読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

ガトーショコラとチョコクロワッサン

 今週のお題「チョコレート」にちなんで。

 「チキンライス」という歌がある。松本人志作詞で、槇原敬之が曲をつけ、浜田雅功が歌ったあの歌だ。大人になっていくら贅沢できるようになって、どんな高級なものを食べてみたって、幼少時のクリスマスに味わったチキンライスの味には敵わない、という趣旨の歌だったと思う。

 誰しもそういう幼少期の思い入れのある食べ物があるだろうが、僕にとってそれはガトーショコラかもしれない。母親が作っていた、クーベルチュールチョコレートを買ってきて生地を作り、焼いて最後にブランデーを垂らす濃厚なものだ。その記憶を元に、高校生くらいから20歳を過ぎたあたりまで、僕自身も毎年クリスマスにガトーショコラを作っていた。そんなわけで、僕のイメージではチョコレートといえばガトーショコラ、あるいはクリスマスといえばガトーショコラ、という感じだった。しかし、実家を出てオーブンのない生活になったこともあり、それ以来手作りしなくなってもうだいぶ経つ。作り方もすっかり忘れてしまった。だいいち、市販のものでもガトーショコラを食べるチャンスがなくなった。考えてみれば、ずいぶん贅沢な食べ物だったのだ。

 ▼ガトーショコラを作る時には必ず手に入れていた、大東カカオのでっかくて分厚い板チョコ。 

 

 自分が親となった今は、今度は自分で何か作らないと、子供がお菓子作りの楽しみや手作りのお菓子の味を経験できない。できれば僕のこの記憶の中にしか保冷されていないガトーショコラの味を解凍して子供に伝えたいところだが、まだ片手で数えられる年齢の子供たちには作ることはおろか味を理解することもままならないだろう。

 そこで今年のバレンタインには、チョコクロワッサンを作ることにした。作り方は至って簡単。冷凍のパイ生地を買ってきて、半解凍したものを三角に切り、その底辺に細かく割ったガーナの板チョコを置き、くるりと巻いて卵黄を塗るだけだ。*1 材料費は1,000円もいかないのではないか。

 子供には三角に切ったパイ生地とチョコを渡す。子供は手を舐めながらチョコを砕いて、そのかけらを置いては巻き、置いては巻きしていく。全部巻けたら卵黄を渡し、指で満遍なく塗らせる。200℃のオーブンで15分焼けば出来上がり。

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 はっきりいって、不恰好で味もつまらない代物だ。ガトーショコラに及ぶべくもない。やれやれ。一つつまんで口に放り込む。その間に、小さなパティシエは次々に自分の作ったチョコクロワッサンを口に運んでいる。相方と下の子もご相伴に与ってご満悦である。休日の午後が、静かに過ぎてゆく。

 

 確かに、僕は大人になって、その気になればメゾン・カイザーのパン・オ・ショコラを買って食べることもできるようになった。アニヴェルセルのガトーショコラだって手に入れられないことはない。クーベルチュールと生クリームとVSOPのブランデーを使ったガトーショコラだって作ろうと思えば作れる。だけど、小さなパティシエの巧みの技が生み出す個性的なチョコクロワッサンと、それを食べる家族の時間は、金と時間をかけて手に入れるものには代え難いものかもしれないな……そんなことを考えながらぼうっと子供の顔を見ていたら、「何見てんの〜!」と言われて我に返った。気づけばチョコクロワッサンが残りひとつしかない。「私がだいぶ食べちゃった」と相方が笑いながらいう。僕は最後の一個をつまんで口に放り込み、ゆっくりと味わった。

 

 母のガトーショコラの味も忘れ難い。だけど、今の僕はチョコクロワッサンがいいや。

 

 

チキンライス

チキンライス

 

 

*1:ただし、次の三つの点に注意する必要がある。第一、解凍前のパイ生地を割らないよう注意する。第二、パイ生地がまだ曲がるか曲がらないかぐらいの解凍時点でカットを終える。第三、カットのサイズは底辺がクロワッサンの幅になることを意識する。

ケンプの弾くベートーヴェンの「皇帝」

 この記事の続き。

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 前の記事を書き終わった後に唐突に思い出したのだが、母親が好きだった録音のもう一つに、ヴィルヘルム・ケンプの弾くベートーヴェンピアノコンチェルト第5番「皇帝」があったはずだ。ただ、LPのジャケットがどうしても思い出せない、ケンプが弾いた「皇帝」なんて、ベルリンフィルと一緒にやったものだけでもいくつかある。この1961年のライトナー指揮ベルリンフィルとの、本当にマジで完成された演奏の録音は有名だと思う。 

 

 でも、僕が家で聴いていた(聴かされていた)ものは、録音の質も含めてこんな綺麗なやつじゃなかったはずだ。Apple Musicで聞けるやつは限られているが、もちっと勢いのある、録音が荒いやつだったはずだ、と思って探して見つけたのは、このケンペン指揮ベルリンフィルの演奏である。

