読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

女性が守りたくなる男性

男性が前線に立って女性や子供老人を守る映画の例

 ユーミンにはいろいろな名曲があるが、「守ってあげたい」はよく知られているものの一つだ。「You don't have to worry worry 守ってあげたい」というサビのリフレインが頭の中にこだまする。僕はたまに、この替え歌で「I don't have to worry worry 守ってください」と歌っている。僕には他人を守るほどの甲斐性がないのだ。

 

「男性が守りたくなる女性」vs「女性が守りたくなる男性」

 ユーミンのこの曲はしかし、ある意味で非常に特殊な曲である。そのことを説明するために、まずは以下のGoogleの検索結果を見てほしい(なお、Google および Google ロゴは Google Inc. の登録商標であり、同社のルールに則って使用しているつもりである)。

「男性が守りたくなる女性」(完全一致)の検索結果

 これは、「男性が守りたくなる女性」と完全一致するフレーズでの検索結果で、ヒット数は約38万件となっている。いかにも馬鹿馬鹿しい、くだらない記事ばかりだが、「赤字国債」(約29万件)よりもよっぽど多いヒット数であり、人々はこういうことに関心があるのだと勉強になる。いや、感心している場合ではない。これはジェンダー格差により女性が男性の奴隷化されることを推奨する記事が蔓延していることの証左で断固戦わなくてはいけない。しかし今はまだ話の途中なので、まずはユーミンの話を続けさせてほしい。

 ここで、もう一つのGoogleの検索結果を見てほしい(なお、Google および Google ロゴは Google Inc. の登録商標であり、同社のルールに則って使用しているつもりである)。

「女性が守りたくなる男性」(完全一致)の検索結果

 こちらは先ほどの逆、「女性が守りたくなる男性」というフレーズと完全一致するサイトを検索している。結果は「一致はありません」、つまり0件である。ゼロ、googleの検索能力では何一つ見つけられないということである。先ほどの検索フレーズとの違いは、「男」と「女」が入れ替わっているだけで、他は何も変えていない。「男性が守りたくなる女性」では38万件、「女性が守りたくなる男性」では0件。もちろん、google以外の、例えばダークウェブと言われる.onionのドメインのサイトを検索するとか、あるいは今は亡きYahoo!ジオシティーズを探すとかすれば、もしかしたらあったのかもしれない。しかし、ひとまずgoogleだけで考えると、やはりこれは大きな違いと言わざるを得ない。これは女性が男性を守ってくれないということではなく、男性が女性差別をしているから女性に男性を守る余裕がないという社会のジェンダー構造の表れであってこれに対しては断固闘わなければならないが、それはそれとして、ユーミンの話である。

女性が男性に向けて「守ってあげたい」と歌うことの特殊性

 ユーミンの歌は、歌詞の物語の主人公の性別が明示されていないとはいえ、僕の勝手な考えから言えば、それは女性である。女性が同い年か年下の可愛い彼ピッピに向かって歌っているのが「守ってあげたい」だと僕は思っている(これはあくまで私的な考えでありこれを他に強制するものではなく、現実世界とは隔絶された創作の世界における解釈について論じているため自由な解釈を与えることを許してほしい)。女性が男性を「守ってあげたい」と歌う、これは上記のgoogle検索結果に現れたるジェンダー格差に鑑みて、非常にリベラルな状況ではないだろうか(馬鹿馬鹿しいほど大袈裟にくだらないことを言っているが、これはそういうふうに言わないとどこから刺されるかわからないための用心に用心を重ねた言い回しである)。

昨晩お会いしましょう
▲「守ってあげたい」収録アルバム「昨晩お会いしましょう」。今でもLP、CDが売っている。両方うちにあるが、LPの方が心なしか声が若く聞こえる

 この歌が出たのは1981年で、その時の社会的な男女関係がどうだったのか僕はよくわからないが、こんな歌が出るくらいだから、「女性が守りたくなる男性」で検索しても多少のヒットがあるような世の中だったのであろうか。当時はgoogleどころかyahooもnetscapeもない時代だが。あるいは、現代と同じように男女差別が強く、逆転の発想で書かれた歌詞だったからユーミンが受けたということだろうか。多分後者だろう。*1そのことが、この曲が昔も今も特殊であり続けている所以である。

ヒモ、もとい女性に守ってもらえる男性は結構いる

 僕は悲しいことに男に生まれてしまったので、守ってくれる異性を探しても、検索上は0件である。しかし、この記事がgoogleにクロールされれば、1件になるかもしれない。そう思ってタイトルを「女性が守りたくなる男性」にした。

 しかしこれはあくまで検索上の話で、現実には、女性に守られている男性はそれなりにいる。それはあのいかがわしい「母性」とかいう話ではなく、男性が女性に対して「守る」というのと同じ意味で——経済的であったり、権力や腕力であったり——のことだ。ネットには、マスに受けることばかり転がっていて、googleで見つかることは「ネットユーザーの考えた最強の一般論」でしかなく、それは案外、現実の多様な層とはかけ離れている。芸術と言ったら仰々しいが、ユーミンの歌詞などがそういった「ネットの真実」を簡単に覆すのは、やはりある種の、芸術の力というものなんじゃないだろうか。

 なお、余談だが、女性に守られたい男性は、「ヒモになりたい」で検索すれば望みの検索結果は得られるが、「男性が守りたくなる女性」で紹介されている女性の振る舞いをそのまま女性に対してやるのでもいい。はっきり言って「男性が守りたくなる女性」だのなんだのという、いちいち「男性」「女性」でくくって振りかざされる一般論は、両方「人間」にしても差し支えないし、あるいは「部下」「上司」の組み合わせにしたり、「学生」「教師」の組み合わせにしたり、何でも成立する。ただ、読む人が興奮してクリックしてくれるという小学生ばりの理由で、「性」という言葉が入っているだけなのだ。ネットの世界はかくも悲しい。それにしても、ヒモ女性(?)には「男性が守りたくなる女性」というかっこい表現があるのだから、今後はヒモ男性も「女性が守りたくなる男性」と呼び習わしてはどうか。

 

 

*1:「守ってあげたい」と歌っている本人も、松任谷正隆に収入がなくなったら守ろうと思ったかどうか怪しいものである。いや、そもそもその歌が自分の実生活における心情と何ら関係ないということも十分あり得る(ユーミンはこの曲を出す5年前に結婚したのだが、その当初専業主婦になろうとしたとかいう話があった気がする)。