読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

リー・オスカーのベスト盤「風を見たかい」:「約束の地」「朝日のサンフランシスコ・ベイ」ほか

 日が伸びたので、まだ明るいうちに洗濯物を取り込もうと、ベランダに出る。日本海側の上信越の山地でよく冷やされた冷たい空気を運んでくる北西の風がやみ、風は南から吹くようになる。我が家は海沿いにあるわけではないが、南風は微かな潮の匂いをベランダまで届けてくれる。春の訪れを感じる瞬間だ。もちろんこの後に立て続けにくしゃみをし、ついで鼻血混じりの鼻水が出てくるところまでが定石である。

 風が吹いてくると、思い出すLP盤がある。その名も「風を見たかい」だ。

ベスト・オブ・リー・オスカー

ベスト・オブ・リー・オスカー

 

 

 これは、1981年に発売されたリー・オスカーのベスト盤 The best of Lee Osker のライナーノーツに付せられた邦題である。CD盤にはそのようなタイトルはついていないようだ。

 リー・オスカーはデンマーク出身のハーモニカ奏者で、やはり彼も40年代生まれ、1948年に生まれて現在72歳。18歳の時にハーモニカをひとつポケットに入れてニューヨークへやってきたという。西海岸に流れ着いた彼は、70年代に次々とヒット作を送り出し、米国屈指の器楽奏者として名を馳せた。アルバム冒頭に入っている1976年の The promised landや、1978年の Before the rain が有名かもしれない。The promised land の邦訳は「約束の地」だが、それが最初に収録されたアルバム Lee Osker のA面1番がThe journey だっためか、ネット上では「約束の旅」と書いている人もいる。2番がImmigrant で、3番が約束の地だった。

Lee Oskar

Lee Oskar

  • アーティスト:Oskar, Lee
  • 発売日: 1995/01/24
  • メディア: CD
 

 

 暖かい風を感じると、ドライブに行きたくなる。いつだったか、ロサンゼルスからサンフランシスコまで、6, 7時間のロングドライブをやったことがある。夕方にサンタモニカを過ぎて海沿いのパシフィック・コースト・ハイウェイに進路を取り、太平洋に沈む夕日を眺める。日が沈むと共に海を離れ、砂漠地帯を一路北へ向かい、途中のタコベルで軽くディナーを済ませ、日付が変わる頃にサンタ・クルーズの宿になんとかたどり着き、翌日サンフランシスコ入りした。別の時には、サンノゼからサンフランシスコへ向かい、完全にジャムにはまって打ち合わせに2時間近くも遅れたことがある。日が暮れてしまったのでその後の予定は全部忘れて、フィッシャーマンズワーフのピアでカニだかエビだかを食べた。またある時には、半日サボってナパワインを飲みに行こうとしたが遠いので、スタンフォード大の裏の山の上のワイナリーでテイスティングしたこともあった。僕は運転者だったのでアルコールは飲まなかったが……いずれにしても、それらアメリカ西海岸でのドライブの時の記憶と重なるからか、このベストアルバムに入っている San Franco Bay (邦題は「朝日のサンフランシスコ・ベイ」)も好きな曲の一つだ。

 この曲には歌詞がついていて、「百万人が行き交うサンフランシスコ、一人として見知った顔はいない、90万が9時5時で働いて、残りの10万は夜通し働く、サンフランシスコベイでは、みなサンフランシスコのやり方で楽しむのさ」云々と歌われる。サンフランシスコのせわしなさを描写しつつも、まだどこか西海岸の牧歌的な香りの残る情景だ。地価が高騰して人の住めなくなった今のサンフランシスコとは、ややイメージが異なるかもしれない。

 

鈴木英人 版画 作品集 VOL.1&2 セット

鈴木英人 版画 作品集 VOL.1&2 セット

  • メディア: ホーム&キッチン
 

 