ベートーヴェン:P協奏曲第5番

ベートーヴェン:P協奏曲第5番

 

  1950年代中盤の録音なんだそうだが……あーこれっぽい、なんかレコードで聴いたときはもっと左手の音が立ってたように思うし、オケがより縦ノリでもったりしていた気もするが、デジタル圧縮の過程で低音が欠けているのかもしれない。そうそう、ケンプなのになんかパワフルな演奏なんだよね。オケもそのノリにマッチした勢いのある演奏で、聴いてて力が湧いてくる。若い頃のリヒテルとかを好んで聴いてた母親らしい好みだ。

 我が家にはほんとグラモフォンのLPがたくさんあるのだが、母親の兄、つまり僕のおじさんがオーディオ好きで秋葉原でバイトしていたほどの人で——その頃の秋葉原はまだ電子計算機がなく、真空管とか半導体を売るオーディオショップがひしめく場所だった——その影響で母親もLPを石丸電気でよく買っていた。僕も記憶があるが、万世橋昌平橋の間の、多分いまテレオンになっているビルが石丸電気レコード館で、LPとCDがずらりと並んでいた。吹奏楽の話の記事(男子高校生の演奏 - 読んだ木)の最後で書いたフレデリック・ディーリアスのCDもここで買ったのだから、僕が高校生の頃はまだ石丸電気だったはずである。 (関連記事:石丸電気のレコードのビニール袋 - 読んだ木

 

 いやーでも懐かしいな、モーツァルトとかベートーヴェンとか、グラモフォンとか東芝EMIとか、僕の幼い頃の麗しき記憶だなこれは。いつまでもこういう音楽が聞けるのはありがたいね。子育てが終わったら(何十年先になるのか知らないが)、改めてレコードプレイヤーをしつらえて、実家に残っているLPを片っ端から聴き直したいものだ。

 逆に考えると、いま僕がApple Musicで聴いている音楽を、子供達に物理的に継承することはできないのか。まぁ、相続というのは資本主義において格差を再生産する私有財産の悪いクセだから、ものとして継承できないこと自体の是非は色々あると思うけれども、僕がこうして昔のことを振り返ることができるのも、やっぱりLPが残っているからだと思うんだよね。そのジャケットの意匠とかで記憶している部分もあって。いまどきは色々なものがサブスクリプション・モデルで提供されているから、子供に残せないものは昔よりも増えているのかもしれない。子供に残せないだけでなく、友達と共有するとか、地域で使うとかもできない。電子化された漫画とか雑誌とかがいい例だ。それにより個人から収益が上がることは望ましいのかもしれないが、消費者はさらにたくさんお金を払わないと、それまでコミュニティに所属することで享受していた様々な文化的資産や機会を得られなくなる。もちろん、嗜好の個別化した時代に即したサービスと言えばそうなのかもしれない。ただ、共同で同じものを消費することの楽しさというのもあるわけで、そのような体験をできる機会が少ないと、そういった体験を通じて形成できるはずだったコミュニティや他者との結びつきは当然損なわれるわけだよね。コロナ禍においてそれは顕著だと思うけど、他人との結びつきが大好きなかまってちゃんの僕としては、そういうささやかな共通体験を形成する契機が減るのは残念だな。お金がない人が一方的に損することになることも問題だしね。そういえば、我が家にはゲームがなかったから、僕は金持ちの子のうちに行って一緒のゲームで遊んでたけど、今はそういうこともできないんだろうか。

 なにより皮肉なのは、サブスクリプション・モデルを導入することで、人々が自分たちで勝手にものを共有できないようにさせて、共有したいなら金を払えというビジネスモデルが、「シェアリング・エコノミー」と呼ばれていることだろう。 世知辛い世の中だね。

 

▼この記事の続き

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モーツァルト日和

 気候が春めいてきたので、BGMにモーツァルトをかけ始めた。バロックにはない流れるようなハーモニーと、ロマン派にはない透き通るような軽さが、日本の春の訪れのイメージにぴったりだ。

 前の記事(男子高校生の演奏 - 読んだ木)に書いたが、高校生の頃に吹奏楽をやっていた時に演奏していたのは、だいたい20世紀の近現代音楽だった。

 そのあと本当に音楽をやらなかったかというと、毎日練習するほど真面目にはやらなかったけれども、一応、大学でも音楽サークルに入っていた。そこは後期バロック時代の音楽を主に演奏するところだったから、バッハとかテレマンとかヴィヴァルディをよく聴くようになった。ちょうどドイツ・ハルモニア・ムンディから50周年記念のCDボックスが発売されて、学生には高い買い物だったけどとにかく手に入れて、片っ端から聴いていた。聴いていたからといって演奏できたわけではないが。

