読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

雑想(2022.9.12)

 ナショナリズムに、排他的なものと包摂的なものという相反する二つの方向があるとすれば、排他的なものは民族主義へ向かう道であり、包摂的なものは帝国主義へ向かう道である。

 日本のナショナリズムの限界は、中国を模倣して五族協和を唱えるところまでは行ったものの、多民族国家の中国とは異なり、単一民族の血族的紐帯を軸とした国家として近代を出発したために、自民族中心主義を抜けることができなかったことにある。つまり帝国を自称せずむしろ漢民族中心のナショナリズムで共和国を目指しながら、実質的に清という帝国を引き継がざるを得なかった中華民国に対し、日本は帝国を自称しながら他民族を包摂できないまま武力でしか領土維持をできず、植民地人民に帝国の一部としての自覚を与えることができなかったのである。現代中国人の多くが、戸籍上の少数民族としてのアイデンティティをほぼ忘れて中国人を自称しているのとは対照的だ。

 日本の右翼はいまでも帝国主義者になれない。島国根性で隣の島を差別し、あるいは移民を差別し、彼らが自分の意にそぐわなければ、民族の名を騙って自分の感情に基づきこき下ろす。彼らはナショナリストかもしれないが、彼らのやっていることはそのナショナルなものを狭めるだけだ。いつまでもそうやって、子供じみた民族への自己投影を続けていればよい。遠からず、ナショナルなものの定義をめぐって(つまり天皇の跡継ぎを巡って)醜い内部抗争と分裂を呈すだろう。

 右翼に帝国主義者が現れず、排他的定義により自己を民族へ同一化する身振りが変わらなければ、左翼の国際主義も形なしで、空虚な理想の世界市民を追い求める、あるいはそれを他人に強要するだけに終わる。左翼が帝国主義を振りかざすわけにはいかないからだ。しかし、いつまでも大川周明頭山満内田良平も出てこず、右翼がこの体たらくのままなら、左翼の側から右翼に働きかけて、彼らが自己ではなく世界を見、世界を支配する日本民族を目指すよう、喚起しても良いだろう。そのためには、日本というナショナルなものを世界の中で日本のうちから解体されてしまうという危機感を彼らに与えなければならない。それはナショナルなものが日本から他のものへと取って代わられるということではない。むしろ加藤弘之が批判した高橋某の雑婚論のような、ナショナルなものが内から溶け出して世界と同一化してしまうというような論だ。

 それは何かというと、日本を移民国家にすることだ。しかし、移民という言葉は国民の外部にあるように思わせるので適切ではない。移民ではなく、外から来て新たに国民となる人、つまり新国民だ。日本の国民の定義である血統主義憲法で定められているわけではない。憲法上の国民はかなり普遍的な定義を有しており、国民の範疇はいくらでも広げられる。日本は憲法の普遍平和の精神に則る抽象的個物となり、聖霊さながらに人々の心に宿る。この聖霊を有するものが日本国民となる。血統も出自も関係なく、やってきた人々をみな新国民として歓迎し、薫化し、共生するのだ。

 僕はこれを新国民主義と呼んでおきたい。要は表向き、右翼の大好きな自民族主義を突き崩すものでありながら、その実質は戦時下に流行った八紘為宇であって、その聖霊乃至徳の源泉に天皇さえ置いておけば、右翼が心から賛同するイデオロギーとなる。もちろん、左翼が主張する際は天皇を取ってしまって、カントかヘーゲルマルクスか、別のものを上に置いて右翼に訴えなければならないが。こうすれば、右翼は自ずから沖縄差別や移民差別をやめ、左翼に勝って帝国主義に向かうためにどうしたらいいか、真剣に考えてくれるようになるのではないか。

 とにかく、日本はもはや民族差別をして生き残れる国ではないという自覚を左右がもって、日本というもの自体を捨てるか、それをもっと普遍的なものにするか、あるいは換骨奪胎するか、よく考えて議論するようにしてほしいものだ。僕の希望は、中国に革命が起こって自由主義的な共和政の国になり、然るのちに日本も中国の一部になることだが、こんなことを言っていたらあちこちから刺されてしまいそうなので口をつぐんでおこう。

朝食ルーティン

朝食のセーフティネット、もといホットケーキ

 溜まっている仕事を片付けるぞう、と思ってパソコンに向かうも、何もやりたくないぞう、という気持ちがまさっている夜10時。今日は我が家の朝食ルーティンについて解説していきます。いかがでしたか? これは最後に書くのか。

 子供ができる前は朝食なんてちゃんと食べてなくて、だいたいは職場の手前の蕎麦屋で朝そばをすする、って感じだった。最悪な時期にはコンビニで菓子パンとかサラダパスタみたいなやつを買って職場に行ってから食べてたけど、流石にボスに怒られた。あとは9時前後のめっちゃ空いてる二郎で食べてから行くとか。なんで朝から「ニンニク入れますか?」いや入れるけどね。

