読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

雑感(2022.3.1)

・ロシアの侵略は許されないが、欧米が世界的な安全保障に失敗していることは確かであろう。注目されるのは、長年マリを爆撃していたフランスが、この事態が進行する直前の2月17日に、マリから部隊を撤退させると発表していることだ。これは、アメリカの「テロとの戦い」と全く同一のロジックでマリに軍事介入していたものだ。アメリカのアフガニスタンイラク、フランスのマリでの戦争はいずれも失敗に終わったばかりでなく、歴史的に見れば大義なき一方的侵略と見做されうるものだ。他にもソマリア、シリアなど各地の紛争など、米国の軍事介入については枚挙にいとまがない。背景にあるアル=カーイダとの対立も、「テロ組織」などと言って「国」から線引きせず、やはり国連の場に導くべきものではないか。「テロ組織」という線引き自体の、帝国的論理がここにある。戦争がだめなら戦争はだめであり、戦争を回避するための努力を要するものなのだ。ドイツが軍事費を増やすなどと言っているのは完全な間違いだ。欧米諸国はロシアを非難しつつ、同時に強い自己批判、20世紀末の、つまり冷戦後の体制に対する自己批判を絶対にここでしなければいけない。これを機に21世紀の安全保障体制、もっと多くの人々を、「国」や「宗教」「人種」という枠組みよりも細かく降りていったところのさまざまな枠組みの人々を、対等な議論の場に招いて、よりよいあり方を考えていく体制に、移行しなければならない。「テロ組織」「反政府組織」「原理主義者」といった、「国」を上位に置く差別的呼称はやめ、「国」でないさまざまな団体の諸利害を、全球的に解決していこうという態度が必要だ。つまり「国」というものをより小さい枠組みで乗り越えることで、むしろより大きいネットワークに弁証法的に移行するということだ。色々書きたいことはあるが、しかしまずは現行の侵略戦争が止まってくれないと何も言えない。

 

・独裁者プーチンの暴走、という見取り図になってきている。晩年のやけくその打ち上げ花火、独裁者なら可能だということだ。こうなってくると中国は台湾どころではなくなって、むしろ北朝鮮の暴走をどう止めるかという話になってしまうだろう。日本としても、北朝鮮に核を持たせない、アジアの非核化とは言わんが核の管理を共同化していく枠組みを米韓と共に立ち上げるべきだ、などという名目で中国の動きを封じることができるようになる。日本を核武装せよという議論は、反米のロジックには使えるが、それ以外の国にとって、特に武力で現状変更を試みる国にとっては、彼らを利することにしかならない。岸田首相が非核三原則の厳守を、安倍元首相を通じて結果として表明する運びとなったのは非常によいことだ。

 

・かわいそうなのは、ウクライナ国民だけではない。ロシア国民も苦しみ、死んでいくだろう。死に軽重はない。VKで書かれていたものの一端を拾えば、たとえばEUとの貿易が制限されることで、医薬品が手に入らないという悲鳴。政策金利20%、ルーブルの価値半減の現状は、直ちにロシア国民の生活を崩壊させる。子どもや高齢者など弱い者から死んでいくだろう。国際社会は、ウクライナへの人道支援と共に、侵略をやめさせた上で、ロシアへの人道支援をする必要がある。その準備があることを、日本などは積極的に発信していくべきだろう。言論弾圧のもとで独裁者を支持する人々は、弱い立場にあるからこそ犯罪に加担してしまう、あるいはせざるを得なくなるのだ。言論弾圧を取り除き、人民に力を与えるための努力が必要だ。