 このオスカーの盤でもうひとつ好きなポイントがある。それは、鈴木英人のジャケットデザイン。鈴木英人はいろいろな人のLPジャケットにイラストを描いているが、このエキゾチックで爽やかな感じがたまらない。一度テレビでその制作風景を見たことがある。まだDTPなどない時代で、トレーシングペーパーを何枚も重ねたものをレイヤーとして、緻密に色と図形を配していく職人技だった。

 リー・オスカーをWikipediaで見ようとすると、中国語と韓国語のページはあるが、日本語のページはない。当時聴き尽くされて、いまや聴く人もいないのか。これまでもブログ記事をいくつか書いてきて思ったが、どうやら僕の音楽体験は1940年代生まれのアーティストにかなりフォーカスされているようだ(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)。それは、うちにあったレコードがそうだったからとしか言いようがないのだが、そのアーティストたちがあまり聴き継がれていないことは返す返すも残念である。僕が大好きで、その影響でフリューゲルホルンまで買ったチャック・マンジョーネ(1940年生まれ)も、いまや知る人ぞ知るプレイヤーだ。神谷町の文房具屋に、多分ブルーノートでやった時のものだろう、サイン盤が文房具の棚の間に飾られていてぶったまげたことがある。その店主の方が好きだったそうだ。また機会があれば、チャックについても書こうと思う。

フィール・ソー・グッド

フィール・ソー・グッド

 

 

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* * *

〔季節に合わせた曲の話シリーズ〕

春の訪れを感じた時:「モーツァルト日和 - 読んだ木
春のまだ肌寒い頃「リー・オスカーのベスト盤「風を見たかい」:「約束の地」「朝日のサンフランシスコ・ベイ」ほか - 読んだ木
少し暖かい春の朝:「カーペンターズの朝 - 読んだ木
初夏の空気:「懐かしい吹奏楽曲「セドナ」を聴きながら - 読んだ木」 
真夏の始まり:「大瀧詠一で真夏を彩る - 読んだ木

 

ケンプの弾くベートーヴェンの「皇帝」

 この記事の続き。

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 前の記事を書き終わった後に唐突に思い出したのだが、母親が好きだった録音のもう一つに、ヴィルヘルム・ケンプの弾くベートーヴェンピアノコンチェルト第5番「皇帝」があったはずだ。ただ、LPのジャケットがどうしても思い出せない、ケンプが弾いた「皇帝」なんて、ベルリンフィルと一緒にやったものだけでもいくつかある。この1961年のライトナー指揮ベルリンフィルとの、本当にマジで完成された演奏の録音は有名だと思う。 

 

 でも、僕が家で聴いていた(聴かされていた)ものは、録音の質も含めてこんな綺麗なやつじゃなかったはずだ。Apple Musicで聞けるやつは限られているが、もちっと勢いのある、録音が荒いやつだったはずだ、と思って探して見つけたのは、このケンペン指揮ベルリンフィルの演奏である。

ベートーヴェン:P協奏曲第5番

ベートーヴェン:P協奏曲第5番

 

  1950年代中盤の録音なんだそうだが……あーこれっぽい、なんかレコードで聴いたときはもっと左手の音が立ってたように思うし、オケがより縦ノリでもったりしていた気もするが、デジタル圧縮の過程で低音が欠けているのかもしれない。そうそう、ケンプなのになんかパワフルな演奏なんだよね。オケもそのノリにマッチした勢いのある演奏で、聴いてて力が湧いてくる。若い頃のリヒテルとかを好んで聴いてた母親らしい好みだ。

 我が家にはほんとグラモフォンのLPがたくさんあるのだが、母親の兄、つまり僕のおじさんがオーディオ好きで秋葉原でバイトしていたほどの人で——その頃の秋葉原はまだ電子計算機がなく、真空管とか半導体を売るオーディオショップがひしめく場所だった——その影響で母親もLPを石丸電気でよく買っていた。僕も記憶があるが、万世橋昌平橋の間の、多分いまテレオンになっているビルが石丸電気レコード館で、LPとCDがずらりと並んでいた。吹奏楽の話の記事(男子高校生の演奏 - 読んだ木)の最後で書いたフレデリック・ディーリアスのCDもここで買ったのだから、僕が高校生の頃はまだ石丸電気だったはずである。 (関連記事:石丸電気のレコードのビニール袋 - 読んだ木