 でもそんな僕も今や毎朝お家で子供の残飯を美味しくいただいています。保育園に行かせなければ子供も朝食抜きになるところだったけれど、保育園に行ってからは、連絡帳に毎朝子供が食べたものを書かなくてはいけないので、ちゃんと食べさせている。教育を受けている園児は子供なのか僕なのかわからないねこれじゃ。とはいえ連絡帳には「バナナ🍌」としか書いてない時も少なくない。

 以下では、うちの朝食ルーティンを優先度順に、それぞれのメリットデメリットとともに書いていく。

 

 

1位:生協のパン

 優先順位が一番高いのが、生協のパン。

 出来立てというわけではないけれど、値段はそこそこで、菓子パンでも惣菜パンでもない主食としてのパンの種類が多いので重宝する。

 菓子パンでも惣菜パンでもない主食としてのパンっていうものがどういうものかというと、食パンとか、バゲットとか、ロールパンとか、そういうやつ。甘くなくて、しょっぱくもなくて、食べる時にあふれたりこぼれたりする中身がないやつ。

 子供に食べさせることを考えると、朝から砂糖まみれの菓子パンを出すわけにも行かないし、しょっぱくてケチャップがべっとりついた惣菜パンを出すのも気が引ける。生協のパンを出して、あとは同じく生協のウィンナーソーセージとか、目玉焼きとか、6Pチーズとかを並べておけば、まぁイギリス人と同等の朝食にはなる。

 野菜? 野菜か。野菜はバナナとか食べさせておけばいいんじゃないですかね。バナナは野菜に入らない? いや、バナナにも多少リコピンが入ってるしバナナも野菜。なんならたくさん食べれば緑黄色野菜。黄色だし。

 生協のパンのいいところは、味とか素材とかの面もあるのだけれど、一番いいのは家まで届けてくれるところだね。

 悪いところは、週に一度しか届かないので、配送日の翌日の朝と、翌々日の朝ぐらいまでしか食べられないところ。数日経つとカビる。防腐剤が入っていないパンってすぐカビるんよね。

2位:パン屋のパン

 優先度第2位は、パン屋のパン。

 出来立ての美味しいパンに勝るものなし。ただ、朝食のために食べるパンは前日の夕方とか夜に買うわけだから、まぁそれほど出来立てではない。しかも最近、家に一番近いところにあったパン屋がビルの再開発で潰れて、仕方ないのでスーパーに入っているパン屋で買っている。それでもちょっとは出来立て感がある。こう、水分が含まれているというかね。まだパサパサになってないタイミングで食べられる。

 ただ、美味しいパン屋のパンは高いし、それほど美味しいというわけではないスーパー内パン屋のパンも、やっぱりちょっと高くつくんだよね、お値段。

 あとは、主食的なパンのレパートリーが少ない。本当に食パンー!とかバゲットー!みたいなもの以外は、みんなすごく味がついているというか。子供たちは素の食パンとかバゲットとかは、いまいち食べないんだよねぇ。味のない丸パン、ほんのり甘いミルクパンみたいな、あるいはほんのちょっとだけ伊予柑の香りがついているパンとかがいいわけ。でもそういうのは、その辺のパン屋にはイマイチないんだよね。

 夜には売り切れているのもパン屋の困るところ。昼間は働いているから買いに行くことができないし、夜に売り切れてたら次の日の朝食は必然的にパン以外のものになる。

3位:炊いたご飯

 優先度第3位はご飯です。前日に炊飯器をセットしておきます。

 ご飯はまぁ、いいよね。子供たちは海苔とか納豆とか好きなので、それに合わせればご飯も食べてくれる。海苔とか納豆とかは何も準備しなくていいので楽。あとはだし巻き卵を作って、昨晩のおかずでもチンして食べればOK。朝の手間としては実はパンとそんなに変わらない。

 ご飯のいいところは何より、安い。とにかく安い。めちゃくちゃ安い。5kg食べて2000円ってすごいよやっぱり。

 じゃあご飯のよくないところはどこにあるんだって? 僕が嫌いなんだよね。朝からご飯。重い。朝食抜いて生きてきた人間にはすこぶる重い。食べる気がしない。だからご飯は、生協のパンがなくて、パン屋のパンも買うタイミングを逃した時にだけセットする。

 あと地味に面倒なのは、パンと違ってご飯だと結構洗い物が出る。西洋の人って東洋の人と違って手でバクバク食べるから、洗い物がそんなに出ないのよね。副菜つけてもフォークと皿とフライパンだけ。東洋の食事だと、お椀に箸に皿、それから炊飯器にしゃもじ等々、洗い物がたくさん出る。これが朝の忙しい時間にちょっと響くんだよね。

