読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

混乱

 正直言って、全てわけがわからないまま進んでいる。

 相変わらず子守りをしている。子供は濃厚接触者である。感染症の猛威は止まらない。仕事などできない。子供は遊べないどころか家も出てはいけないという。子供が家を出てはいけない状況で仕事をしながら子育てをしなければならなくなるなんて、想像もしていなかった。

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 このために、いろいろ考えてようやく始めた趣味の語学学習は、かれこれ1ヶ月ストップしている。仕事すら制限されているのに、もはや趣味に割く時間などない。一体これまでの半年間やってきたことはなんだったのか。

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 それだけではなく、来年度末に控えている契約終了に向けた転職の準備が大幅に制限されてしまっている。予想していなかった。今の3年契約の仕事が決まったとき、まだ世界は2019年末で、2020年には東京でオリンピックが開催されると誰もが予想しており、僕は海外学会での報告をたくさん抱えていた。2020年の4月に3年契約の仕事が始まった時、全ての海外学会の報告は中止か延期かオンラインになっていて、緊急事態宣言下で休園になった子供を家で見ていた。2021年の3月に1年目が終わった時、計画していた実績は一つも実現しなかったどころか中止され着手すらされなかった。僕は計画を1年先送りすることで挽回を図ったが、2021年も状況は変わらず、年末に2022年こそはと気合を入れ直したのだった(「2021年の振り返りと2022年の抱負 - 読んだ木」)。今、2022年の2月である。僕は2020年の4月と変わらず、家に閉じこもって子守りをしている。わけがわからない。仕事は? 収入は? 子供の自由は? 権利は? どうしたらいいのか。わかっているのは、誰も助けてくれないということだけである。

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 侵略戦争が始まっている。授業で教えている20世紀の侵略戦争そのままに始まっている。僕は昔のこととして教えていた。国際連盟の失敗を踏まえて国際連合ができたと説明していた。侵略戦争零戦の時代を経てテロリズムの時代になったと話していたが、全てが崩壊した。対テロ戦争も再び冷戦構造で捉え直しながら説明する必要があるだろう。平和に一歩も近づいていなかったと自分がよく理解する必要があり、結局はヒュームの言ったバランス・オブ・パワーの世界だったということをまざまざと見せつけられている。なぜこんなことが21世紀にもなってまだ起こるのか。わけがわからない。

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 何もかもが、わけがわからない。わけがわからないままに進んでいかなければいけない。こういう時に必要なのが信仰なのだろう。しかしそれもわけがわからないものをわけがわからないという形で肯定するにすぎない。わけがわからないから不安である。こういう時に何かに倚りかかることが最も危険で、こういう時こそ自分の理性のみで立たねばならない。それで一層孤独、一層不明となる。感情に委ねたくなる。何もわからなくても、理性のわかる範囲でやらねばならない。理性は多少はわかっていると信じなくてはならぬ。わけがわからないが、ある程度はわかっているのである。そのこと自体も不安なのである。感染症が蔓延して、侵略戦争が始まって、しかし家に子供と閉じこもっていなければならず、仕事がなくなっても何の手助けもない、それでも戦争や病気になるよりいいのかもしれない、しかしそんなことは比較できない、戦争も病気も何もなくなってほしい、万人のための平和と健康と自由を切実に希求したい、抽象的な綺麗事のようなこの気持ちに、不思議なリアリティが湧いてくる。しかし、実現不可能と思われる綺麗事が実現されなければ心が休まらないなど、そんな不幸なことがあろうか。しかしそのような不幸を引き受けてこそ幸福になれる、それを無視して、自分がジタバタしても、何か幸福が得られるわけではないのだ。わけがわからない状況に、おぼつかない理性をあてがうことしかできることはなく、万人の幸せを念頭に、その理性で戦っていくしかないのだ。もとより戦争紛争は世界中で起こっている。苦しむ人は自分の住む自治体にも多くいる。その誰も彼もを救うことはできない。しかし救うために、この自らが何をできるか、考え抜いて苦しみ抜いて、その中で自らの仕事を見つけ、それに身を捧げるのだ。それしかない。自らの仕事にただ従事するのでも、単に他人の苦しみを引き受けた気になって苦しむのも違う。その両方が交わるところで、万人の幸福を願いながら日々を送ることだ。わからないからと言って混乱することはない、わからないのは当然である。わからないことで断罪されることもあるが、それは自分の罪ではなく人間の愚かさである。人間の愚かさを自らの罪として予め背負っておけば、誰に断罪されても当然のこととして受け入れられる。自分は愚かであるが、人間の愚かさを乗り越えようとしている点でより愚かであり、しかしだからこそ人間の愚かさに安住してはいないといえる。いずれにしても、自分にわかるのは自分にとって自分がなんであることを選択するかということだけだ。そう言い聞かせて目を瞑る。

Do Everything Possible to Stop the War

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Screenshot from NBC News live on YouTube

Source: LIVE: Russia Begins Military Operation Against Ukraine - YouTube

Channel: https://www.youtube.com/channel/UCeY0bbntWzzVIaj2z3QigXg

(並行してロイターのLiveもみた。こっちは安保理そのまま配信してるだけ LIVE: U.N. Security Council holds emergency meeting on Ukraine crisis - YouTube

 

 こういう時こそ動じずに日々の仕事に専念すべきとわかっていながら、昼休みに安保理をずっと観てしまった。

 ウクライナのキスリツァ国連大使が最後まで、戦争を止めるために全力を尽くしてくれ、(議長国であるロシアのネベンジャ国連大使に対して)プーチンに、ラブロフに今すぐ電話して止めろ、と強い怒りを必死に抑えつつ訴えているのに対し、ネベンジャ国連大使が何も言わず、議長として会議を無情に止め、休憩にする様は、ほとんど絶望の感をもたらすものだった。

