読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

「はたらけど…」の一首に石川啄木のストイックさをみる

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 エレベータには鏡がついている。これは、主に車椅子利用者のための配慮だ。ウォークスルー型の、つまり両面に扉がついている形のエレベータでない場合、車椅子利用者が前進でかごに乗車した場合、出るときは後進になる。そのため、鏡をつけて後ろが見られるようにしてあるのだ。それゆえ、かごに乗る際には、正面に鏡があり、そこには自分が映っている、ということになる。映っているものが自分かどうか、そもそも自分とはなにかについては哲学上の様々な議論が可能であろうが、一応ここでは自分が映っているという表現で理解可能な範囲で理解してほしい。

 そこに映る自分の頭には髪の毛が生えているが、その中に、あまり目立たない形ではあるが明らかに、増えつつある白毛が混じっていることを認識できる。毎日のようにダラダラとはっきりとしたテーマも目的もないブログなどを書いている人間が、人生に満足しているはずもない。自分で選んだ人生とはいえ、辛いものは辛い。そして、白毛も生えて来る。いくら自己啓発しても生えて来るものは仕方ない。20代の頃から2本ばかり白毛があったが、今生えてきているのはもう年齢的に若白髪でもない。要は、歳をとったのである。

 歳をとっても、なにか自由が増えるわけでもなく、色々と背負うものは増えて、昔の自分がいかに苦しんでいたかということも理解できるようになる。理解できるところまではいくが、それを解放する力はない。もちろん、人には色々な苦しみがあり、それを比較すれば僕の苦しみは軽いということになろう。しかし、その比較によって苦しみがなくなるわけではない。いかに小さな苦しみでも、そこから逃れたいと思うのが人間の性である。ましてや、僕の苦しみは、数年後に切れる雇用契約のこととか、返さなければいけない借金のこととか、まだ幼い子供のこととか、家族で住むには狭すぎる居室のこととか、生活に密着したものであるから、それをいっとき忘れるということも不可能だ。

 そういうとき、僕は天を仰ぐが、天を仰いでいるようではいけない。石川啄木は、「はたらけど はたらけど猶わが生活〔くらし〕楽にならざり ぢつと手を見る」と詠んだ。1910年に出版された詩集『一握の砂』に収められた一首である。彼はジャーナリストとして、あるいは文筆家として生計を立てていた。天を仰ぐというのは、天からのなにか施しを待つ態度であるが、手を見るというのは、自分の力の無さに向き合い、自らを問おうとする姿勢である。石川は人一倍物事を考え、かつ、より良くなるほうへと果敢に挑戦した人である。しかし空理空論に惑わされず、自分の生活の苦悩や矛盾をしっかりと抱えたまま、それを現実の中で乗り越えようと、色々なことを試みたのであった。それなのに、度重なる色々な不運、人との巡り合わせやタイミングの悪さなどで、失敗を繰り返すこととなる。それを本人の我儘などに帰する解釈もあるようだが、僕はそうは思わない。チャレンジするから、失敗もあるのだ。正論を通そうとするから、対峙することもあるのだ。彼の放蕩も、なぜ放蕩するのかを考えなくてはならない。それは客観的にはどうあれ、石川自身にとっては、新たな可能性を、突破口を、探していたために生じた行動である。多くの人なら、どこかで諦め、より楽なほうへと流れたかもしれないし、放蕩をあえて続けることなど、凡人であればあるほどできないだろう。少なくとも僕は全くできていない。しかし石川はそれをあえてなし、そして、「ぢつと」手を見たのである。ここに人柄がよく出ていると思う。単に放蕩して、なにかいいことがないかと遠くを見るのではない。「はたらけど」が二回繰り返されることは、一度目の「はたらけど」で自分のできる範囲で十分にやっているが、それではダメだから自分の限界を超えてもう一踏ん張り「はたらけど」、ということなのだ。そういう形で、自分なりにやれることはキャパを超えるほどやっていて、それでも突破できない現状に苦しみ、放蕩によりなんとか精神のバランスを保ちつつ、そのような不安定さそのものを抜け出すためにもっと努力しなければ、と思って手をみつめるのだ。もしこれが、「はたらけど」が一回だけなら、放蕩などしなくても大丈夫だっただろう。あるいは「天を仰ぎつ」で終わるのなら、単に無責任だろう。しかし、「はたらけど」が二回繰り返されて、さらに「ぢつと手を見る」というこの生活者としての終わりなき戦いの姿勢、これはなんとストイックであることか、と僕は思う。

 しかしまぁ本当に、今日までこの一首が歌い継がれているのも、宜なるかなという世の中である。僕には「ぢつと手を見る」ほどの甲斐性はない。「はたらけど はたらけど猶わが生活〔くらし〕楽にならざり だれか助けて」という感じである。しかし、そんなこと言ったら「おまえより はたらけど楽にならざりしおれを助けろ ちよつと手を貸せ」と言われて仕事が増えるのがオチだ。やっぱり黙っておこう。

 

新編 啄木歌集 (岩波文庫 緑54-1)

新編 啄木歌集 (岩波文庫 緑54-1)

  • 作者:石川啄木
  • 発売日: 1993/05/17
  • メディア: 文庫