読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

シンカリオン メディアミックスの超進化

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 JR東日本がライセンスして小学館集英社タカラトミーとともに原案を作ったTBS放映のちにAmazon Prime配信のアニメに登場したサンリオのキャラクターをデザインしたJR西日本の新幹線を変形可能なプラレールとして発売したもの(タカラトミーとサンリオ、ロボットに変形するプラレール「シンカリオン ハローキティ」を発売: 日本経済新聞)をYouTubeで宣伝する、という世界線があることを最近知り、メディアミックスの超進化や〜とひっくり返った。

 

新幹線変形ロボ シンカリオン DXS シンカリオン ハローキティ

新幹線変形ロボ シンカリオン DXS シンカリオン ハローキティ

  • 発売日: 2020/03/26
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

 最近安部公房読んでて、安部公房は一人で色々やっててすごいんだけど、こういう大企業が横並びで組んでやるほうがすごいものが出てくるよなぁ。もちろん、そこには世俗性しかなく、非前衛的で独自性も弱いという批判は可能なのだが、だからこそ、資本主義を突き詰めたところにあるある種の総合芸術だと言えるのではないだろうか。

 安部公房は小説家として有名だとは思うのだが、それは小説という媒体が優秀だということだ。彼は同時代には、雑誌や本に書くだけでなく、戯曲、映画、ラジオドラマ、テレビなど、いろいろなメディアを駆使して自らの作品を世に送り出していた。ただ、なかなかラジオドラマとかを後世に残すのは難しいのかもしれない。いま人々の話題に上るのは、小説の『壁』とか、『砂の女』とかだろう。文学研究者も、ラジオドラマの声の調子を文字で引用する、というわけにはいくまい。もちろんこれは、作家芸術家の側ではなく、それを受け取り継承する側の能力や技術がまだ発展していない、ということである。

 

 

 翻って、たとえばアニメや映画もどこまで今後継承されていくのかは、未知数である。たとえば手塚治虫の、『火の鳥』や『ジャングル大帝レオ』の漫画を読んだことがあるという若者はいるだろうが、「鉄腕アトム」のアニメを観たことがある、という人は、それに比べて少ないのではないか。知名度で言えば後者の方が知られているとも思うけれども。どうしても媒体の限定性というものがあって、軽くて小さくて持ち運びの便がよく、それでいて電気も通信環境もサブスクリプションの支払いもいらない、という本の持つ魅力はなかなか他の媒体に太刀打ちできるものではない。

 これほどまでに世界的に資本主義が浸透し、地球の裏側でもビッグマックが食べられる時代になっても、コンテンツの自由度はそれほど広がったわけではない。たとえば日本から北朝鮮や中国に、オーウェルの『1984』の文庫本を持っていって読むことはできるだろうが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見ることは難しいだろう。DVDは規格が違うから再生できないし、配信や上映は禁止されているからだ。『ボヘミアン・ラプソディ』の男色のシーンはイスラム圏では観られないし、ここ日本でも、他国では問題にならない性的シーンでも必ずボカシが入るなど、こと映像というのはそのまま持ち運ぶことが難しく、なにか受け手の側に再生機器が必要なので、常にそういった編集の問題に直面する。もちろん、技術的にそうしたハードルを乗り越えることは不可能ではないが、紙に書かれたものの方がすんなりと流通しやすい。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー (字幕版)

バック・トゥ・ザ・フューチャー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 そう考えてくると、「超進化」している今日のメディアミックスのインパクトや波及効果は、後世にどれほど理解されることだろう、という疑問が生まれる。

 このようなコンテンツはまた、日本特有の現象でもある。ジェンダーバイアスや子供の権利問題にガンガン引っかかっていくようなロボット戦隊モノのアニメを子供向けに流し、それが批判なく好評をもって受け入れられ、一大産業を形作るのは、アメリカなど他の国では難しい。そもそも、個人の能力ではなくその力の大部分を機械に委ねて戦うあり方そのものが受け入れられ難い社会も多い。ジェンダーバイアスでいえば、少女を競馬の馬や艦船に置き換えて使役するゲームが爆発的にヒットするこの国ではもはや何も言うことはないが、乗組員と司令官が軒並み男性で、管制スタッフだけが女性という構図はよく問題にならないなと感心する。子供を戦わせるのは『ぼくらの』が一番壮絶だったのでそれに比べれば……という感じだが、それにしてもあんなに小さい子供がロボットに乗せられるのには抵抗を感じる。ポケモンデジモン遊戯王のように、より立場の弱い他の生物などに戦わせるのとはわけがちがう。せめて運転席を切り離して遠隔操作に……と思うが、まぁとにかくこれは日本では許されるが、他の文化圏ではなかなか渋いものがある。

 また、おもちゃ会社とゲーム会社とコンテンツ配信会社が連合を組むというのも日本特有ではないか。韓国や中国でもそのスタイルは出てきているかもしれないが、たとえばアメリカのディズニーがそういうことをやるとは考え難い。シンカリオンの場合、アニメ制作段階からおもちゃ適合を考えたデザインになっているのがすごい。

 いずれにせよ、こういう諸条件をクリアしたおかげで、シンカリオンというかなり特殊なコンテンツが出てきたんだな、という印象を受ける。現在の倫理的にどうとかよりも、これがこの総合性を保ったまま後世まで記憶され、その歴史的な価値を吟味されて欲しいと個人的には思ってしまう。