 休憩の後、ポルトガルのグテーレス事務総長が、過ちを再び繰り返してはいけない、プーチン大統領は今すぐ武力行使を止めるべきだ、と呼びかけていたのは心休まるものであったが、この状況下においてはそのような正論は虚しく響くばかりでもある。そんなことはみんなわかっているのだ。

 安保理が何もしなければ、国際連盟第二次世界大戦を止められなかったのと、あるいは帝国日本の横暴を止められなかったのと、同じような展開を辿るかもしれない。安保理は、自らを制する能力がない、帝国支配を正当化するためのサークルではないか、ということになってしまう。そうなって欲しくはない。しかしネベンジャ国連大使がここでどんなやり取りをしようと、それでプーチンの決定が覆るとも考えられない。

 日本が安保理の一員になるべきだという意見もあるようだが、日本が何をできるのか。軍事力で脅すことも、経済力で牽制することもできない。平和への希求を開陳するだけなら、事務総長だけで十分だ。あるいは武力を乗り越えるような新たな論理をこういう時に提示できるのだろうか。そして、ほぼ不可能に思えるようなそういうことが、しかし日本に求められるようになれば、本当の意味で過去の戦争の反省、その乗り越えということになるのだろう。こういう緊迫した状況に接しているからこそ、そうした夢想的な平和論への現実的希求に対する強い意志を新たにする。

 

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追記。

 この事態を前に、憲法9条を揶揄するような論評も多く出るだろうが、それが制定された経緯、そして昭和天皇や議会の議論の中での「平和国家」論、その後50年代にかけての「平和」あるいは反武力に基づく反米、反帝イデオロギーがいかに軍事的牽制力になったかを考えれば、そのような表層的批判は意味を成さないだろう。それは、68年後の運動の挫折の必然性にもつながっていく。つまり、武力があったところで勝てない小国である場合、何を以って大国の武力と対抗するのか、ということだ。日本は小国である。どれほど軍備を増強しても、米中の谷間で両大国に勝てるわけがない。そのことを考えれば、平和への希求を単に述べるだけでない、むしろ人類を盾にした「平和」論、ユーラシアを灰に帰すことを厭わない立場からの「平和」論の意味がある。憲法9条は、それがなければ我々は人類絶滅を目指す、という極限的立場においてこそ意味がある。

 それは、ウクライナにおいても同じだろう。自国が焦土になり、自国民が絶滅しても抵抗する、もし欧米が助けてくれないなら欧米をも敵に回して攻撃するという立場。ウクライナが立場を転じてロシアと組んでドイツやバルカン半島を目指すことも辞さない、そうした立場においてこそ、「平和」は意味を成すのではないか。いつか近代日本史の重要な一側面として詳しく論じたいが、憲法9条とは、そういう意味を持つもので、決してこういういう時局に託けて、軽んじて批判してよいものではない。

 

追記2。

憲法9条があるからこそ、日本は原子力技術もアメリカに教えてもらえたし、ロケットは飛ばせたし、しかも国防はアメリカが担ってくれるという形で経済発展してこれた。もし9条がなければ、軍を持っていても常に監視され、原子力技術は教えてもらえず開発すれば牽制され、ロケットなんて、とてもではないが飛ばせなかっただろう。今の日本が9条を廃したら、一番恐怖に駆られるのはアメリカだ。人口、技術力、反米感情、どれをとっても北朝鮮どころの騒ぎではない。しかし憲法9条がある限り、どんな首相が出てきても、日本がアメリカに銃口を向けることはないという保証があるわけだ。そしてそれは日米安保と表裏一体であり、どちらかだけを選択するわけにはいかない。もし選択するとしたら、米軍の代わりに人民解放軍に守ってもらうという場合だけだろう。

ウクライナに9条があっても守られない、のではなく、日本は9条があるからアメリカに守られている、のである。この日本史の前提を理解せずに9条について喋々することは、どこまでいっても床屋談義の域を出ない。

逆に、9条を失うものは日米安保も失うということを忘れてはいけない。日本が9条を失うときに、日本に核武装大陸間弾道ミサイルの準備ができていなければ、敵前で最も強い味方を失うに等しい。9条を変えたければ、9条のあるうちに核開発と宇宙開発、そしてできれば航空機の内製化を進めることだ。円を刷って海外に円建てでどんどん貸し付けることも必要だ。自主憲法やら何やらは実力が身についてから口にすればよい。

もちろん、そんなことをするよりは、憲法9条を金科玉条として護りながら、平和や反原発戦没者慰霊などを建前に右翼左翼両翼の反米感情をちらつかせつつ、アメリカの核の傘に収まっていた方が、楽で安全に決まっているが。

ロシアにとっての「帝国の生命線」

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ドネツク駅舎とプラットフォーム(Wikipedia GPL, リンク

 VK(VKontakte、フコンタクテ、英語で言えばIn Contact)というロシアのSNSがある。

 僕はそこでロシア側の「客観的なニュース」と当地の人々の反応を見ているのだけれど、まんま「守れ満蒙 帝国の生命線」なんだよな。「守れドネツク ルーシの生命線」といったところか。

 自国ではないが自国の影響力が強く、武力で実質支配しており(外から見ると侵略)、本来その地域を統治する権利を持つ国家が統治を取り戻そうとすると逆に「侵略された」と判断して抵抗するが、諸外国からは当然さらなる武力侵攻と見做される……

 

帝国の生命線

 「守れ満蒙 帝国の生命線」というのは、1931年9月に発生した満洲事変、つまり日本の帝国陸軍中国東北部侵略に関する同年10月27日の、『東京日日新聞』(今の毎日新聞)に掲載された記事の見出しである。

www.lib.kobe-u.ac.jp

 当時「満洲」と呼ばれたこの地域は中国(中華民国)の領土であったが、地域に根ざす軍閥が実効支配しており、1928年に日本陸軍に爆殺されるまでは張作霖がその実質的なトップであり、その後長男の張学良が実力者となる。他方、中東鉄路(東清鉄道)沿線はそれを保有するソ連南満州鉄道(満鉄)沿線地域はそれを保有する日本の実質的統治下にあった。

