読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

きいろいみかんがなっている

 鉄道とみかんと、あと絵本の話を少し。

 

みかんと185系踊り子号

 僕が普段使っているカレンダーは、雑誌『鉄道ファン』の付録のものである。それを手に入れるために、毎年1月号が出ると買っていることを、前に書いた(高千穂鉄道と推理小説 - 読んだ木)。*1

 もう少しいうと、僕はカレンダーを二つ使っていて、現在の月を表示するカレンダーは別にあり、『鉄道ファン』付録カレンダーは翌月を表示している。さらにそのカレンダーの右上には次の月まで書いてあるので、翌々月まで、つまり3ヶ月分を一覧できて、大変便利である。

 今使っているのは、これの付録のカレンダーだ。

鉄道ファン 2021年 01 月号 [雑誌]

鉄道ファン 2021年 01 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/11/20
  • メディア: 雑誌
 

 

 で、1ヶ月先を表示しているので、現在は3月のカレンダーである。

 その写真がたまらない。この3月で定期運用からは離脱し、まもなく見ることができなくなる185系の特急踊り子号が、東海道線の早川−根府川間にある玉川橋梁を渡るシーンを捉えた一枚である。橋梁の奥にはちらりと、鈴廣かまぼこ石橋店の瓦屋根も見えるが、橋梁と列車は右下に小さく配されており、画面の3分の2を占めるのは紺碧の海と春霞を思わせる空だ。しかし、よく絞ることでそれらの明るさを抑えて、右下に小さく写っているだけの185系にピントを合わせ、春の明るい日差しを生かした速いシャッタースピードでかっちりと止めつつ、車体のクリーム色をぼかすこともくすませることもなく印象的に浮かび上がらせている。しかし、何よりこの写真でインパクトがあるのは、画面の残りの3分の1が、実のたわわになったみかんの木で占められていることだ。宝寿寺の裏手のみかん畑から撮影したのだろう。3月だから、品種は湘南ゴールドだろうか。みかんの実のだいだい色と、その葉っぱの緑濃色が、まさに湘南色を象徴している。

 

みかん、あるいは湘南色と絵本の思い出

 

 湘南色がみかん色と緑濃色の組み合わせになったのは、元から計画されていたものではなく、偶然の産物だそうだ。その経緯はともかくとしても、最初に80系が湘南色をまとって登場した時から、湘南色といえば沿線のみかんの葉と実の色だということになっている。ただ、この写真の、青い海、黄色いみかん、緑の帯の踊り子号を見たら、思い出さずにはいられない絵本がある。それは、1984年版の小学館の保育絵本『とっきゅうでんしゃ』だ。

 古くて画像も出ないのが残念だが、表紙が100系新幹線で裏表紙が名鉄パノラマカーである。

 その最後のページは、次のようになっている。

 

あおいうみが みえてきた

きいろいみかんも なっている

みどりのおびの おどりこごう

はしれ はしれ

 

 まさにこの写真そのものの情景ではないか。挿絵もみかん畑をバックに波打ち際を走るクラシックなストライプ帯の185系踊り子号である。ひょっとしたら、この写真を撮ったカメラマンが僕と同世代で同じ絵本を読んだか、僕の親の世代で子供に読み聞かせていたのではないかと邪推したくなるほどだ。そう思って検索したら、カメラマンの藪下茂樹氏が『鉄道ピクトリアル』2020年10月号に185系踊り子号について何か書いているらしいので、後で図書館にでも行って確認しよう。

 この『とっきゅうでんしゃ』は子どもの頃のバイブルのような絵本だった。最初が651系スーパーひたちで、そのフォルムに魅了されたものだ。写真ではなく絵本なのが良いところで、写真だとありえない構図で、特急列車そのものと、それが走っている地域の風景の特色やアイコン、交差する鉄道路線などを上手くデフォルメしてある。

 自分の子供向けにもそういう絵本がないかなと思ってたところ、見つけたのがこれ。 

 

 『まどあけずかん のりもの』(小学館の図鑑NEO)である。この本は、『とっきゅうでんしゃ』のように電車の走行シーンをクローズアップするものではなく、空港や駅、港湾や都市など、乗り物の登場する環境をアイソメトリックにイラスト化して解説するものだ。幼児向けのため紙が厚紙で、いくら読んでも破れない。窓あけ図鑑になっているので、エンターテイメント性がある。また、情報量も多い。そういうわけで、我が家では結構子供に評判がよく、『のりもの』のほかに『いきもの』『きょうりゅう』『こんちゅう』が揃うことになった。乗り物については見ないでもわかるとたかを括っていたが案外知らない乗り物などもあり、生き物(動物だけでなく魚や虫なども出てくる)や恐竜などは、親の自分が初めて知ることも多くて勉強になる。

 ただ、やっぱり『とっきゅうでんしゃ』のように見開き全面で特急が走り込んでくるような絵のほうが僕は好きだ。実は、『とっきゅうでんしゃ』はここで触れた1984年版の以前にも以後にもいくつもの版があり、最新の2010年版では現役の特急電車の写真が散りばめられている。

21世紀幼稚園百科[新版] とっきゅうでんしゃ

21世紀幼稚園百科[新版] とっきゅうでんしゃ

  • 発売日: 2010/07/05
  • メディア: 大型本
 

 

