読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

伊豆急行線の8000系 〜全編成の写真収集を目指して〜

 (最終更新:2022/7/1)もともとこの記事は、「最近会った東急8000系ファミリー - 読んだ木」の一部として書き始めたものだったが、その後いろいろな編成の情報が集まってきたので、独立した記事としたもの。他に伊豆急関連記事として、伊豆急2100系のキンメ電車と黒船電車について書いた記事「伊豆急2100系 キンメ電車と黒船電車 - 読んだ木」、やってきたばかりの209系の写真「伊豆急下田駅留置中の209系(写真7枚) - 読んだ木」も。

 なお、単に編成表を見たいという人はWikipedia伊豆急8000系のページにあるのでそちらを参照されたい。東急と違って伊豆急は編成数が少なく、またヲチしている人数も多くないので、個人ブログよりWikiの方が早くて正確。Wikipedia嫌いだからリンクは貼らないけど。

 まえがき

 仕事で、伊豆急行線を使うことがあるのだが、ここでは東急8000系ファミリーが現役で走っている。そこで、メモがわりにぼちぼち写真を撮っている。一部、E257系の記録の添え物になっている写真もあるが、今回の話のメインは8000系である。

 伊豆急8000系について詳しいことが知りたいという人は、エゾゼミ電車区というブログ内のページ伊豆急8000系の解説 | エゾゼミ電車区に、その道の人によって東急時代の面影や編成ごと、車両ごとの特徴と写真がわかりやすくまとめられているので、参照されたい。

 僕は素人なので、そういった専門的なことは書かず、単に通勤途中で見かけた車両の写真を並べているだけである。ただ、車両の番号ぐらいは知りたいので、伊豆急の8000系の編成表はwikipediaの当該ページを、東急8000系の情報確認には鉄 この部屋というサイト東急8000系編成表のページや「東急電車形態研究」、果て無き車両図鑑東急電鉄-8000系のデータベース、東急8000系車歴一覧表 - Chokopy's Train-Pageなどを参照している。書いていくうちに、東急時代の写真がふんだんに収められたNegishi-asahidai Photo Laboratory - 根岸旭台写真研究所がんばれ!!東急8000系!!も参照するようになった。こういう個人ページが鉄道の特に系譜や歴史を確認する時に非常に参考になりありがたい。

 この記事を2021年5月の初めにアップして以来、徐々に書き足している。今後209系に取って代わられるという話もあり、実際先日伊豆高原まで209系がやってきたので、8000系の老い先も長くないだろう。せっかくなら全編成の記録を目指して頑張っていきたい。とはいえ、全車両記録しようと思うと15編成45両になってしまうので、まずは各編成から1両ずつ、余裕があれば両先頭車を記録していく、という形にしたい。通勤で使っているだけなので、わざわざ撮りに行ったりはしないから案外集まらないかもしれない。

TA編成(←伊豆急下田 Mc-M'-Tc 熱海→) 

TA-1編成 

伊豆急クモハ8157(元東急デハ8138)

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E257になった踊り子と並ぶクモハ8157

▲2021/4/22撮影

 こちらのTA-1編成、伊豆急クモハ8157は、1973年製の東急デハ8138を先頭車化改造したものだとウィキに書いてあるが、元から先頭車だったクハ8006となんら変わらない面持ちである。大きな違いは上部の通過標識灯(急行灯)がないこと、貫通扉の角が角丸ではないこと、側面のコルゲートが先頭部にはないこと、の三つだ。東急からの転入はこの形式の伊豆急譲渡の最終の時期に当たる2008年。

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▲2022年6月10日撮影

▲2022年10月28日撮影

伊豆急クハ8011

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▲2022年8月5日撮影

 

TA-2編成

伊豆急クモハ8151(元東急デハ8155) 