Dhm 50th Anniversary Box

Dhm 50th Anniversary Box

  • アーティスト:Various Artists
  • 発売日: 2008/04/21
  • メディア: CD
 

 

 けれども、僕が個人的に好きだったのは、前の記事(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)でもちょいちょい書いているようにラフマニノフとかチャイコフスキーとか、ドボルザークとかワーグナーとか、ロマン派の音楽である。

 そうすると、ルネサンス期以前は別として、僕の音楽鑑賞歴においては古典派がすっぽり抜け落ちることになる。僕は弦楽器をまともにレッスンを受けてやったことはなかったし、ピアノもバイエル止まりなので、日本では結構多くの人が馴染み深いはずの古典派の音楽に触れる機会があまりなかったのだ。

 ただ、僕の母親は逆に、古典派好きだった。だから家には、モーツァルトとかハイドンとか、ベートーベンとかのLPやCDがたくさんあったし、メヌエットといえばバッハではなくボッケリーニだった(ちなみに、僕も今まで知らなかったが、バッハのメヌエットクリスティアン・ペツォールトというオルガニストメヌエットだったということが明らかにされたそうだ)。母親は特にモーツァルトの晩年の交響曲を好んで聴いていて、カラヤンだかベームだかが振った交響曲40番がお気に入りだった。多分ベームかな。如何にせんもう20年ぐらい前の話だから、そのLPもまだどこかに残っているかどうかもよくわからないが、今度機会があったら確認してみようと思う。そんなわけで、僕は古典派の音楽にも馴染みがないわけではないが、ただなんとなく懐かしい感じのするような印象を持っている。それは、僕がまだ子供のとき、いわゆる20世紀末の中流階級によくあるような、庭付きの一戸建てで平穏な暮らしを経験していた時の記憶の中にのみ流れていることが相応しいような音楽なのだ。

 

 それでとにかく、僕はモーツァルトを聴こうと思ったのだった。もう庭や一軒家どころかオーディオを置くスペースもない狭い部屋にはLPもCDもない。Apple Musicで適当なのを選ぶだけだが、そしたらサイモン・ラトル指揮ベルリンフィル演奏の交響曲39, 40, 41番があった。2013年と非常に新しい録音だ。

Mozart: Symphonies Nos. 39, 40 & 41

Mozart: Symphonies Nos. 39, 40 & 41

  • 発売日: 2017/02/07
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

  すると、思いのほか爽やかなモーツァルトが流れてきた。なんていうんだろう、オケでやってるんだけど、20世紀の壮大な感じの演奏にならず、古典らしい風の流れがあるというか。あまり詳しいことはわからないけど、弦楽器の弓の使い方がいい意味で力が抜けてて、音楽にリズムと流れがある。グッと引いてカチッと止める式の、小澤征爾が得意な弾かせ方じゃなくて、ある程度楽譜に書かれている弓の動きに任せて弾かせる。そうすることで、楽曲全体が重くならず、楽しい感じが生まれてくる。そんな振り方をしてるんじゃないかと思った。

 上に貼った前の記事(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)で、クラウディオ・アバドに触れたけれども、アバドの後任としてベルリンフィルの芸術監督になったのが、このサイモン・ラトルである。アバドリッカルド・ムーティとともにポスト・カラヤンの指揮者とみなされていたことは同じ記事で書いたが、実際にカラヤンの後任としてベルリンフィルの芸術監督になったのがアバドだった。アバドは寡黙な仕事人であった。そして、その後任となったラトルは、打って変わってナウでヤングな指揮者だった。そのラトルの、楽しくて親しみやすい性格が、音楽にも表れているのだろう。そのうち実家でLPやらCDを探し出して、昔の指揮者の録音と聴き比べてみようと思う。

 この録音はまた、驚くべきことにというかさすがというか、オンラインを通じたデータ形式でしか販売されていないそうだ。ハードの媒体がない録音は、確かに便利だが、将来的に聴けなくなってしまう恐れもあるような気がする。LPはかれこれ半世紀ほど聴けているので、ぜひこうした最近の録音も長く残ってほしいものだが。

 この続きの記事もあるよ↓

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グローバルからアジアへ、隣人へ

 犬も歩けば棒に当たるというが、コロナで外に出なかったので棒にも何にも当たらないできた。

 ようやく今月あたりから、仕事などの関係で止むを得ずではあるが、ちょくちょく家を出るようになってきている。中華料理店に行けばテレサ・テンが流れてくるし、電車に乗れば広告が新鮮で、街を歩けば馴染みの店がみんな潰れている。

 仕事場の周りのカフェが軒並み潰れて、今日はわざわざ駅前にあるカフェまで行く羽目になった。コロナから解放されたとしても、自分の生活スタイルは全く変わるだろう。いく店も、歩く道も、関心を向けるものも変わってしまった。ちょっとした異世界転生である。

