読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

2012年の以前と以後のインターネット

 どうも寝付けずに目が覚めてしまったので書き始めたブログが、夜中の勢いに任せて長くなってしまった。明日目が覚めた後に消したくなるかもしれないが、とりあえず公開しておこう。

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 このブログを書き始めたきっかけが、過去のブログ執筆の経緯やSNSの利用を再考するためのものであることは、以前から書いてきたが、昔自分が書いたブログ記事(ブログごと削除済みだが、記事はローカルに保存してあるのだ)を読んでいたら、10年近く前に全く同じようなことを書いていた。

TITLE: 断SNS
STATUS: Publish
DATE: 11/01/2012 17:20:01 

毎日ブログを書くのをやめてから、再びSNSに没頭する時間が多くなった。
時間が勿体無いなぁ、と思っていると、facebookにて、SNS断ちをしたとのブログ記事をみた。これは好機、思い立ったが吉日というわけで、その時から鋭意SNS断ちをすることにした。

ややもすると、SNSでは自分の行動を逐一報告することになる。面白いことに、SNSをやめてみると、自分が自分の感情を脳内で逐一言語化していることに気づく。「あー疲れた」「ちょっと休むか」「はー」「肩痛いな」というように。思考が今の自分の状態に大きく支配されるし、なんら生産的なことがない。村上春樹的ですらある。ええと、つまり……伝われ。

SNSをやらないと、携帯をいじらなくなる。メールか電話、あるいはネットで検索をする時にしか携帯が必要ない。ネットで検索する時は今手元にiPadがあるし(この記事もiPadで打っている)、メールも電話も来ない。元来僕は電話が苦手なたちなので電話は来ないし、メールはたまにしか受信しないように設定してあるから来ない。来てもフィルタで仕分けされて、読まずとも既読になるように設定されている。

そうすると不思議なのが、なんでSNSやってたんだろうって話。
これは多分、SNSでつながってる感を手に入れるとか、ネット上のコミュニティからあぶれたくないとかではない。
新しいなにかを求めているからなのだ。

SNSをやっている時というのは、端的に暇であるが、それ以上に行動を欲している。その時にやっていることに飽きていて、なにか別のことをやりたいと感じている。暇だから寝たくて、とか、暇だから優雅なオンライン・コミュニケーションを楽しみたくて、SNSをするわけじゃない。暇だから、なんか別の、新しいことしたいなーと思ってSNSをやるのである。

実際、昔のtwitterとかfacebookからは、面白いプロジェクトや新しい試みなど、僕の現実の世界に新しいことが齎され、いろいろなことが始まった。twitterで始まったのはアート系の繋がりだ。facebookスウェーデンに行ったの時の仲間と、中学の同窓生。もっというと、それ以前のmixiは僕の人生に沢山の新しい出会いと物語を現実の世界において提供してくれたし、その頃の2chも同様だった。mixiでは、フリーペーパーのサークル——これは事実上、僕の大学生活の総ての始まりだった——や、富士山に登ったメンバー、少なからずの女の子たち。2chは面白いおっさんたち。秋葉原のバーを教えてくれたのも2chの突発OFFが活発だった頃に会ったあるおっさんだ。その前はカフェスタというのがあったり(ここでは貴重な出会いがあった)、gooなんちゃらとか(ソフトウェアをダウンロードしてやってた覚えがある)、何の変哲もない普通の掲示板でいろいろな人と出会えたり(SPAMなんかなかった時代だ)。

今のSNSは、あまりにも確立され画一化され統合されてしまった。twitterfacebookしかない。かつてはアンテナの高い人の集まりであったそこは、今や都会の雑踏と同じだ。同じ目的で集うmixiのコミュニティのようなものも、掲示板的専門性もない。ルールもなければ、開放感もない。同類意識もない。ただ手元にある地図と人間と写真をリンクしておくためだけに使うのだ。流れてくるのは、企業の広告と、皆がいいね!とかfavを押したものばかり。判で押したようなサークルやイベントの案内と、就活情報。それ自体は悪くない。それがたくさんあることは望ましい。しかしそれが不特定多数に向けて絶え間なく流れてくるのが面白くない。どれも僕に訴えて来ない。
そう思って、twitterはフォローを減らした。でも状況は変わりないのだ。なぜなら、当たり前だが、twitterの中で僕自身が無名の一アカウントだから。僕に宛ててなにかを送り様がない。膨大なアカウントがカテゴリなく並んでいるところで特徴を出せるぐらいなら、さっさとリクルートにでも面接に行った方がいい。
昔は気軽に隣の見知らぬ人に話しかけられる、気の利いたカウンターの狭い居酒屋だったのが、いまでは床を拡大してたくさんの人が知り合い同士でテーブルについている飲み屋になっている。つまりはそんな感じ。昔のように気軽に話しかけたりは、もうできない。