 

 いやーでも懐かしいな、モーツァルトとかベートーヴェンとか、グラモフォンとか東芝EMIとか、僕の幼い頃の麗しき記憶だなこれは。いつまでもこういう音楽が聞けるのはありがたいね。子育てが終わったら(何十年先になるのか知らないが)、改めてレコードプレイヤーをしつらえて、実家に残っているLPを片っ端から聴き直したいものだ。

 逆に考えると、いま僕がApple Musicで聴いている音楽を、子供達に物理的に継承することはできないのか。まぁ、相続というのは資本主義において格差を再生産する私有財産の悪いクセだから、ものとして継承できないこと自体の是非は色々あると思うけれども、僕がこうして昔のことを振り返ることができるのも、やっぱりLPが残っているからだと思うんだよね。そのジャケットの意匠とかで記憶している部分もあって。いまどきは色々なものがサブスクリプション・モデルで提供されているから、子供に残せないものは昔よりも増えているのかもしれない。子供に残せないだけでなく、友達と共有するとか、地域で使うとかもできない。電子化された漫画とか雑誌とかがいい例だ。それにより個人から収益が上がることは望ましいのかもしれないが、消費者はさらにたくさんお金を払わないと、それまでコミュニティに所属することで享受していた様々な文化的資産や機会を得られなくなる。もちろん、嗜好の個別化した時代に即したサービスと言えばそうなのかもしれない。ただ、共同で同じものを消費することの楽しさというのもあるわけで、そのような体験をできる機会が少ないと、そういった体験を通じて形成できるはずだったコミュニティや他者との結びつきは当然損なわれるわけだよね。コロナ禍においてそれは顕著だと思うけど、他人との結びつきが大好きなかまってちゃんの僕としては、そういうささやかな共通体験を形成する契機が減るのは残念だな。お金がない人が一方的に損することになることも問題だしね。そういえば、我が家にはゲームがなかったから、僕は金持ちの子のうちに行って一緒のゲームで遊んでたけど、今はそういうこともできないんだろうか。

 なにより皮肉なのは、サブスクリプション・モデルを導入することで、人々が自分たちで勝手にものを共有できないようにさせて、共有したいなら金を払えというビジネスモデルが、「シェアリング・エコノミー」と呼ばれていることだろう。 世知辛い世の中だね。

 

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モーツァルト日和

 気候が春めいてきたので、BGMにモーツァルトをかけ始めた。バロックにはない流れるようなハーモニーと、ロマン派にはない透き通るような軽さが、日本の春の訪れのイメージにぴったりだ。

 前の記事(男子高校生の演奏 - 読んだ木)に書いたが、高校生の頃に吹奏楽をやっていた時に演奏していたのは、だいたい20世紀の近現代音楽だった。

 そのあと本当に音楽をやらなかったかというと、毎日練習するほど真面目にはやらなかったけれども、一応、大学でも音楽サークルに入っていた。そこは後期バロック時代の音楽を主に演奏するところだったから、バッハとかテレマンとかヴィヴァルディをよく聴くようになった。ちょうどドイツ・ハルモニア・ムンディから50周年記念のCDボックスが発売されて、学生には高い買い物だったけどとにかく手に入れて、片っ端から聴いていた。聴いていたからといって演奏できたわけではないが。

Dhm 50th Anniversary Box

Dhm 50th Anniversary Box

  • アーティスト:Various Artists
  • 発売日: 2008/04/21
  • メディア: CD
 

 

 けれども、僕が個人的に好きだったのは、前の記事(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)でもちょいちょい書いているようにラフマニノフとかチャイコフスキーとか、ドボルザークとかワーグナーとか、ロマン派の音楽である。

 そうすると、ルネサンス期以前は別として、僕の音楽鑑賞歴においては古典派がすっぽり抜け落ちることになる。僕は弦楽器をまともにレッスンを受けてやったことはなかったし、ピアノもバイエル止まりなので、日本では結構多くの人が馴染み深いはずの古典派の音楽に触れる機会があまりなかったのだ。

