読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

既婚子持ちゆえにつまらない人間になる恐怖

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終わりのない長いトンネルのような子育て——それが終わるときにはすでに老いているのだろう

 

 

最近驚いたこと

 最近、新しい人に出会ったり、しばらく連絡を取っていなかった人に連絡を取ったりしている。コロナで1年間人とのつながりが絶たれたことにそろそろ耐え切れなくなっているということもあるし、前にも書いたような(今年度の個人的振り返り - 読んだ木)現状の深刻な行き詰まりを打破したいということもある。

 そうすると驚くのが、自分が全然情報に接していないということだ。日々散々長い時間をSNSに費やし、くだらないマスメディアの記事などを読まされたりもし、あるいは他人の発言も見てきているはずなのに、日々の狭いコミュニティの外にいる人と通じた瞬間、いままで全然知らなかった新しい情報がじゃばじゃばと流れてくる。

 2,3人と話しただけでそう思うのだから、もしもっと多くの人、あるいは社会のさまざまな人と交流したらどれほどの未知の情報がそこに横たわっていることか、簡単には想像も及ばないほどだ。日々の仕事や活動、趣味や奉仕、あるいは読んだり聴いたりしているもの、信じているもの疑っているもの、まさに十人十色で、1人として同じ人はいない。また、自分がこれほどに無知であることに、色々な人とやり取りするまですっかり忘れていたこともおそろしい。それはSNSのエコーチェンバー効果のなせるわざかもしれないが、とはいえSNSで繋がっている人は相当の人数に上る。それでも繋がっている人は社会全体を見渡せばごく一部だし、そこでわざわざ書かれることはもっと少なく、しかもある方向に沿うように意味づけられてしまっているということなのだろう。SNSは、一体なにをネットワーキングしているのやら。

既婚者のハンディキャップ

 コロナで直接人に会ったり、やり取りする機会を作れないことはその意味で本当に痛い。未婚の人はまだいい、出会い系アプリなどで知らない人に会ったり、やり取りすることもできるだろう。しかし、既婚でしかも小さい子供がいる人は、もう相当意識しないと社会に戻れないと思った方がいい。そういう人は出会い系も使えないから会う人が限られてしまい、その中の価値観が支配的になりすぎるし、さらにSNSをやっていればその支配的な価値観が世界全体に通用すると勘違いしてしまう。そのままコロナ前のように色々な人に会うと、この1,2年の間にいろいろな経験を積み、価値観を広げてきてる他の自由な人たちと、おそらく話が噛み合わなくなっているし、その人たちに相手にされなくなってしまう可能性がある。既婚とか子供がいるとかで大変なのは当然だが、女性ならばともかく、男性社会ではそんな言い訳は今のところ通用しない(僕は通用するようになって欲しいと思っているが、事実は事実だ)。

 出会い系アプリやオンラインでの紹介による新たな関係性づくりは、既婚者の人で不倫をしていない人にとってはやや信じ難いほど一般的になってきている。コロナによる影響が後押ししていることはいうまでもない。もはや一種の一般的なSNSであって、僕も最近そのことを知って、衝撃を受けたところだ。それで僕もおそまきながら、出会い系ではない新しいネットサービスを利用して、人間関係の拡張を試みようとしているところであって、このブログがその一環であることは今までも何度か書いてきた(インターネット年少世代 - 読んだ木)。正直、すでにmixi化しているらしい出会い系アプリを使いたいのだが、それを使っていないからこそブログが書けるということもあるし、それを使うとどんなに他の目的があっても男女の関係を求めてしまいそうなので、この困難なルートで人間関係を広げることをまだまだ試みてみようと思う。本当は趣味とかがあれば、趣味のサークルなどに参加できてよいのだろうが、書くことが趣味なので、ブログしか居場所がない気がする。

