読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

今、子育て世帯がどのように苦しんでいるか

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積み木を積んでは崩して日々が過ぎてゆく

 

普通に登園できなくなって2年が経過

 また休園の嵐である。

 1月末から上の子のクラスが登園自粛となったのが始まりだった。2月第1週の最後だけ登園となったら、その日に登園した子から陽性者が出て第2週も登園自粛。第3週(今週)の頭にようやく登園させたら、今度は下の子のクラスで陽性者が出てその日から登園自粛。下の子の登園自粛が明けると同時に、再び上の子のクラスから陽性者が出て、来週もまた登園自粛である。
(追記:その来週になった2/21(月)の夜、下の子のクラスから陽性者が出て、2月末日まで登園自粛となった。もちろん園からも行政からも、なんのケアもない。)
(追記2:さらに2/26(土)、上の子が再び登園したその日に接触した子が陽性になったという最悪の奇跡が起こり、上の子は3月第1週いっぱい休みとなった。もちろん園からも行政からも、なんのケアもない。)(追記3:3月第2週のみフルで登園でき、第3週に下の子が再び濃厚接触者となり、第4週の頭まで登園自粛。いつまで続くんだ……)

 つまり、2022年の1月末から3月に入るまで子供たちは代わる代わるずっと家にいる。どういうルールなのかわからないが、二人とも休園させたり1ヶ月ずっと休園させても保育料など変わらず徴収、自主休園扱いなので、この状況が続けば在園要件に抵触しかねない(確か1か月だか3か月だか休ませると退園になる)(→休んだ分の保育料などは区で計算して返金してくれるらしい。)だから濃厚接触者でない方は登園させているのだが、仕事ができないのは一人いようと二人いようと一緒だ。

 2021年もひどいものだった。7月ごろに書いた「感染症と休園に苦しむ親たち - 読んだ木」を振り返ると、こう書いてある。つまり4〜7月はほとんど登園できていないのだ。

かくいう我が家も、新年度の頭から、下の子慣らし保育(2週間)→コロナ休園(2週間)→ゴールデンウィーク(1週間)→下の子疲れて発熱(数日)→上の子疲れて発熱(数日)→RSウィルス様症状(1週間)→アデノ様発熱(数日)→アデノ結膜炎(3週間)と来てるから、しめて10週間ぐらいは平日も子守りをしている。(この後また発熱し、7月は結局、6日しか登園しなかった)

 2020年が散々だったのは子育て世代に限らないので、あえて触れることもないかもしれないが、4月、5月、7月、8月と4ヶ月は保育園を休んでいる。とはいえ、この時は保育料も返還されたし、皆が同じ条件でそれぞれ苦労していたので、仕方ないと思えた。それがまさか2022年まで丸2年も続こうとは、当時は予想だにしなかった。

 

支援のない家庭はどうなる

 親族などの支援も受けられず、大人二人だけで全てをこなさなければならないのは、休園でなくても十分人手不足で辛い。月に一度でも自分の親(祖父母)に会うことができたり、そこへいけたりすればどんなに違うことか。さらに、僕は職場に行くことが必須の業務もあり、状況が常に綱渡りである。それでも、うちは一応、夫婦で交代しながらやれば、子供を見ながらでも仕事ができるから、他の子育て世帯に比べればマシな方だろうと思う。
 これがもし、片方は毎日出社必須であったり、ひとり親家庭だったりしたら、仕事への影響は免れないだろう。どんな理由であれ、1ヶ月もイレギュラーに休んだりしたら、会社もはいそうですかと受け入れるわけにはいかない。評価を下げたり、減給、あるいは退職勧奨につながるだろう。正規雇用の人にはわからないかもしれないが、非正規雇用であれば、たいてい年度末に設定されている契約更新のタイミングで、更新をしない、つまり失職するリスクが否応なく高まる(僕は非正規雇用だが、最長契約期間の最後の更新(来年度いっぱいまで)が終わった後で、再来年以降の継続がないので、来年の今頃に失職することはいずれにせよ決まっている。だから、ある意味その心配がないのは良かったのだが、新しい職探しの準備には、多大な影響を被っている)。子育て世帯、あるいは扶養が必要で年金や手当をもらえない人を養っている世帯で、所得に不安があるというのは、世帯構成員の全員が働いている、あるいは働ける世帯とは、その恐怖の度合いが違う。自分はどうなっても、自分の責任ということでまぁ受け入れることもできる。しかし、自分だけでない弱い人たちを巻き込まなければならないというのは、これは経験すると本当に強い心労を覚えるものなのだ。