 ただ、僕の母親は逆に、古典派好きだった。だから家には、モーツァルトとかハイドンとか、ベートーベンとかのLPやCDがたくさんあったし、メヌエットといえばバッハではなくボッケリーニだった(ちなみに、僕も今まで知らなかったが、バッハのメヌエットクリスティアン・ペツォールトというオルガニストメヌエットだったということが明らかにされたそうだ)。母親は特にモーツァルトの晩年の交響曲を好んで聴いていて、カラヤンだかベームだかが振った交響曲40番がお気に入りだった。多分ベームかな。如何にせんもう20年ぐらい前の話だから、そのLPもまだどこかに残っているかどうかもよくわからないが、今度機会があったら確認してみようと思う。そんなわけで、僕は古典派の音楽にも馴染みがないわけではないが、ただなんとなく懐かしい感じのするような印象を持っている。それは、僕がまだ子供のとき、いわゆる20世紀末の中流階級によくあるような、庭付きの一戸建てで平穏な暮らしを経験していた時の記憶の中にのみ流れていることが相応しいような音楽なのだ。

 

 それでとにかく、僕はモーツァルトを聴こうと思ったのだった。もう庭や一軒家どころかオーディオを置くスペースもない狭い部屋にはLPもCDもない。Apple Musicで適当なのを選ぶだけだが、そしたらサイモン・ラトル指揮ベルリンフィル演奏の交響曲39, 40, 41番があった。2013年と非常に新しい録音だ。

Mozart: Symphonies Nos. 39, 40 & 41

Mozart: Symphonies Nos. 39, 40 & 41

  • 発売日: 2017/02/07
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

  すると、思いのほか爽やかなモーツァルトが流れてきた。なんていうんだろう、オケでやってるんだけど、20世紀の壮大な感じの演奏にならず、古典らしい風の流れがあるというか。あまり詳しいことはわからないけど、弦楽器の弓の使い方がいい意味で力が抜けてて、音楽にリズムと流れがある。グッと引いてカチッと止める式の、小澤征爾が得意な弾かせ方じゃなくて、ある程度楽譜に書かれている弓の動きに任せて弾かせる。そうすることで、楽曲全体が重くならず、楽しい感じが生まれてくる。そんな振り方をしてるんじゃないかと思った。

 上に貼った前の記事(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)で、クラウディオ・アバドに触れたけれども、アバドの後任としてベルリンフィルの芸術監督になったのが、このサイモン・ラトルである。アバドリッカルド・ムーティとともにポスト・カラヤンの指揮者とみなされていたことは同じ記事で書いたが、実際にカラヤンの後任としてベルリンフィルの芸術監督になったのがアバドだった。アバドは寡黙な仕事人であった。そして、その後任となったラトルは、打って変わってナウでヤングな指揮者だった。そのラトルの、楽しくて親しみやすい性格が、音楽にも表れているのだろう。そのうち実家でLPやらCDを探し出して、昔の指揮者の録音と聴き比べてみようと思う。

 この録音はまた、驚くべきことにというかさすがというか、オンラインを通じたデータ形式でしか販売されていないそうだ。ハードの媒体がない録音は、確かに便利だが、将来的に聴けなくなってしまう恐れもあるような気がする。LPはかれこれ半世紀ほど聴けているので、ぜひこうした最近の録音も長く残ってほしいものだが。

 この続きの記事もあるよ↓

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歌を通じたアジアと日本の繋がり

 昨日の昼に行った中華料理屋で、聞き覚えのある曲が流れていた。テレサ・テン(鄧麗君)の「時の流れに身を任せ」だ。

 その中華料理店は福州の中華料理と書いてあった。福州とは福建省の海の玄関口で、台湾への移民を多く輩出した土地である。テレサ・テンの両親も、国共内戦に敗れた国民党側の人間であったために蒋介石とともに台湾に移住した人間で、テレサは台中で生まれている。この中華料理屋も、看板は福州の中華料理であるが、実際は台湾料理店なのかもしれない。