4位:冷凍ご飯

 パンがないけどご飯も炊いてなかった、あるいはご飯炊くのがめんどくさい、という時に助かるのが冷凍ご飯。チンするだけで炊き立てと大して変わらないご飯ができる。これは嘘。炊き立てとは比べ物にならないけど一応ちゃんとご飯ができる。

 まぁ冷凍ご飯は、積極的に食べたいものじゃないからね、味としてもね。ただ冷凍ご飯があるということは前日の夕飯がご飯である確率も高く、その夕飯のおかずが残っていることも多いから、朝ごはんとしては料理せずともレンジだけでバリエーションが出ることがある。それはいい。

5位:ホットケーキ

 パンも買ってない、ご飯も炊いてない、しかも冷凍ご飯もなかった、という時に救世主となるのが、ホットケーキ。我が家にはホットケーキのミックスパウダーが常備されているから、卵と牛乳さえあればすぐに作れる。ホットケーキなら子供も喜んで食べる。

 これはここまで書いてきた中で、唯一当日の朝に調理が必要な主食という点では面倒の度合いは一番高い。ただ、必ずあるという安心感は強い。ホットケーキミックスを切らしていても、薄力粉とベーキングパウダーもうちには常備されているので、基本的にどんな時でもホットケーキは作れる。

 牛乳か卵が切れていたらもう一巻の終わりだが、そうなれば24時間営業のリンコスにでも行くしかない。パックごはんやパック入りの菓子パンを買って食べるよりはましである。

番外編:バナナ

 子供が3歳を超えるぐらいまでは、何を出してもダメである。食べてくれないし頑張って食べさせる気も起きない。僕が4歳ぐらいの頃には頑張って蒸しキャベツや目玉焼きやトーストを食べていた気がするが、自分の子供にそれを強要する気にはどうもなれない。元気に生きていれば何を食っていてもええじゃないか、という気がする。大きくなったら食糧難でセミやコオロギを食べさせられることになるんだから今のうちに好きなものを食べておけ、という考え方もできる(やや過激な発想である)。

 何を食ってもいい場合、大抵子供が食べるのはバナナである。それも、フィリピン産の安くて小ぶりで甘いバナナだ。僕はスウィーティオというのがどうも嫌いだから、それは買わない。できればメキシコ産の大ぶりのバナナを食べてほしいのだが、そちらは味も大味で少しパサパサしており、子供が好かない。それで一番安いフィリピン産バナナが選択されるのである。

 フィリピン産の安いバナナを食べるのは倫理的に色々問題があり、労働者の人権問題をはじめ農薬や品種改良など散々指摘されてきている(住商が「フィリピンバナナ」から撤退したわけ | 企業経営・会計・制度 | 東洋経済オンライン)。最近では安すぎる価格も問題になっている(バナナも値上げ 生産コストや輸送費上昇 生産者も厳しい環境 | NHK)。子供の食べるもので苦しむ人が出るのは忍びないので、ぜひ値上げして環境改善してほしい。それでバナナが買えなくなれば、子供に買わない言い訳もできようというものだ。経済とはそうした市場の機能と政府等による補正があってうまく働くものである。

補論:残飯

 ここで挙げた優先順位は、食事の準備から子供など家族が食べるまでのメリットに鑑みて設定してあるものだ。しかし、ここにもう一つの論点がある。それは、僕が食べるもの——つまり残飯である。

 特に最後のバナナだが、食べかけの甘いねっとりしたバナナほど食べづらいものはない。牛乳で流し込むのが関の山である。メキシコ産のパサパサぎみのバナナの方が、食べかけでもよっぽど食べやすい。

 ご飯の残飯は、牛乳などがかかってしまってない限り食べにくいということはないが、量が問題である。子供二人が揃って残したりすると、大人一人分ぐらいになるので、自分の分を用意してしまうと過剰になる。そうした量の調節が面倒だ。

 パンやホットケーキの残飯が一番楽で、食べかけなら袋に入れて後で食べさせればいいし、自分が食べるのでも食べかけであることがあまり気にならない。また、パンはそれ自体が小分けになっているので、一人一杯のご飯と違って、そもそも食べかけが出ることは少ない。食べなかった分は冷凍にして翌朝にも回せる。

 

* * *

 

どうでしたか?

