読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

梅、桜、山吹——春の花を詠んだ歌

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 東京は、桜が咲き始めた。

 咲き始めだが、結構勢いよく咲いている。今週は晴天が続くから、三分くらいまで咲いていくかもしれない。

 春は嫌いだと散々言っているが、今年はコロナで普段からマスクをするようになったおかげか、花粉症の症状が軽くて助かっている。桜が咲くと、嬉しいというより、なんとなくほっとした気持ちになる。今年もようやく春を迎えられたか、という安堵である。それは、ろくなことがない年度末の終わりのしるし、ということでもあるかもしれない。とはいえ、今年度もまだ半月残ってはいるのだが。

 

 

2月の梅

湯島天神の梅

 桜を見る2ヶ月前。ただでさえ年度末で忙しく、なのに平日の少ない2月に、また祝日ができたことに辟易していた。しかし、休みなものは仕方ない。子供を連れてどこへ行くか思案する。

 2月といえば梅の花梅の花といえば湯島天神だ。というわけで、湯島天神の梅を見てきた。

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鶯宿梅の故事

 それほどアクティブではなく、さらにコロナで籠りがちな僕といえども、こういう花を前にすると写真を撮ってしまうものらしい。梅とか桜とかという花は、千年以上前から、人の想像力をずいぶん駆り立ててきたものだ。

 梅といえば、鶯宿梅の歌を思い出す。「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」だ。天皇の勅で父紀貫之の形見である梅の木を御所に持っていかれてしまった紀内侍が読んだ歌である。経緯は、次のようなものだ。天皇が「梅枯れたw新しい梅ヨロw」っていうんでスタッフが(単芝うざ……)と思いながら京都の街を探してたらいけてる梅があったんで、その家の主に「天皇の命なんでサーセンwww」つって引っこ抜いて持ってきた。この歌はその梅の木にくくりつけてあったもので、「オメーは天皇だから喜んでこの梅くれてやっけど、俺は別にいいけど、ぜんぜん名残惜しくなんかないけど、でも春になるとこの梅に帰ってくるウグイスちゃんがいるんだよなー(チラッチラッ」という意味である。そんで天皇が、「えっこんな歌かけるのやばたにえんじゃん、これ書いたの誰かググるわ」っつって調べてみたらかの紀貫之の娘紀内侍だということがわかる。まじかーとなった天皇は粋なところを見せて、「えっ、まぁ別に紀内侍が父の紀貫之を慕う気持ちとか、朕は天皇だから全然気にしないけど、でもウグイスちゃんが帰ってくるんじゃなー、まぁウグイスちゃんのためなら返してやらないこともないけどなー(チラッチラッ」ってして梅を返してあげた。スタッフのデューデリの甘さが招いた悲劇である。悲しかったのは2回も引っこ抜かれた梅の木だけど。梅的には「ぶっちゃけ御所の方がいい土だしいけてる庭師だし戻りたくなかったなー」とか思ってたりして。

 ▼鶯宿梅の故事は大鏡に出ている

大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)

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  • 作者:保坂 弘司
  • 発売日: 1981/01/07
  • メディア: 文庫
 

 

 ▼鶯宿梅っていう梅の木があるらしく、さらにはそのブランドの梅酒があるらしい。亡き人を忍ばせるちょっと切ない味がするのかな

 

桜と百人一首

 さて、冒頭に戻って桜の話。

 桜といえば、百人一首にも選ばれたこの歌。「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」。紫式部がやるはずだった奈良から来た桜を受け取る役目を譲られて、それを果たした伊勢大輔が、藤原道長に無茶振りされて詠んだ歌。古くからの奈良の都が、一際栄えてますよ、的な意味を歌に乗せたってことらしい。まぁそれは、むしろ道長の周りにいたおっさんたちの解釈で、伊勢は「七重八重、今日九重で明日十二単」ってノリで読んだんじゃないか。その軽いノリが逆にいいって気がするけど。当意即妙な感じがする。多分これ、音の方が大事なんじゃない? 平安時代の日本語の発音ってよくわかんないけど。nとかmが多くてもっちゃもっちゃした感じになりそう。

 ▼百人一首とか花札といえば任天堂だよね

任天堂 百人一首 舞扇

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  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

