読んだ木

研究の余録として、昔の本のこと、音楽のこと、3人の子育てのこと、鉄道のことなどについて書きます。

本ブログの紹介と沿革

 これまで、ブログを書いたりそれに期待することについてあーだこーだ書いてきたことがいろいろあるので、それをひとページにまとめて概観できるようにするというのがこの記事の趣旨である。

 

 

本ブログの紹介

ブログ名「読んだ木」について

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初心の振り返りということで、ブログ名の構想過程を書く。

 

2012年の以前と以後

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 議論の前提としてまずこれを置いておくのがいい気がした。2012年までのインターネットには、クローズドな環境の中で色々と繋がりが生まれたり、やりとりが活発になるようなプラットフォームがあったけど、それが2012年あたりを境に崩壊していった、という話。

 

インターネット年少世代

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 これは、なんでブログを始めたかという理由を説明するもの。先に書いたように、2012年以降はSNSとブログとの間を行ったり来たりしていた。それが2020年になって、SNSも交流の場としては崩壊してきているという話を書いた。つまり、2012年に、ブログやmixi掲示板など長文で密なやりとりから、FacebookなどのSNSTwitterのようなミニブログへ、という流れのなかで長文軽視、短文で乱暴軽薄なやりとりの傾向があり、さらに2020年に、それらが機能不全になって一方通行なnoteやインスタへ、という流れになってきているという話。ただそこで、昔のような活発なブログに戻れないか、という懐古調をぶっている。

 

なぜnoteではなくはてななのか

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 先に書いた近年の潮流の中で、流行のnoteを選ばずあえてはてなにブログを作る理由について説明。要は双方向の繋がりの可能性に開かれているかどうか、そういう機能を内部に組み込んでいるかどうか、という点である。

 

ブログのTwitter連携

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 「インターネット年少世代」では否定したSNSミニブログだったが、ここにきて連携することにしたので、その理由を書いた。はてなブログに書いている分には、流入元が多くあったほうがいいという無難な話。

 

孤独なブロガーの独言

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冒頭の2012年以前以後の記事を下敷きに、インターネットのあらゆる界隈に属さないできたことが、インターネット年少世代で書いたような迷走、あるいは本ブログのアクセスのなさに繋がっていることを独り言としてつぶやいている。

 

週刊はてなブログの存在を知る

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 週刊はてなブログに取り上げてもらったときに書いた記事。

 

ブログの沿革

本ブログ開設から1ヶ月

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 開設から1ヶ月時点でのアクセス数などを振り返り、当初の目的を達成できていないどころかやや迷走している有り様が書かれている。

  

はてなブログ通算1000アクセス達成

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 通算1000アクセスに到達したので、これまでのプロセスを定量的に分析。ただ、当初の目的である繋がりやコミュニティといったものは、この時点では一切生まれていない。

 

はてなブログ100記事到達

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 100記事到達時点でのアクセス数などを振り返る。この上の記事(はてなブログ1000アクセス到達 - 読んだ木)でシミュレートしたアクセス数と記事数の関係の妥当性が確認された。

 

はてなブログ読者10人到達

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 これは、SEO的な観点からはあまり重要ではないかもしれないが、僕が立てているこのブログの目標にとっては大きな前進である。

 

はてなブログ2000アクセス到達

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Amazonアソシエイトについて

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はてなブログ5000アクセス到達

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「なにかいいことないかな」という想起に対処する

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果報は寝て待て、待てば海路の日和あり、という諺を胸に

 なにかいいことないかな、と思う時がある。

 言語というものの性質上、何か定型的な想起がある時は大抵共通する背景があるもので、「なにかいいことないかな」と思うときには必ず二つの要素が付随する。その第一は、いいことがないということであり、第二は、いいことがあるはず(あるいはあるべき)である、ということだ。

 

 いいことがない、ということについては、しばしば主観的解決がアドバイスとなる。つまり、「いいことは日常の中にあふれていて、それに気づけていないだけないんだよ」と。確かに、自分より良くない条件に行きあたっている人と比較していいことを定義しようとすれば、自らを取り巻く環境のあらゆる点から一つを切り出せば、自分より条件の悪い人がいるような「いいこと」は当然あるはずであって、どんな人でもその「いいこと」だけにフォーカスすれば溜飲を下げることができる、というわけだ。これはまぁ一種の詭弁である。想像上の他人から見て「いいこと」であるであろうポイントに注目することによって自分に「いいこと」が起こっていると考えることは、自分の「いい」「悪い」の価値観や感性を無視している。

 人生を生きていく中では、どんどん悪いことが起こるので、例えば近親者の死を経験すれば、近親者が元気で生きているだけで本当にありがたく、「いいこと」だと感じるだろう。しかし、それは近親者の死を経験するという深い悲しみがその人のうちにあるからそう感じることであって、何も経験していない人に生きているだけでありがたいなどと説いて回るのは詮ないことだ。最初から深い絶望の対にある「いいこと」という、非常に低いレベルの「いいこと」で満足するように自らを訓練してしまえば、どうしてそれ以上の努力をしようと考えるようになりうるだろうか。「いいこと」のハードルを低く設定し、より大きな「いいこと」が実現するように願わずにいられるような人は、単に現世を諦め、時間を無為に過ごしている人である。いいことがないことの辛さを諦めに置き換えて無為に日々を過ごすぐらいなら、いいことがないことの辛さを十分に味わいながら日々琢磨した方が、より大きないいことを手にする可能性も高まり、またそれを手にしたときの喜びも大きいものとなるだろう。日常にあふれているいいことのありがたみなど、辞世の句を読むときにでも思い出せばそれでよいではないか。それよりも、もっと大きな「いいこと」が起きてほしいという自分の感情を大切にするべきだ。

 