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▲2021/6/24撮影

 この車両は、 1980年に新製されて東急8035Fに組み込まれた電動車を先頭車化改造したもの。伊豆急8000系の中では非常に新しい車両だが、それゆえ車両更新工事を受けていない。なぜか貫通扉のラインのカラーリングが緑色になっている。

伊豆急クハ8012(元東急クハ8029)

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▲2021/6/24撮影

 1971年新製。クハ→クハで目立った改造がないため、オリジナルの面影をよく留めている。あまり関係ないことだが、1974年には大型補助電源の試作機が搭載されていたらしい(「「鉄道ピクトリアル 東京急行電鉄 1970」にクハ8029の試作SIV写真が掲載」)。

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▲2022年6月10日撮影

 

TA-3編成

伊豆急クモハ8153(元東急デハ8121)

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▲2021/7/8撮影

 1971年製。東横線の8021Fの中間電動車を先頭車化改造したもの。本編成は、ヘッドステッカーに掲げられている通り、伊豆半島ジオパークのプロモーションが車内で行われており、車内広告が全てジオパークに関する景観や施設の紹介となっている。

 以前、フォトコンテストの写真を車内に飾った「フォトトレイン」として運行されていた時の写真も出てきた。

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▲2011年3月28日撮影

 ステンレスが輝いていてやたら綺麗である。おそらく先頭化改造車は皆、最初はこんな風に新車然とした雰囲気を醸していたのだろう。

伊豆急クハ8013(元東急クハ8043)

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▲2021/7/8撮影

 東横線8000系の最終編成8043Fの渋谷方先頭車だった車両で、大井町線から来た伊豆急クモハ8252(元東急クハ8049)と同じ1974年製だ。こちらの方が数日ばかり古く、同じ編成の桜木町方先頭車だったクハ8044からの転入車伊豆急クハ8003と同じ時の出場である。8500系の8601Fに組み込まれていたこともあった(東急8000系ミニコラム)。ただこの記事にある通り、誘導無線は取り付けられず、更新時に貫通扉のボルトが撤去されたため、伊豆急クハ8014(元東急クハ8037)にあるような痕跡はない。

TA-4編成

伊豆急クモハ8154(元東急デハ8122)

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▲2021/7/8撮影

 1971年製。8021Fの中間電動車からの先頭車化改造車。

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▲2021/9/24撮影

 試運転幕をたまたま見かけたのでパシャリ。

伊豆急クハ8014(元東急クハ8037)

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▲2021/7/8撮影

 東急8037Fから来た1973年製の車両。これも一時期8500系の編成8621Fに中間車として組み込まれていた(東急8000系ミニコラム)。貫通扉の枠にボルトがあるのはその時ホロを取り付けた名残で、前面四端にある穴埋めは誘導無線の取付跡だろう。中間車改造車ではないのに前面に足をかけるところがないのは未更新車の特徴で、よく見ると前面下部の左右に飛び出た部分があり、これが足をかけるところになっているようだ。とはいえ、中間車改造車にはこのような足をかける場所は全くないので、伊豆急での管理上は不要なのだろう。

TA-5編成

伊豆急クモハ8155(元東急デハ8126)

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▲2022年4月15日撮影

 伊豆急クモハ8155は、2006年末に転入してきた先頭車改造電動車。種車である東急デハ8126は1971年製。この時まで知らなかったのだが、デハからの改造車には車椅子スペースの改造というこれまた地味な改造項目がある(伊豆急行8000系の車椅子スペース)らしいことを降りてから知り、折角乗車したのに確認しなかったことを悔いる。機会があれば確認してみたい。

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▲2022年8月5日撮影

 

伊豆急クハ8015(元東急クハ8023)

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▲2021/6/10撮影

 TA-5編成の伊豆急クハ8015。伊豆稲取駅での行き違いのときに、2100系R4編成の車内からパシャリ。東横線を走ってた東急8023Fのクハ8023、1971年新製車。2006年末に伊豆急転入。