 日本にとって、満鉄の沿線開発や現地の人々との取引は経済的な意義もあり、なによりソ連の南下を食い止めるためにその地域の支配権を持つことは重要と考えられていた(これも、NATOの東進を食い止めるためにドネツクを支配するロシアとオーバーラップする)。それが、「帝国の生命線」という表現になったのだ。

 

ロシアの立場

ria.ru

 例えば上のニュースは、ドネツク民共和国(DPR)にウクライナが攻めてきたので、DPRからロシア人がロシア国境を超えて隣接するロシアのロストフ州へ難民として逃げている、という内容。難民には1万ルーブルの支給が大統領令によって決められたというような記述もある。ウクライナが攻めてきたというよりロシアがウクライナをけしかけて散発的に砲撃を行なったりしているのだろう。実際、保育園に迫撃砲らしきものが打ち込まれた写真なども出回っている。毎晩爆発音を聞かされる住民に、そのニュースの真偽を判定することができようわけもない。ただ恐れながら避難するのである。

 簡単に比較はできないが、関東軍が自作自演で満鉄を爆破し、満州の日本人とその権益を守るという名目で錦州などを爆撃し、そこに「自治」的な国家建設を目指した歴史とオーバーラップする。当時の日本はそれにより、英米の支援を受けた中国との泥沼の戦争へと進んでいった。

 ロシアはどうか。欧米の支援を受けたウクライナとDPRの承認をめぐる戦争になるのか。欧米が一歩引いて、東部ウクライナの独立を認めるのか。あるいはロシアは、欧米が手をこまねいている間に、まさに北支へ、中原へと進出した日本のように、キエフまで侵攻して、「ルース」の起源を取り戻そうというのだろうか。

 逆に、米国が軍事支援に身を乗り出せば、今度は南シナ海の治安維持に不安が出てくる。日本が朝鮮侵略を行ったきっかけの一つは、清仏戦争で在朝鮮の清軍が手薄になったことだった。なんでも近代日本史との対比で解釈しようというのは乱暴だけれども、歴史から学べることもある。

 なんとか、ドネツクの独立承認、ウクライナNATO加盟拒否、対ロシア経済制裁、あたりで事態が解決とまではいかずとも膠着し、多くの人が死ぬような戦争にはならないで欲しいものである。なんでもベストよりベターだ。生きていれば浮かぶ瀬もある。

 

終戦争か絶滅か

 現地の人たちの生活が脅かされ、血が流されることは回避されて欲しいという気持ちは安易なセンチメンタルであろうか。それ以外の方法で問題が解決できたはずなのに、しかし政治的に武力を使う方へと流されてしまうという結果が毎度もたらされることも歴史の事実である。

 石原莞爾は、将来は強力すぎる武器による勢力均衡に至るとして「最終戦争論」を提示したが、現実のところ、人類は最終戦争より戦争による絶滅を選ぶだろうと思う。歴史を学んでもその展開を食い止めることはできないかもしれないが、少なくともその展開の可能性を予期しておくことはできるかもしれない。

 

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(追記:ロシアは3/15に欧州評議会から脱退したらしく、ネットでは「連盟よさらば!」「我が代表堂々退場す」が話題になっている。これは1933年2月25日の『東京朝日新聞』(今の朝日新聞)朝刊2面の見出し。)

(追記2:ゼレンスキーウクライナ大統領がアメリカでパールハーバーを引き合いに出して演説したとかでネットが盛り上がっている。ウクライナ侵攻の背景にあるのがクリミア併合と経済制裁なら、パールハーバーの背景には仏印進駐とABCD包囲網がある。僕は、歴史は相当の部分において偶然的に展開するものだと思っていたが、これほどまでに典型的なパターンが現れてくるのなら、その認識も変えねばならないだろう。)

今、子育て世帯がどのように苦しんでいるか

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積み木を積んでは崩して日々が過ぎてゆく

 

普通に登園できなくなって2年が経過

 また休園の嵐である。

 1月末から上の子のクラスが登園自粛となったのが始まりだった。2月第1週の最後だけ登園となったら、その日に登園した子から陽性者が出て第2週も登園自粛。第3週(今週)の頭にようやく登園させたら、今度は下の子のクラスで陽性者が出てその日から登園自粛。下の子の登園自粛が明けると同時に、再び上の子のクラスから陽性者が出て、来週もまた登園自粛である。
(追記:その来週になった2/21(月)の夜、下の子のクラスから陽性者が出て、2月末日まで登園自粛となった。もちろん園からも行政からも、なんのケアもない。)
(追記2:さらに2/26(土)、上の子が再び登園したその日に接触した子が陽性になったという最悪の奇跡が起こり、上の子は3月第1週いっぱい休みとなった。もちろん園からも行政からも、なんのケアもない。)(追記3:3月第2週のみフルで登園でき、第3週に下の子が再び濃厚接触者となり、第4週の頭まで登園自粛。いつまで続くんだ……)

 つまり、2022年の1月末から3月に入るまで子供たちは代わる代わるずっと家にいる。どういうルールなのかわからないが、二人とも休園させたり1ヶ月ずっと休園させても保育料など変わらず徴収、自主休園扱いなので、この状況が続けば在園要件に抵触しかねない(確か1か月だか3か月だか休ませると退園になる)(→休んだ分の保育料などは区で計算して返金してくれるらしい。)だから濃厚接触者でない方は登園させているのだが、仕事ができないのは一人いようと二人いようと一緒だ。

 2021年もひどいものだった。7月ごろに書いた「感染症と休園に苦しむ親たち - 読んだ木」を振り返ると、こう書いてある。つまり4〜7月はほとんど登園できていないのだ。

