもらえる。これはどんな飲み屋であってもそうであって、そうなればかなりいろいろな話を聞かせてもらえる。子供が寝たあとの月1回の飲み屋行きであれば、家族からそんなに不満が出るものではない。
酒を飲まないのであれば、夜すこし漫画や小説を読むというのもいい。漫画や小説を二三知っているというだけで、世界はかなり広がるし、他人との共通言語を持つことが出来る。漫画や小説をフックに同好の士を探すことで、SNSの繋がりなんかもかなり変えられる可能性がある。プラモデル作りも、この時間にやるにはうってつけの趣味である。
逆に早寝で酒は飲まないような人は、早起きがお勧めだ。子供が寝ている内からランニングしてもよし、朝一で資格の勉強や小説を読むなども楽しい。資格の勉強というのも、新たな繋がりを作るきっかけとしてよい。自分のキャリアにもいい影響があることはいうまでもない。
とにかくスモールスタート、クイックウィンである。つまり、急に大きな趣味を作ろうとせず、仕事とは違うことで、小さいことをやる経験をつむ。行きつけを一箇所作る、知らない飲み物や食い物を一つ知る、漫画や小説を一冊読む、プラモデルを一つ完成させる、ちょっとした資格を取る、いままで知らなかったジャンルの人を一人フォローする、そうした、小さく始めてちょっとした変化をつかみ取ること。これが、中年既婚子持ち男性が世界に一歩踏み出す確実な方法だ。
惜しまず自己投資し、恐れず自己逃避する
巷では、中年男性というのは、いわば無自覚に権力を持つ差別主義者の象徴というような扱われ方をしている。それは残念ながら、概ね正しい。だが、だからといって、じゃあ女の子に優しくしよう、多様なあり方を認めてやろう、ということが、望ましいやり方なのではない。まさにそういうことを、権力のある立場でやろうという人が、そういう関わり自体でセクハラをしたりパワハラをしたりしている。無自覚に権力を持つ環境から離れて権力のない立場を味わってみること、権力関係のない他人と関わって、自分の差別的価値観を指摘してもらうこと、こうしたことが有益なことだ。
しかし、逆説的かもしれないが、そうした経験は、自己投資しないと得られない。お金をもらわずに、中年既婚子持ち男性に会いたい人はいない。しばしば男性が女性におごるべきだといわれるのは、男性に魅力がなさすぎて、せめて金ぐらい出せ、という趣旨であることが多い。魅力ある男性のところには、金を払ってでも会いたいという女性が集まってくるものだ。いわゆる「ただしイケメンに限る」というやつである。どうやってイケメンになるか。まず自己投資することだ。お金を払わなければ誰からも相手にされないところを、お金を払って外部との関わりを作るのである。
中年男性のいいところは、金を出せばすぐにイケメンになれることだ。大学生は、金を払っても大してイケメンにはなれない。しかし中年男性は、金を払って身だしなみを整え、知識を蓄え人との接し方を学んでいくと、すぐにイケメンになれる。身だしなみのことはさておき、例えば飲み屋の常連になって「イジり」「ツッコミ」を受けるとか、漫画や小説を読んでいろいろな人生や世界に想像を膨らませるとか、身体を動かして身のこなしを美しくするとか、資格にチャレンジする貪欲さを身につけるとか、そういうことが中年男性をイケメンにする(上述の趣旨からして、他人に対して権力行使するために金を出すのだけは、イケメン化に寄与しないことを付言しておく必要があるかもしらん)。
ただし、これらの活動は結構気長にやる必要がある。飲み屋の常連になるには一年はかかる。漫画や小説を一通り読むのも、ある作家やジャンルに通じるまでにはやはり年単位の時間がかかるだろう。資格の受験も、受かるまでには一年ぐらい、あるいはそれ以上に時間がかかることがあろう。ランニングやトレーニングは、最低一年続けなくては意味がない。そうした長期間の取り組みを続けるためには、これらの自己投資に加えて、さらにそこから逃避することも必要だ。それは例えば二軒目の店、読書ではなくゲーム、他の資格、休息といったものだ。このようにして世界は広がるのである。
夜中まで働くのをやめてちょっとした趣味を始める、しかしそれに嫌気が差して他のをやる、そうしているうちに一年、二年と続くものが出てくる。それがまた新しい自分を作っていく。こうした経験を積んだ人が、中年既婚子持ち男性でも、それほどつまらなくない、いや、むしろいろいろと話題の引き出しを持っている面白い人間となるのではないか。始めよう、一時間早く帰る暮らし。それが、既婚子持ちでもつまらない中年男性にならないための、第一歩である。
ちなみに筆者は現在非正規雇用で、一時間でも長く働いて給料がほしいと思っている。あなたが一時間早く帰ることで、僕の給料が一時間増えてほしいものだと、切に願っている。以上はそうしたポジトークでもあることを申し添えておきたい。
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