 

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 去年の今頃は、いろいろと仕込んできたものが実って、一年かけてアメリカ、香港、ヨーロッパでそれぞれ研究発表をしたのちに、アメリカで仕事を探す予定になっていた。まさに今をときめくグローバル人材になってやろうという算段だったわけだ。それが、コロナで予定していた全ての発表がキャンセルまたはオンライン化。

 海外で就活するどころか、つないでくれる予定だった先生方に対面することなく一年が過ぎ、アメリカどころか日本での仕事の話も立ち消えになる有り様。思い描いていたボストン生活は絵に描いた餅で終わった。

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 しかし、悪いことばかりあったわけではない。代わりに仲良くなったのが東アジアの研究者で、成り行きで韓国、台湾、香港、中国、シンガポールなどでの研究のネットワークに仲間入りすることになった。そうしているうちに、線と点で見ていた地球が面になり、もう少しこの辺にいて掘り下げるべき課題がいろいろ見えてきた。

 5年ほど前にも、アジアでの就職を考えたことがあったが、収入が半減すると周囲に一笑に付され、それ以来僕もあまり真面目に考えないまま過ごしてきていた。その状況は今でも同じだが、僕の考え方はだんだん変わってきた。子供のことを考えればある程度の収入は必要だが、自分のキャリアを考えると、日本に居続けることはあまり望ましい選択肢ではない。

 アメリカやヨーロッパなら収入はいいが、結局黄色人種差別の中で生きることになる。僕の研究の性質上、特にヨーロッパでこの分野を研究しようとする人にはどうしても日本に対する非対称的な、マイルドな言い方をすれば日本を実際のいまある国としたではなく、ある種のエキゾチックな研究素材としてしかとらえないような、目線で取り扱う態度をいつも感じてしまい、どうしても馴染めない。

 アジアなら、むしろ日本人の看板を担ぐという点で自らが差別する危険性には注意しなければならないが、エキゾチックな問題ではなく、いまここに生きる我々の問題として、あえていえば、まだ対立と紛争が絶えないアジアの平和の問題として、他のアジア人の間にあるアジア人の一員として、対等に、主体的に研究できる。そういうことが、今年一年で学んだことだ。

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 で、その研究を進めるためには、日本を出てアジアのどこかに身を置いて、日本やその他の地域を相対的に見られるようなところに行かなくてはいけない。日本にいて日本を相対化するのは、ペニスをつけたまま女性であることを経験しようとするような難しさがある。僕は実際、それも試みているが、むしろ相対化できない自らの立場の絶対性をより強く感じることの方が多い。

 男性性を相対化するためにペニスを切り取ってホルモン注射する予定はないが、日本人であることを相対化するために日本を出てアジアの他の地域に住むのは悪くない。その時に、これは逆説的だが、日本というものがもうどうでも良くなって、日本を見るためのアジアの一地域ではなく、その地域そのもの独自の地域性が僕のアイデンティティの中で育まれ、新たな主体性を獲得することになるだろう。なんとかそこまでいきたい。然るのちに、アメリカやヨーロッパの研究者と同じように、日本をある種の客体として取り扱う研究ができるようになるだろう。

 もちろんその場合でも、自分がアジアに根差す人間だという自覚のもとで、アジアの平和を目指す主体的立場に変わりはない。

木を植えた男

 それと関連することだが、このブログを立ち上げて、久々にブログ記事を書く体験をしているが、前と違っていくらでも書くことが湧いてくる。それはなぜか。

 理由は、僕が抽象的な概念ではなく、自分の体験や感情に根ざして記事を書くようになったことにある。愛とか平和とか、社会とか国家とか、大きな主語や大きな枠組みで何かを論じようとすると、結局何を論じているのやらわからなくなってしまい、ずっと空回りすることになる。僕がすごい研究をするといって急にアメリカに行こうとするようなものだ。そういった言葉を使いたいと思った時、人は何かその言葉に託したい内容があるはずなのだ。ただ、適切な言葉がすぐに見つからず、取り急ぎ大きいバケツのような言葉にその内容を放り込んでしまう。しかし、いくらそのバケツについてこねくりまわしてみても、そのバケツに入った内容を紐解く事はできない。なんとなればその内容は、バケツの隅に少し転がっているだけだからだ。

 もっと日常の感性、いつも使う言葉、具体的な対象に絞って話を始めれば、その小さな、でも大きな意味を自分にとっては持っている内容が、輪郭を現してくるだろう。世界平和を論じるときも、愛を語るときも、まず今日会った人や訪れた場所から始めることだ。単に教条を振りかざしても、実感のこもっていない言葉は単なる無内容なスローガンに成り下がる。