そんなわけで、僕は一旦ブログまで戦線を下げてみる。全然違うカテゴリの人々と出会えて、しかし居心地が良く、面白く、僕の現実の世界に刺激を与えてくれるような、つまり個々が無名ではいられないような、そういうネット環境を探しつつ。

 

これは、僕が先ごろ「インターネット年少世代 - 読んだ木」などで書いていたことと全く同じではないか。この10年間、何一つ進歩していないということが紛うことなく証明された感があり、誠に遺憾である。先の記事で書いた通り、僕はそうして「ブログまで戦線を下げて」みたり、逆にSNSまで戦線を上げてみたり、上げたり下げたり、下げたり上げたりして何も得ることなく今日まで来ているのである。

 しかし重要なポイントは、この10年間は何一つ変化がなかったが、その前は色々あった、ということがこの2012年の記事に書いてあることだろう。2012年以前は、TwitterFacebookmixiを通じて新しいコミュニティへの参加や新しい知見を得ることができていたのだ。なぜそれができなくなったのか。もちろんそれは、自分が歳をとってそういうものに積極的に参加しなくなったということなのかもしれないし、同時に、参加しても期待されない、相手にされなくなったということかもしれない。しかし、プラットフォーム自体の問題がやはりあるだろう。人が減って忘れられたmixiは、昔のように若者が溢れて積極的にやり取りする、という可能性はなくなったし、Twitterは参加する人が多様になりすぎ、またその匿名性の高さから気軽にそこに公開されている私人のイベントやコミュニティに参加することがはばかられるようになった。Facebookに関していえばまだ何かリアルの新しいコミュニティにつながる余地がないとは言えないが、そのコミュニティに繋がる前に自分のプロフィールがスクリーニングされてしまうという怖さもある。お互いよくわからないけど何か高い志や目標を持ったもの同士がセレンディピティに出会う、というようなインターネット体験は、10年前に終わったということなのだろう。まぁこのことは、まさに「インターネット年少世代」で書いたことであって、この2012年の記事が発掘されてそれを再認識させられたと言えばそれで済む話かもしれない。

 2010年前後のインターネットというのは、民主党政権時代ということもあったし、なんとなく「意識高い系」の活躍できるプラットフォーム、といった趣があった。何か新しいことをやります、という呼びかけに、本当にそういったモチベーションを持った人々が集まった時代だった。それより以前はもっとギークな集まりだったし、それより以後は大衆向けのツールとなった。2011年に出た東浩紀の『一般意志2.0』はその意味で歴史的な著作だったと言えるだろう。あの時代にのみ信じられえたインターネットの理想が、そこには綴られているからだ。その理想に賭けた人々が、その後、低俗化するインターネットの言論の世界とともにどう変化したかは、むしろ読者のよく知るところであろう。あの時、脱成長とかを掲げてた人々が、第二次安倍政権のアベノミクスの成功で梯子を外され、完全に行き場を失って、今のやや気違い染みた「サヨク」の人々になってしまったのだろう、と僕は邪推しているのだが。というのも、僕もその一人であったけれども、小泉政権以来の官から民へ、市民レベルの小さな公共、熟議民主主義というスローガンが2010年前後には本当に信じられていたのだった。小熊英二の『社会を変えるには』が出版されたのが2012年、僕が上に引用した記事を書く数ヶ月前だ。それが最後のタイミングだった。僕はその頃、脱原発デモに声なき声の会のような、あるいはベ平連のようなノリを求めて参加したら、想像以上に無意味なものだったので——そこでは戦略もなく、理想像の議論をする雰囲気もなく、知識人も実務家もほとんどおらず、明確なスローガンもなく、よくわからない人たちが太鼓を鳴らしていただけで、僕は単に怖くなった——小熊の新書を読んだときに、これは全く空論だと思ったのだった。