 いいことがないことを苦しむことの必要性はそこにあるのだが、いいことがない時にいいかげんいいことが起きてほしいと思うのは人情である。もう、いいことが起きてもいい頃合いだ、というわけだ。その場合は、自分の考える「いいこと」のゴール設定をよく吟味することだ。大抵、そういうことを考える時というのは、十分に努力が蓄積され、本当にいいことが起こるべきタイミングが来ている、というわけではなく、むしろそれなりに努力しているがまだ先があり、しかし自分は疲れていて、できれば労せずしてさっさとゴールに辿り着きたいと思っている時である。そういう時が、もっとも、成功者やプロフェッショナルと、挫折者やアマチュアを分けるタイミングとなる。疲れているので、確かにもう労力をかけたくない。しかし、そこで楽して「いいこと」の到来があることを欲求してはいけない。労力を最小限に絞りつつでも、「いいこと」のゴールに向かう歩みを止めてはいけないのだ。

 そこで、いいことが起こらないからと投げ出したり、逆に早くいいことを起こそうと加速すると、大体ロクなことにならない。アマチュアはそのどちらかになってしまう。投げ出せばもう終わりだし、加速すれば挫折してやはり終わってしまう。しかしプロは、そこで出力を三割、なんなら一割に絞りつつ難局を乗り越えて、そのさきの地平に辿り着く術を知っている。なぜならプロは、明日も、来月も、来年も、数年先も、自らの仕事を止めるわけにはいかないからだ。当面の数日や数ヶ月、仕事量を絞ったとしても、その長期的なスパンに大した影響はない。極力手を抜くことで、いいことがないことの苦しみをできるだけ軽減し、かつちょっと気を紛らわせたりしつつ、努力が再び可能になる、いいことが近づいてくるタイミングを待つ。僕はこれを、『老人と海』に教えられ、麻雀に学び、登山で訓練した。負けが立て込んでいる時に、卓を離れてしまえば、その損は確定する。しかしやけくそになって一発逆転を狙えば、さらに大損する。そういう時は、まず捨て牌をよく吟味し、振り込まないようにすること、次いで、どんなに安い手でもいいから和了れるように、丁寧に打ち込むことだ。そして、形勢が挽回されるまで粘る。しかしこれが最も難しい。

 

 あまりそのような粘り強さがなく、安易に日常にいいことを見出そうとすると、自分のなかに深い欲求不満を繰り返し蓄積していくことになる。しかし表向きは、自分にはいいことがあるという暗示をかけているので、自分の内面にある欲求不満に気づけない。そうして人は、日本が急に戦争をして勝つとか、明日わけもなく数十億円が振り込まれるとか、自分の身に降りかかる災難は全て社会の陰謀だとか、といった荒唐無稽な妄想に取り憑かれていくことになる。しかも、彼ら彼女らは、その妄想の実現に向けた努力を積み重ねることができないので、大声でそれを叫び回るという形でしか鬱憤を晴らせない。妄想でも努力すればある程度実現する可能性はあるのだが、悲しいかな、努力の仕方を知っている人はそもそもそういった妄想に囚われることはない。「いいこと」などそうそうないことを知っているからだ。しかし、妄想に囚われる人を責めるわけにもいくまい。そういう人々はそもそも環境に恵まれておらず、努力が報われなかったり、努力する契機を得られなかったのだ。本人のせいではない。努力しなくても「いいこと」がたくさん起こる人も、少なくない。つまり、社会には「いいこと」の格差があるのだ。ただ、そこにつけ入って、日常にいいことを見出す諦念に導くことで欲求不満を高まらせ、そのような心理不安を抱えた人々を顧客にして栄えるビジネスや、逆に粘り強くなくても一発逆転できるというような騙しによる詐欺まがいのビジネスが繁栄することもある。

 

 これまでのことを踏まえれば、大切なのは、自分の中での「いいこと」を見失わず、それにフォーカスすることであり、処世術としては、「なにかいいことないかな」と思った時にすべきは、今やっていることについては手抜きをしつつしかし打ち切らずに継続し、気分が好転するまで流し運転する、ということになるだろう。うまく手を抜いて、自分の気持ちと取り組みとの間の折り合いをつけるところが重要だ。あまりに平板な結論で、わざわざ書くのも恥ずかしいほどだ。しかしこれは重要なことであり、自分のために何度でも振り返っておきたい。

 一方、より社会的な問題としては、もっと教育を受けたりチャレンジしたりできる環境を整えて、努力が報われる社会にしていくべきだろう。努力しても現在自分がいる場所から違う場所へはいけない、という諦念の蔓延った社会ほど怠惰な社会はなく、逆に努力せず一発逆転があるという信仰が栄える社会ほど狂った社会はない。コツコツ努力すれば、まぁ数年では難しいだろうが、10年20年で報われていくことは確かだ、という社会になってほしいものだ。逆に言えば、10年20年のスパンで「いいこと」を待つような、鷹揚な心を持つことが必要だ、ということでもある。「なにかいいことないかな」と言いながら何かにコツコツ取り組んで、あるいは色々と首を突っ込んでフラフラしていれば、それがいかに小さなことであっても、数十年後には本当に「いいこと」があるだろう。「なにかいいことないかな」という不満を心中に抱え、それに向き合い続けることができるかどうかが、人生を充実させることができるかどうかの分かれ目なのではないか。あるいはそれは、悟りを開けない凡俗の業かも知れないが。

 

 

生活のペースが崩れる季節

 普通の仕事でも、ルーティンでしっかりやらなければならないバックオフィス業務と、どんどん新しいことを仕掛けていかなければならない営業や事業開発業務という、二つの方向性がある。家の中でもそれは同様だ。ルーティンでやらなければいけない食事の準備、洗濯、掃除などに対して、臨機応変にやらなければならない仕事もある。

 

