読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

ロシアにとっての「帝国の生命線」

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ドネツク駅舎とプラットフォーム(Wikipedia GPL, リンク

 VK(VKontakte、フコンタクテ、英語で言えばIn Contact)というロシアのSNSがある。

 僕はそこでロシア側の「客観的なニュース」と当地の人々の反応を見ているのだけれど、まんま「守れ満蒙 帝国の生命線」なんだよな。「守れドネツク ルーシの生命線」といったところか。

 自国ではないが自国の影響力が強く、武力で実質支配しており(外から見ると侵略)、本来その地域を統治する権利を持つ国家が統治を取り戻そうとすると逆に「侵略された」と判断して抵抗するが、諸外国からは当然さらなる武力侵攻と見做される……

 

帝国の生命線

 「守れ満蒙 帝国の生命線」というのは、1931年9月に発生した満洲事変、つまり日本の帝国陸軍中国東北部侵略に関する同年10月27日の、『東京日日新聞』(今の毎日新聞)に掲載された記事の見出しである。

www.lib.kobe-u.ac.jp

 当時「満洲」と呼ばれたこの地域は中国(中華民国)の領土であったが、地域に根ざす軍閥が実効支配しており、1928年に日本陸軍に爆殺されるまでは張作霖がその実質的なトップであり、その後長男の張学良が実力者となる。他方、中東鉄路(東清鉄道)沿線はそれを保有するソ連南満州鉄道(満鉄)沿線地域はそれを保有する日本の実質的統治下にあった。

 日本にとって、満鉄の沿線開発や現地の人々との取引は経済的な意義もあり、なによりソ連の南下を食い止めるためにその地域の支配権を持つことは重要と考えられていた(これも、NATOの東進を食い止めるためにドネツクを支配するロシアとオーバーラップする)。それが、「帝国の生命線」という表現になったのだ。

 

ロシアの立場

ria.ru

 例えば上のニュースは、ドネツク民共和国(DPR)にウクライナが攻めてきたので、DPRからロシア人がロシア国境を超えて隣接するロシアのロストフ州へ難民として逃げている、という内容。難民には1万ルーブルの支給が大統領令によって決められたというような記述もある。ウクライナが攻めてきたというよりロシアがウクライナをけしかけて散発的に砲撃を行なったりしているのだろう。実際、保育園に迫撃砲らしきものが打ち込まれた写真なども出回っている。毎晩爆発音を聞かされる住民に、そのニュースの真偽を判定することができようわけもない。ただ恐れながら避難するのである。

 簡単に比較はできないが、関東軍が自作自演で満鉄を爆破し、満州の日本人とその権益を守るという名目で錦州などを爆撃し、そこに「自治」的な国家建設を目指した歴史とオーバーラップする。当時の日本はそれにより、英米の支援を受けた中国との泥沼の戦争へと進んでいった。

 ロシアはどうか。欧米の支援を受けたウクライナとDPRの承認をめぐる戦争になるのか。欧米が一歩引いて、東部ウクライナの独立を認めるのか。あるいはロシアは、欧米が手をこまねいている間に、まさに北支へ、中原へと進出した日本のように、キエフまで侵攻して、「ルース」の起源を取り戻そうというのだろうか。

 逆に、米国が軍事支援に身を乗り出せば、今度は南シナ海の治安維持に不安が出てくる。日本が朝鮮侵略を行ったきっかけの一つは、清仏戦争で在朝鮮の清軍が手薄になったことだった。なんでも近代日本史との対比で解釈しようというのは乱暴だけれども、歴史から学べることもある。

 なんとか、ドネツクの独立承認、ウクライナNATO加盟拒否、対ロシア経済制裁、あたりで事態が解決とまではいかずとも膠着し、多くの人が死ぬような戦争にはならないで欲しいものである。なんでもベストよりベターだ。生きていれば浮かぶ瀬もある。

 

終戦争か絶滅か

 現地の人たちの生活が脅かされ、血が流されることは回避されて欲しいという気持ちは安易なセンチメンタルであろうか。それ以外の方法で問題が解決できたはずなのに、しかし政治的に武力を使う方へと流されてしまうという結果が毎度もたらされることも歴史の事実である。

 石原莞爾は、将来は強力すぎる武器による勢力均衡に至るとして「最終戦争論」を提示したが、現実のところ、人類は最終戦争より戦争による絶滅を選ぶだろうと思う。歴史を学んでもその展開を食い止めることはできないかもしれないが、少なくともその展開の可能性を予期しておくことはできるかもしれない。

 

yondaki.hatenadiary.jp

 

(追記:ロシアは3/15に欧州評議会から脱退したらしく、ネットでは「連盟よさらば!」「我が代表堂々退場す」が話題になっている。これは1933年2月25日の『東京朝日新聞』(今の朝日新聞)朝刊2面の見出し。)

(追記2:ゼレンスキーウクライナ大統領がアメリカでパールハーバーを引き合いに出して演説したとかでネットが盛り上がっている。ウクライナ侵攻の背景にあるのがクリミア併合と経済制裁なら、パールハーバーの背景には仏印進駐とABCD包囲網がある。僕は、歴史は相当の部分において偶然的に展開するものだと思っていたが、これほどまでに典型的なパターンが現れてくるのなら、その認識も変えねばならないだろう。)