読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

コロナは続くよどこまでも

続くのは線路だけでいいよほんとにもう

 さて、また下の子が登園不可です。

 土日を挟んで月曜に陽性が発覚した人が5人以上出たので、学級閉鎖。

 

 これまでの流れを振り返ると(コロナ大変シリーズ - 読んだ木)、

 2020年は、4, 5, 7, 8月登園できず。

 2021年は、4-7月が断続的に登園不可(感染症と休園に苦しむ親たち - 読んだ木)。

 2022年は、1-3月が断続的に登園不可(今、子育て世帯がどのように苦しんでいるか - 読んだ木)、6月にコロナ感染してほぼ登園不可(新型コロナ感染、40度発熱 - 読んだ木)、これに8月頭が加わった形だ。7月もぽつぽつ休んでいるので、2022年は4-5月しか平和な月がなかった。

 まぁ今回はほんの数日という形で、もはや普通の発熱の休みと変わらないのだが、変なところに祝日があって貴重な登園日が削られている(追記:追加の陽性者があって学級閉鎖が長引き、そのまま土日に突入した)。しかも3人目が生まれたばかり、寝なければならない産婦と新生児がいる同じ家で、元気な子供をなだめすかしつつ騒がないように楽しませて1日をやり過ごすのは楽ではない。

 そして相変わらず仕事はできない。仕事ができないのは、そもそも子供がいるのがいけないのだが、子供がいると仕事ができないから生きていけない、それでいいのかと自問自答する。子育て罰とはよく言ったものである。個々人の苦しみは個々に特殊なものだが、子供がいなければ人生は一人分で済み、より楽である。

 

 ちなみに別の区のある友達の保育園は、保育者に感染が広がって子供を受け入れられず、丸々休園しているそうな。友達は遠く離れた実家に帰ってリモートで仕事をしているらしい。うちの園も2021年の春にそんなことが起きた。またあんなことになって半月休園されたりしようものなら目も当てられない。

 

 子育てしながらほどほどに働いて楽しく生きていられる世界線はないかな、と思うけれども、そんな世界線は人類の世界に未だかつて登場したことがない。むしろ保育園があるだけで今の日本は本当にありがたい。昔の人が結婚をせず子供を作らない人を白眼視していたのは、それだけ子供を作る人に不利な社会だったからだろう。皆、子供を作らないとリタイアできないから泣く泣く子供を作って苦しみながら育て、そして子供のお陰でリタイアできたのである。今は子供がいなくても老後の心配はない。年金に社会保険介護保険さまさまだ。

 今日、その意味で子供を作るのは非合理な選択だが、なぜそんなことを選択するのか。僕の場合は当初、自分の好奇心と社会的価値観に屈し、あるいはそれに迎合したのである。弁明の余地もない。そのお陰で、社会的価値観に適合できる人間になったことは、良くも悪くも僕の変化である。2人目以降は、自分の楽しみのために作っているという気もする。平塚らいてうが「他愛的生活」とか言っていたと思うが、そういう共に生きる喜びみたいなものがあるのだ。もっと多くの人と家族のように暮らしたいと思うが、そう思う人は多くないだろうから、なかなか難しい。この、共に生きることの苦悩即幸福というような感情は、どうも名状し難い。経験したことのない人に伝えられる気がしない。それに、他人に説いて普遍化できる感情だとも思えない、個人的なものだ。

 

 とはいえ、コロナでいつもいつも計画が崩されたり、仕事が予期せず停滞させられたりするのは本当にかなわない。だからどうしろというのではなく、この苦しみを誰かに共感してもらい、なぐさめてもらいたい、そしてよく頑張っているねぇと励ましてもらいたいという、その一心である。そしてもちろん、同じ境遇にある人々に、その労いの言葉を向けたいと思って、つらつら記事を書いているのだ。