 どうでしたか? もう朝食の準備とかしたくありませんね。早く子供が自立することを願うばかりです。

 結婚とかは強要しないから自活はしてほしい。独身のまま実家を頼る子供に対して親が「結婚は?」と聞く気持ちは、親になったらよくわかる。子供がそれに怒る気持ちも当然わかるけれども、ただそれは子供のわがままというものだ。独身でもいいけれど、それなら実家を頼らず生きていくことが必要なんじゃないかと思う。老体になった親に縋りながら、自分で家庭を持てと言われれば不機嫌になる、というのではちょっと大人気ない。

 逆に、独身でもちゃんと自分の家を買って、自分の仕事を持ってやっている人は偉い。そういう人は自分の人生のケツを自分で持っているわけで、本来結婚していてもしていなくても、それが近代的な個人の理想だろう。いつまでも賃貸住まいで仕事も定まらずでは、本人は良くても親はいつ子供が転がり込んでくるかと不安でたまらない。

 思えば僕は家族とかのプレッシャーがなければフリーターみたいな感じだったし、独身の頃にはあまり自覚なく実家に色々迷惑かけてたな。親の心子知らず、とはよく言ったものである。子供である時分は、どれだけ思い巡らせても親の考えはわからないものだ。

 ともあれ、子供のために朝食を作る必要がなくなったら、それはそれで寂しくなるのだろう。老いた夫婦二人だけで、ゆっくり朝食を準備し、紅茶を淹れ、会話を楽しみながら朝食をすることに……うむ、やっぱり子供には早く自立してもらわにゃならん。

 

 

 

コロナは続くよどこまでも

続くのは線路だけでいいよほんとにもう

 さて、また下の子が登園不可です。

 土日を挟んで月曜に陽性が発覚した人が5人以上出たので、学級閉鎖。

 

 これまでの流れを振り返ると(コロナ大変シリーズ - 読んだ木)、

 2020年は、4, 5, 7, 8月登園できず。

 2021年は、4-7月が断続的に登園不可(感染症と休園に苦しむ親たち - 読んだ木)。

 2022年は、1-3月が断続的に登園不可(今、子育て世帯がどのように苦しんでいるか - 読んだ木)、6月にコロナ感染してほぼ登園不可(新型コロナ感染、40度発熱 - 読んだ木)、これに8月頭が加わった形だ。7月もぽつぽつ休んでいるので、2022年は4-5月しか平和な月がなかった。

 まぁ今回はほんの数日という形で、もはや普通の発熱の休みと変わらないのだが、変なところに祝日があって貴重な登園日が削られている(追記:追加の陽性者があって学級閉鎖が長引き、そのまま土日に突入した)。しかも3人目が生まれたばかり、寝なければならない産婦と新生児がいる同じ家で、元気な子供をなだめすかしつつ騒がないように楽しませて1日をやり過ごすのは楽ではない。

 そして相変わらず仕事はできない。仕事ができないのは、そもそも子供がいるのがいけないのだが、子供がいると仕事ができないから生きていけない、それでいいのかと自問自答する。子育て罰とはよく言ったものである。個々人の苦しみは個々に特殊なものだが、子供がいなければ人生は一人分で済み、より楽である。

 

 ちなみに別の区のある友達の保育園は、保育者に感染が広がって子供を受け入れられず、丸々休園しているそうな。友達は遠く離れた実家に帰ってリモートで仕事をしているらしい。うちの園も2021年の春にそんなことが起きた。またあんなことになって半月休園されたりしようものなら目も当てられない。

 

 子育てしながらほどほどに働いて楽しく生きていられる世界線はないかな、と思うけれども、そんな世界線は人類の世界に未だかつて登場したことがない。むしろ保育園があるだけで今の日本は本当にありがたい。昔の人が結婚をせず子供を作らない人を白眼視していたのは、それだけ子供を作る人に不利な社会だったからだろう。皆、子供を作らないとリタイアできないから泣く泣く子供を作って苦しみながら育て、そして子供のお陰でリタイアできたのである。今は子供がいなくても老後の心配はない。年金に社会保険介護保険さまさまだ。

 今日、その意味で子供を作るのは非合理な選択だが、なぜそんなことを選択するのか。僕の場合は当初、自分の好奇心と社会的価値観に屈し、あるいはそれに迎合したのである。弁明の余地もない。そのお陰で、社会的価値観に適合できる人間になったことは、良くも悪くも僕の変化である。2人目以降は、自分の楽しみのために作っているという気もする。平塚らいてうが「他愛的生活」とか言っていたと思うが、そういう共に生きる喜びみたいなものがあるのだ。もっと多くの人と家族のように暮らしたいと思うが、そう思う人は多くないだろうから、なかなか難しい。この、共に生きることの苦悩即幸福というような感情は、どうも名状し難い。経験したことのない人に伝えられる気がしない。それに、他人に説いて普遍化できる感情だとも思えない、個人的なものだ。

 