 どうもここのところ、臨機応変な対応をせまる事象が多発している。今日我が家では、外部に対して脆弱性のあるポートが発生し、蚊による屋内への大量の不正アクセスがあった。10匹以上が検知され、検知された個体に関しては全て駆除した。1時間ぐらいかけて、蚊のいそうな場所を片っ端から照らし、いたら潰す、というのを繰り返した。一度にこんなにたくさんの蚊を叩いたのは初めてかもしれない。

 ほかには、一昨日、昨日と連日子供の嘔吐対応をした。昼間は明るいからいいのだが、夜は灯りをつけると他の睡眠中の人を起こすことになるため、常夜灯だけで対応することになる。子供の嘔吐というのもルーティンではなく、嘔吐の開始から呼吸の確保、体勢の維持と並行して被害範囲の抑制、迅速な災後処理と、一連の緊急対応が望まれる。ほとほと参ってしまうが、今日は嘔吐しなさそうで一安心だ。

 保育園から風邪をもらってきてダウンしている下の子をはじめ、家族みんながどこか体調も害しており、ぱっとしない。さしあたり生活に支障はない程度なのが救いだ。これからワクチン接種も控えている。春先から色々なことが起こり、ようやく6月頭から生活のテンポができつつあったところに、中盤から後半にかけてまたそれが崩れてきて7月に突入してしまった。

 

 季節柄なのだろうが、こういうイレギュラーが多発するとなかなか面倒だ。しかし、このくらいのイレギュラーで済むなら大したことはないとも言える。日々発生する問題を一つ一つ潰して前に進むまでだ。こういう時期を、大過なくやり過ごすのも重要な技術である。無理してはいけない。なんとか乗り切って、月の後半からは生活のペースを取り戻したいものだ。

 基本的には、ルーティンだけで生活が回っていくのが望ましいのだが、ここ数年、なかなかそのフェーズに到ることができない。まぁ、これが生活というものだろう。それでもやっていくところに生活というものの醍醐味があるのかもしれない。

 

 

 

2015年のMacBook AirをBig Surへアップデート/Notes.appはどこへ消えた?

Big Surは2015年モデルのMacBook Airでも快適

 僕が使っているPCは2015年モデルのMacBook Airである。購入したのは16年の夏の初め。mac OSは最初がEl Capitanで、ちゃんとアップデートしていたのはMojave(10.14)まで。それ以来Mojaveのまま使っていたのだが、どうも動きが悪くなってきたので、Catalinaを飛ばしてこのたびBig Sur(11.4)にアップデートした。

 M1チップではないので、果たしてIntel CPUでも問題が起こらないのか、また、Catalinaを飛ばしているので不具合が起きるのではないか、そもそも5年も使ったPCがアップデートに耐えられるのか、など不安は多かったが、結果的には全般的にアプリケーションの動きが改善し、パフォーマンスがよくなっており、UIも目新しい感じで気分がいい。特に、Microsoft office系のソフトの動きが改善したのは助かった。

 スペックとしては 1.6 GHzのIntel i5 デュアルコア、メモリも8GBしか積んでいないので、お世辞にもハイスペックとは言えない。だが幸いなことに、こんな古いPCでもアップデートしたことで動作が重くなったりすることは全くなく、むしろ改善されたと言っていいと思う。32-bitのアプリが動かなくなるという話もあり、僕の愛用しているゲームアプリSimutrans(Simutrans - Transport Simulator)のやや古いバージョン(120.1.3)が開かなくなることを憂慮していたのだが、問題なかった。僕の使っている中で動作できなくなったのは、長らくアップデートしていなかったmiというエディタ(mi - テキストエディタ)だけで、これはアップデートしたらすぐに解決したし、新しいmiはさらに新しい言語への対応が進んでいて早くアップデートすればよかったと後悔したほどだ。

 使っていく中で唯一気になったのは、電池の持ちがOSをアップデートした時から急激に悪くなっていることだ。体感として、フル充電からの連続作動時間は25〜30%ほど減じていると思う。いつものペースで使っているのに、すでに電池が切れていた、ということが多くなった。まぁ、現在PCを使用する環境においては、電車の中ですらコンセントがあるので、それほど問題ではないのだが。

Mac標準アプリケーションはどこへ行った?

 しかし、一つ問題が生じた。普段、ターミナルからパスを打ってアプリやディレクトリを開くのだが、一部のアプリケーションでパスが通らなくなっている。主なアプリケーションは、.bash_profileにエイリアスを作っておき、ターミナルで2,3文字打てば開くようなショートカットを作っているのだが、そのパスが間違っていると表示される。

 あれれ?と思って、Finderからルートディレクトリのフォルダに上がり、その中のApplicationsフォルダを開く。

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ルートディレクト

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ルートディレクトリ直下のApplicationsフォルダ内のNotes.app

 ご覧の通り、ルートディレクトリ直下のApplicationsフォルダ内に、ちゃんとNotes.appは鎮座している。おかしいな、と思い.bash_profile改め.zshenv(これもアップデートに伴いbashからzshに移行したのである)をvimで開き、エイリアスにされているフルパスを確認し、もう一回実行する。

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そこにわたしはいません

 なんでだよ!

 ルートディレクトリ直下にいるアプリケーション、しかもNote.appという昔からあるアプリケーションがまさか急にショートカットになったとでもいうのか?

 そこで、lsでApplicationsディレクトリ内にあるファイルを確認。

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入ってなんかいません

 ない・・・っ!

 ルート直下のApplicationsの中に・・・Notes.appが・・・ない・・・っ!!

 よく見ると、他にもないものがたくさんある。Photos.appとか、Music.appとかの、ベーシックな奴らが軒並みいないのである。

 こうなったら、Get Infoでフルパスを確認するしかない(最初からそうしろよ)。

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あの大きな空を吹きわたっています

 やっぱりApplicationsフォルダの中にいるんじゃないか。僕は頭を抱えた。フォルダの中身を全部表示できていないのかと思ってls -aでApplicationsフォルダの隠しファイルを見たりしたが、やはりNotes.appは存在しない。しかしFinderで見ると明らかにそこにいるし、クリックすれば開く。一体どうなっているんだろう。bashからzshに移行したから何か不具合が起きているのだろうか。

 それにしても、ターミナルだけで検知されないというのは、逆だったらわかるが、どういう不具合なんだ? 一体なんの謎仕様だ……ん?