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 答えは大陸や大洋の向こう側にあるのではなく、自分の隣人が持っている。隣人から広がって世界につながっている。グローバルに対するのはローカルではない、ネイバーフッドである。グローカルではなくグローバーフッド。そういうこの一年の学びが、多分僕の将来を大きく変えることだろうと思う。

 

(本記事は、はてなのお題「#この1年の変化 」に即して書かれました。)

歌を通じたアジアと日本の繋がり

 昨日の昼に行った中華料理屋で、聞き覚えのある曲が流れていた。テレサ・テン(鄧麗君)の「時の流れに身を任せ」だ。

 その中華料理店は福州の中華料理と書いてあった。福州とは福建省の海の玄関口で、台湾への移民を多く輩出した土地である。テレサ・テンの両親も、国共内戦に敗れた国民党側の人間であったために蒋介石とともに台湾に移住した人間で、テレサは台中で生まれている。この中華料理屋も、看板は福州の中華料理であるが、実際は台湾料理店なのかもしれない。

テレサ・テンが見た夢: 華人歌星伝説 (ちくま文庫)
 

 その流れていた「時の流れに身を任せ」であるが、僕の知っている日本語版ではなく、中国語版の歌詞で歌われていた。あとで調べたら、中国語版のそれは、テレサ・テン自身が訳して「我只在乎你」という曲名で出されている。ウォーチーツァイツーニ〜と歌う中国語のテンポが、日本語の甘ったるい感じとは異なり、少し切なさや苦さを絡ませたいい感じの雰囲気を醸し出す。

我只在乎你 (蜚聲環球系列) (限量編號版) ~ 鄧麗君
 

  「アジアの歌姫」と呼ばれるほどの活躍であったのに、呼吸器系の病気で42歳の若さで亡くなった。生前は、民主化に向かう大陸中国の舞台に立つことを願って香港を拠点に活動していたが、天安門事件のあとにそれも叶わなくなり、パリに転居していた。彼女の死から四半世紀しか経っていないが、もう日本ではあまり覚えている人もいないようにも思える。韓国のアーティストが全アジア、全世界的に活躍している一方、それ以外の東アジアの、台湾や香港のアーティストが、あまり若い世代の関心を集めないということもある。とはいえ、「時の流れに身を任せ」は多くのアーティストがカバーしているので、曲としては知られているのかもしれない。かもしれない、というのは、僕自身はそのカバー曲など全く耳にしたことがないのだが、wikipediaには非常にたくさんのアーティストがカバーしたことが書かれているので。何か、アーティストを惹きつける力のある曲なのかもしれない。

 

 前の記事で、1970-80年代にヨーロッパの色々な演奏家がみんなわざわざ日本に来て演奏して録音していった話を書いた。

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 「時の流れに身を任せ」も同じ時代、1986年に出た曲で、「アジアの歌姫」がアジア各地のみならず日本で大きく活躍したのも、レコードメーカーが全盛を振るっていた時代を感じさせる。現代でいえば、BTSやBLACK PINKがわざわざ日本に頻繁に来て演奏したり録音したりするようなものだ。まず現代ではそういうことは起こらない。ソニーミュージックが韓国のJYPエンターテイメントと組んでNiziUをプロデュースするのが精一杯である。また、当時は戦争が終わってまだ日が浅く、日本、韓国、台湾、中国などに血縁がいる、あるいは出身がそこであるような人が日本にも多くいて、現代のように日本で日本の曲だけが流行る、ということもなかった。テレサ・テンと同じ台湾出身のジュディ・オング翁倩玉)なんかは歌だけではなくテレビによく出ていたらしいし(僕の生まれる前なのでよく知らないが)、香港出身のアグネス・チャン陳美齡)は現在では評論家か社会活動家のような扱いだが、若い頃は歌手として、紅白歌合戦にもなんども出たことがある。最近は香港や台湾出身の歌手を聞かない。最近日本で耳にする日本以外の出身のアーティストは韓国からのアーティストだけで、ほかのアジア地域からの人が全然いない。

 何が日本で歌われた歌で、何を日本の歌とするか、という境界線の引き方は難しくて、というか本当はあまりやるべきではないものである。GACKT夏川りみ(1973年生まれ)以降の世代は沖縄も日本になっているが(1972年返還)、それ以前の沖縄出身のアーティストは「日本出身」のアーティストでもなかった。1968年ごろには、ザ・フォーク・クルセイダーズ北朝鮮の歌「イムジン河」を耳コピで改作したものをレコードに入れて売ろうとしたところ、発売直後に販売中止、回収となった事件もあった。 