 とはいえ、コロナでいつもいつも計画が崩されたり、仕事が予期せず停滞させられたりするのは本当にかなわない。だからどうしろというのではなく、この苦しみを誰かに共感してもらい、なぐさめてもらいたい、そしてよく頑張っているねぇと励ましてもらいたいという、その一心である。そしてもちろん、同じ境遇にある人々に、その労いの言葉を向けたいと思って、つらつら記事を書いているのだ。

コロナ大変シリーズ

 新型コロナ感染の広がりは大変だったし大変だしこれからも大変そうなので、とりあえずまとめ。後で振り返るのにいいかもと思って。でもこれ以上ここに載るような記事が増えないでほしい。。。

 というか、思い返せばこのブログはコロナで仕事も何もできないんでストレスが溜まって2021年の春ごろに始めたんだったか。このブログの存在自体、コロナ禍の副産物のようなものだな。。。

 

ワクチン接種

一回目・二回目

三回目

 

新型コロナ感染


家事育児

2021年4月

 

2021年7月

2021年9月

2022年2月

2022年6月

2022年8月

 

 はーこう一覧してみると、本当にやれやれという感じですな。

雑感(2022.7.8)

 安倍元首相が狙撃され死んだとの情報。原敬刺殺から1930年代のさまざまな首相暗殺(未遂)事件を散々講義したり研究したりしてきた身としては、歴史が蘇ってきたような気がする。この事件が今後、歴史的なトピックになるのは間違いない。そしてそれが、30年前後の井上財政や高橋財政の話と同じく、アベノミクスを背景とした云々と説明されることも、大体間違いなかろう。そして、そのような説明がいかに現実を一面的にしか切り取っていないものなのか、ということも、いま痛感するところである。

 民主主義だから暴力はいけない、のではない。民主主義がうまくいかない時、暴力が生まれるのである。バブル崩壊を食い止められなかった政治に対して、サリン事件が起きた。その後の30年弱、国が個人の代わりに借金をしてうまく回っていたが、徐々にそこからあぶれる人が出てきて、その仕組みが破綻しつつあった。そして、その仕組みを変えなければならないが、愚衆政と化した民主主義ではそれをいささかも変えられなかった。今日の事件は、その末の暴力だということではないか。だから、暴力を生まない民主主義にならなければいけない、ということだ。インテリしか参加できない熟議など最も悪い発想だ。誰も排除しない民主主義、あらゆる人に開かれた、生きた民主主義を改めて呼び起こさなければならない。それは歌の民主主義であり、拳の民主主義、酒の民主主義であり、踊りの民主主義、性交の民主主義、生活の民主主義である。誰かと「共に」何かをする、それを自覚しながら行う、これが民主主義の基礎であり、主人の指示で何かをする主義と根本的に異なる点である。

 とにかくこんなことを考えていたら仕事にならない。今の雑感をここに乱文で書きつけて、あとは仕事に戻る。

新型コロナ感染、40度発熱

自治体から届いた自宅療養セット

 

発症の経過

発症から-1日

 金曜日、上の子が38度の熱を出して保育園を早退してきた。当時、保育園ではRSウィルスが流行っていて、下の子も軽く上気道炎様の症状が出ていたので、それが移ったのだろうと軽く考えていた。

発症から0日

 土曜日になっても上の子の熱は38度台を推移していたが、夜には37度台まで落ち着いてきた。夕方、子供のために蜂蜜と大根を買ってきて大根飴を仕込む。妻も咳と鼻水の症状が出始めた。どうも、僕自身まで喉が変な気がしてきた。大根飴を舐めて寝る。そしたら今度は、その日の夜から僕も熱が出始めた。

発症から1日

 日曜の朝。子供は熱が下がったので病院へ連れて行きたいが、今日はかかりつけ医は休み。一方、僕は体温を測ると38度。非常にだるい。改源を飲み始める。1包にアセトアミノフェンが300mgも入っていて、気つけのためか無水カフェインも入っている、漢方なんだかなんなんだかよくわからない解熱鎮痛剤である。その日は関節痛も強く、倦怠感と寒気と暑さに繰り返し襲われるような感覚で布団から動けず、昼には40度に達し、昼過ぎには最高40.5度に到達した。これは前にアデノウイルスに罹った時よりも高い、物心ついてから最高の発熱だと思う。気分は最悪だ。夜になっても39度あり、全然熱が引かない。