テレサ・テンが見た夢: 華人歌星伝説 (ちくま文庫)
 

 その流れていた「時の流れに身を任せ」であるが、僕の知っている日本語版ではなく、中国語版の歌詞で歌われていた。あとで調べたら、中国語版のそれは、テレサ・テン自身が訳して「我只在乎你」という曲名で出されている。ウォーチーツァイツーニ〜と歌う中国語のテンポが、日本語の甘ったるい感じとは異なり、少し切なさや苦さを絡ませたいい感じの雰囲気を醸し出す。

我只在乎你 (蜚聲環球系列) (限量編號版) ~ 鄧麗君
 

  「アジアの歌姫」と呼ばれるほどの活躍であったのに、呼吸器系の病気で42歳の若さで亡くなった。生前は、民主化に向かう大陸中国の舞台に立つことを願って香港を拠点に活動していたが、天安門事件のあとにそれも叶わなくなり、パリに転居していた。彼女の死から四半世紀しか経っていないが、もう日本ではあまり覚えている人もいないようにも思える。韓国のアーティストが全アジア、全世界的に活躍している一方、それ以外の東アジアの、台湾や香港のアーティストが、あまり若い世代の関心を集めないということもある。とはいえ、「時の流れに身を任せ」は多くのアーティストがカバーしているので、曲としては知られているのかもしれない。かもしれない、というのは、僕自身はそのカバー曲など全く耳にしたことがないのだが、wikipediaには非常にたくさんのアーティストがカバーしたことが書かれているので。何か、アーティストを惹きつける力のある曲なのかもしれない。

 

 前の記事で、1970-80年代にヨーロッパの色々な演奏家がみんなわざわざ日本に来て演奏して録音していった話を書いた。

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 「時の流れに身を任せ」も同じ時代、1986年に出た曲で、「アジアの歌姫」がアジア各地のみならず日本で大きく活躍したのも、レコードメーカーが全盛を振るっていた時代を感じさせる。現代でいえば、BTSやBLACK PINKがわざわざ日本に頻繁に来て演奏したり録音したりするようなものだ。まず現代ではそういうことは起こらない。ソニーミュージックが韓国のJYPエンターテイメントと組んでNiziUをプロデュースするのが精一杯である。また、当時は戦争が終わってまだ日が浅く、日本、韓国、台湾、中国などに血縁がいる、あるいは出身がそこであるような人が日本にも多くいて、現代のように日本で日本の曲だけが流行る、ということもなかった。テレサ・テンと同じ台湾出身のジュディ・オング翁倩玉)なんかは歌だけではなくテレビによく出ていたらしいし(僕の生まれる前なのでよく知らないが)、香港出身のアグネス・チャン陳美齡)は現在では評論家か社会活動家のような扱いだが、若い頃は歌手として、紅白歌合戦にもなんども出たことがある。最近は香港や台湾出身の歌手を聞かない。最近日本で耳にする日本以外の出身のアーティストは韓国からのアーティストだけで、ほかのアジア地域からの人が全然いない。

 何が日本で歌われた歌で、何を日本の歌とするか、という境界線の引き方は難しくて、というか本当はあまりやるべきではないものである。GACKT夏川りみ(1973年生まれ)以降の世代は沖縄も日本になっているが(1972年返還)、それ以前の沖縄出身のアーティストは「日本出身」のアーティストでもなかった。1968年ごろには、ザ・フォーク・クルセイダーズ北朝鮮の歌「イムジン河」を耳コピで改作したものをレコードに入れて売ろうとしたところ、発売直後に販売中止、回収となった事件もあった。 

イムジン河 2017REMASTER

イムジン河 2017REMASTER

  • 発売日: 2017/11/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
『イムジン河』物語 〝封印された歌〟の真実