かくいう我が家も、新年度の頭から、下の子慣らし保育(2週間)→コロナ休園(2週間)→ゴールデンウィーク(1週間)→下の子疲れて発熱(数日)→上の子疲れて発熱(数日)→RSウィルス様症状(1週間)→アデノ様発熱(数日)→アデノ結膜炎(3週間)と来てるから、しめて10週間ぐらいは平日も子守りをしている。(この後また発熱し、7月は結局、6日しか登園しなかった)

 2020年が散々だったのは子育て世代に限らないので、あえて触れることもないかもしれないが、4月、5月、7月、8月と4ヶ月は保育園を休んでいる。とはいえ、この時は保育料も返還されたし、皆が同じ条件でそれぞれ苦労していたので、仕方ないと思えた。それがまさか2022年まで丸2年も続こうとは、当時は予想だにしなかった。

 

支援のない家庭はどうなる

 親族などの支援も受けられず、大人二人だけで全てをこなさなければならないのは、休園でなくても十分人手不足で辛い。月に一度でも自分の親(祖父母)に会うことができたり、そこへいけたりすればどんなに違うことか。さらに、僕は職場に行くことが必須の業務もあり、状況が常に綱渡りである。それでも、うちは一応、夫婦で交代しながらやれば、子供を見ながらでも仕事ができるから、他の子育て世帯に比べればマシな方だろうと思う。
 これがもし、片方は毎日出社必須であったり、ひとり親家庭だったりしたら、仕事への影響は免れないだろう。どんな理由であれ、1ヶ月もイレギュラーに休んだりしたら、会社もはいそうですかと受け入れるわけにはいかない。評価を下げたり、減給、あるいは退職勧奨につながるだろう。正規雇用の人にはわからないかもしれないが、非正規雇用であれば、たいてい年度末に設定されている契約更新のタイミングで、更新をしない、つまり失職するリスクが否応なく高まる(僕は非正規雇用だが、最長契約期間の最後の更新(来年度いっぱいまで)が終わった後で、再来年以降の継続がないので、来年の今頃に失職することはいずれにせよ決まっている。だから、ある意味その心配がないのは良かったのだが、新しい職探しの準備には、多大な影響を被っている)。子育て世帯、あるいは扶養が必要で年金や手当をもらえない人を養っている世帯で、所得に不安があるというのは、世帯構成員の全員が働いている、あるいは働ける世帯とは、その恐怖の度合いが違う。自分はどうなっても、自分の責任ということでまぁ受け入れることもできる。しかし、自分だけでない弱い人たちを巻き込まなければならないというのは、これは経験すると本当に強い心労を覚えるものなのだ。

 かの有名な増田「保育園落ちた日本死ね!!!」が書かれたのは2016年2月。それから6年が経ち、待機児童問題は一向に解決していないものの(「「保育園落ちた日本死ね」から5年経っても、待機児童問題が解決しないワケ 保育所はビジネスとして儲からない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)」)、子供を園に預けて働けるようになった親は増えた。しかし2020年のコロナ禍以降、2年も保育園が開かなくなった。たまに閉まる、というのでも、勤労者にとっては痛手だ。会社に毎月、下手すれば毎週、今日早退します、明日休みます、なんて伝えてくるような人を、どんな企業が採用しようと思うだろうか。子供がいない人を採用しようというインセンティブがどんどん強くなるばかりである。それだけでなく、コロナ禍は女性不況とも言われる通り、働く母親を直撃している(「「夫セーフティネット」崩壊が突きつける過酷現実 | コロナ禍があぶりだした「女性の貧困」の深刻 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース」)。また、育児の必要のために働き方を抑制し、非正規雇用者となった親たちに、政府が補助する休業手当を支払わない企業が多いことは先に触れた記事(感染症と休園に苦しむ親たち - 読んだ木)でも書いた通りだ。その後も国や自治体は煩雑な手続きをとることで時間稼ぎをしていたため(「臨時休園・休校で「休業助成金」働く保護者らの相談急増 利用「ハードル高い」と不満も|総合|神戸新聞NEXT」)問題が膨れ上がって、今では続々訴訟になっているという(「あいまい契約「シフト」の穴 休業補償求め、司法の場に続々政府も補償義務指針示さず:東京新聞 TOKYO Web」)。厚労省は今年2月になってようやく、事業主が払うべきものを払わない場合、個人が直接申請してもよい、とルールを変えたが(「子ども休校時の助成金、保護者の申請を簡単に 勤務先が認める前でも(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース」)、結局は労働局が代理で事業主と交渉するという建前で労働者の訴えを食い止める形になっている。

休業支援金・給付金の仕組みによる直接申請の対象
(1)労働者が労働局に小学校休業等対応助成金の相談を行い、労働局が事業主に助成金活用・有給の休暇付与の働きかけを行ったものの、事業主がそれに応じなかったこと

(2)新型コロナウイルス感染症への対応としての小学校等の臨時休業等のために仕事を休み、その休んだ日時について、賃金等が支払われていないこと

(3)休業支援金・給付金の申請に当たって、当該労働者を休業させたとする扱いとすることを事業主が了承すること。また、休業支援金・給付金の申請に当たって、事業主記載欄の記入や当該労働者への証明書類の提供について、事業主の協力が得られること。

(「小学校休業等対応助成金について保護者の個人申請がしやすくなる?手続き簡略化の内容とは?|使いたい補助金・助成金・給付金があるなら補助金ポータル」)

その間にクビになったり、子供のための生活、教育資金が枯渇したらどうするのか。子供は手続きを進めたり裁判をやったりする数ヶ月、あるいは数年間の間、ちょっと3歳のままで待っててくれ、小学2年生の算数で待っててくれ、というわけにはいかない。