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そこにわたしはいません

 んん??

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わたしはこっちにいきました

 な、なんだってー!!!

 

Catalina(10.15)以降、Applicationsフォルダは二つになった

 なんと、Applicationsディレクトリがルート直下(/Applications)だけでなく、ルート内のSystemフォルダの中(/System/Applications)にもあるのだ。そしてそこに、Notes.appの本体が置かれているのである。つまり、 /Applications/Notes.app から /System/Applications/Notes.app へと移動されているというわけだ。

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ルート内のSystemフォルダを開くと……

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ここにもApplicationsフォルダが!

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中には何食わぬ顔してNotes.appがいる

 Mac標準(?)のアプリケーションは、大挙してSystem内のApplicationフォルダに移動してきたということらしい。

 なんだか無茶苦茶なのは、アプリをクリックするとフォルダのフォルダの下部に表示されるパスでは、まるでルート直下のApplicationsフォルダ内にそのアプリがあるかのように表示されているのだ。Finderでアクセスした人は、現在のディレクトリの位置を記憶していなければ(していたとしても)、これはかなり混乱する。(いや、これは一人で混乱していた人間の言いがかりかもしれないが、少なくとも僕は混乱した。)

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現在地はルート > System > Applicationなのに画面下にはルート > Applicationと出ている

 ご覧の通り、画面下にはルート > Applications > Notes と出ているが、表示されている場所はルート > System > Applications > Notes である。

 ターミナルでlsを打てば、正しく表示される。

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僕はここにいる

 これに気づくまでに、30分ぐらいロスした。Noteアプリを開くのにいちいちトラックパッドをペタペタ触るのは嫌だったが、Notes.appの場所が移動したなんていくらググってもネットのどこにも書いてなかった。というのも、それはCatalina時点での変更点だったからだ(macOS Catalina(10.15)からアプリケーションフォルダが2つに別れています - Qiita)。しかし、こういう標準アプリの絶対パスが変わるなんて予想もしてなかったよ……。Big Surではこんな素晴らしい体験ができます、じゃあないんだよ。こういう大事なことを先に教えてくれよな。

/Applicationsから/System/Applicationsへ移動したアプリたち

 結局、以下のアプリが/Applicationsから/System/Applicationsへ移動している。

  • App Store
  • Automator
  • Books
  • Calculator
  • Calendar
  • Chess
  • Contacts
  • Dictionary
  • FaceTime
  • FindMy
  • Font Book
  • Home
  • Image Capture
  • Launchpad
  • Mail
  • Maps
  • Messages
  • Mission Control
  • Music
  • Notes
  • Photo Booth
  • Photos
  • Podcasts
  • Preview
  • QuickTime Player
  • Reminders
  • Siri
  • Stickies
  • Stocks
  • System Preferences
  • TextEdit
  • Time Machine
  • TV
  • Utilities (と、その中のアプリケーション)
  • Voice Memos

 というかそもそも、標準アプリケーションが多すぎるんじゃないか。iOSと合体してMapsとかHomeとかが流れ込んできたのだろうけれど(昔からあったっけ?)、今のところはPCにはいらないからなまじ……ブラウザで十分なんだけど。とはいえ今後は、ブラウザがWebページブラウジングに特化して、地図や動画やIoT(古いか)は専用アプリへと分化していくから、その布石ということかもしれない。なんでもできる(それゆえにおかしくなってしまう)Internet Exproreちゃんもいなくなるらしいし、時代の流れですな。

 個人的には、スマートグラスがもっと進化して、電車の中での執筆作業とかがもうちょっと快適になってほしいんだけど、どうかな……。動画編集とかはしないから、PCのスペックは今より上げる必要ないんだよね。WordとExcelが最低限動けばできる仕事だし。PCが進化しても人間が進化しないと仕事の成果は上がらないからな。でもOSが新しくなって、問題も解決して、気分はいい感じ。

 

 

 

孤独なブロガーの独言

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 インターネット上には色々な界隈があるらしいけれども、僕はあまりそのどこにも属さず来てしまった(その葛藤の系譜は「2012年の以前と以後のインターネット - 読んだ木」に書いた)。そのため荒らしにもなれず、ネトウヨにもなれず、陰謀論にも染まれていない。現実ではフェミニズム日本史学に近いところに身を置いているが、ネット上でそういったフェミニストとして活動している人々や、やはりネトウヨ然とした日本史のコミュニティにも、逆にリベラル然とした欧米史学社会学界隈にも関わったことがない。昔はスタートアップにいたが、ITベンチャー社長や芸能人とその取り巻きというようなコミュニティにも接続していない。それゆえ、このブログもふくめ僕のインターネット上のつながりというのは非常に少ない、おそらく片手で数えられるほどの人としか繋がっていない。要は数名の知り合いがこのブログを読んでいるだけ、ということだ。

 ありとあらゆるネット上にある、ある界隈に属することで認められたいという気持ちが自らの心中に生まれ、それを否定することはできない。しかし、界隈同士で立場の異なる界隈をお互いに批判しているさまを見ていると、双方に主張の分があり、また問題があるようにも思える。だから、そういった界隈のいずれの立場を取ろうとも思えない。また、そこで晴れてインフルエンサーとして多くの人に承認された人たちが、自分の名声のため、あるいは支持者に惑わされたため、はたまた金銭の取得のために、ある特殊の立場を強調した発言をするように傾向づけられていくさまは、それはある場合にはフォロワーたちをある種の困難に陥れ、あるいは世論を擾乱させることになるとしても、そのような人たちの責を問おうという気を起こさせるものではないし、逆に自らがそれについていこうという気はさらさら起きない。

