読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

ビリー・ジョエルで好きな歌三選

 前の記事(沈丁花 - 読んだ木)で触れた流れで、ビリー・ジョエルの話をしようと思う。

 

ピアノ・マン

 ピアノの響きと落ち着いた渋い曲調が魅力。バーのピアニストを主人公にした歌詞を踏まえるとなお味わい深い。聴いてて、自分も年老いたらこんな感じに……としみじみ思わされたり、あるいは昔こんな時もあったな、と思わされる、ビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」。
 昔を振り返り、堕落した現状をこんなはずじゃなかったと悔い、みんな家庭や社会への不満を並べながら、酒を呷ってひとときうつつを忘れさせてくれるピアノの音色に身を任せる。その歌を途切れさせないでくれ、とサビが盛り上がる。まさに、人生の縮図であるようなバーの景色が歌われている一曲。

Piano Man

Piano Man

  • アーティスト:Billy Joel
  • 発売日: 1998/10/20
  • メディア: CD
 

 

マイ・ライフ

彼の歌で好きなのは、マイ・ライフ。これなんで好きだったのかな、ギターが簡単でよく弾いてたからとかかも。

52nd Street

52nd Street

  • アーティスト:Joel, Billy
  • 発売日: 1998/10/20
  • メディア: CD
 

 

 このブログ「<歌詞和訳>My Life – Billy Joel 曲の解説と意味も | LyricList (りりっくりすと)」に、その時代的な雰囲気を踏まえたいい対訳があった。なんていうのかな、自分の人生にいろいろ言ってくる人いるし、しかも善意で心配して言ってくる人いるけど、僕の人生なんだから口出すな、っていうのをここまではっきり歌ってくれるとスカッとするというか。この歌詞を昔読んだ時に、親か親戚に言われてんのかと思ったけど、この訳見ると昔の友達って設定なんだね。まぁ似たようなものか。

 ビリー・ジョエルじゃないけど、同じような状況で、いや、おまえは自分の道を信じて頑張れよ、いつか田舎のママンもわかってくれるさって励ましてくれる、この歌も好き。

Move On Up

Move On Up

  • 発売日: 2015/12/18
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

ノリがたまらない、すごく元気出る。

 

アレンタウン

 マイ・ライフは東海岸を捨てて西海岸のロサンゼルスに行った人の話だけど、東海岸東海岸で大変だった。衰退する鉄鋼業の街で荒む若者の心を歌ったアレンタウンも味わい深い。

 

The Nylon Curtain

The Nylon Curtain

  • アーティスト:Joel, Billy
  • 発売日: 2004/02/09
  • メディア: CD
 

 

歌詞は、このブログに対訳がある:「Allentown / アレンタウン(Billy Joel / ビリー・ジョエル)1983 : 洋楽和訳 Neverending Music」。ここに歌われている70-80年代のアレンタウンの状況は、日本でいえば室蘭のたどった栄枯盛衰と同じようなものだ。ここに住む人々は代々アメリカの産業発展の恩恵を享受してきた。製鉄業で栄え、歌の中にもあるように、第二次世界大戦に従軍して日本を打破し、悠々と凱旋した。しかし、その次の世代にあたる当時の若者たちには、もう産業もなにも残っていなかった。何か新たな成功を掴むためには街を出ていくしかなかったが、残らざるを得ないものたちには、苦しい経済状況の中を生き抜くための相応の覚悟が必要であった。

 こういう、同時代のアメリカを反映しつつ人生の不如意さを歌った歌は、ビリー自身の経験に即していたらしい。ナチスに追われてアメリカに移住したユダヤ人のもとに生まれたビリーは、中流階級だったが真面目な勉学のコースは取らず、真面目なミュージシャンの道を突き進んで、それこそピアノ・マンのようにバーでピアニストをやっていた。鳴かず飛ばずだったが、マイ・ライフの主人公と同じくロサンゼルス移住後にリリースした1973年のアルバム『ピアノ・マン』のヒットが彼を表舞台に押し出したのだった。

 

* * *

 

 彼もまた、1940年代生まれのミュージシャンである(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)。49年生まれだから、73年にヒットしたときはまだ若い24歳か。前の記事にも書いたかもしれないが、彼が生まれたロングアイランドは、ラフマニノフが晩年、作曲をやっていた場所でもある(雨の日のラヴェル、アメリカのラフマニノフ、道化のショスタコーヴィッチ - 読んだ木)。

 僕自身の話で恐縮だが、今のパートナーと婚姻するずっと前、出会った頃にビリー・ジョエルのリサイタルが日本であって、2人で行こうかという話になったことがある。ただ、その時はなんでだったか、多分忙しかったのだろう、行かずじまいで、結局一度もビリーの歌声を生で聴いたことはない。もうさすがに、日本に来ることはないかもしれないな。1940年代生まれのアーティストの話になると、いつもこういう締めくくりになってしまう。会いたい人には会える時に会っておかねば、短い人生はあっという間に過ぎて、全て幻のままに了ってしまう。

 

ビリー・ザ・ベスト

ビリー・ザ・ベスト

 

 

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