 かの有名な増田「保育園落ちた日本死ね!!!」が書かれたのは2016年2月。それから6年が経ち、待機児童問題は一向に解決していないものの(「「保育園落ちた日本死ね」から5年経っても、待機児童問題が解決しないワケ 保育所はビジネスとして儲からない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)」)、子供を園に預けて働けるようになった親は増えた。しかし2020年のコロナ禍以降、2年も保育園が開かなくなった。たまに閉まる、というのでも、勤労者にとっては痛手だ。会社に毎月、下手すれば毎週、今日早退します、明日休みます、なんて伝えてくるような人を、どんな企業が採用しようと思うだろうか。子供がいない人を採用しようというインセンティブがどんどん強くなるばかりである。それだけでなく、コロナ禍は女性不況とも言われる通り、働く母親を直撃している(「「夫セーフティネット」崩壊が突きつける過酷現実 | コロナ禍があぶりだした「女性の貧困」の深刻 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース」)。また、育児の必要のために働き方を抑制し、非正規雇用者となった親たちに、政府が補助する休業手当を支払わない企業が多いことは先に触れた記事(感染症と休園に苦しむ親たち - 読んだ木)でも書いた通りだ。その後も国や自治体は煩雑な手続きをとることで時間稼ぎをしていたため(「臨時休園・休校で「休業助成金」働く保護者らの相談急増 利用「ハードル高い」と不満も|総合|神戸新聞NEXT」)問題が膨れ上がって、今では続々訴訟になっているという(「あいまい契約「シフト」の穴 休業補償求め、司法の場に続々政府も補償義務指針示さず:東京新聞 TOKYO Web」)。厚労省は今年2月になってようやく、事業主が払うべきものを払わない場合、個人が直接申請してもよい、とルールを変えたが(「子ども休校時の助成金、保護者の申請を簡単に 勤務先が認める前でも(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース」)、結局は労働局が代理で事業主と交渉するという建前で労働者の訴えを食い止める形になっている。

休業支援金・給付金の仕組みによる直接申請の対象
(1)労働者が労働局に小学校休業等対応助成金の相談を行い、労働局が事業主に助成金活用・有給の休暇付与の働きかけを行ったものの、事業主がそれに応じなかったこと

(2)新型コロナウイルス感染症への対応としての小学校等の臨時休業等のために仕事を休み、その休んだ日時について、賃金等が支払われていないこと

(3)休業支援金・給付金の申請に当たって、当該労働者を休業させたとする扱いとすることを事業主が了承すること。また、休業支援金・給付金の申請に当たって、事業主記載欄の記入や当該労働者への証明書類の提供について、事業主の協力が得られること。

(「小学校休業等対応助成金について保護者の個人申請がしやすくなる?手続き簡略化の内容とは?|使いたい補助金・助成金・給付金があるなら補助金ポータル」)

その間にクビになったり、子供のための生活、教育資金が枯渇したらどうするのか。子供は手続きを進めたり裁判をやったりする数ヶ月、あるいは数年間の間、ちょっと3歳のままで待っててくれ、小学2年生の算数で待っててくれ、というわけにはいかない。