イムジン河 2017REMASTER

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『イムジン河』物語 〝封印された歌〟の真実

『イムジン河』物語 〝封印された歌〟の真実

  • 作者:喜多 由浩
  • 発売日: 2016/08/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 戦前は東アジアが日本の植民地で、文化侵略してたから帝国側の日本に来る人が多かったという側面があるし、戦後は冷戦構造で東アジアの西側諸国同士の結びつきが強かった、という背景もある。日本と日本以外という線引きがあまり意味なくて、アジアでの繋がりが強かったのが20世紀だった。そこには支配被支配の関係が色々な形であって、単純な関係ではなかったし、「日本人」としてそれに触れる際は侵略に対する反省もする。だが、いずれにしても、それらの時代が過ぎて歴史上の出来事に過ぎなくなり、21世紀になって日本とアジアとの間の関係がだいぶ薄れて、今のようなクローズドな状況になったのだろうと思う。現在は、日本の人が歌った歌、と、日本以外のアジアの人が歌った歌、というのは比較的クリアに線引きできる。逆に、今時の歌を歌うアーティストは日本のクローズドな市場だけでは満足できないので、誰でも韓国語、日本語、中国語と英語で歌って、市場を取りに行こうとしている。洋楽ですら、単に英語で歌っていればかっこいいという時代は終わった。まぁむしろ、なんで過去の日本の人が英語もろくにわかんないのにあれほどまでにイギリスのロックミュージックを尊崇していたのかよくわからないけど。

 余談だが、昔流行ったブラビことブラック・ビスケッツの「タイミング」という歌があるが、これも中国語版があった。ただ、サビの一部だけが日本語のままで、よくわからない歌だった記憶がある。なぜ中国語版があったかといえば、ブラビのメンバーのビビアン・スー(徐若瑄)が台湾人だったからだ。ブラックビスケッツは、台湾華語表記で「黑色餅乾」、曲名は「時機」。案外、僕が知らないだけで色々な地域から来た人がいるのかもしれない(それにしてもビビアン可愛いな……)。

Timing 時機

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  • アーティスト:BLACK BISCUITS
  • 発売日: 1998/04/22
  • メディア: CD
 

 

新幹線の顔の歴史 151系からE7系まで

 ブログ、楽しくてどんどん書いてしまうな。。。

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 前に書いたこの記事で、子供に鉄道雑誌を読ませてる話をしたんだけど、そのきっかけは子供が電車に興味を持ち始めた頃に、子供と一緒に立ち寄った本屋で『鉄道ファン』2020年1月号を買ったことなんだよね。 

鉄道ファン 2020年 01 月号 [雑誌]

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  で、リンクの写真にもあるように、特集が「485系」だったわけ。いやー、485系ってすごい特急列車なんだなと改めて思ったよね。日本の、交流60Hzと交流50Hzと直流の三電源対応で、九州から北海道までどこでも走る。

 485系のことを色々調べていくと、日本の新幹線の独自の形状のルーツっていうものも見えてくる。そこで今回は、(新幹線好きで形式全暗記の子供たちの会話についていけるように)151系特急電車からE7系まで全ての新幹線の顔の系譜について概観しよう。

 

(長いので目次つけた)

 

 485系といえば、炊飯器型と言われる貫通型の顔と、ボンネット型と言われるノーズの長い顔が思い浮かぶと思うんですよ。

 ▼これが炊飯器ね

 ▼これがボンネット

 ボンネットのやつは、その鼻の中に色々機器類が入っているわけ。炊飯器のやつは、その機器類を小型化して床下や屋根上に取り付けることで鼻を縮めて貫通できるように(つまり前面を開けて通り抜けできるように)してある。で、このボンネット型がとにかく戦後の日本の特急列車の原型と言っていい。

 

歴史の始まり:151系(20系)

 ボンネット型の先駆であり、戦後の特急列車の原型となり、その名残を今日まで引き継いでいる列車。それは、151系という特急電車。

 

 151系こだまは1958年から、それまで電気機関車EF58が牽引する客車列車だった東京大阪間の東海道線を走る特急を電車化して速達化、効率化するためにデビューした電車特急。車両自体は元は20系という付番だった。この鼻の長さは、90系電車(101系)では床下にあった機器を、鼻に突っ込んで客室の騒音を防止しつつ車高を下げたために生じたもの。Wikipediaにはイタリア国鉄ETR300形を模した、とあるけど、結構形が違う。

it.wikipedia.org

 これは、踏切事故での人的被害軽減のために展望室を無くした結果だという。時速110キロという、電車特急にしては当時超高速での営業運転をすることになったので、事故の危険回避も従来より念入りにする必要があったのだ、とWikipedia151系のページに書いてある。

 

新幹線の登場:0系、100系、200系、300系

 ここから新幹線の話。

 さて、151系にさらに強い風を当てて、流線型に持っていくとどういう形になるか。その結果として生まれたのが、0系新幹線である。

  お分りいただけるだろうか。この、新幹線の独自の形は、151系の発展系だからこそ生まれた形なのである。スカートの感じとか、運転席の窓割りとか、151系485系と同じ血を引いていることが一目瞭然である。0系新幹線って、本当に世界に二つと無い、独自のデザインなんだけど、それはこの、151系を流線型化したという点に起因するものなんだよね。だから151系は偉大。

