読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

公共図書館と地域史資料

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埼玉県本庄市立図書館リニューアル時の写真(2017年) 郷土資料の石川三四郎蔵書が有名

公共図書館の三つの役割

 昔、ちょっとした必要があって、全国の図書館のリストを作ったことがある。図書館は全国に3千館くらいあって、都道府県と市区は大体自前の図書館を持っている。町村も、半分くらいは図書館を持っていて、あとのところは資料室とか図書室という扱いで、一応公共の本を収める施設があるようだ(詳しい統計は日本図書館協会が出している(日本の図書館統計))。

 公共の図書館には色々な役割があるのだろうが、僕が思うに、重要なのは次の三つの役割だ。第一に、多くの市民が読みたい本を置いておく、という役割。第二に、市民が知りたいことに答えられる本を置いておく、あるいはそれにアプローチするルートを確保するという役割。第三には、地域の史料・資料(史資料と略す)を保管しておくという役割である。

 そして、多くの図書館は第一の役割に重点を置いている。その方が市民の利用が活発になるという、単純な理由がある。多くの市民が読みたい本というのは、しかしそう多くはない。大体はその時に流行っている本であり、10年も経てば誰も読まなくなる。そういうわけで、図書館は新刊を購入し、古い本を捨てて、一定の書庫の広さのまま運営していけることになる。

 そう多くはないと思われるが、第二の役割にも重点を置く図書館が、それなりにある。そこがやることは、専門書を取り揃えることではない。優秀な司書を2人か3人雇い、給料を払うということである。こういう図書館が地域にあると、地域の子どもたちや学びたい人たちにとって非常に良い効果がある。そうした司書がハブとなって、国会図書館から大学図書館から、さまざまなところにある資料へのアクセスのルートが開かれ、図書館の規模とは比較にならない多様な情報にアクセスすることができるようになる。また、専門書などを取り揃える際にも、良書を見極めることで冊数を抑えつつ重要な情報を網羅するような効率的な選書ができるようになる。

 ただ、司書を維持するにはお金がかかる。人件費は、運営費で減らしやすいものの代表格であって、図書館に振り向けられる予算が減るとまず減らされるのは人件費、具体的には優秀な司書さんがクビになって素人の契約社員か市役所の暇な職員に置き換えられる、ということだ。司書の給料が上がらなければ司書の質も上がらない。それゆえ、司書の質には大きな地域差があるとも思われる。ただ、いないよりはいた方が良い。

 

公共図書館の理想像を描いたものとして図書館関係者に知られる古典

地方自治体の公共図書館における地域史資料の保管

 そして、これは本当に希少であるが、第三の地域史資料の保管にしっかりと取り組んでいる図書館もある。こうした図書館は地域の宝である。図書館が、単に上から、中央から降ってくる情報を吸収するための施設ではなく、その場から新たな情報を生み出していくための中心となるのだからだ。

 こうした図書館のある地域の出身の人物についての研究は進むだろうし、地域の歴史や文化を記録という形で残し、再興したり拡張したりすることもできる。行政資料がちゃんと揃えられているだけでも、地元議員が政策検討したり、都道府県や国に訴えるときのよい根拠となるだろう。反対に、残されていないものは、ないのと一緒である。地域の史資料が残されていなければ、その地域独自の文化や資源を、どんなに他人に訴えようとも理解されることはなく、単に蹂躙されるか収奪されるかになる。証拠が残されていなければ、起源を僭称することも容易だからだ。近年は文学館がある地域もあり、そうしたところに散逸しそうな資料を集めて効率的に管理しているところもある。その程度の集権化は仕方ないかもしれないが、出来るだけ小さい地域単位で資料を集めて管理し、それを開かれた図書館網、情報網の中で相互に参照できる、としたほうが本当はよい。資料がもつ文脈というものがあり、資料は次の資料を呼び込む。その資料が違うところへ行けば、その資料の引力はなくなり、地域の資料が集まらなくなる、あるいは生まれなくなる、ということがある。

