読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

渋谷が廃墟になる日

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 渋谷に久々に行ったが、随分と変わったものだ。夜でも人は少なく、ネオンだけが燦々と輝いている。昔は目新しかったこのごちゃごちゃした広告も、中国の大都市の様子を散々ネットで目にした後では、むしろ空の広さが目立ち、侘しい感じがする。

 このまま高齢化が進めば、このように閑散とした渋谷のスクランブル交差点の景色が当たり前のものとなるだろう。50年後、遅くても100年後には、渋谷など今の地方都市のシャッター街と変わらない様子となっているかもしれない。2100年には、空っぽの高層ビルを取り壊す費用もなく、低層階部分のテナントだけが開いている、となろう。50年後のアジアで国際センターとなっているのはジャカルタハノイシンガポールなど東南アジア諸都市ではないか。アジアにとって20世紀が東アジアの時代、21世紀が大陸中国の時代だとすれば、22世紀は東南アジアの時代と予想されるからだ。2200年ごろには渋谷も完全に廃墟になっているだろう。廃墟というのは段々になっていくのではなく、ある一定の人口なり資本なりを割り込んで、その都市を維持できなくなると、一気に廃墟になる。そのタイミングがいつ来るか、という話だ。

 

都市と廃墟

 ともあれ、渋谷が廃墟になったらどんな感じになるのか、というのは興味深い問いだ。その時にいつも思い起こされるのは、磯崎新の設計したつくばセンタービルである。磯崎は設計段階で、そこが廃墟になった後の模型もデザインした。レム・コールハースジェネリック・シティという、個性も特定された機能も持たない都市というのをイメージしたが、それにとどまらず、都市が廃墟となる、つまり都市が都市であることをやめることまでをもデザインしようというのだ。

 

La Ciudad Generica

La Ciudad Generica

 

 

 少し前に渋谷の松濤美術館で、まさにこのテーマにフォーカスした美術展も行われた。「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」と題され2018年末から19年にかけて開催されたこの展覧会は、17世紀ヨーロッパから未来の渋谷まで、廃墟というテーマから作品を集めた。展示の中でも特に、渋谷の廃墟の絵である元田久治《Indication: Shibuya Center Town》(2005)はネット上でも評判を呼び、よく知られているだろう。

 

bijutsutecho.com

 

メタボリズム建築

 この展示会は、もっと前に森美術館で行われていた「メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」と好対照をなすものだ。メタボリズム展で示されていたのは、無限に拡張可能な建築を目指したメタボリズムだけでなく、それが終わってからは「環境」をテーマに植物などの有機物を建築の中に取り込んでやはり拡張しようとする都市のイメージだ。そこには、廃墟の可能性があたう限り排されている。復興だけでなく、経済成長した日本の資本によって海外諸都市にその触手を伸ばし、その力がなくなってからもなお伸びていくことを夢見ている。

www.mori.art.museum

 

 

 伸び続ける建物と伸び続ける都市は、震災や戦争で崩壊を繰り返してきた近代日本にとって切実なテーマだ。建物の平均寿命がヨーロッパなどより全く短いのも、その文化の上に日本の建築があるからである。日本は木材が豊富だったからヨーロッパのような石造りの堅牢な建物が少ないわけではない。ヨーロッパも中世までは木材が豊富であり、今でもノルウェイ産の木材——ビートルズの曲名になり村上春樹の小説の題にもなった——など日本より断然出回っている。日本で石造りの建物を作ると崩れるから作られないのだ。「崩れるかもしれない」という恐怖が、まだ使える建物もさっさと壊して新しくしようという機運につながる。毎世紀リスボン地震が発生しているようなものだ。いちいち神罰だなんだと考えていたら身がもたない。むしろそれを大地の呼吸と理解し、崩壊を織り込んで成長する建築をデザインする、まさにメタボリズムである。

 

横浜駅SF、廃墟とメタボリズムの交点

 数年前に、面白いショートショートをネット上で見つけた。横浜駅が自己増殖して、北アルプスにまで出口が生えてきている、みたいな話だった。 

横浜駅SF (カドカワBOOKS)

横浜駅SF (カドカワBOOKS)

  • 作者:柞刈湯葉
  • 発売日: 2016/12/24
  • メディア: 単行本
 

  横浜駅がサグラタファミリアと並んで建設が終わらない駅だというネットミームを元にした、めちゃめちゃ気持ち悪い話だった。横浜駅だから気持ち悪いが、道路なんてまさにそういうものだろう。無限に地面に平らな管を引いていく営みだ。人々はいつか死に、廃墟だけが残される。横浜駅SFは、増殖する横浜駅が人間を吸い尽くす、つまり自らが増殖することで廃墟になることを結果的に望んでしまっているというメタボリズム建築の逆説を突いた作品だった(と思う、ちょっとあまり覚えてない)。メタボリズム建築は、その建築の外部に人間がいなければ成立しないが、その建築の中に全ての人間を吸い尽くすことを目指しているからだ。

 『ブルータワー』という石田衣良の小説も、確か廃墟になった新宿かなんかを元にした作品だった気がする。ずいぶん前に読んだので、もうあまり記憶にない。

ブルータワー (文春文庫)

ブルータワー (文春文庫)

 

 僕の記憶が正しければ、確かに人々は新宿に住んでいるが、新宿というものを忘れ去っている。だから、新宿の街は廃墟になっていて、その上に新しい街ができているということになっていた。つまり、廃墟になるということは、そこに人がいなくなるというだけでなく、それが活気ある場所としてあったことを忘れられることによっても、成立するわけだ。

 いずれにしても、今ここで生きている以上、ここが廃墟になったその日を見ることは、人間にはかなわない。われわれが渋谷を本当に捨て、忘れ去った時に、渋谷は廃墟になる。それまで渋谷は崩壊を繰り返しながら増殖を続けるのだろう。