読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

4月の計画丸潰れ

 4月から下の子が保育園に入るので、慣らし保育が終わったら仕事フル回転!と思っていた。保育が短時間となる慣らし保育の期間は1週間。残りの3週間はギチギチに予定を詰め込み、数日子供がダウンしても1〜3月の遅れを取り戻せる計画だ。

 4月1日から、慣らし保育の送り迎えを挟みながら仕事を進めていった。下の子が新しい環境によく順応してくれ、慣らし保育も予定通りにこなしていった。そして、1週間後、僕の仕事のメインの業務が始まるタイミングで、予期せぬ事態が起こった。

 保育園でコロナのクラスターが発生して、あえなく2週間休園となったのだ。下の子のみならず上の子も家で子守りとなる。1年前の再来である。とても仕事どころではない。その2週間というもの、平日は妻と交代で曜日ごとにワンオペで子守りして、最低限の業務だけ片付けて乗り越え、ようやく保育園が再開したのが4月第4週の後半。しかし慣らし保育が最初からとなり、再び1週間は短時間の保育。つまり4月末まではフルで保育園に行かせることはできないままであった。結局、4月中はまるまる毎日、家では子守りをしていたのである。

 そこに追い討ちをかけたのが緊急事態宣言で、仕事量が一気に2倍になった。しかし、慣らし保育期間中は仕事にフルコミットできず、慣らし保育が終わった4月末からはゴールデンウィークで保育園はやっていない。本来なら祖父母に応援を頼んで仕事をするつもりだったが、それが宣言のために不可能になった。

 1〜3月の遅れどころか、4月のタスクがほぼ積み残されたまま、それ以後の仕事が2倍となって襲いかかる中、夫婦だけで子供の世話をしなくてはならない。ゴールデンウィークが明けるのは5月10日、つまり5月最初の1/3はもう終わってしまうわけだ。5月末締切の仕事最優先で進めているが、全く先が見えない。

 

 子供を寝かしつけた後に家の中で仕事をできる場所は、洗面所しかない。前の家ではトイレでやっていたから、これでも多少マシになったのだが、洗面所で1時間以上作業していると腰が痛くてたまらなくなる。そこで、子供が寝たのを見届けてから、家を出て職場に戻り仕事を進めているが、行き帰りの時間のロスや、0時の閉門には出なくてはいけないなど制約があって、せいぜい2時間ぐらいしか作業できない。昔のように朝4時までどこかのカフェやバーで作業ということが、コロナ禍以降の時短要請や廃業閉店でできなくなった。もうお手上げである。

 そんなわけで、4月に入ってから全くブログを書けなくなった。そんな余裕などなかったのだ。余裕がないのは今もそうだが、この1ヶ月の疲弊で諦めの気分が強くなってきた。なんのために頑張っているのか。なぜここまで追い詰められなければならないのか。馬鹿馬鹿しくなってきて、ひと月ぶりにブログ記事を書いてみたというわけだ。ブログを書いても何も解決しないが、誰かが僕の辛さを理解し、同情してくれるかもしれないという可能性があるだけで、なんだか心が救われる部分もある。現実には、苦しいのは皆同じ、僕などマシな方で、努力不足と罵られるのだろうが。わずかな時間だけでもいいから、僕の存在が許され、認められる空間があればいいのに、といつも思う。しかし、わずかな時間だけ救われても、救われない時間の苦しみがいや増すだけだ。自分を認め、自分を信じることでしか、自分が救われることはできない。そしてそれをすることは、未熟な自らを甘やかすだけであって、してはならないことだ。