 しかし、写真では物足りない。絵本のよさは、現実と非現実のはざまで、描く対象の魅力を存分に表現できて、それが目に一丁字ない子供をも楽しませるという点にある。もう一度、絵画版『とっきゅうでんしゃ』が出ないものだろうか。コラムなどもいらない、絵だけで勝負して欲しい。最初がE657系ひたちで始まって、サンダーバードの683系、キハ261系北斗、885系ソニック、8000系しおかぜなど、最新のというより各地域で主力の特急電車を取り上げるのがよい。まぁ、読むだけの人間なので好き勝手言えるが、ああいったクオリティの高い絵で全ページを埋めるというのはなかなか難しいところもあるのだろう。いまの加工写真で埋めるだけの絵本なら、Adobeのソフトが使えればある程度技術のある人にはそれほど難しくないだろう。いずれにしても、絵本も時代の制約から自由ではないということだ。

 

みかんと185系を撮ったカメラマン

 後日、先に紹介した鉄道ファンのカレンダーに使われていた踊り子号とみかんのたわわに実った木を写した写真を撮影したカメラマン、藪下茂樹氏が書いた「緑と白とストライプと」が収録された『鉄道ピクトリアル』2020年10月号を読んだ。

鉄道ピクトリアル 2020年 10 月号 [雑誌]

鉄道ピクトリアル 2020年 10 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/08/21
  • メディア: 雑誌
 

 

 3ページにわたって185系踊り子号の写真が並べられ、その隙間に少しの文章がある。そこに、みかんの話も出てくる。

「良かったら持っていきなさい」

柔和な笑顔の女性が深緑の木にたわわに実った蜜柑を一つもぎ取り手渡してくれた。丁重にお礼を言いカメラザックにしまう。山の斜面に作られた、東海道本線を見下ろす段々畑でのひとこま。

  僕が前の記事で言及した、みかんの実のだいだいと葉の緑を185系に合わせた写真は、特別にその構図を狙って撮ったものではなかったことが、ここから読み取れる。早川から根府川、真鶴にかけては、東海道線のよく知られた名撮影地があちこちにある。そこで撮影する日々のなかでむしろオーソドックスにあの構図は出てくる。そして、その中でも象徴的なひとこまがあの写真だったのだ。

 そういえば同じようなことがあった。僕がなんでだったか、根府川の駅のあたりを散策して帰ってきたとき、駅に続く道沿いのガレージで野菜を売っているところがあって、野菜を買ったらみかんをくれたのだ。それも僕は小さなリュックしか持っていなかったから、ビニール袋いっぱいにして渡してくれた。そのみかんの美味しかったこと。歩き疲れた身体を生き返らせてくれるような味だった。

 昔は鈍行列車で旅行するときに、冷凍みかんを売っていたような気がする。それが程よく解凍した頃合いで、おやつとして食べるのだった。今はどこでもキオスクがあるし、冷凍みかんが解凍する前に目的地についてしまいそうだ。列車の中で食べるみかんというのは、旅情があった。

帰路の車内

頂いた蜜柑をひとつ咀嚼すると、口いっぱいに広がるあっさりと甘酸っぱい味。

と、藪下氏もその愉しみを書いている。

 東海道線と蜜柑の甘酸っぱい関係。これは鉄道で旅する人のみが知る愉悦だ。とはいえ、もはや皆、高速バスや新幹線、格安航空で移動する時代、在来線でゆっくり移動するほどの時間と金があるような人も少なくなっている。ムーンライト系の夜行快速電車も廃止され、のんびりとした鉄道の旅の楽しみを甘受できる文化も、もうなくなりつつあるのかもしれない。

 僕自身、旅に出るような時間的金銭的余裕もないが、みかんに代わる今の時代の新しい旅情が何か、というのは知りたいものだ。新幹線で食べるスジャータのアイスクリームだろうか。あるいは、ロマンスカーの車内で買うコーヒーかもしれない。駅弁はまだまだあちこちで売っているし、もしかしたら何か僕の知らない新しい鉄道旅行の楽しみ方もあるのかもしれない。コロナ禍で先行きが不透明とはいえ、観光立国の掛け声のもとでリゾート列車が各地で走り、様々なプランが宿泊施設などで用意されている。

 ただ僕は、リゾート列車に乗るようなのとは違う、あらかじめ用意されたのではない自然な旅の楽しみ方がしたいのだ。もっと貧乏で、あてのない、それでいて暖かみのある旅。それは例えば、途中下車した駅で、みかんをもらうような……

 

「青春18きっぷ」ポスター紀行

「青春18きっぷ」ポスター紀行

  • 作者:込山 富秀
  • 発売日: 2015/05/27
  • メディア: 単行本
 

 

余談 - 車の色は空の色

 みかんは甘酸っぱいながら柔らかく、人々の温もりを感じさせ、物語の中でもしばしば人と人を結びつける役割を持つ。余談だが、子供の頃に読んだみかんの話を、もう一つ思い出した。

「これは、レモンのにおいですか?」

ほりばたでのせたお客のしんしが、はなしかけました。

「いいえ、夏みかんですよ。」

しんごうが赤なので、ブレーキをかけてから、うんてんしゅの松井さんは、にこにこしてこたえました。

 これは、あまんきみこ作『車のいろは空のいろ』の一編、「白いぼうし」の冒頭。みかんの甘酸っぱい香りは、いつでも人々の心をくすぐり、和ませる。

 

*1:ちなみに、僕の記憶が正しければ、確か、2月号にもカレンダーの付録がついている。しかし、1月号の方が風景写真や芸術的な写真が多く、2月号の方はもっと車両図鑑のような感じの写真が使われているので、僕が好んで買うのは1月号の方である。