 都道府県立図書館でも相当の違いがあり、特に都立中央図書館は別格だが、その地域の学知に対する姿勢が図書館に現れている。熊本県立のように文学館と密接に連携して地域資料の保管に取り組んでいるところ、埼玉県立のように地元の諸団体の発行物をつぶさに集めているところ、北海道立のようにそこでしか行うことができないであろう特定の領域に関する資料の収集をおこなっているところなどがある。県内図書館の横断検索機能を打ち出して、他館との連携でサービスの向上に努めているところも多い。逆に、色々な団体の力が強すぎて県立図書館にはいまいち資料が集まってこない茨城県立、そもそも資料を集めたり保管する機能が破綻してしまっている兵庫県立など、地域史資料が集まらない都道府県立図書館にも個々の事情がある。

 市区町村の図書館となると、だいぶばらつきがある。文学者が住み着いていた地域の図書館は、その文学者の関連資料を保管することが観光資源にもなることから、小さい市町村でもそれを積極的に管理していくことになる。前にも書いた通り、過疎地域の町村などは、資料室という形でようやく残している程度のところも少なくなく、そうした地域の郷土資料の保存というのは現実には不可能な状態になっているといえるだろう。北海道の各市町村の炭鉱関係資料など、本当に勿体無いことだ。

 逆に東京23区のように、大学や民間施設が充実しており、また財政も豊かであることから博物館や資料館を持ち、地域資料を図書館以外のさまざまな施設で分有しているところがある。大阪市は全区に図書館を配しており、しかもそのそれぞれに郷土資料を有しており、さらにはデジタルライブラリーまであるという充実度だ。大阪府立図書館の蔵書数も膨大であることを考えれば、さすが東京に次ぐ都市だけはあると言ったところか。

 そのような大都市と過疎地との間にある、都道府県庁所在地やそれに近接する政令指定都市レベルの市の図書館のあり方は、それぞれに工夫がある。たとえば県立図書館が機能不全に陥っているというニュースがしばしば流れてくる兵庫県では、逆に神戸市や明石市が積極的な図書館政策を進めている。県立図書館の機能不全はそれに安住しているといえるだろう。埼玉県はうまくやっていて、県庁所在地のさいたま市にはさいたま市立図書館が、それに次ぐ規模の都市である熊谷と久喜に県立図書館があり、さらにそれに次ぐ規模の周縁的な都市である富士見市本庄市は、市立図書館に独自の充実した郷土資料の文庫を有していて、それぞれうまく機能分担しているように見える。*1

 

▲最近話題になったこの本は、福井県立図書館のサイトから始まった

 

横浜市立図書館と神奈川県立図書館

 個人的には、そういった政令指定都市レベルの市立図書館での良い例は、横浜市立図書館だと思う。中央図書館では、閉架にかなり充実した資料を抱え込んでいて、他の市立図書館では考えられないような充実度である。スタッフがすぐにそれらを利用者の元に持ってこられるよう、人員体制も手厚く、アーカイブもしっかりしている。地域資料を単に溜め込んでいるのではない。中央図書館は横浜市営地下鉄京浜急行線、根岸線の駅に近接する場所にあり、市内からのアクセスも非常に良い(都内からも良い)。

 ただこういうことを言うと、横浜市に住む人からは、何を言っているんだと文句が出るだろう。と言うのも、横浜市の図書館は人口の割に館数が少なく、生活圏に歩いて気軽に行ける図書館が少ないことで悪名高く、政令指定都市の中で最も人口あたり図書館数、蔵書数が少ない市として知られているからである。おそらく蔵書している図書の種類は多い。しかし、館数が少ないので本の被りが少ない、それゆえに蔵書数も少なく出ているのだろう。地区センターに図書室があってそれが小規模な図書館(各図書室それぞれに蔵書が1万冊程度ある、これは小中学校の図書室並み)として機能しているのだが、なんとそれが市立図書館と連動していない。今のような二つに分かれているOPACを統合し、地区センターの図書室を図書館分館と改称するだけで、横浜市の図書館少ない問題は解消するだろう。金はかかるがやる価値のある仕事だ。給食センターを作るよりは簡単だと思う(給食センターは作るべきだ)。