発症から2日

 月曜の朝。子供は咳がひどく、保育園を休ませて病院へ行きRSウィルスの検査をするが陰性、PCR検査をする。この時になっても、僕はこれをRSウィルスだと考えていた。僕の熱は38度台まで下がる。ふらふらするがなんとか身体も動く。昼頃には37度台まで下がったので、近所の内科に行くと、喉が真っ赤だ、これはウィルスではなく細菌性の風邪ですね、と言われ、特に検査もなく抗生物質とロキソプロフェン(と一緒に出される胃薬)とカルボシステイン(このサワイのジェネリックカルボシステインを僕は大人用ムコダインと呼んでいる)、咳止めが出された。僕は素直なので、医者の言うことを信じた。おそらく溶連菌か何かなのだろう。熱は下がったがだるさが取れず、この日も1日横臥して過ごす。家族が一人PCR検査をしたということで、上の子だけでなく下の子も保育園を早退させる。

発症から3日

 火曜の朝。僕の熱自体は大体下がった。しかし、子供のPCRの検査結果が陽性だ、という電話がかかってくる。上の子は陽性、僕と妻は検査、下の子は症状がないのでひとまず濃厚接触者として、全員自宅療養。上の子は発症から4日、僕は発症から3日経っている。妻も咳と鼻水に悩まされている。下の子だけ元気。

発症から4〜8日

 水曜から週末まで、陽性になった上の子と僕、妻は咳と鼻水に悩まされる。加えて、上の子と親たちの発症から丸1週間経った2週目の土曜になって下の子が発熱。ずっと家にいるので、家族からコロナ感染した以外に考えられる風邪の感染経路はない。月曜日にPCR検査を予約。

 自宅待機辛い、などと考えたのは昔の話、もはや何も感じない。ただ仕事をしないで子供といる。それだけである。自分の評価とか収入とか、もはやどうでもいい。これは運命である。自分の人生などどうでもいい、意味のないものだ。昔からわかっていたことではないか。ただ座して死を待つだけである。そういう諦念に達すれば、子供に八つ当たりすることもなく、ただただ日々をやり過ごすことができる。

発症から9〜11日

 上の子は3週目の月曜(金曜発症、発症から10日)が自宅療養最終日、親二人は3週目の火曜(土曜発症、発症から10日)が自宅療養最終日で、水曜から上の子は保育園、親は下の子の面倒をみつつようやく活動開始。

 上の子が先々週の金曜日に早退してから12日が経過した。久々に家を出たが、外が怖い。人も怖いし動きのあるものはみんな怖い。感染したことで、本当はもう感染のリスクがぐんと下がっているはずなのに、感染への恐怖というのが逆に増えてしまっている。

発症から12〜18日

 3週目の月曜日に検査した下の子は発症した2週目の土曜起点で計算され、4週目の火曜日まで自宅療養である。他の家族は全員陽性になったので、下の子以外は行動制限はない。とはいえ保育園に行けなければ誰かが見ていなくてはいけないので、代わる代わる親が家にいるしかない。

 

ワクチンの効果

 結果、1週目の金曜から4週目の火曜まで、19日間の行動制限を受けることになった。ワクチン3回も打って40度の熱が出て3週間近く座敷牢とは、全く参ってしまう(ただ、3回目のワクチンの発症回避効果は、発症する人のうち2/3程度である)。今回の発症に限って言えばワクチンの効果はなかったといっていいが、しかしここまで発症せずにやってこれたのは、ワクチンのおかげということもあるだろう。

 

yondaki.hatenadiary.jp

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子育て世帯はコロナで多くを失い、それらを取り返すことはできない

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 2020年の春からもう丸2年以上経ったのに、まだまだコロナに悩まされる日々は続く。子供がいなければこれほど大変ではなかったのだろうが、まぁ仕方がない。独身や子供のいない人たちと同じ土俵で仕事で戦うことはできず、ゆえに仕事量の差が流石に色々なところに表出してきておりうんざりするが、これがこの国で子供を育てるということだ。子供に対する政策支援がなされると、独身税だという揶揄が飛び交うが、その独身の人自身、子供時代にはそういった政策の恩恵を受けているのであって、子供向けの政策はあくまで子供のためのものである。子育てする親は、子供を持っていない人に比べれば自己の収入から時間からあらゆるものを限りなく犠牲にして子供に捧げているのであって、多少の子供向け政策が子供の属する世帯を経由するからといって、それは親が独身のように身軽になることを全く意味しない。誰しも子供時代、自らはほとんど全く納税せずにさまざまな政策的恩恵を受けて来たのだから、自分が大人になってそれを納税で返す筋こそあれ、それを批判して子供のための政策の条件を厳しくしようという筋合いはなかろう。ただでさえ格差が広がっているこの社会で、子供を育てることの厳しさが普遍的に共有されず、国を通じた老幼の支援が不平等だというなら、実際誰が子供を育てようか。誰も育てないだろう、ということになっているのが、現在の少子化の状況である。どうにも致し方がない。