 弱いものをさらに追い詰める無茶苦茶な態度を国も自治体も企業も取り続け、司法の場に行かないと救済も受けられない、世も末とはこのことである。そして割りを食うのは、頑張って働き、子供を育てている当人たちだ。先日も「濃厚接触者の自宅待機、欠勤扱いは「死活問題」 シングルマザーから悲痛な叫び〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット) 」などという記事が出ていたが、シングルマザーがコロナでやばいから救済しなければならない、という話は最初から出ていたのに、この2年間、一体国や自治体は何をしていたのか。少なくとも彼女たち、そして彼女の子供たちが安心して生きていくためのことは、十分にできていなかったのである。それで死んでいく人がいるのだから、本当にやりきれない(「女性の自殺 理由「子育ての悩み」など「家庭内の問題」が増加(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース」)。最も手を差し伸べるべきはまさに彼女たちに対してではないのか。

 余談だが、若者や女性に対する政策がひどいことを投票率の話にすり替える者もいるが、騙されてはいけない。選挙で高齢者がたくさん投票に行くと子供が虐げられる結果になるというなら、それは高齢者の倫理観が低すぎるという高齢者の問題である。だから僕は、若者に選挙へ行けと煽る記事は全て間違いを含んでいると判断している。なぜならそこに、最低でも投票の中心的な年齢層である高齢者の倫理観の問題、他者への共感や想像力の低さの問題を、言及していなければならないからだ。そして、それに言及するのであれば若者の投票率の低さは人口の少なさのフィードバックとして理解するだけでよく、わざわざ末尾に付け加えて若者に説教するような必要は微塵もないのではないだろうか。若者のための政策があった頃は、若者の投票率が高かったとでもいうのだろうか。この少子高齢化社会ではいずれにしても馬鹿馬鹿しい話である。

 

それぞれの世帯にそれぞれの苦労(他のブログから)

 まぁやっぱりなんと言っても、共感を求めていくということで、同じように子供が休園になったり濃厚接触になったり陽性になったりした人のブログ記事を発掘。

娘が濃厚接触者に…。

ohota-kurashi.hatenablog.com

在宅でうまく勤務できるといいよなー。この方は子供が5歳か。一番下の子が5歳になれば、うちもこのぐらい楽になるのかもしれないが、4歳の上の子を見ていても……まぁあれだ、個人差があるな。

また休園かも!?(;'∀')

azukinako0515.hatenablog.com

この文章にある、

今、これから、ひたすら働かなきゃない時に

助成金が出ようが、給付金が出ようが

毎日出社して業務をこなす信頼は

給付や助成はされないのです。

これ! 本当にこれなんだよね! 確かにお金ないと生きていけないからそこはなんとかしてほしいけれども、そこがなんとかなっても結局、子育て優先してるってだけでもう仕事の評価は下がってしまう。会社にしてみれば仕事と子育てどっちが大切なのよ!って感じなんだろうけど、そりゃ一人で生きていけない人の面倒見る方が大事なので。。。
 てか、このブログのフォントすごいな、こんなウェブフォントあるのか。

家族みんなコロナにかかってた日記

airreader.hatenablog.com

 保育園からもらってきて家族全員かかるパターン。しかもこれ、デルタっぽいな。えぐいですね。冷静に整理・対応されてすごい。僕だとメンタルの方で先に逝ってしまいます。小さい子供いると基本自宅待機決定なので、自宅待機向けの支援がないのは辛いし、保健所がもうパンクしてて検査どころか連絡も来ないの、ほんと大変。

  • 保健所からの最初の連絡が自宅療養期間の終了で、次男の時とは大違い。HER-SYS入力タイミングも無いわけで、全く経過観察されなかったと言える。ほんの10日前と比較しても検査能力が逼迫しているのだろうなと思わされる
  • しばらく後に折返しで電話があり、やはり長男と妻の聞き取りも行い、それをもって調査終了、自宅療養期間終了とさせていただきたい、という事になった
  • 保健所の処理について全然知らないが、病院での検査結果と保健所による検査結果、別に記録されているだろうに、それをマージして処理してもらえたのは、こちらの状況を理解して、アクションをとってくれたんだろうなと思える。クソ忙しいだろうに感謝しかない…。
  • しかし、妻の電話が保健所につながらなかったら…。僕が病院で検査を受けていなかったら…。とIFを考えるとかなり厳しい気持ちになる。行政はしっかりしてほしいと思う