 残念なのは、ここも兵庫県に似たところがあり、神奈川県立図書館があまり機能していない。最近リニューアルしたので多少良くなっているのかもしれないが、県立図書館が市立中央図書館から徒歩数分のところにあって競合しているのは不可思議である。しかも県立図書館の分館は川崎だ。川崎市も市立図書館を全ての区に配してさらに分館を置く充実度である。何を考えているのかと問いたくなる。神奈川県内には西は箱根、東は横須賀、その間には小田原、平塚、鎌倉など多くの重要な地域がある。中央図書館は平塚、分館を小田原、横須賀に置くなどすれば、相当の地域資料が集められ、それらの価値は比類なきものになるはずだ。

 

▲「ものづくり情報ライブラリー」と位置付けられている神奈川県立川崎図書館は社史研究で知られる

地域史資料の研究

 地域史資料は、数十年前に郷土史ブームのようなものがあった時に、それなりに集められるようになり、置く場所がないから図書館に集められたというところが多い。他に、市役所の文化財課だとか教育委員会だとかに押し付けられ、倉庫に眠っているというところもある。こうした資料は、「郷土史」という言葉からもわかるように、都道府県というより市区町村単位で集められ、保管されている。都道府県が保有している場合は、それなりに情報公開やその共有も進むわけだが、誰も知らない田舎の図書館に眠っている資料というのは、それがなんなのか本当に誰もわからない、保管している当人たちですらわからないということも少なくない。エクセルで目録を公開しているような素晴らしい自治体もあるが、アーカイブがきちんとされてないところもある。今後自治体の予算が減らされたり、また合併のようなことがあったりすれば、冒頭に書いた通り、地域史資料の保管という優先度の低い役割を放棄する図書館はさらに増えるだろう。そして、5年程度しか読まれないような流行本を買っては捨て買っては捨て、とやる図書館が増えるに違いない。

 こうした資料を研究する人は多くないのだが、しかしこうした資料をよく分析していかないと、政治や経済の歴史や実相は、実はわからないものである。よく、政策は霞ヶ関で決まっている、あるいは永田町で議論されていると言われるが、各地域での史資料とその分析の積み重ねがなければ、政策などは空中戦になるしかない。それで意味不明な海外の理論を適当に国内に当てはめるようなことも起きるわけである。逆に、独自の政策は都道府県や市区町村から生まれることも多い。それは、地域の蓄積が背景にあること言うまでもない。水戸での学問が、あるいは山口の小さい塾が、あるいは高知の結社が、日本の歴史を動かしてきた。決して全てが江戸や東京で起きているわけではなく、むしろ各地域での学知の、議論の積み重ねこそ歴史を動かす原動力であることいくら強調してもし足りない。そして、現在そのような学知や議論を担うのは、実は誰も目を向けないような、地方自治体の図書館の郷土資料コーナーであり、莫大な予算を投じて海外の最新理論の輸入に余念のない大学の研究室ではないのではないか、というのが、僕の考えである。

 公共図書館は、単に読まれる本を集めるだけでなく、また各図書館とのネットワーク化を進めるだけでなく、その図書館しか集められない地域資料を集めて保管し、それを活用できる形にアーカイブするという、そこの機能をもっと重視し、強化して欲しいものである。

 

▲民衆史研究で知られる安丸良夫の本が文庫になったが、これなども重要な示唆を与えてくれる

*1:2022/5/17追記:埼玉県の素晴らしさを讃えていたところ、機能集約して体制を変える方針を検討するというニュースが流れてきた。「2カ所の県立図書館、集約も 埼玉県教委検討 - 産経ニュース (sankei.com)」やはり充実した体制は維持できず、効率化の名の下に中央集中が進んでしまうのだろう。横浜市と競合している神奈川県のように、いま県庁のあるさいたま市浦和の、市立中央図書館の近くに集約移転するようなことになれば本当に残念なことだ。