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▲2022年4月15日撮影
 落ち着いた場所で改めて撮影。「北条義時生誕の地 伊豆半島」というヘッドマークステッカーが貼ってある。

TA-6編成

伊豆急クモハ8156(元東急デハ8132)

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▲2021/7/8撮影

 1972年製。3両編成への組成変更前の最後、2007年に入ってきた車両。

TA-7編成 

伊豆急クモハ8152(元東急デハ8723)

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伊豆急クハ8152

▲2021/6/3撮影

 TA-7編成の伊豆急クモハ8152。東急デハ8723の先頭車改造車である。また、この一両は伊豆急8000系では唯一8500系からの転入車で、製造年も1976年と新しい。東急田園都市線で2003年に保留車となり、2004年、他社譲渡に向けて、試作改造車として運転台設置改造を施す場合のプロトタイプとして改造された車両だった。2006年に伊豆急に入ってくる。(この辺りの動きは、「8500系 260/400の記録」内「8017Fのページ」を参考にした)

 先に、去年TA-7編成が歌舞伎ラッピングだったということに触れたが、この編成は2019年から無塗装編成として、ラッピング無し、スカート黒、というデザインで走っていて、時々そういった復刻ラッピングをやっているようだ。元中間電動車からの改造車なので、急行灯がなく、先頭部には側面のコルゲートがなく、塗装もラッピングもないと、全くののっぺらぼうという感じである。この無塗装自体、8000系初期を模したものといえるが、その頃の新玉川線には馴染みのない僕にとっては、むしろ日比谷線マッコウクジラこと営団3000系が想起される。現在は長野電鉄を走っているが、数年以内に引退するそうだ。そちらは東急8000系よりさらに10歳年上の1960年代に、1961年の日比谷線の部分開業とともに登場した形式である(全線開業は1964年)。日比谷線東京オリンピックに合わせて急いで建設された地下鉄であることが知られているが、1961年に全線開業したこの伊豆急行線西武グループとの競合があり、やはり急ピッチで建設され、相当の死亡者が出たことは絵本にまで書かれている(『ぼくの町に電車がきた』。知る限り唯一の、しかも結構詳しい伊豆急建設に関する絵本である)。時代の雰囲気といったものがあったのだろう。


▲2022/5/20撮影

伊豆急クハ8017(元東急クハ8015)


▲2022年5月20日撮影

 僕がみるときはいっつもTB編成とペアになってて正面から取れない熱海方の先頭車。クハ車をそのまま持ってきたもので無塗装だから、8000系の面影そのままである。あまり詳しくないのだが、東急電車の補助電源装置(消滅した機器) (w0s.jp)によれば、東急8000系の上り向き奇数車には補助電源装置として電動発電機(MG)が乗って(床下に設置されて)いるらしい。更新されていなければ、伊豆急はクハ8011-8017にはMGがぶら下がっているということか。コンプレッサー(CP)なら音でわかるが、MGは耳を澄ましてもどんな音かよくわからない。

 電動発電機というのは、電気の力で電気を発電するという、素人には謎の機械だ。なぜそんなものが必要かというと、直流の電気を交流にしなくてはならないからだ。電圧も変えなければいけない。東急や伊豆急などでは直流1500Vの電流でモーターを回し電車を走らせているが、この「直流」というのは、電子が電線などの伝導体の中を一方向に移動し続けるような電力だ。しかし、電車の室内の空調は、交流三相200Vの電気を使う。「交流」は電子が伝導体の中を行ったり来たりする電力だ。一方向に流れている奴らを、行ったり来たりするようにするためには、どこかで流れてきたものを受け止めてさばいてやらなくてはならない。