 

 例えば、右翼と左翼との間の対立で、右翼の側は人種差別、政権与党の称揚を行い、左翼の側はそのような差別に対する批判、政権与党の政策批判を行う場合が多いように見受けられる。しかし、右翼の人種差別の根底にある、異なる文化への忌避感、あるいは経済的に没落したこの国にあって、代わりに経済的成功を享受している国に対する嫉妬、そして、根拠なく自国が優位であると願う気持ちというのは、それ自体として人心のうちに発生することは否定できない。そういった心情が発生する背景には、自らの個人の個性に十分に自らを委ねることができず、民族や国家というものを支えにしてしまうということを余儀なくさせる社会状況や生い立ちがあるのかもしれない。あるいはそういったものがなくても、そもそも友-敵という区別が認識されればその時点で、我の方に加担したくなるのは自然な心情というべきものではないだろうか。だとすれば左翼の側が、人種差別、民族差別、あるいは出自等による差別を否定し、万人を平等に尊重するべきだという主張は、自らのうちに生じる差別意識を自ずから否定する、自己批判して乗り越えなければならないということを意味している。そしてそのことを可能にするには、他者を妬んだり、先入観で差別したりしないように、第一に、客観的かつ具体的に差異を捉え、それを各個人の尊厳の評価に用いないようにし、かつ第二に、自らの感情の高揚を自ら抑制することが必要である。第一のことは、相当な教育を受け、あるいは教養のある環境で育った人でないと難しいだろう。第二のことは、それに加え、他者を妬まなくて済む程度には自尊心を持たねばならず、またそれを常に鍛錬の方向へとストイックに動機づけなければならないということで、これもそれを可能にする環境は限られている。

 ミソジニーフェミニズムの間の対立も同様であろう。ミソジニストは既存の女性差別ジェンダー構造に依存し、それを変更することには抵抗を感じている。このような現状維持の性向が人間に元来存しているものであることは心理学等で何度も明らかにされてきたところである。さらに、ジェンダー構造で被っている自らの損害を耐えているという点でもって、被差別者も同様に差別により被る損害を耐え忍ぶべきだと主張する。もちろんここに損害の軽重の議論がないことは指摘できるが、しかし個人におけるその損害をいかに計測できるであろう。社会的なその格差と、個人の心情とはまた別のものである。ここでも同様に、そのような個人の心情を乗り越えたところで客観的かつ具体的に差異を捉えることで差別の実態を把握しなければならず、さらに、自らの損害を殊更に申し立てるようなことがない程度には自らの置かれた立場に自尊心がなくてはならない。言うは易しだが、実生活の中でそういったことを実践することは簡単ではない。

 

 人種や民族、国籍や生い立ち、あるいは性別などの壁をあえて設けず、人間として個人の誰もが平等に尊重され、なんらの枠組みも与えられず自由に活動し、交流するという理念そのものを否定したいという人は少ないだろう。しかしそういった差別が生じるのは、そういった理念を考えたり、実現しようと望む余裕がないまま、見かけの差異を捉えて、自らが恵まれていないこと、十分な自尊心を得ることができない環境にあることを主張したくなる、あるいはそういった多くの人に適用可能な普遍的理念を実現するのではなく、むしろ自分が知っている社会構造や政治、経済、文化のあり方に適合的な範囲での理念の実現を目指したい、と考えたくなるような、人々の心情にある。そしてそのような心情の発露と拡散を助長する、二つの要素がある。

 一つは、誰もがわかるように、そしてこのブログ自体そうであるように、個人の心情の吐露が簡単な媒体が増えたということだ。紙とペンを用意し、何度も推敲し、雑誌に投稿し、運良く認められ、掲載され、その雑誌の購読者に限ってそれを読んでくれる、という時代とは隔世の感がある。今や、風呂でも散歩中でも仕事場でも、ふと思いついたことを、あるいは思いつかないうちから書いて世界中に発信し、あまつさえ何も考えなくてもカメラがそれを流出させてくれる時代である。そして、そういった言葉は、発信される前にさまざまな人の目に触れ、あるいは訂正されあるいは批判されてから出てくる文章が身につけているような普遍性は持たず、個人が個人の経験のうちから短い時間で書かれた個人的な文章とならざるを得ない。もちろん、今現在リベラルで大所高所から大層なことを主張する人々も、10秒や1分でツイートを考えてツイートしろと言われれば、何か個人の立場からの言葉が出てきて、それはあるいはあるカテゴリの他者を傷つけるものとなるかもしれない。そういったことがないように、さまざまな虐げられた、あるいは環境の違う人々のあり方を想像しながら、より普遍的な言葉を発するということをしなければ、そもそも個人が発する言葉や議論というのは、個人的、それゆえ他の立場を前提としない差別的なものだ。自然に普遍的な言葉しか出てこないような人というのは、神父か牧師か坊さんか、あるいは隠棲している革命家かといった、日々の生活からして超然としていて具体性の低いものであるような人に限られるだろう。このブログも、誰かの検閲を受けているわけではないから、もちろんその想像の及ぶ範囲は僕一人の経験と知見の範囲に限られ、その限りで差別的なものになりうるだろうし、それを訂正するために批判や批評がなされるべきであるが、ともあれ、そもそも左翼とかフェミニストとか、ちょっとカテゴリの雑さは論旨のいきがかり上なので勘弁してもらいたいが、そういうリベラルな、より普遍的な立場から現状を良くするために変えていこうという考えを持つ人々の発言は、ある程度の知見や経験の広さが必要であるし、さらにそれが言語化されるプロセスにおいて意図に沿うように言語化されるための手続きや時間が必要だ。