『イムジン河』物語 〝封印された歌〟の真実

  • 作者:喜多 由浩
  • 発売日: 2016/08/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 戦前は東アジアが日本の植民地で、文化侵略してたから帝国側の日本に来る人が多かったという側面があるし、戦後は冷戦構造で東アジアの西側諸国同士の結びつきが強かった、という背景もある。日本と日本以外という線引きがあまり意味なくて、アジアでの繋がりが強かったのが20世紀だった。そこには支配被支配の関係が色々な形であって、単純な関係ではなかったし、「日本人」としてそれに触れる際は侵略に対する反省もする。だが、いずれにしても、それらの時代が過ぎて歴史上の出来事に過ぎなくなり、21世紀になって日本とアジアとの間の関係がだいぶ薄れて、今のようなクローズドな状況になったのだろうと思う。現在は、日本の人が歌った歌、と、日本以外のアジアの人が歌った歌、というのは比較的クリアに線引きできる。逆に、今時の歌を歌うアーティストは日本のクローズドな市場だけでは満足できないので、誰でも韓国語、日本語、中国語と英語で歌って、市場を取りに行こうとしている。洋楽ですら、単に英語で歌っていればかっこいいという時代は終わった。まぁむしろ、なんで過去の日本の人が英語もろくにわかんないのにあれほどまでにイギリスのロックミュージックを尊崇していたのかよくわからないけど。

 余談だが、昔流行ったブラビことブラック・ビスケッツの「タイミング」という歌があるが、これも中国語版があった。ただ、サビの一部だけが日本語のままで、よくわからない歌だった記憶がある。なぜ中国語版があったかといえば、ブラビのメンバーのビビアン・スー(徐若瑄)が台湾人だったからだ。ブラックビスケッツは、台湾華語表記で「黑色餅乾」、曲名は「時機」。案外、僕が知らないだけで色々な地域から来た人がいるのかもしれない(それにしてもビビアン可愛いな……)。

Timing 時機

Timing 時機

  • アーティスト:BLACK BISCUITS
  • 発売日: 1998/04/22
  • メディア: CD
 

 

男子高校生の演奏

 

 前の記事(1940年代生まれの音楽家たち - 読んだ木)で触れたチック・コリアのことを初めて知ったのは、高校の吹奏楽部で「スペイン」のアレンジを演奏したからだ(チック・コリアの「スペイン」いろいろ - 読んだ木)。あれは楽しかったが、僕はチューバだしバスケ部をやめて管楽器をやり始めたばっかりでほとんど吹けなかった。とはいえ曲がいいのでとにかく楽しく、その後もチックをよく聴くようになった。

 男子校だったためか、思えば勢いのある力強い曲ばかりやっていた。ジェンダー平等とはいえ、年齢に応じた男女間の身体特性の違いは演奏においてはっきり現れる。合唱(合唱ももちろん男子高校生)と一緒にやったのが、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」。あれもかなりヘビーな曲だった、たぶん歌っている方が大変だっただろう。

 

 

それからカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」。これはしかも、全曲やったのだ。よくもまぁ20曲以上あるのをやったものだ。もっとやる気を出してレベルを上げれば、録音して売れたかもしれない。カルミナの録音は、なかなかいいのがない。あの変調のリズムが難しく、合唱もあり、最後まで集中力を切らさないでやるというのが、殊の外大変だ。とくに僕が全曲の中で2番目に好きな(一番好きなのは14番のイン・タベルナ・クアンド・スムス)6番の器楽曲タンツは、簡単なようで表拍と裏拍の転換についていけない楽団が多く、大体ロクな演奏にならない。まぁ自分で吹けたいわれたら出来ないので偉そうなことは言えないんだけど。バッハのロ短調ミサやマタイ受難曲は長くてもたくさん録音があるのだが、カルミナは録音も少なくて、そこは世俗曲の辛いところ。

 

オルフ:カルミナ・ブラーナ(SHM-CD)

オルフ:カルミナ・ブラーナ(SHM-CD)

 

 

他に思い出すのは、コンクール曲だった「スクーティン・オン・ハードロック」だが、僕は色々事情があってコンクール前に部活を辞めてしまったので、十分に楽しむことはできなかった。