 弱いものをさらに追い詰める無茶苦茶な態度を国も自治体も企業も取り続け、司法の場に行かないと救済も受けられない、世も末とはこのことである。そして割りを食うのは、頑張って働き、子供を育てている当人たちだ。先日も「濃厚接触者の自宅待機、欠勤扱いは「死活問題」 シングルマザーから悲痛な叫び〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット) 」などという記事が出ていたが、シングルマザーがコロナでやばいから救済しなければならない、という話は最初から出ていたのに、この2年間、一体国や自治体は何をしていたのか。少なくとも彼女たち、そして彼女の子供たちが安心して生きていくためのことは、十分にできていなかったのである。それで死んでいく人がいるのだから、本当にやりきれない(「女性の自殺 理由「子育ての悩み」など「家庭内の問題」が増加(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース」)。最も手を差し伸べるべきはまさに彼女たちに対してではないのか。

 余談だが、若者や女性に対する政策がひどいことを投票率の話にすり替える者もいるが、騙されてはいけない。選挙で高齢者がたくさん投票に行くと子供が虐げられる結果になるというなら、それは高齢者の倫理観が低すぎるという高齢者の問題である。だから僕は、若者に選挙へ行けと煽る記事は全て間違いを含んでいると判断している。なぜならそこに、最低でも投票の中心的な年齢層である高齢者の倫理観の問題、他者への共感や想像力の低さの問題を、言及していなければならないからだ。そして、それに言及するのであれば若者の投票率の低さは人口の少なさのフィードバックとして理解するだけでよく、わざわざ末尾に付け加えて若者に説教するような必要は微塵もないのではないだろうか。若者のための政策があった頃は、若者の投票率が高かったとでもいうのだろうか。この少子高齢化社会ではいずれにしても馬鹿馬鹿しい話である。

 

それぞれの世帯にそれぞれの苦労(他のブログから)

 まぁやっぱりなんと言っても、共感を求めていくということで、同じように子供が休園になったり濃厚接触になったり陽性になったりした人のブログ記事を発掘。

娘が濃厚接触者に…。

ohota-kurashi.hatenablog.com

在宅でうまく勤務できるといいよなー。この方は子供が5歳か。一番下の子が5歳になれば、うちもこのぐらい楽になるのかもしれないが、4歳の上の子を見ていても……まぁあれだ、個人差があるな。

また休園かも!?(;'∀')

azukinako0515.hatenablog.com

この文章にある、

今、これから、ひたすら働かなきゃない時に

助成金が出ようが、給付金が出ようが

毎日出社して業務をこなす信頼は

給付や助成はされないのです。

これ! 本当にこれなんだよね! 確かにお金ないと生きていけないからそこはなんとかしてほしいけれども、そこがなんとかなっても結局、子育て優先してるってだけでもう仕事の評価は下がってしまう。会社にしてみれば仕事と子育てどっちが大切なのよ!って感じなんだろうけど、そりゃ一人で生きていけない人の面倒見る方が大事なので。。。
 てか、このブログのフォントすごいな、こんなウェブフォントあるのか。

家族みんなコロナにかかってた日記

airreader.hatenablog.com

 保育園からもらってきて家族全員かかるパターン。しかもこれ、デルタっぽいな。えぐいですね。冷静に整理・対応されてすごい。僕だとメンタルの方で先に逝ってしまいます。小さい子供いると基本自宅待機決定なので、自宅待機向けの支援がないのは辛いし、保健所がもうパンクしてて検査どころか連絡も来ないの、ほんと大変。

  • 保健所からの最初の連絡が自宅療養期間の終了で、次男の時とは大違い。HER-SYS入力タイミングも無いわけで、全く経過観察されなかったと言える。ほんの10日前と比較しても検査能力が逼迫しているのだろうなと思わされる
  • しばらく後に折返しで電話があり、やはり長男と妻の聞き取りも行い、それをもって調査終了、自宅療養期間終了とさせていただきたい、という事になった
  • 保健所の処理について全然知らないが、病院での検査結果と保健所による検査結果、別に記録されているだろうに、それをマージして処理してもらえたのは、こちらの状況を理解して、アクションをとってくれたんだろうなと思える。クソ忙しいだろうに感謝しかない…。
  • しかし、妻の電話が保健所につながらなかったら…。僕が病院で検査を受けていなかったら…。とIFを考えるとかなり厳しい気持ちになる。行政はしっかりしてほしいと思う

もはや「しっかりしてほしい」とかいうレベル超えてんで。。。

子供との時間

5yearsdiary.hatenablog.com

いい親ですね。。。僕は猫をどかす感じで子供を毎度隣室に運んでしまいます。

個人的な話(研究と生活)

 ここからは個人的な話。僕は人文系の博士課程を単位取得退学(博士号なしでドロップアウト)して間も無く2年が経つが、先日のニュースによれば、もし博士号をとっていたとしても、収入は200万円台(最頻値が100万〜200万で、〜300と〜400までが山になっている)なのがこの世界の常態なんだそうだ。

文部科学省科学技術・学術政策研究所が2018年度に大学の博士課程を修了した人の1年半後を追跡調査したところ、人文系は年収100万円以上200万円未満が最多となるなど、仕事で食べていけない博士を量産している実態が明らかになった。(食べていけない博士を量産、国内の博士人材追跡調査 - 大学ジャーナルオンライン

それに比べれば、たった3年でも、一応共働きなら食っていけるだけの給料が得られる今の常勤職に就けているのは運が良かった(院生時代はずっと民間で働きながら片手間で研究をやっていた)。来年度が最後の契約年だが、その後200万未満の収入では生きていけないので、また民間に戻ることになるかもしれない。民間も色々なところを覗かせてもらったが、それに比べれば研究の世界は本当にピュアな能力主義なのが良い。しかし、その能力はたいてい能力だけではなく、能力×投下時間×人脈=成果物で測られるので、投下時間が短くならざるを得ない育児・介護など他人の世話まで受け持たなければならない人間にはなかなか厳しい世界でもある。その辺がコロナ禍における研究の男女格差にも表れている(「女性の論文著者、コロナ後に急減 育児・家事の負担偏る [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル」)。僕もこの2年、研究は大きく制約されたが、おそらくこの間に、育児や介護などに煩わされない人は、僕の数倍、数十倍は研究を進め、その成果を発表していることだろう。それを考えれば、研究の世界に残り続けるのが、あまりいい選択ではないこともわかっている。