 インバーターというものが開発されてからは、そいつらを時間で区切って左のドアから入れて右のドアから出る、次は左のドアから入れて真ん中のドアから出る、右、中、右、中と順々にやることで、交流の電気が作り出せるようになった。しかし、昔は1500Vという大量の電子たちを行ったり来たりさせるようなインバーターはなかった。そこで、次のような方法をとった。まずだーっと流れてきた1500Vの電子たちにモーターを回させる。これは電車と同じだから、簡単だ。次に、その回転する力で発電する。発電するときに、磁石をうまい具合に並べておくことで、電気が流れるタイミングをずらすことができる。ずらしたところから別々に線を引けば、最初は左の線から、次は右の線から、左、右、左、右、という具合に交互に電気が流れて、交流の電気の出来上がりだ。最近(このパラグラフは2022年5月20日に書いている)、三角関数は勉強しなくてもいいという話で盛り上がっているそうだが、三角関数を勉強すればこうしたことは簡単にわかる。なんでも勉強はするに越したことはない。

TA-8編成

伊豆急クモハ8158(元東急デハ8136)

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▲2022年4月15日撮影

 巡り合わせの良くない編成というのがあるもので、このTA-8編成には何度乗っても出会えない。宇佐美の駅でたまたま向かいに止まっているのを見つけて、すれ違いざま根性で記録。双方の列車が発車したタイミングのためブレており、雨でボケており、さらに外が暗いので車内が映り込んでいるが、まずは撮るということが大事だ。東急デハ車からの改造なので、前面スッキリ、急行灯もステップも、何かの加工の後もない。スカートまで青いのはTB-1編成と同じで、TA-1編成を除く2008年導入車の特徴だ。
 種車のデハ8136は、8000系で最後まで東急に残った編成の一つで東横線でさよなら運転をした8017Fに組み込まれていた。来歴としては、1972年に新製されて8035Fに組み込まれ、76年に8620Fヘ、8両化のため1985年に8017Fへ組み込まれた。2022年で新製から半世紀を迎えることになる。

TB編成(←伊豆急下田 Tc-M'-Mc 熱海→) 

TB-1編成

伊豆急クハ8001(元東急クハ8012)

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▲2021/7/29撮影

 伊豆急8000系のトップナンバー、クハ8001。TB-1編成の下田方の先頭車。元東急クハ8012で、1970年新製の8011Fから、このシリーズの譲渡一番乗りで2005年に伊豆急へやってきた。

伊豆急クモハ8257(元東急クハ8017)

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▲2021/5/20撮影

 TB-1編成の伊豆急クモハ8257。先のクハ8001の反対側、熱海方の先頭車である。スカートまで青いのが特徴。東急クハ8017を動力化改造したもので、それゆえパンタグラフシングルアームとなっている。これも先の伊豆急クハ8157と同じく8000系転入の最終年である2008年に来た車だが、製造は1970年と相当のロートルである。これが組み込まれていた8017Fも歌舞伎塗装だったらしい。いまははじっこぐらしのキャラクターのようなものがラッピングされている。

TB-2編成

伊豆急クハ8002(元東急クハ8030)


▲2022年6月10日撮影

 1972年製。2005年1月、最初に伊豆急譲渡された8000系グループのうちの一両。

伊豆急クモハ8251(元東急クハ8035)

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▲2021年7月29日撮影

 東急クハ8035を伊豆急クハ8051に改造し、さらにそれを電動化改造した車両(クハ8051時代の写真が残されたブログ記事を発見→入線直後の伊豆急8000系 - Kereta dan Kucing)。中間車時代の痕跡と未更新の前面が特徴的。


▲2022年6月10日撮影


TB-3編成

伊豆急クモハ8253(元東急クハ8021)