 ワーグナーマイスタージンガーとか、やりたかった曲は色々あるのだが、大学に行ってまで音楽を続ける気はなかったので、結局僕の音楽との触れ合いはそこで終わってしまった。ただ、僕が今でも、まぁ自分でやらないにしろ吹奏楽の生演奏で聴きたいと思っている曲もある。フレデリック・ディーリアスのオペラ「コアンガ」の中の一曲、「ラ・カリンダ」がそれ。イギリスのアカデミー室内管弦楽団の録音があるのだが、これが本当にいい。高校生の当時、なんかヤマハのアプリかなんかでCDから取り込んだ音源を変換して、携帯電話(スマートではない)で聴いていた。なによりホルンがおいしい。もしどっかで演奏する話があったら飛んでいって聴きたいものだ。

 

Fantasia on Greensleeves

Fantasia on Greensleeves

 

 

▼この記事の続き

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吹奏楽の話の続き

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1940年代生まれの音楽家たち

  • この記事で扱う1940年代生まれは…

 

マルタ・アルゲリッチ

 この2人、本当に美男美女だったのである。これがドイツ・グラモフォンから発売されたマルタ・アルゲリッチクラウディオ・アバドの最初の共演盤。1967年、写真はリハーサルの時のもの。音質はともかく、円盤を買いに出かけずともこうやってワンタッチで聴けるというのはやはりいい時代だ。今のアルゲリッチを想像して……花の色は移りにけりないたづらに、と思わずにはいられない。最初から花も実もない僕にはどうでもいい話ではあるが。プロコのピアコン3番聴くためにかけたんだけど、ラヴェルの「ゴジラ」、つまり伊福部が元にしたピアノ協奏曲ト長調、あと夜のガスパールが続きで入ってて、いい盤だよねぇ。聴くために作られてる感じ。名前で有名どころの曲を集めてるのとは違うよね。
 1980年のチャイコのピアコン1番も好きで(それが入ってるフィリップスの盤は先に入ってるラフマ3番ばかり話題にされるようだが)、多分若き日のアルゲリッチに惚れてるんだろうな。僕はピアノをちゃんと弾いたことがなく音楽がわからないからミスタッチとかまったく気にならないし。

 

 (この目線に惚れるよね。。。)


 ラフマの2番を弾いてないのがほんとに残念、録音がないだけで弾いたことはあるのかな。若いアルゲリッチの引くラフマのピアコン2番、想像しただけで涎が出る。おなじ「センスでパワフル」枠のリヒテルのかの録音で代替しようとするんだけど、違うんだよな。リヒテルの演奏は熊だから。それならアシュケナージの丁寧で滋味溢れる演奏の方がいい、となる。なんだろうな、この違い。女性差別若い女が弾いてるとよく聴こえる、みたいな。実際、言語化できないセクシャルなアトラクションがあるんだと思う。そういう魅力を持った若い女性になりたいと憧れた時もあった。もう諦めて、男の子でしかない自分を受け入れることにしたけど。聴きながら茹でるのはラーメンなので、いちいちパスタを茹でているときのBGMを明記するような小説家にはなれない。僕にはなれないものがたくさんある。

 

 ▲リヒテルのセンスでパワフルなラフマピアコン2番

 

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1~4番

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第1~4番

  • 発売日: 1995/08/02
  • メディア: CD
 

 ▲アシュケナージの滋味溢れる演奏のラフマ2番

 

 僕は一度だけ、生でアルゲリッチの演奏を聴いたことがある。2014年のことだ。でももう忘れちゃったな……もう一度聴きたいけど、機会があるかどうか。

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2014年のラフォルジュルネでアルゲリッチの演奏を聴いた

チック・コリア

 アバドのライバルだったムーティが今年のニューイヤー振ってて、アバドは早死に(2014年没)だったなぁと思ったら、この2人は歳がちょっと離れてるのね。アバドは1933年生まれで、ムーティアルゲリッチは1941年生まれ。で、ここにもう1人、41年生まれのピアノ弾きの有名人がいるわけ。チック・コリア
 チック・コリアにクラシックの味を教えたのがフリードリヒ・グルダで、彼はデビュー前のアルゲリッチが惚れ込んで師事した人。コリアとグルダモーツァルトを連弾したりしている。この3人に共通するのは、やっぱり天才だってことよね。誰も太刀打ちできないセンスがある。そのかわり、「正しく」演奏するということはできないのだろう。笑

