読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

コロナ明けの楽しみ

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前時代の暮らしの一コマを象徴する写真。中央の黄色い泡立った飲み物は、麦芽を発酵させたBīru (Beer)というアルコール飲料、隣にあるスナック菓子はO-Tsumamiと呼ばれる塩辛い米菓である。周囲に置かれた白いものはO-Te-Fuki (O-Shibori)、手を綺麗にするための濡れティッシュであるこのようなセットを、1時間分の時給と同じような金額で提供する「Izakaya」という飲食店が各地に存在した。そのような店でのアルコール摂取は、路上で昏倒する、駅で電車に轢かれる、車を運転して事故を起こす、異性を昏睡させてレイプする、感染症を拡大させる、などの行為を誘引することが知られており、大きな社会問題となっていた。しかし、いざ強権によってそのような店が皆閉店すると、それらの問題はIzakayaがなくても起こることが明らかになった。21世紀の人々の暮らしは、そのように辛く厳しいものであった。

 

 

コロナ禍の影響は甚大

 僕の生活圏におけるコロナ禍の影響というのは、明らかに甚大である。

 もっとも影響を受けているのは傍目に見ても飲食業で、職場周りにあったチェーンのカフェは4店舗中3店舗が閉店した。いつも使っていたパスタ屋、中華料理屋も閉店、僕の昼食の選択肢はガクッと減った。伝統ある居酒屋を含め居酒屋は何店舗閉店したか数え切れない。カラオケも2店舗閉店した。一つはほぼ一棟借りのような店舗だったのだが。ブームで5店舗ぐらい急に生まれたタピオカ屋も一つを残して閉店あるいは業態変更している。中島みゆきではないが、「みんなどこへ行った〜」と歌いたくなる(♪地上の星/中島みゆき)。

 飲食店の閉店の後に続いたのは、再開発ラッシュだ。コロナ前にあった大規模再開発だけではなく、むしろ居酒屋などが入っていた雑居ビルの再開発が目立つ。1年足らずの期間で、空き家になったビルが片っ端から解体され、更地になっていった。いま、どこも杭打ちや鉄筋コンクリートの流し込み、鉄筋の組み上げをやっているが、一部にはまだ更地のまま、下手すると廃墟ビルのままのところもある。不動産業、建設業は今も大層儲かっているのだろう。

 日本は先進国やOECD諸国に比べて遅れをとったとはいえ、後1年ぐらい今の状況を耐えれば、今の欧米のような経済回復が見込めるだろう。しかし、コロナ関連の経済政策が後手に回ったので産業へのダメージが大きく、欧米のように回復するための産業的基盤がなさそうだ。アメリカではいま人手不足が問題になっているが、それはコロナ後でも店が生きているからそこが採用をかけるためであって、日本のようにそもそも店がなくなっていたら人手不足になるほど求人も生まれない。

 

アメリカの雇用者増加を引っ張っているのは1月から雇用者が急激に右肩上がりとなっている外食産業、時給の上昇はレジャー産業が顕著である

 

 

 アメリカはいいよなぁ、と指を加えてみている余裕はない。コロナ明け、自由にしていいよと言われた時に、カフェもない飲み屋もないこの街でどう生きていくか、それにコロナ対応の諸々で手元の金も減っている状況で求人も少ないとなれば、どうしたらいいのか。これは日本に生きる身にとっては重大な問題である。

 

コロナ禍以前の僕の楽しみ

 そこで、何かコロナ明けの楽しみを今から用意しておこうと思う。まずは、コロナ禍でできなくなっていたこれまで自分が好きだったことをやりたい。それは、ヒトカラしたり、カフェでお茶をしたり、夜に居酒屋で飲み歩くということだったのではないかと思い当たる。しかしそれらは、コロナ明けとはいえすぐにはできないだろう。まぁカラオケやカフェはこんだけ閉店してしまったら、そもそも復活するまでに時間がかかるだろう。コロナが明けても、人出の戻りを地域ごとに見極めて、いい物件を見つけて融資をつけて設備を入れて、とやっていたらキリがない。外に飲みにいくことについては、感染云々ではなく、そういった行為が家族などに受け入れられなくなるかもしれない。飲み歩かなくても仕事ができることは証明されたのだから、前と同様に家にいて家事を手伝いなさい! ということに当然なる。大体夜中まで家に帰らず飲みまくってた時代がおかしいのであって、アメリカ西海岸とか、そもそも外で夜中まで飲んでる人、少なかったしな。みたいな出羽守も出てきそうだ。というか、コロナ禍以前はほんとにヒトカラ、カフェ、居酒屋が自分の楽しみの中心だったことがしみじみわかるな。前回趣味がない話(家族がいて働いていても、新しい趣味を見つけることはできるのか - 読んだ木)を書いたが、要はこの三つが自分の趣味といえば趣味だったわけだ。

 コロナ禍でできなくなっていたことは他にもあって、それは旅行や出張だ。旅行といっても大層なものではない、ちょっとした小旅行、国内の移動程度の話である。しかしちょっと生活圏を離れるだけで色々刺激はあるものだ。それが自分にとってなかなかいい気晴らしになっていた。仕事でも、何か調べたりつながりを作ったりするためには、やはり現場に行く必要が起こるのであって、出張したくなる。それが、コロナ禍ではできなかったり制限されたりしたため、仕事の効率は下がり、アウトプットは仕事だからしたものの、その質の低下は避けられないところであった。出張できるようになるまで先延ばししたプロジェクトなどもあり、これを再開したいものである。しかし、今度はその予算がない。プロジェクトが今年度で終わってしまうため、コロナ禍が収まる来年以降には、仕事がない。本当は去年今年で次の仕事の仕込みをするはずが、そういった理由でできなかったわけである。これは仕方ないものの、頭の痛い問題であって、いずれにせよコロナ明けすぐにスタートダッシュを切ることは叶わない。