 とにかく既婚子持ちになると、仕事以外では家族としかコミュニケーションしてはいけないという規範があり、非常に困る。主婦ならママ友がいるが、子育てをする父親にそんなものはない。必死でパパ友の会などに参加していたが、コロナなどで活動がほぼ止まっているし、男性は日本の高齢者福祉と世帯維持のために長時間労働しなければいけないという社会なので、そもそもそれほど交流が進まない。地域活動などに参加する時間など取れないし、もし参加できたとしてもそこでまた年功序列を押し付けられると、小さい子を育てている若い父親ほど苦しむことになり、何もいいことがない。公的な交流などのサポートもみな母親向けで父親向けは皆無。とにかく父親は周囲と関わらず、単一の価値観を変えずに現状を盲目的に信じ、長く働いて金を稼いで納税と家族の経済を支えろ、という社会なのだ。そして、力尽きてそれから解放されたときには、すでに老いて何もできなくなっている。

 

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イクメンでは解決にならない

 イクメンなど笑止である。イクメンというのは、知的階級か金持ち階級のステータスの一種でしかなく、普通は家庭を顧みず働かないと子供を塾や大学に通わせることもできないし、そもそも稼ぎが少なかったり借金があったりすれば結婚も子作りもできないし、まず男性が育児に参加できるくらい短い労働時間でも十分に生活できるようにならなければ、若い父親をいくらいじめても何も改善しない。それに、こんなにシングルマザーが多いのに、イクメンを持ち上げるのも意味がわからない。「子育ては夫婦が揃ってなければいけない、しかも夫婦だけでやらなくてはならず、さらに夫婦で分業せずどちらも働きながら家事育児をやらなければいけない」、というなんとも不自由で、かつ恵まれた人しか実現できないイデオロギー。現実見えてない金持ちが言ってるんだろうなという気しかしない。やるべきことは、まず長時間労働の是正と男女の賃金格差の解消。これができるまで男性の育児参加とか口が裂けても言うな、と思う。これだけをまず言ってほしい。全然できてない。これができなければ、父親の育児参加など不可能だ。単純な時間の引き算なのだからわからないはずがない。長時間労働と男女の賃金格差が是正されたら、次は親だけで子供を育てるという家族主義を撤廃することだ。1人や2人の親だけで子供をちゃんと育てられるスーパーペアレントばかりではない。子供をもっと大勢の参加の中で育てる。

 そうして初めて、既婚者で子持ちでも、そうでない普通の人と同じように色々な知見を得て、視野を広げることができ、学んで成長することができる。もし子守だけしかしない場合でも同様だ。子守りをしている人々との情報交換や議論、知識の共有などの機会があれば、自ずから育児の質も上がるだろう。

 なぜわざわざよりよい労働者にお金を払うのではなく、性別で払う額を変えるのか。仕事ができないまま何年も成果を上げずに会社に居座る人の方が、成果をどんどん出して1年育休で不在にしただけの人よりも上の地位に上がるのか。なぜ子守りをしていたらもう誰にも会うことができないくらい時間的金銭的社会的余裕を失わなくてはならないのか。それは、少なくとも資本主義ではアンフェアだ。もちろん、労働生産性や会社の利益より、男女格差と男性を家長としてその世帯の他の成員を犠牲にするという価値観を温存したい主義の社会なら、僕はこんなことは言わない。しかし、この社会は資本主義で、民主主義を建前なりとも採用しているのだ。なら、まずはその社会でフェアな仕組みを採用すべきだし、それは万人の利益にかなうことだろう。

 僕と同じように、既婚者となり、子供ができたことで、視野の狭い、つまらない人間になっていく人は多いと、知人から聞いたことがある。そして、自らがそうなることを逃れるために、配偶者などを本人の意思に背いてそういう人間にさせた人は、なお多いかもしれない。個人の自由を尊重する観点からも、多くの人がいろいろな情報に接することで社会が多様性を受け入れるようになるためにも、現状を変化させる必要を切に感じる。

 

沈没家族 ――子育て、無限大。 (単行本)

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