 これはしばしば知人に話す経験談だが、昔、Sという研究者(今は作家)の出版イベントで、その人が言葉を産出することと新たなものの産出とを同じようなものとして論じていたので(それ自体は19世紀以降の哲学にしばしば出てくる問題なのだが)、言葉以前に産出される生命の可能性について扱うことができるか、とベルクソンを念頭に問うたら、「それはママに訊け」とあっさり返されたことがある。僕は当然激怒したが、Sの隣に座っていた司会役の評論家Wがそこに輪をかけて余計なことをベラベラとしゃべるので、興醒めして帰った記憶がある。そして、今でも人文系の研究の世界にはそういう雰囲気が漂っている。つまり、出産育児に関するようなことは人文系で中心となる研究の議論の対象ではないということ、そして研究者という知的(笑)で啓蒙(笑)された人物の反対側に対置されるのが「ママ」だ、という差別意識である。

 また、これも余談だが、人文系の研究者はツイッター上でのやり取りを好まれる方もいて、僕はツイッターをあまりやらないので(その経緯は「ブログのTwitter連携 - 読んだ木」参照)話についていけないこともしばしばであって、これは結構、この分野を離れたいという気持ちを増幅してくれる。前にある学会でツイッターアカウントを作ろうという話が出た時も、申し訳ないと思いつつ理由をつけて断った。ツイッターは個人相手のプロモーションを必要とする仕事や、趣味のつながりで使うものであって、他のこと(例えば政治的対立や倫理観の啓蒙、公的なアナウンスなど)を目的として本気で使うのは、関係ない人をどんどんアクセスさせて広告で儲けたい運営会社の思う壺である。

 

* * *

 

 どうもストレスが溜まっていたらしい、子供が昼寝している間に少し作業しようと思っていたのに、長い落書きをしてしまった。いずれにしても、休園で困っている、特に収入が低かったり不安定だったりする親たちへの支援を強く期待したいところだ。うちは世帯主(僕ではない)が稼いでくれるので、当面は大丈夫なのだが。

中国語の勉強——新しい趣味として

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池袋にある食府书苑はプチ在中国感を味わえる

 このブログでは、僕に趣味がないこと、その理由などを色々と書いてきた気がする。いくつかあるけど一番ドンピシャな記事はこれだな。「家族がいて働いていても、新しい趣味を見つけることはできるのか - 読んだ木」。あとは、「既婚子持ちゆえにつまらない人間になる恐怖 - 読んだ木」とか「どうやってプライベートを充実させるか - 読んだ木」とかにも同じようなことを書いた。

 で、まぁこれに類する「趣味がないこと」の愚痴は前のブログから足掛け数年は書いていると思うのだが、一念発起して昨年8月から、新しい趣味に取り組み始めた。具体的には、中国語学習を始めたのである。それも、単にPodcastを聴いているだけではできないので、実際に中国語教室に通い始めた。そもそも、語学をやりたいという気持ちは前からあって(「言語習得したい - 読んだ木」参照)、今のところ全くできなくて結構使う機会が多そうなのが中国語だったことから、中国語を選んだ。

 清水の舞台から飛び降りる覚悟とはこのことで、なけなしのお金を全てはたいて中国語教室に投じたのである。コストが高い問題は問題であるが、中国語ができることによって自分の所得がなんか上がる可能性とその上昇幅でペイするだろうという皮算用が働いた。そんな皮算用をしなければスクールにも通えない貧乏さが非正規子持ちの辛いところである。時間については、これはもう仕方がない、仕事は実質フレックスだから構わない、労務遂行上に必要なスキルの獲得ということで、平日昼間に通っている。兎にも角にも、これで金と時間の問題をねじ伏せて新しい趣味のようなものの取り組みとして、中国語を習い始めたのである。

 習い始めて半年ほど経つが、週1回の授業で、ろくに復習もしていないので、全然身につかないということがわかった。まぁ、挨拶ができるかどうか、というレベルである。学校の授業とはつくづくありがたいものだと感じた。週に3回とか、高い頻度で授業があるし、しかも進捗を確認するテストなどもあり、そうすると僕が中国語スクールで通って3年かけてようやく学ぶことを、半年や1年で身につけられるというわけだ。もしフルタイムで語学学校に通えば、その進捗のほどはさらに目覚ましいものとなるだろう。これに対し、週1で半年では、中国語学習そのものとしては亀の歩みと言わざるを得ない。

 趣味なので、じゃあ趣味の友達はできたかどうか。否。全くできていない。マンツーマンレッスンだったのがいけなかったかもしれないが、コロナのおかげでマンツーマンしか基本的に選べなかったのである。中国人の新しい知り合いができることはおろか、中国語を一緒に学ぶ友人すらいない。兎に角ひたすら、东北师范大学出身の先生の丁寧な発音指導を繰り返すばかり。話せるようになっていないので、他人に対して披露する機会など尚更ない。この間、唐突に友達のLINEグループに中国語で返信してみたが、特に何の感動もなくスルーされた(意図は伝わった)。

 さて、ここへきて、なけなしの金で契約した通学回数が尽きかけてきており、継続するかどうかを問われている。しかしこれは財布との相談で、もうなけなしの金を投じてしまったのだから何も残っていない。つまり継続できるほどの資金力がない。だとすれば、ここで中国語学習が終わってしまうかもしれない。独学でやるという方法はあるのだが、僕はあくまで中国語学習を通じていろいろなことを学び、人間関係を広めたいと考えていたのである。独学で、日常で使いもしない中国語をコツコツ学ぶような殊勝なことは、僕にはできない。ここで終わってしまったら、僕の数年来の課題、「趣味がない」問題を克服するために、なけなしの金をはたいて取り組み始めた中国語学習が、何の成果もないままである。「趣味」を作ることへのハードルの高さを、改めて味わっている。中国語を話す友達を作って中国語の勉強を兼ねた東アジア交流をできたら……などと夢見ていた僕の甘い理想は直ちに裏切られたのであった。