もはや「しっかりしてほしい」とかいうレベル超えてんで。。。

子供との時間

5yearsdiary.hatenablog.com

いい親ですね。。。僕は猫をどかす感じで子供を毎度隣室に運んでしまいます。

個人的な話(研究と生活)

 ここからは個人的な話。僕は人文系の博士課程を単位取得退学(博士号なしでドロップアウト)して間も無く2年が経つが、先日のニュースによれば、もし博士号をとっていたとしても、収入は200万円台(最頻値が100万〜200万で、〜300と〜400までが山になっている)なのがこの世界の常態なんだそうだ。

文部科学省科学技術・学術政策研究所が2018年度に大学の博士課程を修了した人の1年半後を追跡調査したところ、人文系は年収100万円以上200万円未満が最多となるなど、仕事で食べていけない博士を量産している実態が明らかになった。(食べていけない博士を量産、国内の博士人材追跡調査 - 大学ジャーナルオンライン

それに比べれば、たった3年でも、一応共働きなら食っていけるだけの給料が得られる今の常勤職に就けているのは運が良かった(院生時代はずっと民間で働きながら片手間で研究をやっていた)。来年度が最後の契約年だが、その後200万未満の収入では生きていけないので、また民間に戻ることになるかもしれない。民間も色々なところを覗かせてもらったが、それに比べれば研究の世界は本当にピュアな能力主義なのが良い。しかし、その能力はたいてい能力だけではなく、能力×投下時間×人脈=成果物で測られるので、投下時間が短くならざるを得ない育児・介護など他人の世話まで受け持たなければならない人間にはなかなか厳しい世界でもある。その辺がコロナ禍における研究の男女格差にも表れている(「女性の論文著者、コロナ後に急減 育児・家事の負担偏る [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル」)。僕もこの2年、研究は大きく制約されたが、おそらくこの間に、育児や介護などに煩わされない人は、僕の数倍、数十倍は研究を進め、その成果を発表していることだろう。それを考えれば、研究の世界に残り続けるのが、あまりいい選択ではないこともわかっている。

 これはしばしば知人に話す経験談だが、昔、Sという研究者(今は作家)の出版イベントで、その人が言葉を産出することと新たなものの産出とを同じようなものとして論じていたので(それ自体は19世紀以降の哲学にしばしば出てくる問題なのだが)、言葉以前に産出される生命の可能性について扱うことができるか、とベルクソンを念頭に問うたら、「それはママに訊け」とあっさり返されたことがある。僕は当然激怒したが、Sの隣に座っていた司会役の評論家Wがそこに輪をかけて余計なことをベラベラとしゃべるので、興醒めして帰った記憶がある。そして、今でも人文系の研究の世界にはそういう雰囲気が漂っている。つまり、出産育児に関するようなことは人文系で中心となる研究の議論の対象ではないということ、そして研究者という知的(笑)で啓蒙(笑)された人物の反対側に対置されるのが「ママ」だ、という差別意識である。

 また、これも余談だが、人文系の研究者はツイッター上でのやり取りを好まれる方もいて、僕はツイッターをあまりやらないので(その経緯は「ブログのTwitter連携 - 読んだ木」参照)話についていけないこともしばしばであって、これは結構、この分野を離れたいという気持ちを増幅してくれる。前にある学会でツイッターアカウントを作ろうという話が出た時も、申し訳ないと思いつつ理由をつけて断った。ツイッターは個人相手のプロモーションを必要とする仕事や、趣味のつながりで使うものであって、他のこと(例えば政治的対立や倫理観の啓蒙、公的なアナウンスなど)を目的として本気で使うのは、関係ない人をどんどんアクセスさせて広告で儲けたい運営会社の思う壺である。

 

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 どうもストレスが溜まっていたらしい、子供が昼寝している間に少し作業しようと思っていたのに、長い落書きをしてしまった。いずれにしても、休園で困っている、特に収入が低かったり不安定だったりする親たちへの支援を強く期待したいところだ。うちは世帯主(僕ではない)が稼いでくれるので、当面は大丈夫なのだが。