原発の大艦巨砲主義が招いた電力不足

2011年9月、飯館村

 当事者でなくても理解し、継承していかなければならないのが歴史の記憶であり、歴史から得られた教訓である。このことは、相当の刹那主義者でもない限り、誰もが承知することだろう。温故知新、過去の蓄積からの学習があってこそ、一部地域に限られるとはいえ現在の我々の平和、安全の生活の実現がある。

 しかし、歴史的記憶の継承の度合い、あるいはその教訓を重視する度合いというのは、経験の差、あるいは誰かの経験が生じた地点からの距離といったものに応じて、変わってくる。例えば、日本における太平洋戦争の記憶と言っても、それは陸上戦を経験した沖縄とそれ以外の地域では全くその継承の内容と質が異なる(現状の差がまさにその歴史的事象の差に起因することは言うまでもない)。本土に限っても、空爆を経験した都市部と農村では異なる。遡れば戊辰戦争の記憶は会津西南戦争の記憶は鹿児島で脈々と息づいているが、その他の地域ではほとんど記憶されていないだろう。
 まだ記憶している人物が多いであろう阪神淡路大震災についても、関西圏ではまだ継承されているが、それ以外の地域ではもう過去の話となっている。東日本大震災の記憶は、未だ新しいとはいえ、やはり東北・関東圏以外では過去の話である。福島第一原発事故も同様である。飯館村南相馬市の当時の状況を経験し、また現状を見れば、地震が起きるような地域で、地上に発電設備をさらすような形で原発を稼働するというのは、やや信じ難い暴挙であるように思われる。しかし、多くの人は事故の被災地を見たこともなければ、福島に行ったこともない。この歴史的経験、記憶を継承するのは簡単ではない。

 さらに問題なのは、新聞社のようなところに勤めている全く不勉強な若い記者などが、話題にして儲けるためか政治的意図があるのか知らないが、そうした経験、記憶を無視して知ったようなことを書き、人々を惑わせることである。新聞というのはえてしてそういうものだ、と言えばそれまでだが、それにより第二第三の悲劇が起きた時、果たして発言の責任を取れるのか。過去の素晴らしい記者たちの威光に縋って、責任を取らない気軽な立場で、特に勉強もせず適当なことを言う現在の記者たちは、将来的にはそのメディアの破綻という形で責任を取るのだろうが、しかしそれによる災禍は小さくなく、人の命や暮らしに関わることだ。目先の反響を追わず、発信者としての責任として、人の命や暮らしに向き合って、自らの能力が許す限り誠実なことを書こうとするのが、記者の在り方であってほしい。

 

* * *

 

 原子力発電所の事故を経験した国として、我が国の原子力政策は二つの方向を並行してとるべきであった。一つは当然ながら、原子力に依存しないエネルギー戦略である。もう一つは、壊れても被害が最小限にとどまるような原子力発電設備の開発である。

 しかし政府は、まず既存の原子力産業を維持する方向をとった。国内の原子力発電所は丸々温存され、国は再稼働の方針を取り続けた。しかし、アベノミクスの看板政策にまでした原子力発電所の海外へのプロモーションは完全に失敗し、原子力メーカーは膨大な赤字を計上することになる。当然の結果として、原子力に依存しないエネルギー戦略に舵を切ることはできないまま、再エネ関連産業ははじめドイツ、その後中国や韓国、台湾といった日本以外の東アジア諸国が総取りの形となり、太陽光発電、電気自動車、蓄電池など、20世紀までは日本が先行していた産業分野が国内では全て潰れ、工場や技術が海外へ持っていかれることになってしまった。

 壊れても被害が最小限にとどまるような原子力発電設備の開発については、小型原発という形でビル・ゲイツも意欲的に取り組んでいることで知られる。日本はどうすれば原発が致命的に壊れるのか、壊れたらどういう事態が発生するのか、ということについて豊富な知見を手に入れたのだから、これをそうした壊れても大丈夫な小型原発の開発へと活用することは、強力な技術的優位を手に入れることにつながる。しかしこれは、市場として見ると再エネの技術開発と食い合うことになる。再エネ政策は対原発、あるいは反原発の文脈で出てきているので、そこに原発を入れると人々の理解を得られにくい。しかし既存の原発政策は大型原発の運用を中心とし、もんじゅなどむしろ大型でさらに技術的にも高いハードルにチャレンジしようとしていたため、ここに小型原発を入れることも難しい。結果的に、既存技術をベースとした安全性の高い原発の技術開発という方向性に舵を切ることができず、いわば原発大艦巨砲主義を貫いてしまったのである。