 

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食府书苑で食べた香辣牛肉面。人生ほどではないが、とても辛かった。

▼中国語勉強の成果

yondaki.hatenadiary.jp

 

川崎大師と大師公園

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京急川崎駅大師線乗り場

 正月になったということで、なにかそれらしいところに子供を連れていこうと考えた結果、川崎大師へ向かった。川崎大師には僕自身まだ一度も行ったことがなく、どんなところか全くわからない。

 

川崎大師到着まで

大師線

 川崎大師へ行くには、京急の川崎駅へ行き、そこから大師線に乗る。4両編成の赤い電車で、路面電車さながらの急カーブと狭い駅間で、川崎大師を目指す。京急はどの電車もそうだが、トンネル走行時以外は運転室のカーテンを開けておいてくれる。正月は6分間隔で運行してくれるので、一本見送って先頭車両の運転席の後ろに乗る。子供は食い入るように進行方向を見つめ、運転士の操作や車窓を楽しんでいる。

 ちなみに、乗車したのは京急1500形のトップナンバー、1501編成。1985年3月製造で、2020年まで検査を通っているがまもなく新造から37年となる。廃車もそう遠くないと思われる編成だが、大師線など普段は乗る機会もないので、今回乗れたことはラッキーだった。

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京急1500形トップナンバー、1501編成(2022.1.1撮影)

 

ランチは東門前駅前のフードコート

 川崎大師の最寄り駅は、その名も川崎大師駅。しかし時間が昼になったので、先に昼食をとりたい。大師の周りにたくさん露店が出ているのだけれど、どうせ混んでいるし、子供の食事をする場があるわけもない。トイレも十分にあるか怪しい。そこで一駅先の東門前駅に行って、駅前にある島忠の一階のフードコートでランチすることにした。

 島忠というのをあまり他に知らないのだが、ホームセンターなのに普通のショッピングセンターばりのフードコートを備えているし、広い駐車場がある。ハンバーガー屋のマクドナルド、ラーメン屋の幸楽苑うどん屋はなまるうどん、イタリアンのサイゼリヤなど、めぼしいところが揃っていてありがたい。

 子供がラーメンを食べたがるので、ラーメンショップ(近くにある)や家系ラーメン(すぐ近くにある)を食べたい気持ちをこらえてフードコートの幸楽苑に向かったが、フードコートの中でここだけ正月休みをしている。他の店を比較検討した結果、サイゼリヤでピザを食べることに。フードコートには綺麗なトイレもあって子連れには何かとありがたい。

 

川崎大師

表参道

 さて、腹ごしらえが済んだところで気を取り直して大師の方へ。線路を渡って南に少し歩けば大師の表参道だ。鳥居らしきものがある大師入口の交差点まわりは車両通行止めになっていて、人の流れも二方向に分けられている。道の両側にはずらっと露店が出ていて、美味しそうなものを色々売っている。焼きそば、広島焼き、チョコバナナ、牛串、七味やリンゴ飴、等々。先に昼食をとっておいたので、まぁ浪費せずに済んだという気持ちもあるが、やはり露天で色々食べ歩きしたいところだ。子供がいなければそうしたのだが。

 また、沿道の店もダルマを売ったり大師の土産物屋になっているが、なかでも際立つのはくず餅屋がたくさんあること。川崎大師周辺の知られた土産物の一つらしい。心惹かれるが、我が家にはあまり好んで食べる人がいないので今回はスルー。

 コロナ禍で人出は抑制されているのだろうが、それでも大した人出であった。後で聞いたところによると、有名な男性アイドルグループが元旦の未明にここを初詣のために訪れるため、例年は非常に混雑するんだとか。京急は今年も週や運転をやらなかったし、元日にこんなに平和に子連れでここを歩けるのは、あるいはこのコロナ禍の間だけなのかもしれない。

 

川崎大師境内

 困ったのが、大師の入口の見つからないことだ。川崎大師駅から行く場合、表参道の西端から東に向かって歩き、川崎大師を通り過ぎて、川崎大師入口の交差点で右折すると右手に仲見世の入口があるからそこでまた右折、そうすると目の前に山門がでてくるという展開になる。つまり、大師をぐるっと回り込む形になる。

 しかし、僕は東門前駅から来たので、表参道の東端の川崎大師入口の交差点は通り過ぎて、もう一本先の仲見世で右折しなければならなかった。なのに、川崎大師入口で右折して、表参道を大師の出口の方、川崎大師駅の方へ向かってしまった。

 川崎大師の横を通り過ぎたところで変だなと思って左に折れて細い路地に入ると、川崎大師の出口となっている西解脱門があった。混んでいるときはここから入ることはできないらしいが、そのときは幸い空いていたのでそこから入ることに。解脱門から入るというのは煩悩に自ら身を捧げるようで、世俗的人間の行く道という感じがする。

 境内もずらりと露店が並んでいる。参拝を済ませた人や、僕らのように参拝をせずにうろうろしている人、参拝のみならずおみくじの列にも並ぶ人など、狭い通路を百者百様の足取りが行き交う。子供ははぐれそうなのでおんぶに。手を繋ぐと離してしまうし、肩車は落下が危険なので、こういうときはおんぶしかない。

 参拝する本堂を一目見ようと思うが、いろいろでかい建物が並んでいるし、露店で視界は開かないしで、ほうぼう歩き回った結果、ようやく本堂の前に出た。参拝列の人々がぎゅうぎゅうに並んでいる。それを眺めて満足して、山門を出た。

 