 もう一つは、社会が硬直的であるため、左翼的立場の人々であるとか、あるいはフェミニストであるとか、普遍的な主張をする側が絶対的正義になってしまいがちなことである。もしこれが、しばしば保守党と労働党が入れ替わるような国であれば、左翼的立場の人が主張する普遍性、現政権への批判はそのまま自分に返ってくることになる。左翼的立場は自らが主張する普遍性を実現するためにさらに困難な政策を案出する責任を負うことになるし、さもなければ空想家として馬鹿にされるだけだろう。ジェンダー格差やジェンダー差別ももう少し緩和されてくれば、今度は男性の中でもジェンダーに基づく差別を受けている人の姿にクローズアップがなされてくるだろうし、女性の中でもミサンドリーやトランスフォビアの人々に対する批判が生じてくるだろう。しかし、社会が硬直的であると、こうしたことが起こる可能性が低いままである。そうすると、左翼の側の主張、あるいはフェミニストの主張は、ずっと正しいままということになる。右翼の人やミソジニーの人、あるいはそうでなくても、特に何も考えずにつぶやいたことがいつも批判されるような人は、永遠に自らは誤った考えや主張をする存在だと根拠付きで言われ続けるので、鬱屈した気持ちを抱えることになる。

 しかし本来、そんなに多様な人のことを尊重して発言するなど誰もができることではない。迂闊な発言は意図せず他人を傷つけるのだから、そもそも考えなしの言葉をインターネット上で世界に発信するべきではないのだ、と今更いっても遅い。前から書いているように、昔のインターネットはいいところだったが、それはインターネットにアクセスする人数が少なかったからで、その時代に迂闊な発言をしても読む人は少なかった。しかも、嫌なら読まなければよかったのだ。しかし、今は「バズ」という言葉があるように、他人の感情を逆撫でし、嫌な気持ちにさせるようなものほど人々に広がるようになっている。つまり、人を傷つける言葉をできるだけ傷つく人に届くような仕組みができている。なぜなら、嫌でも読んでもらうこと、むしろ嫌なものを読んでさらに「痛い!」と悲鳴を上げてもらうことが、広告収入で生きるIT企業の戦略だからだ。十分に多様な立場に配慮され、発言の範囲の限界を踏まえた文章など、見向きもされない。昔のいいインターネットで交流していた人はいなくなったが、昔のいいインターネットの悪い側面である、あまりに無配慮、無遠慮な発言や、グロ、いじめ、ポルノ画像などがジャカジャカ流れてくるという機能は今日さらに強化されている。大手のウェブメディアでも、政治の問題や国際関係の問題など重要なニュースについては取り上げず、ネットで話題になった特定の個人の発言を追うとか、上述したような普遍的な見地ではなく個人の印象のようなものを社会問題の風体で載せるといった手法が見られる。流石にポルノ画像を使った広告はないとはいえ、血がダラダラ流れるようなグロ画像や大人が怒鳴っているような画像を、漫画の広告とかと称して流したり、身体からの排泄物のような画像を掲示して健康食品の広告とかと称するものが流れてくる。

 

 僕は、ブログも好きだし、思いついたことをインターネットにそのまま流せるのはいいことだと思うし、それを知り合いの間で楽しむのもいいことだと思う。発言が誰かを傷つけるようなことがありそうだったら、鍵をつけておくとか、裏アカウントを作るとか、閉鎖的なSNSを使うなどのバリエーションも増えてきた。これは見えにくい場所で差別や陰謀論を助長するという見方もあるけれど、それはそれでいいと思う。というのも、それまで禁止してしまったら、明らかに言論の自由の制限だからだ。差別的な発言も、極端な性嗜好も、それを知って不快になる人がいるようなところにポスターとして掲げるようなことがなければ、自由にしたらいいだろう。昔の人はそれを「私」の領域として不問に付した。しかし、これに対して「公」の領域であるオープンな場、しかも政治的な論議が展開されうるような場であれば、より公益に資するような、つまり一人でも多くの人が、そして同時に最も苦しい立場にいる人が、より生きていきやすい社会にするための議論が、人々の注目を集めるような仕組みがあったほうが良いのではないかと思う。本当は新聞やテレビなど社会の公器と言われるようなメディア媒体がそのような目利きをしてくれれば楽だが、そんなことはこの資本主義社会で望むべくもない(減税措置などやめるべきだ)。本来は、みんなが自分は民主主義社会に生きる一員であるという自覚をもって、プライベートな悩みで共感でき、癒しを与えてくれるような記事ばかりでなく、より世の中を良くしていくためにはどうしたらいいかということを真摯に考え、具に分析しているような記事に注目することが望ましい。

 現実としては、皆が自分の共感しやすい記事に反応するので、それぞれの属性に応じてそれぞれの界隈へと分化し、対立するということになっている。僕なんぞは共感できる記事が全然ないので、ただ一人でブログに引きこもって孤立している。そしてそれぞれの界隈から、違う界隈で燃えそうな案件を「トレンド」とかいってお立ち台に引き上げることで、ネット媒体各所が儲かる。そんなことのためにみんながパソコンを買い、スマホを買い、ネットを契約して時間を費やしているとすれば、かなり悲しい社会だが、少なくとも僕は「そんなことのために」それをやっているとしか言いようがない。ブログを書くことがなければパソコンは会社支給のものだけで済むし、スマホSNS巡回のためだけに使っているようなものだ。その間、誰かが時間を費やして社会を良くするために何かをしてくれているのだったらいいのだが。

 自分の社会を生きやすくするためには、自分が時間を費やしてそのための努力をしなければいけないのだろうか。もう何もかもに満足して、自分の生きる社会には何も期待しないという人も多いだろう。そういう人は、文句を言ってくる他人を「自己責任」の一言で蹴り落とせばいい。ただ僕は、これは個人の心情として、もうちょっとみんなが生きやすい、より良い社会にできないものかと考えている。そしてそれを考えるためには、Twitterでのハッシュタグをつぶやくとか、差別的発言をしたアカウントを見つけては叩くとか、支持率アンケートが出るたびに何かの支持者に対してアホとかタコとかいう罵り合いをやるとかではなく、その分じっくりと時間をかけて色々な書物を読み、色々な立場の人に思いを巡らせ、しかるのちに一定の所見を表す、とまぁこういうふうにしたいと思っている。だから当面のところは、どこの界隈にも属さないで、しかしそれぞれの界隈で主張されていることに学びながら、孤独なブログを続けるだけということになる。