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▲2012年3月7日撮影

 2012は2021のタイポではない。実に2012年の過去写真から引っ張り出し、さらに切り出してきたのがこの一枚だ。伊豆急50周年ステッカーを掲げたTB-3編成熱海方先頭車。元東急8021Fで、同編成のデハ2両も先頭車改造されて現在のTA-3編成、TA-4編成に組み入れられている。よく見ると、右側の窓の下部のステンレスが他の部分に比べて若干だが白っぽいことがわかるかもしれない。これは、2004年の人身事故で破損し、修復した跡だ。昔の東横線は(僕も数年間使っていたが)人身事故が多かったように思う。それも若い女性、高校生などの飛び込みだった。心の痛むことだ。今はそれほどでもない気がするし、ここ伊豆急では人身事故など起こらない。電車に飛び込みたくならないような世の中にしていきたいものだ。

TB-4編成

伊豆急クハ8004(元東急クハ8034)

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▲2021/5/20撮影

 東急クハ8034からの伊豆急クハ8004。1972年新製車。TB-4編成。これも伊豆急クハ8014(元東急クハ8037)と同様8500系に中間車として組み込まれていた(8618F)ことのある車両で、その痕跡が留められている。これも踏み板がないので未更新車か。

伊豆急クモハ8254(元東急クハ8033)

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▲2021/7/8撮影

 これも伊豆急クモハ8257(元東急クハ8017)同様、先頭車の電動化改造車で、シングルアームパンタが特徴的である。かつ、初めて8500系に中間車として組込改造されたもので、元クハ8034や元クハ8037と同じような改造跡がある。そして、踏み板のない未更新車。そうみてくると、心なしか薄汚れているようにも思えるが、これは雨が降っていたためだ。

 同車が、伊豆急50周年ステッカーを掲出していた頃の写真も出てきた。

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▲2011年3月28日撮影

 こちらはまだ綺麗だった。それでも、2006年末の入線から4年以上が経過している時点での写真。

(2022年4月15日追記)
 久々に乗ったらすごく綺麗になっていた。スカートの裾の鉄錆の飛びまでスッキリ。この日も雨だったけど。洗車明けかどうか、というだけのことのようだ。何年経っても錆びずに綺麗なのが、ステンレス車のいいところだと改めて実感。

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▲2022年4月15日撮影

TB-5編成

 伊豆急クハ8005(元東急クハ8024)

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▲2021/5/13撮影

 伊豆急クハ8005、TB-5編成。元は1971年新製の東急クハ8024で、それが組み込まれていた8023Fは歌舞伎色といわれる赤黒の縦帯が前面に入ったデザインだった。伊豆急にやってきた多くの先頭車は、歌舞伎色を経験してきているはずだ。僕も多摩川線の7700系にそのデザインの編成があって見たことがあるが、なかなか力強い印象だった。去年は、伊豆急8000系のTA-7編成も往時を再現した歌舞伎ラッピングだったらしい。

伊豆急クモハ8255(元東急クハ8025)

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伊豆急クモハ8255

▲2021/6/3撮影

 元東急クハ8025の電動改造車、伊豆急クモハ8255。1971年新製。


▲2022年5月20日撮影

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▲2022年8月5日撮影

 開業60周年のステッカーが貼られているとき。いくつかの編成に貼ってあるみたい。

TB-6編成

伊豆急クハ8006(元東急クハ8014)

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E257になった踊り子と並ぶクハ8006

▲2021/4/15撮影

 この伊豆急クハ8006、TB-6編成の下田方先頭車は、もと東急クハ8014、1970年製の車両だ。中間車改造車ではないが、なんとも無骨な前面である。2007年に、東急から転入してきた。 

伊豆急クモハ8256(元東急クハ8031)


▲2022年7月1日撮影

 1972年新製の車。電動化されているが、急行灯などは当時のまま。2007年に伊豆急へ導入。この時は開業60周年ステッカーが掲出されていた。

 

TB-7編成

伊豆急クハ8007(元東急クハ8016)

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▲2021/6/17撮影

 1970年製の車両。TA-7編成と同じくこちらの編成も無塗装無ラッピングとなっている。同編成の下田方先頭車であるクモハ8252は中間電動車の先頭車化改造車だが、こちらは元からクハなので急行灯など元の面影をそのままに残している。また、TA-7編成と異なりスカートの色は伊豆急の白っぽい灰色のままだ。

