読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

戦争の呼称について考える

北海道がロシアでなく日本なのも、歴史の偶然である

戦争の呼称の変化

 今般のロシアのウクライナ侵攻から始まった戦争について、現在では「ウクライナ戦争」という呼び方が通例のようだ(『ニューズウィーク日本版 3/8号 特集 総力特集ウクライナ戦争』『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』など)。しかし、より俯瞰的な視点から、「ロシア・ウクライナ戦争」という呼び方も徐々に浸透してきている。日本語ではまだWikipediaのページにはなっていないが、英語ではRusso-Ukrainian Warという項目が立ち、この表現がスタンダードになりつつある。

 ロシア・ウクライナ戦争という括りができたことで、2014年のいわゆる「クリミア紛争」からの一連の流れが、この括りに包含されることとなっていくかもしれない。今後歴史の中では、「クリミア紛争」は、今私たちが考えているような、クリミア半島にロシア軍扮する国籍表示のない謎の軍隊がやってきてそこを支配した、というような形ではなく、ロシア・ウクライナ戦争という21世紀のエポックメイキングな出来事の発端として説明されることとなる。

 このように、戦争をめぐる呼称が後から変わっていく例は、枚挙に遑がない。近代日本で言えば、当初満州事変支那事変と呼び習わしていた1930年代の中国侵略戦争は、その後に日中戦争という括りで捉えられ、さらにアジア・太平洋戦争と共に十五年戦争という括りに納められることになった。しかし、当時の日本人に中国と戦争しているという感覚はない。共に西洋に対抗しうる大国を作るために働いているはずなのに、中国政府が協力してくれない、という程度の認識だ。歴史的な視線というのは、同時代に生きる人の視線とは大きく違う。

日清・日露戦争は韓国独立戦争ではないか

 さらに言えば、まだ呼称や括り方が正確でないと思われる戦争もある。日清・日露戦争だ。日清戦争朝鮮半島で始まった戦争で、その目的も李氏朝鮮に対する支配権、より正確に言えば軍事的影響力の行使権をめぐる戦争であった。日清というが、開戦しはじめ戦場となったのは朝鮮半島だ。清で戦場となったのは遼東半島から瀋陽までの地域と台湾だが、清の領土からすれば一部である。加えて言えば、台湾は朝鮮をめぐる戦争とは異なる目的で、異なる相手と戦われており(乙未戦争)、そもそも両者を日清戦争として一括りにできない部分がある。日露戦争も同じで、日露戦争の主戦場が遼東半島日本海という、朝鮮半島の両端で行われたのは(もちろん半島内での交戦や進軍もあった)、朝鮮半島の支配権をめぐる戦いであったからに他ならない。そしてその結果が大韓帝国保護国化であり、その後の植民地化である。

 日清戦争でも清は国が揺らいだというわけではなく、むしろ辛亥革命までその命脈を保っていくことになる。日露戦争では、ロシアは三国干渉で日本から奪った地を清に返さず日本に譲ったというだけで、戦争自体のダメージはあったが、それで国のあり方が大きく変わったというわけではない。日清・日露戦争で大きく変わったのは李氏朝鮮大韓帝国)であって、この二つの戦争によって清の従属国から日本の植民地へと変わったのである。しかも、その間には独立国となる時期もあり、日本とも交戦したのだから、日清・日露戦争を包括して朝鮮戦争と言ってもいいぐらいだと思う。あまり近代韓国史に詳しくないため、具体的なことはわからないが、韓国が清と日本との間で、のちにはロシアと日本との間で、どちらと組むかを悩み続けたのは、あくまで韓国の独立のためであった。日清戦争の開始は東学農民運動が盛り上がっている最中のことであった。だとすれば、この前後の事象も含めて韓国独立戦争と括り、その中の日清戦争日露戦争、と捉え返すこともできる。もちろん、日本の人々はこれに反対するだろう。日本における両戦争の位置付けは、あくまで小国日本が周辺の大国と小規模の戦争を繰り返して帝国化していくプロセスと見做されているからだ。しかし、世界史的に見れば、日本が清やロシアと戦ったことよりも、独立を目指した韓国が東アジア情勢のキャスティングボードを握っていた、という解釈の方がわかりやすい。

韓国独立戦争という括りの意義

 この解釈に立つと、日本の位置付けは、ある意味では肯定的になっていく部分もある。というのも、韓国の次にナショナリズムを高め、独立を志向していくのは中華民国である。そして、その両者を近代化の側から陰に陽に支援したのが日本だ、という構図が世界史的にも位置付けられるからだ。政治経済だけでなく、軍隊に至るまで、日本は20世紀前半を通じてずっと、両国に影響を与え続けていたと言っても過言ではない。孫文を支援し高宗を支援し朝鮮半島中国東北部を工業化したのは日本であった。

 そして、そのために現地の人々を強制労働に駆り出し、土地を奪い、その血と汗の結晶を我がものとしてその地の人々から奪い取ったのも日本であった。これはもちろん歴史の過ちとして反省するべきことだが、歴史の事象としては物事の両面である。独立させて、しかし奪わないという方法は、「金を貸す」という穏健あるいは陰険なアメリカ的方法が実現するまでは選択肢としてなかったのであった。そこには侵略があるのみであった。今、日本が韓国の独立と近代化を支援した、「満洲」を工業化した、などと無前提に言えば大バッシングだが、世界史、あるいは東アジア史の中で、韓国独立戦争があり、辛亥革命があるという時代に、日本が果たした役割は、という枕詞であれば、その見方はむしろ肯定的になっていくだろう。それがいいことか悪いことかは、その受け手の当事者性によって異なる。

 話を戻せば、ロシア・ウクライナ戦争は、まだ歴史になっていない、現在進行形の事態である。ということは、それがさらに大きな、別の括りの中に位置付けられる可能性も残っているということだ。独立するものは、ウクライナという国だけではないかもしれないし、あるいは何かが決定的に損なわれることもあるだろう。歴史研究は興味深いが、歴史を生きることはあまり楽しいことではない。