 

モーツァルト:2台のPのための

モーツァルト:2台のPのための

 
ザ・ミーティング

ザ・ミーティング

 

 
 アバドムーティというイタリアの指揮者の流れでは、僕はジュゼッペ・シノーポリが好きなんだけど、60歳にもならず早逝している(シノーポリについて書いた記事はこちら→シノーポリのワーグナーが好きなわけ - 読んだ木)。チックの後釜として(そういう捉え方もよくないんだけど)聴いてるのは、ゴンサロ・ルバルカバ

 

ワーグナー:序曲・前奏曲集 他

ワーグナー:序曲・前奏曲集 他

  • 発売日: 2014/07/12
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 ▲若い頃のシノーポリが振ったワーグナーがほんとすき

 

 ▲ゴンサロは日本に来てチックと一緒に弾いてたのを生で聴いた。もう二度と体験できない贅沢。


でもなんていうのかな、やっぱり時代の空気っていうのは録音でしか吸えないっていうか。冒頭のアルゲリッチ&アバドが1967年で、そのころグルダがベートーベンのピアノソナタ全集録音してて、チックの羽的軽が1972年でしょ、ほんと面白い時代だったと思うのよね。で、カラヤン全盛期でもあった。日本ではソニーとかのメーカーの力もあって、みんな来て演奏してくれた。すごい時代だよ、改めて考えてみると。そして、それがもう半世紀前。今の時代にもそういう天才の人たくさんいるんだろうけど、やっぱり半世紀ぐらい経ってみないと、僕のような凡人があーこれはすごいな、みたくわかるような目利きってされてこない。選ばれて録音されてレコードになってCDになってアップルミュージックになる、という歴史的キュレーションの過程が、僕の耳を楽しませてくれると思うと、感慨もまたひとしお。だけど、実のところ、何かをすごいと思う自分の感覚はそうやって人為的に選別されたものによって訓練された結果でしかないのかなと思うと、悄然としてダマシオ。

 

ベートーヴェン:Pソナタ全集

ベートーヴェン:Pソナタ全集

 

 ▲グルダのはこれ。

 

Light As a Feather

Light As a Feather

  • アーティスト:Corea, Chick
  • 発売日: 1990/10/25
  • メディア: CD
 

 ▲羽的軽

 

 そんなことを書いていたら、チックの訃報に接する。
 去年リー・コニッツが亡くなった時は、まぁ歳だからなと思ったが、チックが亡くなるとは衝撃。とはいえ、このポストで触れたアーティストはもうみなアラエー(アラウンドエーティ)なのだから、当然お迎えが来る年頃だ。チックは癌を患っていたらしい(稀な形の癌、というニュースがあったがどういうことなのだろう)。ジャズやフュージョンの分野でいくと、1940年生まれのチャック・マンジョーネあたりも危ないかもしれない。チャックはまだ生で聴いたことないから一回でいいから生きてる間に……とはいえ金管だし流石にもう無理か。10年くらい前に日本に来て吹いてた気がするけど。まぁもう一時代の終わりなんだな(日本ではまだまだアラエー大活躍ですが)。あとで書いた記事で気づいたが、リー・オスカーやビリー・ジョエルも40年代生まれだった。

 

  スペインのような衝撃を与えてくれる最近の曲ってあるのだろうか。僕は実質的に高校時代で音楽との付き合いが終わっているから(大学で多少お遊びでやっていたとはいえ)、その後についてももっといろいろなことを知りたい。もっといろいろな音楽に触れてみたい。僕自身が、死んでいく人とともに朽ちていくような気がして怖い。まぁ、僕も死んでいく人の一人なのだから、それも生きている瞬間の足掻きに過ぎないのだが。

 

▼この記事の続き

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チック・コリアのスペインについて 

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