 

コロナ明けの楽しみ

 そうすると、僕はコロナ明けの楽しみを、コロナ禍でできなくなっていたことではなく、まったく新しいことに求めなければならないようだ。ただ、趣味の話とは違って、もっと日常的、刹那的な事柄でよい。

 そもそも、コロナ明けたらできることってなんだろう。マスクをしなくても良くなるとかだろうか。僕は2回目接種から2週間経ったら速攻外したいのだけれども。マスクをつけなくても良くなるなら、それはコロナ明けの楽しみの一つになるな。

 

 コロナが明けて、しかもなんか自民党がまだ元気があって二階幹事長が権力を奮っていたら、Go to 施策が復活するかもしれない。実際、これがもっとも理想的なシナリオである。コロナ禍中に支援しなかったのは最悪だが、コロナ明けたら必ず飲食と観光業を支援しなければならず、そのためにGo toシリーズの施策はいいものである。やるタイミングが早過ぎたのが問題だった。五類に指定替えされたらGo toやる、その間は必ず支える、というような見通しでも出してくれればいいのだが。そういう施策がでれば、お金がなくても税金で支援してもらって旅行し、美味しいものが食べられる。最高だ。その税金を納めるべく、旅行から帰ってきたら頑張って働く。本当なら自分でお金を借りて遊んで働いて返す、というのが資本主義の理想だが、日本で生きていると個人で借り入れを増やすのはリスクが大きいので、国を介してお金を回すようになるのは仕方ない。経済政策ではなく文化的な、経済学用語で言えば非合理性を含む「行動」的な問題だ。

 コロナ明けは、低スキル労働者を吸収できる観光や飲食業、実店舗型小売業を活性化させ、さらに貧困に落ち込んでいる非正規雇用の男女、ひとり親家庭を救うためにお金をもっとばらまいて、国債問題をインフレで乗り越えていくという覚悟が必要だ。若者を貧困に落とし込み、公共事業を制限したことで需要を潰し、数十年が経つ。それでいて、日本は需要不足だとかいうが、笑止千万である。コロナでも同じことを繰り返しているが、同じ轍を踏んではいけないだろう。労働者は質の悪い中小企業者に抵抗し、自殺するのではなくブラック企業を見捨てて転職し、それにより賃金を上げなければいけない。アメリカでは人手不足で賃金がグングン上がっている。従業員を大切にしない経営者を保護する時代は終わりにして、労働者の賃金をあげよう。そうすれば、個人消費も上がり、税収だって増える。

 コロナ明けの楽しみは、まさにこれだ。賃金の上昇。コロナが明けたら急に経済が回りだし、そのギャップで人材不足が生じ、賃金が上がるかもしれない。

 いずれにしても、国の補助金か賃金の上昇でコロナ明けに旅行に行けるというのであれば、これは楽しみである。

 

コロナ明けの楽しみが裏切られる可能性

 テキサスの知人からは、東京はコロナ対策全然進んでないんだね、もうこっちではマスクつけてる人いないけどね、みたいな煽りを受けるほどで、コロナ禍の恐怖が消えればマスクは無くなりそうな気もするが、逆に、アジア圏では文化的に、マスクはワクチン打った後でもしばらくつけ続けそうな気がする。それに関連して、コロナ明け、つまりワクチンが行き渡って、感染者数が全国でもたいして問題にならないような人数になり、感染症の指定が二類から五類へと変更になったとき、改めて「シン・新しい生活様式」が提唱されるのではないか、ということを僕は危惧している。

 先にあげた自民党二階派的なシナリオも、現下の情勢と衆議院選挙が控えていることを鑑みれば、実際には実現しないだろう。逆に、最悪なシナリオは、コロナ明けに緊縮財政派が政権を握っていて、必要な財政支出をせず、終わったコロナ対応の言い訳作りに社会保障費にお金を投下し続けることだ。確かにコロナ後の病院経営の財政は相当悪くなっているところが多いと思うが、それはむしろコロナ禍を避けた長期療養者を抱えている民間病院との間で調整すべき予算的イシューであって、経済のカンフルにもならないのにさらに病院に金を注ぎ込むことはないのだが。そうすると、賃金も上がらないし、個人消費も増えないし、医者の発言が相変わらず珍重されて、病院を圧迫しないようにシン・新しい生活様式をやろう、という話になるだろう。

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▲新しい生活様式

 

 シン・新しい生活様式がどういうものになるかわからないが、現在の海外の事例に照らせば、結局は新しい生活様式と同じようなものになる気がする。これにマッチする楽しみといえば、ゲームしかない。任天堂スウィッチとか、スマホゲームとか、プレイステーションとかを買うのが良いかもしれない。僕は家庭用ゲームとしてはプレイステーション2しか持っていたことがなく、そのソフトときたら電車でゴー2だけであった。しかしどうもテレビゲームや携帯ゲームをする気にならないんだよな。ハードウェアを買うのも高いし。でもゲームを買うとなれば、何かはわからないが楽しみにはなる。

 あとはなんだろう、人に会わずに一人で楽しめるようなことだから、トレーニングとかだろうな。ただこれは既に多少はやっているから(リーズナブルで高機能な体重計(体組成計) - 読んだ木)、コロナ明けの楽しみにするにはいまいちだし、そもそもトレーニングはあまり楽しくない。

 まぁ、そうなれば、またこの愚痴っぽい感じのブログ記事を書き続けることになるかもしれない。それもまた人生か。