読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

インターネット年少世代

  これまでもなんどもブログを作っては消し作っては消ししてきたが、それぞれの回にそれぞれの理由がある。僕のインターネットライフは、中学生の時にブログを始めたことで始まり、サービスの展開とともに掲示板やSNSでの活動に移行して現在に至る。当初のブログ執筆の動機は、インターネットを通じて知らない人に出会うことができることの楽しみと、ブログ数自体が少なかったことからちょっと頑張って書けばブログのランキング上位になれるということだった。ブログの内容が雑多となったり、読んで欲しい相手を分けるためにブログを複数立ち上げる時期もあったが、結局インターネットでの新たな関係性や知見の獲得はSNSに移行したため、ブログはあまり活発にやらないようになった。しかし、SNSでは長文は書けないし、読まれない。だから忘れた頃にブログを立ち上げてちょこちょこ書いてみるのだが、すでにSNSがあるのでわざわざブログに来る人がいない。なのでブログを閉じる。ここ数年はこんなことを何度も繰り返してきた。

 しかし、ここのところは潮目が変わってきた。明らかにSNSが人と繋がる場ではなくなってきた。むしろSNSは、嫌いな人との関係性を維持するためのプラットフォームになりつつある。何と言ってもフェイスブックなどは中高年ばかりで僕ら若い世代は居心地が悪い。僕らより若い世代はそもそもいない。そこで、ブログに戻ってくる機運が高まっているような気がするのだ。noteの流行などもそうだが、要は繋がりたい人のところへ行く方法が、SNSではなくブログアクセスに戻ってきている。まぁ、インスタもそうっちゃそうなのだが、ちょっとまだプラットフォームがクローズドすぎてな。フェイスブックに買収されなきゃよかったのに。

 ブログに、新たなコミュニケーションの可能性を見出そうとするのは、ある種のインターネット懐古趣味かもしれない。そういうのは、ドットコムバブルの頃の過ぎ去りし栄光なのかもしれない。インターネット上の新しい出会いは、もう出会い系アプリでしかないのかもしれない。それでもそれを追い求めてしまう虚しさがある。全共闘には年少世代というのがあり、当時中学生で中学全共闘をやった人たちだ。彼らは全共闘の中心的な世代ではないので全共闘をそのまま生きたという自負はなく、かと言ってそれを否定したり無視したりした後の世代とも異なり、全共闘を肯定はできないがそれを自分たちの世代のこととして再体験したいという、非常に屈折した感覚を持っている。僕はそれでいくとインターネット年少世代で、あめぞうとかのリアルタイム世代ではなく、ブログが始まった頃にまだ中学生だったが、成人する頃にはフェスブックの実名制がスタンダードになり、出会い系バッシングが始まっていたから、インターネットの素晴らしい時代をまだ子供の目線で憧れていたまま、大きくなったらそういう場がなくなっていた、という屈折がある。名前も性別も年齢もわからない、完全にそういった肩書きから自由なところでコミュニケーションできたのが昔のインターネットの良いところだったのに、特にリテラシーのない人が入ってきてから今に至るまでのインターネットは現実の延長でしかない。そこで、昔のインターネットを今の年齢で再体験したいという欲求がある。

 自分で書くブログのいいところは、SNSと違ってリテラシーで人を選別できるところだ。まず、ある程度のボリュームのある文章を読めない人は来ない。また、アプリしか使えないような人も来ない。自分の関心ごとを書くので、それにマッチしない人も来ない。逆に言えば、文章が読めてブラウザなどを使えて関心が重なる人だけが来る。調べればわからないこともないが、名前も年齢も性別も出さずに済む。これで、知らない人も来てくれるようになったら昔のインターネットに近いものになる。ただ、この最後の点だけは、難しい。SNSのようなプラットフォームはそこを狙って、僕のような凡人が他人と繋がりたいという願望を満たすために作られたプラットフォームなわけだから、ここがまさにジレンマだ。ただまぁ、またしばらくブログに取り組んでみようと思う。

 これを書きながら思い出してきたが、そういえば昔のブログは、少し書いただけでなんかちょいちょいコメントがついた記憶がある。あと、トラックバックとかも10記事に一つぐらいは飛んできていた。今はそういうのは全然ないのだろうか。トラックバックとかよくわからない仕組みだったな、要は相互リンクを簡単にするという趣旨だったように思うけど。ブログのコメント欄とか、今やヤフコメみたいなのでしか機能してるのを見たことないわ。

 と思いながらググってみたら、今やトラックバックという機能はなくなりつつあるのね。。。日進月歩なのか、インターネット文化の退歩なのか。。。まぁもう今のインターネットを性善説でやるのは難しいんだろうな。「嘘を嘘と(ry」というのが許されない世界だから。

 

▼この話の続き

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▼本ブログのタイトルの由来

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 ▼一ヶ月後の様子

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ソーシャル・ネットワーク (字幕版)

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