 そうしているうちに、もんじゅは廃止が決まってしまい、既存原発の整理は進まず、再エネは技術も市場も頭打ち、系統の調整力もどっちつかずで整備できないまま、電力不足の危機という最悪の事態を迎え、エネルギー政策全体が座礁することになってしまった。なぜ日本は、いつも敗戦濃厚になった時に撤退できないのだ、と叫びたくなる気持ちである。こうなることは、電力産業に携わっている人間なら、2011年にわかっていたことではないか。どこかで原発大艦巨砲主義を転換できていれば、再エネ産業の成長か、安全性の高い小型原発の開発か、あるいは系統調整力としての蓄電池導入か、どれかは達成できていたはずだ。そして、どれかひとつだけ達成できていれば、現在の電力不足の危機などは招来されなかったのではないか。

 

* * *

 

 再エネは原発に頭を抑えられ、原発は改良されずに動かせなくなり、系統は電源が分散型か集中型か決まらないのでコストの大きい調整力を導入できず、現在のエネルギー政策は三すくみの状態である。そしてそれは、エネ庁の中で、電力・ガス事業部と省エネルギー・新エネルギー部との睨み合いと、その間に挟まれている系統事業者である大手電力との三すくみである。電ガ部はメーカーと組んで政治家にロビイングして原子力を維持し、省新部は脱原発をチラつかせながら新興企業と組んで予算取り、系統事業者はその結果を受けてほどほどに設備投資をし、ほどほどに発電事業者を制限する、という構図になっている。しかし、この三すくみではもうたちいかない、全国的な電力不足になってしまいそうだ、まずいぞ、というのが現在である。

 そこでどういうことが起きているか。原発大艦巨砲主義を選択するか、分散型の電力システムを選択するか、という人命と国家を人質に取った大バトルである。

 電事連がやっているのは露骨な原発大艦巨砲主義の推進で、でかい原発がドーンと立ってないとやっていけませんよ、というアピールである。新聞、CM、あらゆるものを総動員しており、原発動いてないのによくそんな金があるなと感心しきりだが、これを選択するなら原発立地自治体は腹を括らなければいけないし、次の原発事故が起きたらその電力を使っていた人々は、自分はその危険性を知らなかった、騙されたで済まされない。我々は「安全神話」に一度騙されているのである。同じように平地にカプセル建てただけの原子力発電所を使って壊れたら、そりゃ壊れるの知ってたでしょ、ということになる。

 分散型の連中は分が悪い。国や政治家と強いパイプがあるわけではないので、そんなにプロモーションするようなお金はない。これまでなかった分散型の電力システムを、高い調整力、蓄電池や揚水発電、なんなら火力を絡めて推進します、ということでこれは分かりにくい。再エネのために火力を動かすのでは本末転倒だ、と批判されるだろう。また、分散型の系統運用が本当にうまくできるのか、当人たちも半信半疑である。また逆に、原発大艦巨砲主義になっても、その周辺で細々とビジネスを進めていくことができる気がしているので、あまりやる気がない。ただ、例えば原発が10基20基再稼働する、というような形で原発大艦巨砲主義が遂行されたら、既に稼働している発電所を含めて、相当数の風力・太陽光発電は停止させられる、あるいは膨大な追加投資(調整力としての蓄電池を追加設置)が必要となる。しかし、小口の発電事業者が多いので、その危機感が足りず、産業団体としても力がない。ただ、国の中心にいる良識のある人たちが大艦巨砲主義に抵抗している、という印象だ。

 こうしたことを、わかりやすく整理して伝えるのが、メディアの役目だ。いたずらに電力不足の危機を煽って、背景も何も知らないで、ただ使えるグラフだけ並べてそれらしいことを言うだけなら、ネットの方がよっぽど信頼できる情報を集められる。

 

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 最後に個人的な考えを述べる。僕は当面、分散型の電力システムに移行するべきだと考えている。その場合、論点となるのは調整火力のコストである。これは原発事故が起こるよりまし、と考えて、原発の立地助成金などをそちらに振り向ければよい。国内の原発は、本当に安全だと立証できた数基を残して、全て潰す。再エネはもう中国に勝てないので、新省部やNEDOはしょうもない再エネ技術に投資するのをやめて、小型原発や原子炉の非常停止技術に投資した方がよい。これは国策として、エネ庁だけでなく経産省の別の部署の予算でやってもよい。文科とも連携できるだろう。原子力産業の人員をこちらで受け止める。足りなければ、アメリカやイスラエルから人や金を受け入れる、あるいは送り出すこともできるだろう。人材をあぶれさせないようにした方がいい。

 太陽光、風力、原子力、水力を組み合わせた分散型のグリッドにしておいた方がよいというのは、原発を追い出すためではない。これから人口が急減し、電力需要は地方でなだらかに減っていく。しかし、大型発電所ではその発電容量をなだらかに減らすと言うわけにはいかない。段落としのようになる。分散型なら、需要に応じてなだらかに発電容量を減らしていくことができる。人口減少社会で電力料金を適切に維持するためにも、分散型の電力システムが求められている。