 

 

ねこ

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伊豆急2100系 キンメ電車と黒船電車

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 仕事で伊豆急に乗るようになったのは今年からだ。以前の記事(伊豆急行線の8000系 - 読んだ木)で書いているように、8000系には色々乗り、2100系の黒船電車にも乗った。しかし、乗っていなかったのが一つある。それは、昨年末から定期検査とリニューアル工事に入っていたキンメ電車こと2100系R-3編成である。

 

定期検査明けのR-3編成キンメ電車

 2021年6月11日に運行を再開した伊豆急2100系R-3編成、キンメ電車にこのたびようやく乗ることができた。2100系の運用はAパターンとBパターンの二つが設定されており、どちらの運用にどの編成が充当されるかは、毎月伊豆急のホームページで公開されている、とツイッターで親切な人が教えてくれた。

 1988年製のキンメ電車は2100系3次車といわれ、1990年製の4次車、R-4編成黒船電車よりはすこし古い車両であるが、両者の間にほとんど新旧の程度の違いは感じられない。定期検査は4年に1度で、前回2016年末から2017年にかけての定期検査で大規模なリニューアルが施され、キンメ電車へと生まれ変わった(伊豆急行リゾート21「キンメ電車」お披露目 | 話題 | 鉄道新聞)。それまでは後述する通り、水色と青の伊豆急のオリジナルカラーを纏っていた。行先表示器は三色LEDで、車両のカラーとマッチしていると言えなくもない。今回はそれから4年経って、キンメ電車になってから初めての定期検査であった。

 新製時にはロイヤルボックス車(グリーン車、サロ2183、1991年増備)が連結されていなかったため、基本編成にも一両サハが組み込まれている。(下田方)Tc-M-T-M-M-M-Tc(熱海方)という編成だ。編成内でこのサハにのみトイレがついている。

 黒船電車では2018年末からのリニューアル工事でコンセントが海側4人掛けボックスシートについているが、これまでキンメ電車にはついていなかった。今回のリニューアルで山側2人掛けボックスシートにコンセントが設置された。僕のようなソロのビジネス利用客には、コンセント席への着席機会が大きく、また揺れにくい車両中央部の座席にもコンセント席があるという点で、ありがたい仕様となっている。黒船電車のコンセント付きボックスシートは台車の上になる車両の両端部にあるからため、やや揺れるしモーター音がする。

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▲下田方先頭車

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▲熱海方先頭車

R-3編成2021年定期検査前との比較

このキンメ電車に僕は数年前にも乗っていたようで、iPhone6で撮影した写真が残っていた。

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 この写真、バックアップのためにiCloudへアップされ、さらに容量不足のためにダウンロードされ外付けフォルダに、そこから内蔵ストレージのフォルダに……と移動している間に、撮影日が不明になってしまった。しかし、この写真には実は非常に重要な情報が写されていて、この写真が撮影できた日はこの1日だけ、という日を特定することができる。

 それは、前面の左上の列車番号だ。1661Mとある。この運用は、伊東→熱海という伊東線内限定運用で、普段は8000系が運用についている。2100系のR-3編成がキンメ電車になってからこの運用についたのは、調べた限りではこの1回のみで、それは2017年6月10日土曜日のことであったらしい(伊東線・伊豆急行線運用情報)。案の定、その日をGoogle Mapのロケーション履歴で調べたら、僕はその時間に伊東にいた。

 上に載せた定期検査明けの写真と比べると、この時にはあった前面のIzukyu KINME TrainやResort21の文字がいつの間にか消されているようで、新しい方はスッキリした印象を与える。他はあまり変わりがない。R-3編成がリニューアルされてキンメ電車になって出てきたのが2017年の2月であって、この写真を撮った時はまだそれから数ヶ月しか経っていなかったから、こちらの写真に写っている2017年のキンメ電車も綺麗なボディである。

旧塗装のR-3編成

 昔の写真を整理していたら、旧塗装の、つまり伊豆急オリジナル塗装のR-3編成の写真も幾つか出てきた。

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 これは2015年に撮った写真。この頃はまだ行先表示器も幕式であり、両サイドの前照灯などと繋がったデザインになっている。つまり、以下に見るR-4編成黒船電車と同じだったわけだ。側面にはイルカの絵が描かれている。

R-4編成黒船電車も快走

 話を今に戻して、今年のキンメ電車定期検査中は、運用と僕の通勤のタイミングの都合上、R-4編成黒船電車に乗る機会が多かった。こちらは2000年中頃に、R-1編成を引き継いで「黒船」塗装になったものだ。行先表示器が未だに幕式なのが渋くていい。

 新製時には、初のグリーン車「ロイヤルボックス」車両の組み込み編成であった。その後、ロイヤルボックスはR-1〜3編成にも組み込まれていくことになるが、JR線内での「リゾート踊り子」運用の消滅とともにほとんど出番がなくなる。ロイヤルボックス車両は伊豆急ホームページの本編成の座席表には記載が残っているものの、ここ数年組み込まれることはないまま、現在は伊豆高原の車庫に留置されている。

 また、ロイヤルボックスと両先頭車以外は全て抵抗制御の電動車である。つまりロイヤルボックスを組み込んでいない現在では、Tc-M-M-M-M-M-Tcという編成で走っており、どの中間車に乗ってもモーター音がうるさい。電動車比率が高い分キンメ電車よりも多少加速が良いのかも知れないが、比較していないのでわからない。酷いヨーイングに悩まされるE257系に比べれば、乗り心地は安定しており、ふかふかのシートが快適で、音もそれほど気になるわけではない。