仲見世

 さっき書いた通り、山門の前が仲見世である。仲見世も露店が多いが、仲見世なのでそもそも沿道の店がみな参拝客向けの商売だ。ここで目立つのは、飴屋である。包丁を使い、練って細く伸ばした飴を、まな板の上でトントントトトン、トントコトントコ、という具合でどんどん切っていく。こいつを袋に詰めたやつを売っている。このトントコトントコ包丁でまな板を叩くリズミカルな音で客引きをする。

 ほかにはくず餅と、おかき。あとは破魔矢など、普通は境内で売ってそうなものを大量に店先に並べた店もあって親切である。僕ももし破魔矢なんかうちに備えるんだったら、境内の列には並ばず仲見世売店で買うだろう。

 

大師公園

 仲見世の出口で右に曲がると、正面には大師公園。これがいい公園なのである。子供の遊具が、普通の公園よりバージョンアップしていて、しかも2か所にある。

 片方は、滑り台がたくさんついていて、ローラー滑り台、チューブ滑り台、大小10近くの滑り台が、空中渡り廊下によって結ばれていて、子供心をとことんくすぐる。その奥には乳幼児向けの滑り台付き遊具と砂場も。

 もう片方は、三日月型の石の滑り斜面(どこからでも滑れるやつ)と、その後ろにやはり子供向け複合遊具。

 その間には広い広場が広がっていて、多くの家族が凧揚げを楽しんでいた。海のそばなのでひときわ風が強く、どの凧もぐいぐい上がって楽しそうであった。

 こんなに素晴らしい公園なのだが、ひとつだけ、ああ、やはりここは川崎市なのだと思い知らされたのがトイレ。大便所が和式である。これだと今時の小さい子供はできない。和式なんて経験する機会がないのだ。しかも極め付けは、その横にひりたてのほやほやの立派なものが2本転がっていたことだ。トイレの中に香ばしい匂いが充満している。子供は泣く泣く我慢して、公園を後にした。

 

* * *

 

 そんなこんなで、子供がまだ帰りたがらないので、京急に乗って羽田空港にも行くことになる。車なら大師から大師橋を渡って右手がすぐ羽田空港なのに、電車だとわざわざ川崎と蒲田を回らなくてはならず、面倒だ。バスもあったのだろうが、Googleマップでは年末年始ダイヤがおぼつかないし、いちいちサイトを確認するのも煩雑すぎるので、電車で。とはいえ、京急沿線なら時間によっては品川水族館やその公園にも足を伸ばせるし、逆に野毛山動物園もそう遠くない。

 基本は運賃だけであちこち楽しめる場所があるので、子供の急な心変わりにも対応できるのが京急のいいところか。これと反対なのは小田急で、沿線に子供が自由にしかも無料で遊べる場所が少なくて、沿線に住む気には全くならない。京急のような感じなのは京王とか、あとは西武東武(cf. 東武博物館への思い入れ - 読んだ木)。東急も田園都市線沿線を中心に色々と公園などがある。やまもといちろうが似たようなことを書いていたが、子供といると、色々と行ったことのない場所に連れて行ってもらえるからありがたいものだ。

 

・子供と公園散歩シリーズ(?)

子供と一緒に箱根周遊コースとその沿線 - 読んだ木

子供を連れて清澄公園と木場公園へ - 読んだ木

3歳児と歩く飛鳥山公園とその周辺 - 読んだ木

 

 

 

2021年の振り返りと2022年の抱負

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11月には久々の出張で宮城県
ちょっとした2021年振り返り

 バイデンの大統領就任が今年1月だったなんて信じられない。もう数年経ったような気がしている。今年は急に、前職のエネルギー系の求人で国内外から色々と引き合いがあって、政治の変化によるビジネス環境の変化が、僕のような実業界の彼岸にいるような人間にまでさざなみのように及んできた。

 「感染症と休園に苦しむ親たち - 読んだ木」を書いたのは今年の7月後半。その頃から東京や近隣県では緊急事態宣言が発出され、ずっと子供に振り回される日々。9月末に緊急事態宣言が解除されたあたりから子供も普通に保育園へ行けるようになり、そのおかげで僕は急激に忙しくなることができた。おかしな話だが、仕事が忙しいというのは、家事から解放されて初めて可能なことであって、仕事が忙しくて家事ができないというのは、我が家では成立しない。なぜなら人手が少なくて、家事の方が優先されるからだ。家事の合間に書いていたこのブログを更新する余裕も全くなくなり、気づけば大晦日である。今年は終夜運転もあるらしく、徐々に平常の生活が戻ってきているようだ。

 

2022年へのささやかな抱負

 しかし、2020年の春から今年の秋までの諸制約により、僕の仕事は大幅に遅れている。10月から12月までの3ヶ月間で取り戻すことができた遅れはわずかなものだ。来年は大車輪で働かなくてはならない。仕事以外の理由で仕事時間が足りない場合、他人からの引き受け仕事に先に取り掛かる必要がある。自分のための仕事、自分のやりたい仕事が後回しになってしまう。来年は引き受け仕事を減らし、自分のために仕事をしていくつもりだ。自分のために時間を使うことは簡単ではないが、徐々に要領もよくなっている。とはいえ、またコロナ禍のような予期せぬ災害が降りかかってきて、色々なことがワヤになってしまう可能性もなきにしもあらずだが。あとは天に祈るしかあるまい。

 仕事の引き合いがあり、また、自分のやりたい仕事があるというのは、いずれにしてもありがたいことである。この状況を継続するためには、やはり健康、これが第一だ。最近しみじみ思う。自分だけでなく、最低限自分と共に暮らす人々の健康。それを支えるのは規則正しい睡眠と、十分な栄養のある食事を用意すること。どうも年寄りじみていけないが、しかしこれなくしては何も始まらない。そして、これらを継続する原動力は、元気。などとのたまえば、もはや呆れ返られてしまうかもしれないが。人と交流して、元気を得て、その元気でもって、暮らしを頑張っていく。その暮らしの基盤の上で、自分の仕事を積み上げていく。こういうふうに来年を過ごせたら、百点満点である。