 ちなみに、過去の写真で無塗装になる前のものがあった。

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▲2017年6月10日撮影

 2100系R-3編成の1661M運用充当(伊豆急2100系 キンメ電車と黒船電車 - 読んだ木)と同所同日、要は2番線の2100系に対し3番線にいた編成を撮った写真である。3番線からの伊豆急下田行きもレアだったのかもしれない。

伊豆急クモハ8252(元東急クハ8049)

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▲2021/6/17撮影

 伊豆急クモハ8252は東急クハ8049の電動化改造車両。元の所属は東急8049F、伊豆急に来た車両の中では唯一の、大井町線用に使われていた編成からの改造譲渡車である。当初、地方私鉄への譲渡改造の試作車として、前に触れた現TA-7編成のクモハ8152(東急8500系デハ8723からの改造車)とペアの二両編成で出場し、伊豆急に導入されていた。本車両は新製も1974年と東急8000系の中では最も新しい部類に属し、1976年製のクモハ8152の次に新しい伊豆急8000系車両である。

 

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おまけ

おまけその1:8000系の車窓からみる伊豆諸島

 8000系の窓に貼ってある、車窓から眺められる伊豆諸島の案内図。片瀬白田から伊豆稲取の間の海岸線を走っている間には、車掌アナウンスでの音声案内もある。

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 晴れていてあまりガスが上がっていなければ、下の写真のように見える。左にある大きな島が伊豆大島、右にちょこんとあるのが利島。これは9時前後に撮った写真で、夏場だとこれより遅い時間には海からの水蒸気で水平線が白く曇り、見えなくなってしまう。冬場はもっとくっきり見える。

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おまけその2:8000系、どの車両に乗ると揺れにくい?

 熱海から伊豆急下田まで鈍行で移動しようと思ったら、電源もあり快適な2100系(リゾート21)に乗りたいところだ。伊豆急のサイトでリゾート21の時刻表を確認してうまく乗れればよいが、時間が合わなければ8000系に乗ることになる。

 8000系も、ボックスシートの椅子はとても快適である。リクライニングこそできないものの、椅子は西武鉄道の特急列車ニューレッドアローに使われていたものをそのまま使っており、ふかふかで前向きに座れる。

 ただ、カーブとポイント通過の多い伊豆急行線内、長く乗るならできれば揺れない車両に乗りたいところだ。揺れにくい車両はズバリ、6両編成時の下り伊豆急下田側から3両目の車両である。

 その理由を説明しよう。3両編成の伊豆急8000系を二つ連結して6両編成で運行する際には、下りの伊豆急下田側にTA編成、上りの伊東・熱海側にTB編成を連結してあることが多い(先頭車を重い電動車として衝突事故時の脱線を防いでいるのだろうか?それとも単に運転しやすいから?あるいはそういう組み方が多いというのも僕の思い込みかもしれない)。いずれにせよその場合、編成は(伊豆急下田)Mc-M'-Tc+Tc-M'-Mc(伊東・熱海)ということになる。つまり、3,4両目が無動力車になるのだ。電車は両先頭車より中間車の方が揺れにくい。さらに、モーターがついていない方が(モーターの振動が伝わらないので)揺れない。3,4両目どちらに乗ってもいいのだが、後ろ3両は伊豆高原で切り離されることがある。伊豆高原より先に行く場合は、前の編成に含まれる3号車に乗るのがよい。そういうわけで、6両編成時の下り伊豆急下田側から3両目の車両をおすすめする次第だ。

 

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車両ネタの記事では他に東急1000系の話→東急池上線 車両いろいろ、1000系いろいろ - 読んだ木東武30000系の話→東武30000系の思い出 - 読んだ木京急2100形・1000形の話→くるりの「赤い電車」の芸の細かさ - 読んだ木もどうぞ。