 さらに風を強く当ててみよう。鼻を鋭くして、窓もより進行方向に突き出た形となる。それが100系新幹線となるわけだ。 

  東北・上越新幹線を走った200系も同様の展開を経ているが、雪の影響を避けるためにスカートなどが進化していることは興味深い。

TOMIX Nゲージ 200系東北・上越新幹線 F編成 基本セットA 6両 98701

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TOMIX Nゲージ 200系東北・上越新幹線 F編成 基本セットB 6両 98702

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  さて、では300系はどうかというと、この100系の、鼻と窓が別れている顔を、つるっと一体成型みたいなデザインにしてるんだよね。

 こういう風に、鼻と窓とを一体化したデザインにしたわけ。

 

JR東日本の新幹線:E1、E2、E3、E4、E5、E6系

 ここからは、JR東日本の新幹線の顔を見ていこう。

 JR東日本ミニ新幹線を作ることになると、300系では目があるところに、100系のような鼻の先の連結器をつける必要が出てきた。そこで、300系のつるっとした顔をそのままに鼻に連結器をつけて、ライトを窓の上に持ってくることにした。こうしてできたのが400系つばさなのだ。

  この形がE2系にも反映されることになる。

TOMIX Nゲージ E2 1000系 東北新幹線 やまびこ 基本セット 92575 鉄道模型 電車
 

  だけど、やっぱりライトは窓の下にあったほうがよかったのか、E1系E3系は照明を窓と鼻の間につけるようになっている。まだなんとなく151系の残り香を嗅ぐことができるだろうか。もうその痕跡はほとんど残っていない。 

  

  E4系E5系E6系では、トンネル進入時の騒音を減らすなどのために、だんだんと鼻を平べったく長くするようになる。これは複雑な形をデザインできるようになった設計技術の進歩も大きい。

 E1系の鼻を長くしたのがE4系だとしたら、

  E2系の鼻を長くしたのがE5系。ライトは上についたまま。

TOMIX Nゲージ E5系 東北新幹線 はやぶさ 基本セット 92501 鉄道模型 電車

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 H5系も見た目は全く同じ。

TOMIX Nゲージ H5系 北海道新幹線 基本セット 92566 鉄道模型 電車

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  • 発売日: 2015/07/26
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  E6系E5系に似ていると思われるかもしれないけど、引き継いだ元がE2系ではなくE3系だから、目(ライト)は窓の下にある。在来線走行の関係なのかもしれない。

KATO Nゲージ E6系新幹線「こまち」3両基本セット 10-1566 鉄道模型 電車

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  • 発売日: 2019/06/27
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JR東海、西日本、九州の新幹線:700系、N700系、800系

 さて、これまではJR東日本の新幹線を中心に見てきたが、JR東海や西日本ではどうだったか。

 西へ向かう新幹線は、300系をベースにこの鼻を長くするやつをやって、700系、N700系と引き継いでいく。 

 700系。

  阪神淡路大震災の後に登場したレールスターこと700系7000番台

  N700系

 九州新幹線直通用のN700系8000番台。 

  こっちの方が全然151系の名残があるね。700系の時に一旦ライトの部分がE1系E3系のように上に上がっているけど、151系→0系→100系300系N700系とみれば、その進化が一目瞭然。九州新幹線の800系も、実は窓のあたりの形状は700系とあんまり変わってない。

 

新たな顔をもつ新幹線:500系E7系

 最後に、500系とE7・W7系について。

  ここに出てこない新幹線で新しい潮流をなしているのが500系とE7・W7系。これらは、ドイツのデザイナーかなんかに頼んで、戦闘機のキャノピーの形を窓に取り入れている。だから、先頭形状が全然違うのね。この、運転席の窓が進行方向に向かって縦長で、上にやや突き出る球面になっている。500系151系の面影はないし、E7系はそれまでのE系列の流れとはかなり違う顔になっている。

TOMIX Nゲージ 500-7000系山陽新幹線 こだま セット 8両 98710 鉄道模型 電車

TOMIX Nゲージ 500-7000系山陽新幹線 こだま セット 8両 98710 鉄道模型 電車

  • 発売日: 2020/10/31
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

TOMIX Nゲージ W7系 北陸新幹線 基本セット 92545 鉄道模型 電車

TOMIX Nゲージ W7系 北陸新幹線 基本セット 92545 鉄道模型 電車

  • 発売日: 2015/02/28
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

  まぁ、だから500系は今でも根強いファンがいるのだろう。E7・W7系の良さは、まだあんまり認められてない気がするけど、これからだんだん知られていくようになると思う。

