読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

関東鉄道DD502の思い出

水海道駅1番線に停車するDD502

実家を整理していたら、関東鉄道DD502の写真が出てきた。
日付は2002年10月14日、つまり鉄道の日の写真だ。

 

関鉄の鉄道の日のイベントはだいたい9月末ごろの土日に開催されていて、この日、関鉄では特にイベントがなかったのだが、まだ小学生か中学生ぐらいの僕は、なにを勘違いしたのか父に頼み水海道駅へ行ったのだった。

当然、水海道駅では何も行われておらず、一人の鉄道オタクも鉄道好きの子供も来ていなかった。それどころか、列車を待つ一人の乗客もいなかった。高速バス全盛期で、つくばエクスプレス開業前の、常総線のいつもの風景だった。僕は、ガランとしたホームに立ちすくんだ。

そんな僕を不憫に思った職員の方が、わざわざ車庫からこれ、つまりDD502を引っ張り出してくれて、僕は一人で独占して写真を撮らせてもらったのだった。いまでも僕は、本当にそんなことがあったのか? もともとDD502を水海道まで機回ししてくるダイヤがあったのではないか? と疑る気持ちがあるのだが、しかし僕の記憶ではそういうことである。

もし本当に、予定になかったのにDD502を僕一人のために回してきてくれたのだとすれば、本当に有り難く申し訳ないし、またずいぶん大らかな時代だったのだと思わずにはいられない。当時を知る人もまだ水海道にいるだろうから、真実のほどをきいてみたいものだ。

 

* * *

 

これが入線時の写真だ。水海道2番線から信号場方面をみたものである。今より空が広い感じがする。そういえば、昔は普通列車も信号場で一旦停止していた。

DD502は単機ではなく、2両編成のキハ300形の廃車体を牽いてきた。窓が一部抜けるなど、かなりボロボロだった記憶がある。車番まではわからない。いまも1編成、水海道車両基地の工場2番線のあたりに、さび付いたキハ300形が置いてあるようだが、僕にとっては常総線の象徴のような存在なので、ぜひ何か保存してもらえたらうれしいものだ。

水海道駅1番線に入線するDD502+キハ300

一旦1番線に止まったDD502牽引のキハ300形は、下り方本線へ出て、折り返して水海道駅の留置線へ入った。というのも、後退で走ってきたので、このままだと正面が見えないから、キハ300形を切り離してきて正面が見えるようにしてあげよう、というわけである。なんというサービス精神だろう!

水海道駅の留置線にてDD502+廃車体の300形。ところどころ窓が抜けているのがわかる。

 

キハ300形は留置線で切り離してそこに置きっぱなしにされた。DD502は下り方の本線で折り返して1番線へ戻ってくる。

そして、冒頭の写真だ。これは単なるDD502の写真ではない。僕の記憶が正しければ、機関士さんが僕を運転席に載せてくれたところを、僕の父か誰かが写真に撮ってくれたものである。僕はところが、興奮というか、恐縮と緊張で十分に楽しめなかった。返す返すも惜しい気持ちである。もっと機器類などじっくり眺めて、なんなら写真を撮って、せめてベタベタ触っておけばよかったと思う。

水海道駅1番線のDD502

ここまでの写真を見てもわかるように、水海道駅1番線には誰もいない。それでDD502をここに置いて僕に写真を撮らせてくれているのだから、やはりこれは僕のための、あまりに気前のいい水海道の皆さんのサービスだったとしか考えられない。なんという貴重な経験だろう! いまになってそのことを深く感じ入っても仕方がないのだが。

そうしているうちに、水海道行きの下り列車が駅の手前の停止信号で待ちぼうけを喰らっていたらしい。ダイヤ上にない機関車が1番線を塞いでいたからである。運転士が駅事務室に怒りの無線を入れた。機関車はすぐ動かせないので、駅員は2番線を開通させて到着させた。後ろにはホキと、廃車体のキハ300形が見える。

水海道駅1番線のDD502と2番線の2100形

まだフィルムで撮影していた時代だ。それでもこんなにパシャパシャ撮っていたのだから、やはり相当の興奮があったのだろう。改めて、水海道駅車両基地の皆さんに感謝したい。

 

* * *

 

この経験は、やはり僕に強い印象をもたらしたといえる。

僕は中学生の時の職業体験先として関東鉄道を選んだ。これがまた贅沢な職業体験で、1日は水海道車両基地の見学、1日は新守谷駅の1日駅員体験で、後者には新守谷駅3番線入線ポイント切り替え体験が含まれていた。駅に備え付けられている連動制御盤のスイッチをひねるだけだが、ひねるとポイントが切り替わり、信号が切り替わる。ドキドキの体験だ。朝6時台に4両編成のキハ300形が始発で発車していったこの3番線も、今は廃線となってしまった。つくばエクスプレス開業を数年後に控えた時期で、駅員さんへのインタビューで、せめて守谷までの直流電化はしないのか、とか、TXが開通したら取手まで乗り通す人が減って廃線になってしまうのではないか、とか、まぁ中学生らしい阿呆なことを色々と聞いた記憶がある。

また、「総合」の時間の自由研究でも関東鉄道の乗客サービスを研究した。確か交通バリアフリー法の制定直後だったのだと思う。今でも覚えているが、その時に僕が指摘したのはホームと車両ドアの間の段差の大きさの解消であった。僕の研究とは関係なく、10年後ぐらいにホームのかさ上げが行われた。スロープもついた。

さらに、大学時代に就職活動をやろうとしたとき、僕は密かに関東鉄道に電話を掛けていた。というのも、その年は採用がなかったからである。直接コンタクトを取れば、なにか採用の道があるのではないか、と思ったのだった。電話を取ってくれた女性社員は困った声で、「今はうち採用してないかんねぇ」といい、僕もすごすごと引き下がったのであった。

 

それから10年以上が経った。実家に帰るとき、久々に取手から常総線に乗ったが、乗客の多さに驚いた。取手を発車するときには席が全部埋まっていて、立ち客がちらほらいるほどだ。守谷まで入れ替わりがあるが、しかし守谷へ行く客も乗ってくるので乗客が減るわけでもない。守谷に着いてようやく席が空いたけれども、そこからベビーカーで乗車する人などもいて、この地域の人口増加を思わせた。TXの開通で、関鉄はむしろ利用が底打ちして増加に転じているようだ。

関東鉄道は1両編成で20分に1本、というと非常なローカル線のようだが、20分に1本であればそれほど不便ではない。路線バスと同じようなものだと思えばよいのである。バスより速く、渋滞はないので絶対に遅れず、取手〜水海道間であれば取手か守谷のどちらかには10分以内に出られる。取手から上野、守谷から秋葉原はどちらも40分前後で始発も多い。東京の西側で言えば、所沢駅町田駅までバスで10分のところに住む、というのが、関東鉄道常総線の沿線に住む、というのと同義である。都会の空気に擦れた西側に比べれば、田園都市の趣深い旧北相馬郡の地域の方がよっぽど住みやすいように思う。これは地元びいきであるが。

昔は2両、ラッシュ時は4両編成で、守谷から取手まで30分くらいかかり、昼間は30分近く来ない時間帯もあったように思う。その頃に比べれば、だいぶ便利になった。

 

* * *

 

最後におまけで小絹駅で撮ったキハ300形とキハ310形。前者はもうなく、後者もまもなく引退とのことだが、この二つが僕の関鉄のイメージだった。

小絹駅にて(2002年秋)

 

 

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