 アベノミクス以降は、政権や政策と結びついた事業のみが大いに繁栄し、地場の「まちおこし」や「コミュニティ」「社会起業」の取り組みは完全に蚊帳の外となる。小熊英二が肯定した街頭のデモは、明らかに政治になんの影響も与えなかったことで、小熊の主張そのものを無意味化した。その結果、当然ながらそれ以降に社会に出た多くの若者がそういった草の根の活動に寄り付かず、政策寄りの「ベンチャー」ブームに乗ったり、大企業に就職したりしていった。逆に、2010年前後に希望を持って活動していた若者たちは、いま40代前後になって路頭に迷っている人も多い。彼らは、自分が変えようと思っていた権力の向きが自分の目指す方向とは真逆に進んでいくのになすすべがないまま、しかも自分が働きかけようとしている実際に苦しんでいる人々にはあまり歓迎されないまま、この10年を過ごしてきたはずだ。そういう事業に携わる人は往々にして優しいので、それを自分の責としてさらに努力しようとするけれども……。

 どういう力の働きかけがあるのかわからないが、最近またそういった社会問題に目を向けよう、自分たちの力で社会を変えようと若者に呼びかけるムーブメントがあるようだ。昔、フューチャーセッションとかワールドカフェに没頭してきた人々が再び活躍する場が生まれてくるかもしれない。しかし、僕はもしここで2度目の喜劇をその人々が演じるようなことになれば、つまりまたしても掛け声のみが大きく、インターネットで楽しいことをやろうとしている人のところに何か人が集まって、結果として路頭に迷う若者を増やすだけになるのであれば、それはむしろ害悪であるというべきだと思う。もし再び同じような思潮が社会に広がるのであれば、それは草の根の変革ではいけない。国会の、議事堂の中で変革を起こさなくてはいけない。皆が酒を飲みながらゆるく将来のことを考えよう、ではなく、皆が命を削ってあるべき未来を議論し、それを人生かけて実現しよう、という鬼気迫るものでなければならない。誰もが政治家になることを目指し、公議を興し、国政を転覆すること、憲法を変え、国際関係を変えることを目的に取り組まなければならない。誰もが、自分個人から出発し、自分の所属する様々なレベルの集団から宇宙全体に至るまでに適用可能なあるべき徳を見出し、それに基づくあるべき法を打ち立てようと努力するべきだ。社会とは、そうしてようやく、1ミリ2ミリ動くか動かないか、というものなのである。インターネット上で出会った人が酒を飲んだぐらいで変わるものではない。

 2010年前後の人々は、僕も含めて、社会というものを知らなすぎた。それは、失われた20年を経てなお、ある程度の安定と秩序のある社会に自らを委ねていたからだった。つまり、社会を変えると口では言いながら、社会を変えるという難題には立ち向かわず、身の回りの細かいことに熱中することだけで満足していたというわけなのだ。その結果が、現在の日本のありようだとすれば、これは2010年前後に夢を抱いて、今はおそらく破れている人々が、その過ちを反省して次代に教訓として伝える必要がある。社会を変えるには、身近なコミュニティ作りだけでもノリの合う人との飲み会だけでも街頭でのデモだけでも不足であり、確固たる研究と議論に基づく新たな提議を国会に突きつけることが必要だ、ということを。

 でもそうなると、やっぱりインターネットの世界も戦闘的なものとなり、なんだかあの、和気藹々としながら世の中を良くしていこう、という雰囲気は戻ってこないかもしれない。2012年以前のインターネットのなんだか希望のある和気藹々さは、確かにその後のインターネットにおいて崩壊したのだが、それが以前のインターネット世界の性善説というか、脆弱性に基づくものだからといって、それを乗り越えようとすると、やっぱりインターネットは居心地の悪いものになる。そういう環境とか平和とかといった大きな話とは別に、日常の由無し事について何かやろうという——それこそ2012年の記事に書いたような富士山に登るとかである——人々が、気軽に集まれるようなプラットフォームがあると良いのだが。

 

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