 中国ではいろんな国の新幹線を取り入れているから、もっと面白い顔の新幹線も出てくるかもしれないけど、多分大陸では速さ勝負の部分が大きい。日本は狭いので、おそらくミニ新幹線がもっとどんどん増えて、在来線を高速化していく必要が出てきて、騒音とかカーブ対応とか、ヨーロッパの高速特急が直面しているような色々な課題にこれから取り組んでいくことになるのだろう。そしたらまた違う顔の新幹線が出てくるかも。653系や681系ルーツの顔と新幹線の顔が混ざったようなものが出てきたりして。

 いや、新幹線が好きなのはあくまで子供の方で、僕は子供が読んでるものを読んで、こういう感想を抱いただけですけどね。好きとかそういうわけではないですよ。念の為。

 

新幹線のヒミツ

新幹線のヒミツ

  • 発売日: 2019/12/23
  • メディア: 単行本
 

 

 

福音館の科学の絵本

  寝室にベランダの出入口があるために、夕方子供が寝ていたりすると、洗濯物を取り込むことができない。そうすると、夕飯の準備やら何やらで時間が過ぎて、寒風吹きすさぶ夜中に洗濯を取り込むことになる。しかし、いいことも多少あって、それは星空を見上げることができることだ。今日はオリオン座が綺麗に見えた。

 

 僕が宇宙に関心を持った最初のきっかけは、大学の授業でこの『100億年を翔ける宇宙』を読まされた時だ。地球があって、太陽系があって、銀河系があって、その外が大規模構造だかボイドだかになっていて、星は年をとるとめっちゃでかくなって重力が強過ぎてめっちゃ温度が上がってガス化して最終的に爆発するんだけどそれがまじで超絶やばくなるとブラックホールになる、みたいな話だったと思う。要は何も覚えていないのだ。たしか課題レポートで、『古事記コスモロジー』を引用して書いた記憶がある。高校でも勉強したのだったかもしれないが、記憶が曖昧でよくわからない。

 

古事記の宇宙論(コスモロジー) (平凡社新書)

古事記の宇宙論(コスモロジー) (平凡社新書)

  • 作者:北沢 方邦
  • 発売日: 2004/11/01
  • メディア: 新書
 

  しかし最近、宇宙について学び直す機会がある。というのも、我が家に『宇宙』の絵本というのがあって、これも僕が大学生の時に買ったようなんだが、この絵本が非常にわかりやすくて勉強になるのだ。

宇宙 (福音館の科学シリーズ)

宇宙 (福音館の科学シリーズ)

  • 作者:加古 里子
  • 発売日: 1978/11/15
  • メディア: 大型本
 

  人間の等身大のサイズからだんだん引いていって、惑星、太陽系、銀河系、と広がっていく絵は壮大だ。だんだん地球が見えなくなり、太陽系も見えなくなり、さらには銀河系すら見えなくなる。これは相当に古い本なので、まだ大規模構造とかがわかっていない頃だったから、最後の面では銀河が星のように散りばめられているページで終わっている。

 この、福音館の科学シリーズは本当にいい絵本で、『宇宙』のほかに『海』と『地球』も買ってあった。ただ、買ったまま全然読んでなかったので、子供ができてようやく日の目をみた次第である。 

海 (福音館の科学シリーズ)

海 (福音館の科学シリーズ)

  • 作者:加古 里子
  • 発売日: 1969/07/25
  • メディア: 単行本
 
地球 (福音館の科学シリーズ)

地球 (福音館の科学シリーズ)

  • 作者:加古 里子
  • 発売日: 1975/01/20
  • メディア: 単行本
 

  学習というのは反復がとにかく大切なのだが、その点、絵本の読み聞かせというのは大変勉強になる。もちろん、親にとってだ。子供がまだ0歳の時に、研究会で輪読する代わりになるかなと思ってドゥルーズガタリの『アンチ・オイディプス』の読み聞かせを試みたことがあるが、子供は見る絵もないし、読み方も平板だし、読んでる側の頭にも入ってこないし、全く無意味だった。その点、この福音館の科学絵本は絵ばかりだし、読みでもあるし、読んでる側も勉強になるからよい。

 そういう絵本でいくと、『ブナの森は生きている』もいい。これも福音館のかがくのほんシリーズだ。

 

ブナの森は生きている (福音館のかがくのほん)

ブナの森は生きている (福音館のかがくのほん)

  • 作者:甲斐 信枝
  • 発売日: 1996/04/25
  • メディア: 大型本
 

  一番いいのは実際に自然に触れながらこういったものを読んで、感触やイメージを概念と結びつけることなのだろうが、まぁそれは都会では得られない経験だ。ただ、こういったものを読んでおけば、実際に目にした時に色々とわかることもあるだろう。子供達が大きくなって、登山などに出かけるのが今から楽しみだ。