山吹を詠んだ歌

 七重八重といえば、山吹を詠んだこの歌も有名だ。「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき」。兼明親王の詠んだ歌で、山吹の花ってのは七重八重に咲くのに、実は一つもないんだよナァ……という歌に乗せて、うちには「蓑(みの)」ひとつもないっす、ってことを伝えている。なんでこの歌が有名かっていうと、太田道灌の逸話によるものなのよね。東京って今は世界に名だたる大都会だけど、昔は単に沼地だった。そこにはじめて城を構えて開発したのが太田道灌つーひとで。太田さんも、まさかこんな大都会になるたぁ思ってなかっただろう。しかもそこに天皇が移り住んでくるたぁね。で、その逸話ってのは、太田さんがあるとき歩いていたらにわか雨が降ってきて、ちょうど折りたたみ傘とかの持ち合わせがなかったので近くの農家に立ち寄って、おいちょっと蓑ッ!つって蓑を借りようとしたら、中にいた女の子がはいっつって山吹の花をくれて、それっきり。道灌だけにどっかんどっかん怒りながら帰ってきたら、部下に「おめーそりゃ例の超絶有名の誰でも知ってるあの歌をもじって山吹をくれたんだろ(プゲラ」って言われて、太田さんはまじ悔しくて歌を勉強したそうな。つかどっちかっていうと15世紀にそんな歌知ってる農家の少女がやばい。どこで学んだんだよ。

 ▼元の歌は後拾遺和歌集に入ってるよ 

後拾遺和歌集 (岩波文庫)

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  • 発売日: 2019/09/19
  • メディア: 文庫
 

 

  花の色は移りにけりないたづらに、というわけで、ひと月も経てば桜はもう全て散り果せているのだろう。自分は変わらないように思うが、花が咲いて散るのと同じだけ時間は過ぎているのだ。あな恐ろしや。

 

番外:花より団子

 湯島天神の梅を見に行った話を書いたが、梅を楽しんだのは大人だけ。子供達は花より団子だ。桃の節句を間近に控え、どこの和菓子屋でも道明寺もとい桜餅を売り出し始めている。(僕は長命寺を桜餅として食べることはない)

 湯島天神に行ったときに立ち寄る和菓子屋には、二つの選択肢がある。

 一つは、天神下の交差点にある「つる瀬」。つる瀬に行ったら必ず食べるのは「福梅」だ。柔らかくてもちもちした皮に白梅あんが包まれた、ピンクの梅の花の形のお菓子である。鹿の子や明烏も美味しい。ちょっとどれも、甘すぎる食べ物だから、苦いお茶と一緒にいただくのが良い。

 でも、今日は子供が食べるものだし、あまり甘すぎないほうがいい。ベビーカーだったから、天神下交差点の近くから上がる男坂・女坂ではなく、南側の湯島中坂からアクセスするため、わざわざ人通りの多い春日通りに出たくない(「つる瀬」のある天神下交差点は春日通りにある交差点)。そこで、上野広小路の南、黒門小学校そばにある「うさぎや」に行ってどら焼きを買うことにした。

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 うさぎやのどら焼きは、浅草亀十のどらやきと対をなす有名な銘菓だ。甘すぎない優しい味わいがいい。どら焼き二つと道明寺、草餅もおまけで買って帰宅した。

 

 どら焼き一個を子供たちで分け合い、親たちはもう一つのどら焼きを半分こしてさらに道明寺か草餅を食べる、という算段であった。ところがどっこい、卓に菓子を並べ、お茶を淹れている間に、上の子が目にまとまらぬ速さで道明寺とどら焼き一個を平げ、さらに草餅を齧ったうえに二つ目のどら焼きを食べ始めている。

 親はしばし呆気に取られていたが、子供も流石に悪いと思ったのか、食べかけのどら焼きを僕に、ちぎれた草餅を相方に渡して退散した。あゝ無常。われわれは怒る気力も湧かず、めいめいあてがわれた残りの菓子をゆっくりと味わったのであった。いつかリベンジして再びどら焼きを食べにいくぞ。いや、しかし親だけで行って福梅を食べるのもいいな……そうか、大人だけなら両方食べるという手もあるな。大人というのは悪いものである。