 コンセントは海側の車両両端部にある4人掛けボックスシートに設置されており、一人客で使うのは気が引けるが、コロナ禍の現状ではそれほど混んでおらず、毎回利用させてもらっている。

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▲下田側先頭車

 

ちなみに、伊豆急8000系についても以下の記事でまとめている。

yondaki.hatenadiary.jp

 

 こちらはやってきたばかりの209系を下田で写真に収めたときの記事。

yondaki.hatenadiary.jp

おまけ

伊豆高原駅の駅舎から車庫を見下ろして撮った写真があった。真下に黒船電車、車庫には旧塗装のR-3編成、8000系たち、さらには100系の姿もチラリ。左端奥には「トランバガテル」ラッピングの8000系も。

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※車両ネタの記事では他に
東急8000系8500系の話→最近会った東急8000系ファミリー - 読んだ木
東急1000系の話→東急池上線 車両いろいろ、1000系いろいろ - 読んだ木
東武30000系の話→東武30000系の思い出 - 読んだ木
京急2100形・1000形の話→くるりの「赤い電車」の芸の細かさ - 読んだ木
もどうぞ。

 

 

5月のシャルル・ド・ゴールと6月の小池百合子

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 (なんかタイトルが羽海野チカさんの漫画のような感じになってしまった

 

 小池百合子東京都知事が静養というニュースが流れている。これを聞いて、5月革命の時のシャルル・ド・ゴールを思い出した。

 ド・ゴールといえば、パリに飛行機で行ったことのある人なら必ず聞いたことのある名前だろう、シャルル・ド・ゴール空港の名前の由来となった人物だ。あるいは、原子力空母の名前としてもよく知られている。ド・ゴールは1890年生まれ、軍人として知識と経験を積み、フランス軍最年少の49歳で少将となり、第二次世界大戦中1940年にパリが陥落するとロンドンで亡命政府「自由フランス」を結成し、44年には連合軍とパリを奪還する。戦後46年まで臨時政府の首相を務め、58年に第五共和政を成立させると、大統領に就任した。それ以来69年に辞任するまで、ド・ゴール主義と呼ばれる強力なリーダーシップでフランスの経済成長へと導いた。

 ド・ゴールの辞任の契機となったのが5月革命である。フランス内政では経済成長が頭打ちになり、格差が拡大する中で若者の鬱憤が溜まっていたこと、国際的には文化大革命が一世を風靡し、また反戦運動が盛り上がっていたことなどから、ド・ゴール体制に批判的な風潮が強まっていた。そんな中、1968年5月に起きた大学でのトラブルが、学生主導でのストライキ、そしてフランス全土のゼネストへと広がっていった。これを5月危機とか5月革命とかと呼ぶ。

 ド・ゴールは初動を誤り、事態が悪化していくのに対し後手後手の対応となった。5月末、進退極まってなかば亡命のようにして向かったのが、バーデン=バーデンの郊外だ。そこには当時、西ドイツ駐留フランス軍司令官のジャック・エミール・マシューがいた。マシューは第二次世界大戦では西部戦線で活躍した英雄的軍人であり、第五共和制ド・ゴールが大統領になるにあたって支持を表明し、その就任の立役者であった。しかしその後、ド・ゴールアルジェリアに対する民族自決政策に反対して落下傘師団長を解任され、ド・ゴールとの間にはわだかまりがあった。

 ド・ゴールはこの時、混乱の最中に勝ち目のない国民投票を提案して、自らが一敗地に塗れることになってでも事態の幕引きを図ろうと考えていた。しかし、1ヶ月近く混乱が続くパリを抜け出し、ヨーロッパ有数の温泉地として知られるバーデン=バーデンの自然豊かで静かな環境に身を置き、改めて考えを整理したことで、考えを改めた。そして、事態の鎮静化はやはり自分の全うすべき責務と考えなおし、マシューに軍隊の出動を要請した。マシューは過去の対立を水に流し、政治的取引を提示しつつ、ド・ゴールの大統領留任を支持すること、大隊と連隊を動かすことに合意した。その知らせが伝わるや否や、フランス本土の軍隊もこの騒動の鎮圧のための準備を整えた。

 翌日、ド・ゴールはパリに戻った。ポンピドゥー首相の説得もあり、国民投票の案は撤回して突如議会の解散を宣言した(ポンピドゥー首相はかのポンピドゥー・センターの立案者だ)。いまや、主導権はド・ゴールの手に戻っていた。目指す革命の像も、混乱の出口もわからないまま1ヶ月も続いた騒動に国民たちも疲弊しきっていた。それゆえ選挙では皆、この騒動からフランスを救った功労者として、ド・ゴールのために票を投じたのであった。そうしてド・ゴールは、大統領の座を守ったのだった。

 ただ、ド・ゴール主義的な体制に限界が来ていたのは確かで、この1年後の69年にはド・ゴールは大統領を辞任し、その座をポンピドゥーに譲ることになる。そして70年、79歳で没した。

 小池百合子都知事も、厳しいコロナ禍対応と五輪をめぐるさまざまな問題で矢面に立たされ、5月末のド・ゴールのようになっているのだろう。ここで静養して復活し、都議選を戦うとなると、ますますド・ゴールと同じように見えてくるというわけだ。小池知事にとってのバーデン=バーデンは伊豆か箱根か、はたまた軽井沢か、僕には知るよしもないが。

 一方、僕にとってのバーデン=バーデンは、ベルリンの都市鉄道の技術によって東京都心に建設されたアーチ型の煉瓦造りの高架鉄道の、ガード下に入っている有楽町のドイツビール屋である。願わくば、庶民もバーデン=バーデンで安らかな時間を過ごせる日々が早く戻ってきて欲しいものだ。